5話
頭の先端が尖った帽子をかぶり、ローブをまとう女性が歩いていた。
水面を通ってきた涼やかな風が帽子を飛ばそうとすると片手でそれを抑える。
口元には三日月のような笑みが浮かんでいる。
湖の畔にある家に辿りつくと彼女はドアをノックする。
しかし、待てど暮らせど人が来る様子は無い。
しばらく待った後、家の壁をなぞるように移動し裏手に出る。
家の裏手には湖が広がっており、周りは森が囲っている。
その湖のすぐ傍にポツンと座り込み、釣り糸を垂らしている男が居た。
男を目指して歩き出す。
土を踏む音に気付いたのか男が振り向いた。
「やあ、リリーさん」
「グレイさん久しぶりね」
リリーはそう言って、グレイの隣に腰を下ろした。
「10日も来なかったのは珍しいじゃないか」
「色々あったの。色々と、ね」
リリーはため息を吐く。
こりゃ夜は大変そうだ、とグレイは覚悟する。
「私がこんなに忙しいのに勇者様はオネムだものね。嫌になっちゃう」
リリーの視線の先、グレイの胡坐の中でマールは眠っていた。
体をグレイに預けてすやすやと心地よさそうにしている。
「マールは心配してたよ。リリーさんに何かあったんじゃないかって」
「そう。マールは優しい子ね。心配してくれてありがと」
リリーが頭を撫でると、さらさらの髪が顔にかかりマールは少し寝苦しそうに呻いた。
その様子をリリーは楽しそうに見つめている。
「ところで、貴方は心配してくれたの?」
リリーがからかうようにグレイに聞いた。
「俺なんぞに心配されるようじゃ城の魔導士は務まらんだろ」
「あら残念」
言葉とは裏腹にクスクスとリリーは笑った。
グレイもフッと鼻で笑い飛ばす。
「あえ~?りりぃ?」
二人で笑い合っているとマールが目を覚ました。
寝ぼけ眼でリリーを見つけ、その名を呼ぶ。
「お目覚めかしら勇者様」
「まだねむいぃ」
呂律の回らない口で喋るマールはグレイの胡坐から這い出し、わきの下を通ってリリーの元へ。
そしてリリーの太ももに頭を置いた。
「まだ寝るの?」
「夜に眠れなくなるぞ」
「あとでリリーとあそぶからだいじょぶぅ」
そして、マールは再び眠りについた。
「遊ぶのか?」
「勇者様の望みですもの」
「違いない」
結局、マールは昼食まで寝たままだった。
◇ ◇ ◇
夜。
食事も終えて、居間でグレイとリリーは酒を飲んでいた。
マールも一緒だが飲んでいるのはリンゴジュースだ。
「らからぁ!あいつら、わらひのこと便利な魔道具くらいにしかおもってらいのよぉ!」
酒が回り赤ら顔のリリーが声を上げる。
町中であれば近隣住民から吊し上げられそうだが、幸いなことにここらで人が住んでいるのは、この家だけだ。
グレイはそういった意味でも引っ越していて良かったと思った。
「まぁまぁ。リリーさんは有能だからな。みんな頼りたくなるんだよ」
「れもれもぉ、わらひだけじゃいみないもん~」
「それは確かに」
聞いている限りだとリリー1人に負担が偏っているようだ。
グレイはリリーを宥めながら同情した。
元々リリーは根が優しいので頼まれたら断ることが出来ないのだろう。
リリーの仕事仲間とて悪気があるわけではない。
「マールがびしっと言ったげよっか」
テーブルに上半身を投げ出すリリーにマールは自信満々に言った。
「ありがとぉマール。そのうち頼むかもしれないわぁ」
「いや、マールが言ったところで……マールの命令なら聞くのか?」
今はこんなナリだが、マールは勇者様だ。
勇者様がリリーに負担をかけるなと命令してしまえば、リリーは仕事から解放されるかもしれない。
「っと。もう子供は寝る時間だな。マール寝る支度をしなさい」
「ええー!まだリリーとお話したーい!」
「ダメダメ。寝ないと大きくなれないぞ」
「もう20歳だもん!」
「む、一理ある」
「グレイさん丸め込まれちゃ駄目よ。体は子供に戻ってるんだから」
グレイが流されそうになるとリリーが冷静に諭した。
直前まで呂律も回っていなかったのに、えらい変わりようだ。
「リリーさんの言う通りだ。マールは子供なんだから寝なさい」
「ちぇー」
マールは口を尖らせて席を立つ。
「私もそろそろ寝ようかしら」
「今日はもう帰るのか?」
「違う違う。泊めて」
「……は?」
「泊まるわ」
その発言にグレイの思考が一瞬止まる。
そしてグレイより先にマールが反応した。
「リリー今日は泊まるの!?じゃあマールと一緒に寝ましょ!」
「そうね、お邪魔するわ」
「でもお酒臭いから歯を磨いてね」
「はいはい」
マールがリリーを連れて居間から出ていく。
目の前の急展開にグレイは結局、一言も口出しできなかった。
「年頃の娘が抵抗は無いのか……マールが居るから大丈夫なのか」
リリーはマールとそう変わらない年のはずだ。
無論、グレイにはリリーに手を出そうという気は毛頭ない。
手を出しても逆に消し炭にされるのがオチだが。
しかし段々リリーが家にいる時間が増えている気がする。
いつか家を乗っ取られるかもしれんな、とグレイは一人笑った。