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 第五王子ゲインロットのとんでもない乱心と、それに対する表情筋が死んだ氷の鉄仮面ことシロエ・クロワ公爵令嬢の取り乱しっぷり。


 まるで温泉地かと見紛うような数多の湯気が立ち昇るかつてない幻想的な食堂で、麗しき王子様が言ってはいけない言葉を連発して喚く姿は、果たして現実だったのか、それとも幻だったのか……


 いや、現実である。


 なんだかんだ言ってもそういうことに興味津々な思春期の紳士、まだ現実の汚い部分を知らず蝶よ花よと大事に大事に育てられている穢れなき淑女に、「婚約破棄(ファッ〇ン)」という二重の意味で強すぎるフレーズは、なかなか忘れられないくらいには心に深く突き刺さり。


 元々「あやしいよね」だの「そうなんじゃない?」だの「むしろそうであれ」と一部の淑女方が「イェン×ゲイン」やら「ゲイン×イェン」などという摩訶不思議な魔法の言葉で密かにときめきを暴走させていたところに、「僕はゲイ」などという妄想が加速する燃料を投下され、黙っていられるわけがない。


 この衝撃の婚約破棄(〇ァッキン)騒動は、実家への報告だのただの噂だの妄想の爆発だので瞬く間に広まり、半日もしない内にロマシア王国貴族学校の関係者全員が知ることになった。





