第15話 藤寅の稽古1日目〜地獄の外周ランニング〜
翌朝の卯四刻、獣士郎は勢いよく開かれた扉の音で目を覚ました。
「おい、今日から稽古だ。さっさと起きろ!」
藤寅に起こされ、眠たい目を擦りながら先日支給された青い着物と黒い帽子を身につけ、広場へと足を運ぶ。
すでに柳次郎と妹子も同じように支給された衣類を身につけて出てきている。
「獣士郎くん、遅いよ!」
「初日から遅れやがって」
二人の声は何かに怯えている。
「ご、ごめんなさい」
とりあえず平謝りしたところで、藤寅が広場にやってきた。
「貴様らにはまず体力をつけてもらう。この本部の外周を4周してこいと言いたいところだが、一人寝坊したからさらに4周追加で8周走ってこい!」
「……え?」
柳次郎から驚きの声が漏れた。晴明継承団本部はこのヘイアンの街で一番大きい建物だ。その外周は前世の単位でおよそ5キロほどある。それを8周、つまり40キロ走れと藤寅は言っているのだ。
「なんだ貴様ら、不満でもあるのか?」
藤寅が悪魔のような眼差しでこちらを睨みつけた。
獣士郎たちは逃げるように本部を飛び出し、外周を走り始めた。
「いきなり走れってなんだよあの野郎」
走り始めてからすぐに柳次郎が口をこぼす。
「仕方ないよ。任務の遂行に体力は必須なんだから」
妹子がフォローするも柳次郎は深くため息をついた。
「ったくお前が遅れて来なけりゃ4周で済んだのによお」
「ご、ごめん」
やっと二人が怯えていた理由がわかった。おそらく獣士郎が時間になっても広場に来なかったことで藤寅が今日の稽古の量は通常の2倍にすると言われたのだろう。
「とにかく今は走るしかないよ。藤寅さんが言ったことは絶対なんだし」
妹子はさらにスピードを上げて走り出す。
獣士郎がその跡を追いかけるようにスピードを上げた。
「おい、待てよ。速すぎるだろ」
柳次郎も慌てて追いかけるが、すでに息が上がり始めている。
「柳次郎くんが遅いんだよ。私は先に行くから自分の調子で走ったほうが身のためだよ?」
「俺より年下のくせに生意気な!」
柳次郎はムキになってスピードを上げるが、すでに息が上がっている柳次郎にそんな体力はなく、妹子に追いつくことはなかった。
「あら、私より年上なのにその程度の体力で宜しいの? ましてや獣士郎くんにすら負けるなんて、ね?」
妹子は不気味な笑みをこぼす。柳次郎は疲れてその場に立ち止まり、すぐそばにある本部の外壁を拳で強く叩いた。
「絶対に見返してやる!」
遠くでそんな言葉が聞こえた気がしたが、獣士郎も妹子もお構いなしに走り続けた。
水分補給や休憩をしながら五時間ほど時間が経ったところで、獣士郎たちは40キロという距離を走り切り、再び本部の門をくぐった。ただ一人、柳次郎を除いて。
「た……ただいま戻りました」
息を切らしながら、藤寅の元へと歩みを進める。
「一人いないようだが?」
「柳次郎くんなら息を切らしていたので置いていきました」
「僕たちについて来れないみたいだったので、先に行きました」
獣士郎がそう言い切った瞬間、藤寅の眼差しが恐ろしく鋭くなった。
その眼差しからはなぜか目を離すことができず、さらに恐怖という感情が心の奥深くから湧き上がってくる。
「置いてきた……だと?」
「…………」
獣士郎も妹子も何も言い返せない。いや、恐怖で声が出せないのだ。
「貴様らには団結という言葉はないのか?」
藤寅は相当怒っているようだ。単に体力がないから柳次郎を置いてきただけだが、それが藤寅の癪に触ったらしい。
「貴様らなぜ黙るか」
「そ、それは……その」
思うように口が動かせず、思っていたことが口に出せない。
獣士郎はどうしようもなくあたふたし始めた。
「置いていっていい理由なんてない。貴様らが助け合わないと全員すぐに死ぬぞ!」
藤寅の言葉は、重く獣士郎の心にのしかかった。
「ご、ごめんなさい」
獣士郎は頭を下げる。それに続いて慌てて妹子も頭を下げた。
「謝るくらいならさっさと助けてこい! 仲間を見捨てるな!」
「はい!」
二人は再び門を飛び出す。
その瞬間、獣士郎の体が何かにぶつかり、その場にころがりこんだ。
「いてて……」
そこには柳次郎の姿があった。額からは大量の汗が流れ落ち、着物は砂だらけだ。
「……柳次郎」
意味もなく柳次郎の名を呼ぶ。
「ごめん! 柳次郎くんを置いていくなんて、私……私──」
妹子が突然泣きながら頭を下げ、それを見た柳次郎はこの状況が理解できず、口をぽかんと開けている。
「は?」
「私が置いていったから……もしかしたら死んじゃうかもしれないのに」
「何言ってるんだ? 走るだけで俺が死ぬわけないじゃん」
「僕もごめん。おね……妹子さんについていったりなんかしちゃったから」
獣士郎も続いて頭を下げる。
「いや、だから何を言ってるのかさっぱりなんだが」
「これが任務だったら……柳次郎くんが死んじゃう。だから……」
「走ってる時、柳次郎が先に死にそうなくらい息を切らしてたから本当に死んじゃったかと思って……」
「なんだ、そんなことか。俺は大丈夫だ。ちょうど今終わったところだし」
「そんなことか……じゃないよ。柳次郎くんが死んじゃったら私……」
「僕もだよ。せっかくできた仲間なのにいきなり失うのは嫌なんだよ」
「俺は死なない!」
柳次郎は腰に手を当てて威張るように叫んだ。
それを見て獣士郎の妹子は笑い合う。
これが仲間なのだ。
これが助け合うということなのだ。
「じゃあ藤寅さんのところに行こうか。本部で待ってるよ」
獣士郎が柳次郎に手を差し伸べる。
「おうよ」
3人は頷き、本部の門を潜る。
「ただいま戻りました!」
「よし、全員揃ったな」
藤寅はちらっと太陽の位置を確認した。
日はまだほぼ真上にある。前世の時間で考えてもまだ午後2時を回っていないだろう。
「少し早いが今日はもう休め。明日からは一日中稽古をつけてやるから今日と同じ時間に集まること。特に貴様は前科があるんだから遅れるな!」
獣士郎を指差す。
「はい」
しょぼんとした様子で体を丸めて返事をする。
「わかっているならいい。さあ、今日はもう部屋に行け」
3人は藤寅に深く頭を下げてから、各々の部屋へと向かっていった。
「今回はうまくいきそう……だな。頼むから死なないでくれよ」
藤寅はふっと笑ってからその場から立ち去っていった。
さて、今回は藤寅さんを怒らせてしまって予定の2倍走らされた獣士郎達ですが、ちゃんと藤寅さんも理由があってこうしてるんです。
あ、そうそう。獣士郎たちは水分補給とか適度に休憩してますからね。
あと補足ですが、晴明継承団の制服の帽子は警帽みたいなのをイメージしてます。