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第10話 生きゆく全ての者の身近に

18:10。


大型商談が一件落着した後、鳴上の「待ち人がいる」という一言によって、ヒロはこれまでの人生で1番速く帰り支度を整え、業務フロアを出てエレベーターを降りた。


そして渚を見つけ、渚の立っている場所へ走り出した。


「渚ぁーーーーーーーっ!!!!」


ビルの中であり、周りにまだ大勢の人がいる事も頭からすっぽり抜けて叫び、走り出す。


渚は走ってくるヒロを見て、申し訳なさそうにふいっと俯いた。


その時ヒロはある言葉が頭をよぎって、胸の中を渦巻いていた苦い思い出を全て、足元に置き去りにした。


『その決断力と思い切りは、紛れもなく『宝』だ』


俺を怒鳴りつけた、早坂息子さんの言葉。


そうだ。もう俺が思ってることをそっくりそのまま吐き出すしかねえ。


拒絶したにも関わらず、辛い思いをしてる俺の事を心配してわざわざ来てくれた渚。


いつも笑って、俺を元気にしてくれた渚。


わがままでもいい。


お前にはずっとずっと、笑っていて欲しいんだ!!!


出口の自動ドアが開き、迷いの欠片もなく全力で走ってくるヒロを渚はほんの少し戸惑いの瞳で見つめていた。


「渚ぁぁぁぁぁっ!!!好きだぁぁぁぁぁぁっ!!!!!」


夕闇が滲む空の下に、ヒロの渾身の叫び声が響き渡った。


突然の叫び声に驚いて目を見開いた渚を、ヒロは真正面から勢いよくぎゅっと抱きしめた。


「ごめんっ!!!ずっと連絡取らなくて。俺が渚に釣り合うか、分からなかった。自信がなかった。もっと相応しい人がいるって思ったんだ」

「…………」

「だけど俺もあの時からずっと、渚のことが好きなんだ!!!」


渚の見開いた瞳が潤んできらきらと輝いているのは、抱きしめているヒロには見えていない。


「3年経ってもお前のことを忘れられなかったし、好きなまんまだったんだ。黙っててごめん!!!」

「…………」

「辛かった時に手を差し伸べてくれたこと、一生忘れないと思う。ずっと一緒に居てくれないか!??俺を一瞬でも好きだと思ってくれたこと、後悔させないから!!!」


数秒の沈黙が流れる。


言い切った。もう何も後悔はない。


ふと、渚が抱きしめられたまま口を開いた。


「…………………そんな事言えば簡単に、私が許すとでも思ったわけ?」

「え」


ヒロが一旦抱きしめるのをやめると、渚はヒロのネクタイを掴んで勢いよくぎゅっと手前に引っ張った。


前のめりになって戸惑い100%の表情のヒロと、してやったり顔で頬を赤く染めた渚。


2人の顔と顔はすぐそこの距離だった。


「一生傍に居てくれるなら、許してあげるけど」


真剣な渚の瞳と問い。その圧迫感に、普段のヒロならしりごんだ事だろう。


だが迷いを捨てていたヒロは、一切躊躇わずに答えた。


「もちろん」


そう答えたヒロは強引に、勢いに任せて渚を抱き寄せた。抱き寄せられた渚は頬を赤らめたままきゃ!と小さく声を上げた。


そして渚の後頭部に手を回し寄せて、唇に唇を重ねた。


有り得ないくらいに柔らかくて、暖かい唇の感触。


あ、すご。


キスって、こんなに気持ちいいんだな。


唇を離し、意外にもあっけらかんとしているヒロ。


そして爆発しそうなほど顔を真っ赤にして震えている渚。


「……………!ヒロ………!!こんなとこで………!」

「一生傍にいんだから関係無くない?」

「そっ……!そうだ、けど………!」

「もっかいするから口閉じて。ほら早く」

「ふみゅ!んっ……!んぅ………」


抵抗する雰囲気を見せながらも、ヒロの言葉に迷わずに従ってきゅっと目を瞑り、すぐに口を閉じた渚の唇をヒロは再度すかさず奪った。


ちゅ。ちゅ。ふちゅ。


