第16話 藤寅の稽古1日目〜ブレイクタイム〜
公開はちょっとしたお休み会です。
稽古終了後、獣士郎は部屋に戻って眠りについていたが、部屋の扉を叩く音で目を覚ました。
「ま、まさかまたやっちゃったのかな……」
この部屋には時計がない。この世界における時間は、一時間におきに一回の鐘が鳴り、三十分おきに二回の鐘が鳴る。
この音でこの世界の人々は時間を認識し、生活をしている。
時間を知る方法はもう一つある。それは日時計だ。太陽の影から時間を知るという原始的な方法だが、それが意外と正確だったりする。
しかし、この部屋は防音の加工が施されているのか──もしくは何者かが特殊な力を使ったのか──外の音が全くと言っていいほど聞こえてこない。
そのため時間を知るということは不可能に等しいのだが、妹子も柳次郎も今の時間を把握して行動ができているらしい。
獣士郎は急いで扉を開いて外に飛び出した瞬間、額に固いもの──もしかしたら柔らかいものだったかもしれない──が当たったような感触に襲われた。
木が軋む大きな音が二度廊下中に響く。
「いてててて……」
声からして女性、しかも獣士郎にとってすでに知っているものだ。
青い髪に桃色の紫陽花の髪留めの少女、妹子だ。
「妹子さん」
妹子はムッとした顔で獣士郎を見つめ、そのまま立ち上がった。
「お姉ちゃん」
ため息をつきながら、そう呼ぶと妹子は嬉しそうにニコニコする。
「何か用?」
「うん、ちょっとね。ここで立ち話じゃあれだし、入ってもいいかな?」
獣士郎はちらりと自室を見る。部屋には無造作に広げられた布団や毛布が散らばっている。
「ちょっと待って」
勢いよく扉を閉め、急いで布団を片付ける。棚に急いで載せようとするが、思ったよりも重く、左右にふらつきながら持ち運ぶ。
「うわあああ!!」
バランスを崩し床に倒れ込んだ。先ほどの音よりも大きな音を立て、大きな振動が発生した。
幸いこの部屋は防音──だろうと信じたい──と言うこともあり外には聞こえていないはずだ。
「いたた……」
よろめきながら立ち上がり、もう一度布団を持ち上げる。
今度はうまく持てたらしく、安定して布団を棚に乗せることができた。
そっと扉を開く。
「入っていいよ」
妹子は獣士郎がこの一瞬でボロボロになっていることに驚いているように見える。
「大丈夫!?」
妹子に悟られないように平然を装う。
「大丈夫だよ。さあ、入って」
「うん、お邪魔します」
机と座布団を出して、妹子をそこに座らせてから、獣士郎も座った。
「……で、話って何かな?」
「あっ!」
早速本題に入ろうとしたところで、妹子は急に大声を出した。
急すぎて驚いた獣士郎は体をビクッと震わせる。
「急に大声出さないでよ」
「ああ、ごめんごめん。もう一人呼んでこなきゃいけないの忘れてた。ちょっと出てくるね」
妹子が慌ただしく立ち上がり、部屋を飛び出していった。
「もう一人……か」
誰がくるのかは大体見当がつく。
数分後、もう一度扉を叩く音が部屋に響く。
獣士郎は扉を開き、廊下に立っている二人の顔を見る。
一人は妹子だ。そしてもう一人、茶髪の少年が立っている。今回の晴明継承団の入団試験を合格したもう一人の同期、柳次郎だ。
「じゃあ、入るね」
「どうぞ」
二人を中に招き入れて座布団に座らせ、獣士郎はもう一つ座布団を取ろうとしたがここで問題が発生した。
「あっ」
座布団がもうない。
「どうしたの?」
「座布団がもうなくて……」
ふと柳次郎が立ち上がった。
「俺、床に直接座るわ。だからお前はこの座布団に座ってくれ」