 その数日前のことである。









「――面倒臭い」


 ロマシア王国第二王子ルーディロットは、疲れた顔で呪詛がごとき重い一言を吐いた。


「例の『星空』の件ですか?」


 この部屋の主である第二王女トートロッドが、愚痴りに来た兄のために紅茶を淹れつつ問う。

 これは家族のコミュニケーション……もっと言うと王族の顔を脱ぎ捨てた素の状態なので、今は侍女は下げている。


「この国大丈夫か? たかが演劇に感化されて婚約破棄なんて正気じゃないぞ」


 それも一組二組どころじゃないんだぞ、とルーディロットは紅茶に砂糖を入れていく。


 実際、婚約破棄騒動を起こしている紳士淑女は、判明しているだけでもう三十を越える件数が報告されている。


「若い子たちのやることだから。大目に見てあげてくださいませ」


 まだ十六歳のトートロッドが言うのも若干の違和感があるが、貴族学校生と上級貴族学校生では、明確に大人と子供の世界に別れているのだ。


 例の「リュスカーの星空」が原因となっている流行り病は、まだ本格的な社交界デビューはをしていない子供として数えられる、貴族学校生で蔓延している。


 まあ、進級した先にある上級貴族学校でも流行り出したら、本当にこの国はもう終わりだと見切りをつけていいだろう。


「ゲイン、小説は読んだ? 『リュスカーの星空』」


 と、トートロッドは静かにテーブルに着いている第五王子ゲインロットに話を振る。


「読めるのか? あれはまだロマシア語限定だろ?」


 どんどん砂糖を投下しながら訝しげな顔をするルーディロットに、トートロッドは「読めますよ」と返す。


「この一年で随分勉強したもの。文字はほぼ完璧、発音が怪しい部分が多いけれど日常会話くらいならもう問題ないのよ」


「へえ……半年くらい前まではまだまだって感じだったけどな」


 とんでもなく砂糖を投下しながら感心するルーディロットに向けて、ゲインロットはようやく口を開いた。


「早くシロエとお話シタイ。だから必死(フィッシュ)デ勉強した」


「お、おお……フィッシュ? ……シロエ嬢か。そういや外国語を覚えるには現地の恋人を作れとか聞いたことあるな」


「もっトゆっくり」


「あー……気持ちはわかる、シロエ嬢はかわいいもんな、って意味だ」


 もう限界ってほどに砂糖を投下しつつ言い換えたルーディロットに、穏やかだったゲインロットの瞳がすっと細くなる。


「シロエに手を出したらブッコロ」


 可愛らしい顔で恐ろしいことを言ってくれた。


「……やばいなこいつ。そういう意味だとわかってて言ってるのか、言い間違いなのか覚え間違いなのか。全然わからん」


 まだ事情を知っているルーディロットらには理解があるが、事情を知らない者が聞いたら普通に誤解を与えそうだ。


「ルーディお兄様。今のはわかっていて言っていると思いますわ」


「……えぇ……本意じゃないところで弟に嫌われるのは嫌だなぁ」


 限界など軽く突破して砂糖を投下しつつぼやく二番目の兄は、疲れた顔で疲れた溜息を吐いた。





 第五王子ゲインロットは、去年までサカオー王国で生きてきた。

 彼の母親である第三妃であるフェリーシェは、かつてはサカオー王国の姫君で、ここロマシア王国に嫁いできたのだ。


 もう十年以上前になるが、サカオー王国にるフェリーシェの母親が病で危篤となり、一時的な帰国を許された。

 その最中でフェリーシェの懐妊が発覚し、あまり動かさない方がいいとの判断で、そのままサカオー王国の方で出産することが決まった。


 そこで生まれたのが、ゲインロットである。


 そして、それからのこと。

 もう率直にはっきり言って、国王同士の子供じみたケンカが勃発したのだ。


 かつては兄弟国とまで言われて仲が良かった国同士、また国王同士も幼馴染で非常に良好な関係が築かれていた。

 なのに、子供が生まれたことで、国はともかく国王同士……個人間での対立が起こってしまった。


 可愛がっていたフェリーシェの子供である。

 可愛くないわけない。


 サカオー国国王は、ゲインロットをロマシア王国に返すことを、手放すことを承服しなかったのだ。


 ――「おまえんとこもう王子(おとこ)四人に王女(おんな)二人もいるからいいだろ。ゲインこっちにくれよ」


 ――「ふざけんな俺の子供だぞボケ。返せカスが。あと嫁も返せ。フェリーシェは俺の嫁だろ」


 ――「返せじゃねえだろ、うちが実家だ。つか嫁なら他にもいるだろ」


 ――「うっせえ俺は何人だって愛せるんだよボケ」


 という会話をオブラートなしで交わす国王同士に、両国の臣下は胃を痛めたとか痛めていないとか。

 一歩、いや、半歩でも間違えれば戦争になりかねない綱渡りを強要されていた彼らの努力により、なんとか最悪だけは避けられたのである。


 そうして、サカオー国国王は当てつけのようにゲインロットにロマシア語を学ばせなかった。

 いや、ロマシア王国に引き渡す気はない、という意思表示だったのかもしれない。


 そして月日は流れ、去年。


 とんでもなくがんばって病を蹴りつけ、老いを跳ね除け、かつては危篤状態にあったことが嘘のように快方したフェリーシェの母が、いよいよ老衰で他界。

 余命三日と宣言されてから優に十年以上の余命を生き抜いた女性の大往生だった。


 それを機に、ちょくちょく単身ロマシアに通っていたフェリーシェが正式に帰国すると決め、ゲインロットを連れてきたのである。


 ――「え? だってお母様が危篤だから帰ってきて、そのお母様が儚くなってしまったのだもの。この国にいる理由はないでしょう?」


 サカオー国国王は驚いた。

 可愛い娘が、ロマシアより祖国がいいと感じてこちらにいると思っていたのに、まさか十年以上も母親のためにいたとは想像もしていなかった。


 確かにちょくちょくロマシアに行ってはいたが、ゲインロットは置いて行っていたし、第三妃として最低限の公務を果たすためだと思っていたのに。 


 実にあっさりと。

 母親が亡くなったら、実にあっさりとロマシアへ帰ってしまった。

 父親の泣いて止める声も聞こえないとばかりに。ずっと可愛がっていた娘にそっくりな可愛い可愛いゲインロットを連れて。


 この娘の冷たい対応。

 娘とはそういうものである。

 娘の父親になんてなるものではない。


 こうして、ゲインロットは去年、ロマシアに帰ってきたのだ。

 帰ってきた、という言い方もおかしいかもしれない。


 何せ彼は、一度もロマシアに来たことがなかったのだから。





 サカオー国国王(おじいちゃん)のせいで、本来なら母国であるロマシアの情報が異常なくらい入ってこなかったゲインロットにとっては、いきなりの外国暮らしである。


 その上いきなり母からうっすら聞いていただけの兄弟姉妹と対面し、確かに顔立ちや髪の色や瞳やでどう見ても他人じゃなくて。

 サカオー王国で兄弟として育った兄弟たちより、こちらの方がより兄弟兄弟していて。


 すべてが前準備の足りないいきなり過ぎる生活が始まり、ひどく戸惑っていた。


 ――そんな時に会ったのが、すでに決められていた婚約者である、シロエ・クロワ嬢であった。


 



 母国とは名ばかりで、戸惑うことばかりで、言語も文字も通じない異国である。

 もちろん文化が違う面も多々あった。


 正直、ゲインロットはサカオー王国に帰りたいと思っていた。

 サカオーは生まれた時から育った国であり、人付き合いだって向こうにしか存在しない。会ったことがなかったロマシア国王が「俺のことはパパと呼べ」と強要してくるのもどうしていいかわからなかったし、会ったことがなかった兄弟姉妹が、忙しい公務を縫ってまでわざわざ接してくるのも気が引けた。


 だから、一年だけ我慢しよう。

 貴族学校を卒業したら、成人として扱われる。その時に自分で交渉し、サカオー王国に帰ろうと思っていた。


 幸いサカオー国国王(おじいちゃん)は何くれと「不自由はしてないか」「おじいちゃんは寂しい」「帰ってこないと死ぬ」と、手紙に書いてよこしてくれている。

 ここまで求められるなら、ゲインロットの意思一つでどうにかなりそうだと思っていた。 





 だが、シロエ・クロワと出会ったことで、その意志は完全に消え失せた。


 一目惚れだった。



 


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