渚、可愛いな…………。


可愛すぎねぇか?こいつ。


完全にスイッチが入り切ってしまったヒロは、されるがままになった渚に唇がふやけるくらい何度も何度もキスをした。壊れるくらい強くきつく、抱きしめ続けた。


そしてそんなヒロは、退勤でビルから出る大勢の人たちの道を思いっ切り塞いでいることに1ミリも気づいていなかった。


その空気感を察し、やむなく何も口を挟まずにヒロ達を避けて去っていく人々。


白い目線をぶつけられているのに、ヒロだけが全く気づいていないのであった。


渚は人々の目線に薄々気づいていたが、20秒、30秒とキスを続けていくうちに夢中になり、ヒロの身体をぎゅっと抱き返していた。


追いかけてきてその様子を陰から見ていた鳴上は、感心するかのように目を見開き頷いていた。


ふむ………。間違いない。あれこそが、″真実の愛(ソウル・ラヴァー)″というものでござるな………。


″真実の愛″は、実は生きゆく全ての者の身近にあるが、なかなか気づかないものであるという。


こんなことをしている場合では無い。拙者も、探す旅に出ねばな。


鳴上は鞄を手に持ち、1人誰にも見られることの無いドヤ顔をすると、その場を後にした。



------------------------------



15:00。


渚がヒロの彼女になって、少し経った土曜休み。


カップルになっても、2人の様子は今までとあまり変わり無かった。


散った桜を寂しく窓から眺めながら一緒に家でごろごろしていたある時、渚が突然最近運動不足で身体がなまってるから公園で遊びたいとうるさく騒ぎ立てた。


そしてヒロは緊急以外のスマホ禁止で公園に遊びに行く事を提案した。禁止にしておかないと2人ともスマホで遊びだすのが目に見えているからだ。


春にしては暖かい気温なので、2人とも白の半袖シャツと短パン、サンダル。キャップはお揃いにした。少し早めの夏仕様だ。


渚がキャップを被っているのを初めて見た上、服装も黒色以外の私服を着てるのをすごく久しぶりに見たヒロは、新鮮さと懐かしさの混じった気持ちになった。


「渚ー。置いてくぞー」

「むー……」


徒歩だと20分掛かる道だが、敢えて歩いている。


電車を乗り継ぎ、のんびりとした雰囲気の田舎道を歩き続けて10分が経った。


最初は久しぶりの屋外遊戯にテンションが上がっていた渚だが、運動不足がたたってか早くも足をおぼつかせ、根を上げ始めた。


「帰ろー」

「早ぇわ。せめて公園に辿り着け」

「嘘に決まってるでしょ?……いいよねー男は体力あって。羨ましい」

「男女とか関係ないから。ちゃんと運動しなさい」

「ぶー」


しかし結構な量の汗をかき、表情もわりと本当にしんどそうなので一旦近くの椅子に座って休憩する事にした。


ぜえ、ぜえと肩で呼吸する渚。リュックから水を取り出して勢いよく飲んだ後、さりげなくスマホを取り出そうとしたので即座に止めた。


「ぜー。ぜー。………ヒロってこういう時意外とスパルタだよね」

「せっかく外出たんだから自然を堪能しなさいほら。今を逃すと暑くなって蚊も出てくるぞ」


休憩を終え、公園まであと5分の地点までやって来た。しかし、渚は息を上げてしんどそうに再び座り込んでしまう。


「タクシーって土日も呼べるよね?」

「何でタクシー呼ぼうとしてんの?頑張れって!あと少し。しんどいからってすぐ辞めたら何もしてないのと同じだぞ」

「む、無理は身体に良くないって。身体に毒だよ」

「まだ15分歩いただけだろ。国は1日8000歩を推奨してるんだからまだまだだよ。大体、運動不足なのどうにかしたいって言ったのはおま」

「ヒロきらーい!」

「えっ?あ!おい!」


渚は突然立ち上がり、すたたーっと俺を追い越して先を走っていった。


ちゃんと機敏に動けるじゃんか!?