「せっかく僕の部屋に来てくれたお客さんなんだから床に座らせることはしないよ。遠慮しないで座って」
獣士郎はかぶりを振った。
「そ、そうか。じゃあ遠慮なく座らせてもらう」
柳次郎は素直に受け入れ、座布団に腰を落とす。
獣士郎は床に正座をした。木の質感を直に感じ、所々に飛び出ているささくれがチクッとした感触を足に伝えている。
「じゃあ、今日集まってもらった理由を話すね」
獣士郎と柳次郎はゴクリと唾を飲む。どんな話があるのだろうか。ましてや獣士郎が前世で全く話すことがなかった女性からの話だ。
少しだけドキドキしている。
「せっかく同期になったのにお互いのことを知らないのはどうかなって思って……」
「つまり自己紹介……ということか?」
「さすが柳次郎くん。勘がいいね」
「それほどでもあるわぁ!」
柳次郎は頭をかきながら、わかりやすく照れた。正直言って引くほどだ。
ここまでバカ正直な人を前世も含めて獣士郎は見たことがない。
「じゃあ、私からいくね。私は広小路妹子。ヘイアンの街の南側に住んでるんだ。そして……」
急に獣士郎に抱きつく。
「獣士郎くんのお姉ちゃんだよ!」
やりやがった。血が繋がっているわけでもなければ、獣士郎が認めたわけでもない。
「ち、違うよ! 僕は妹子さんの弟とかそんなんじゃない。僕は櫻上獣士郎。ヘイアンの街の西側から来たんだ」
「もうっ! 獣士郎くんったらまた私のことお姉ちゃんて呼ばないんだから!」
口をぷくっと膨らませて妹子は怒っているように見えるが、なぜかそれが面白く感じて、笑ってしまった。
「どうして笑うのかなあ」
「だって、妹子さんがすんごく可愛いと思ったから」
ついつい獣士郎は前世の感覚で可愛いと言ってしまった。
その瞬間に妹子の顔がぼっと赤くなる。
「か、可愛いなんて大袈裟すぎるよ……もう獣士郎くんったら……」
「ゴホン」
柳次郎が咳払いをしたところで、二人とも我に返る。
「ごめんごめん、じゃあ柳次郎くんも自己紹介お願いね」
「おうよ、俺は払手柳次郎だ。ヘイアンの街の東側から来た。この世界のアヤカシを全部ぶっ殺すのが俺の夢だ!!」
胸を叩いて自慢げに話す柳次郎を見て、獣士郎たちは笑った。
「な、なんで笑うんだよ」
「だって、面白いんだもん。私こんな人見たの初めて」
「僕も初めてだから新鮮だなって思うと面白くて」
「お、俺ってそんなに面白いのかよ」
「うん、とっても」
柳次郎は不満そうにしていたが、二人は大きな声で笑い合う。
その後も稽古のことなどで話が盛り上がり、一時間ほど話したところでお開きとなった。
妹子が部屋から出てくる時、ふと獣士郎の方を振り返って頬を赤く染めて驚くべきことを口にした。
「私と……結婚してくれる?」
「は?」
何がなんだか訳がわからなかった。結婚相手を探しているとは言っていたがあまりにも急すぎた。
「さ、流石に昨日の今日で結婚は無理だよ」
「そう……だよね。ここに来てからもう20回以上断られてるよ。でもね──」
部屋を出てからもう一度笑顔で振り返った。
「獣士郎くんのことは諦めないからね!」
断られた人に必ず言っているのだろう。
そう言い残して、暗い廊下の中へと消えていった。
「20回……か。もうそんなに告白してるんだ……」
この数字に驚きを覚えた。
妹子の笑顔が脳裏に浮かび上がり、恥ずかしさがこみ上げてきた。
「明日からどうやって顔を合わせればいいんだろう……」
女性から告白されるのは初めてだ。しかも断ってしまった。
このような時にどうすればいいのかすら獣士郎にはわからない。
明日どのように話そうかと考えながら目を閉じ、ドキドキしながら眠りについた。