ヒロは突っ込みを入れる間もなく渚を追いかけた。小走りをして先をゆく渚を追いかけていると、古い集合住宅の陰に公園を見つけた。


「わー!着いたね!公園」

「…………!」


球技の出来そうな広場。そしてブランコ。ジャングルジム。滑り台。鉄棒。


ヒロは懐かしさを覚えると同時に、改めて自分が子どもでは無くなってしまったと遊具の小ささを見て実感する。


しかしヒロが違和感を覚えたのは、既に公園には人が大勢集まっており屋台が沢山並んでいた事だった。


もうじき夕闇の訪れそうな空の下、炭で燃え盛る火の匂い。


公園の砂の匂いに混じった熱気の匂い。


大勢の人が会話に花を咲かせながら食欲を満たす匂い。


そして仄かに心地よく鼻と食欲をくすぐる、焼肉のタレの香りが。


俺の本能が、目覚めていく…………!!!


「ひひ。すごく喜んでるみたいだね?途中諦めそうになったけど来てよかったー」

「………?渚」

「ヒロの大好物。あるよ。行こ?」


渚はこの催しを最初から知っていたかのように、にしし、といたずらっぽく笑いながら戸惑うヒロの背中を押した。


ヒロは屋台の食べ物が好きだった。そこそこ歩いて汗をかき火照ったこの身体は、肉を求めている。


屋台で気に入ったものを色々と買い回り、2人で公園の隅っこを陣取った。


久しぶりに食べるフランクフルト。ぷちんという心地よい食感と同時に口の中を油が弾け広がる。


美味い!!全身が喜んでいる。何度味わおうとも足りる訳がない。


頬張れば頬張る程に至福に満たされていく。


仕事は残業ばかりで辛いこともあるけど、お客さんに感謝された時と、飯を食ってる時は全てを忘れられたんだ。


「渚。ここに連れてきたかったんだろ」

「…………」

「ありがとうね。どうして?」


渚は頬張った綿あめを飲み込むと、してやったり顔で満足そうに頷いた。


「………言ったでしょ。運動不足の解消だよー」

「そっか」

「お仕事、無理しちゃだめだよ?」

「ああ。分かってるよ」


こいつの事だから、きっとサプライズ気分を味わって欲しいと思ったんだろうな。


実際、正直これは嬉しすぎた。


ありがとう、渚。


「ヒロに告白される前の日、鳴上君に会ったんだよ」

「え?そうなの?」

「うん。ヒロが部屋の前から居なくなったあと、私ずっと泣いてて。泣きながら散歩してたら鳴上君に会って、会社辞めた!って言ってて」

「…………」

「相談したら、すっごい、ヒロの事褒めてたの。『時枝殿ほど、信頼に厚い人物などおらぬぞ!』って」

「…………」

「それで、ヒロに『俺は渚がいないとダメだ』って言われたこと思い出して、もっと泣いちゃって。どうしてもヒロに会いたくなって。迷惑って思われるかもしれないけど、会えるタイミングを聞いて会社まで行ったんだー」


そういう事だったのか。


経緯を知ったヒロは、顔を上げて渚に静かな笑みを返した。


渚もそのヒロの笑顔を見て、にしし。といたずらっぽく笑い返す。


夕焼けが空の下に沈もうとしていた。


2人で静かに賑わう広場を静かに眺めていた。少しずつ染まっていく夕闇の匂いが身体を満たしていく。


吹き抜ける風が2人の身体を優しく撫でた。もう少しで肩に届きそうな綺麗な髪がゆらゆらと揺れるのを渚は気にもとめず、ぷちゅんと音を立ててフランクフルトを頬張った。


そしてしばらく経って不意に、思い出したような声を上げてヒロの方へ振り向いた。


「帰り、タクシーでいいよね?」

「だめ」

「うぇぇぇぇん!!」


闇に染まりつつある微かな夕焼けの光に、渚の悲痛な声がこだました。




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