3話
マールは飛び回る蝶を追っていた。
一人で遊んでいる最中に見つけた、黒と青で彩られた大きな羽を持つ蝶だ。
マールは綺麗なその蝶を掴まえて父に見せてやろうと思っていた。
蝶を追って森に入ってしまう。
草をかき分け前へ前へ進む。
そうして蝶を追っていると、帰り道が分からなくなった。
マールはそうしてようやく足を止めた。
蝶はどこかに飛んでいってしまった。
「……迷子かなぁ」
疑う余地もなく迷子なのだが、マールは自身がそうであるとは認めなかった。
マールは家に帰るために再び歩き出す。
しかし、森の光景はどこも同じに見えて向かう方角すら分からない。
マールが適当に歩き回っていると木の枝をリスが走って行った。
マールは目を輝かせてリスを追う。
そうして、森の奥へ奥へと入り込んだ。
◇ ◇ ◇
グレイとマールが住む家は町から少し離れた場所にある。
一般家庭より少し大きい程度の家だが、裏手には湖と森が広がっており貴族が所有する土地と言われても違和感がないほどだった。
グレイは子供のマールが帰ってきてからすぐ、マールの勇者としての報奨金の一部を使い土地と家を買った。
諸手続きについてはリリーが請け負ってくれたおかげでスムーズに進んだ。
グレイはマールのお金を勝手に使うことに悩んだが、今のマールではお金の管理など出来ないし、力の暴走を考えると周りに人がいない方が良いため、購入に踏み切った。
おかげでこの1年は人的被害は無かった。
森には魔物がいるが弱いものばかりで危険度は低いことをリリーが保証した。
実際、グレイは森に入り適当な数回魔物と戦ったが、どいつも簡単に倒せてしまった。
「おーい!マール!どこだー!」
グレイはマールを探していた。
薪割りをしていて目を離した隙にどこかに消えてしまったのだ。
とはいえ神出鬼没な娘なので家の中やその周りを探し回っていた。
いつもならグレイの呼ぶ声が聞こえたら飛び出してくるマールが、この日は出てこない。
グレイは森の方を見る。
「森に入ってしまったか?」
一人で森に入るなとは言い聞かせていたが、普段の奔放さを考えると十分にありえる話だ。
グレイは森を探すことにした。
部屋から剣を持って腰に差し、家を出る。
低級の魔物とはいえ人を襲うことには変わりない。
もっとも、魔物に襲われて危険なのはマールではなくグレイの方かもしれない。
◇ ◇ ◇
カリンは薬草を摘みに森に来ていた。
カリンは冒険者だ。
今回は依頼を受けて、町を少し離れた場所にある森に来ていた。
カリンは17歳とまだ若いが、森に来たことは何度もある。
この森にいる魔物程度であればソロでも問題ない。
それだけの実力は備わっていた。
そんな彼女の前に一人の少女がいた。
美しい銀髪を腰まで伸ばした、見たところ5歳くらいの可愛らしい少女だ。
いくら森の魔物が弱いからと言って子供一人で入る場所ではない。
カリンは少し警戒しながら聞いた。
「お嬢ちゃんどこから来たの?」
「家からー」
「そりゃそうだろうけど……」
「お姉ちゃんは迷子?」
「ううん。私は薬草を摘みに来たの」
「そっかー。マールはねー蝶を掴まえに来たの!」
目の前の少女はマールという名前か。
カリンは思いがけず情報を手に入れた。
だが、それだけでは何も分からない。
「お姉ちゃんもしかして蝶?人になった?」
「いやいや元から人間だから。マールのお家はどこ?」
「分かんない」
「もしかして迷子?」
「……迷子、かも」
どう見たって迷子だ。
カリンは警戒を解いた。
警戒していたって意味がなさそうだ。
「お家の周りには何があった?」
「木がいっぱい!」
「じゃあここも家だねー」
森の中では意味のない情報だった。
いっそ町に連れて帰るか。
カリンがそう悩んだ時、急にマールの顔が曇り始めた。
「ど、どうしたの?」
「パパに怒られるかも……」
「お父さんに?なんで?」
「一人で森に入るなって言ってた、かも」
これは間違いなく森に入らないよう言われていたな。
カリンは可哀そうだと思ったが、そこはどうしようもない。
「でもお父さんに会いたいでしょ?」
「会いたい」
「じゃあ帰らなきゃね」
「家分かんない……」
「うーん、どうしよっか」
いよいよ町に連れて帰ろうかとカリンは思案する。
その時、どこからか声がする。
「マール!どこだー!」
「パパだ!」
声がした瞬間にマールは走り出した。
その動きは子供とは思えないほど洗練されており、後ろ姿はすぐに森の中に隠れてしまった。
その場に残されたカリンはしばらく立ち尽くしていた。
「……薬草摘も」
そうして、カリンは依頼を果たしに行った。
◇ ◇ ◇
「パパー!」
グレイは猛烈な跳び付いてきたマールを受け止めた。
まるで猪に突進されたかのようだが、グレイは足を踏ん張ることで何とか耐える。
「マール、一人で森に入るなって言ったろ?」
「パパに蝶を見せたかったの!」
「蝶を?それで、捕まえたのか?」
「ううん!人になっちゃった!」
「お前は何を言ってるんだ」
グレイは娘の奇妙な話に疑問を感じる。
しかし、勇者の物語に不思議なお話はつきものなので、あるいはマールは本当のことを言っているのかもしれない。
まあ、話半分に聞いておこう。
グレイは、そう心の中で完結した。
「はぁ。まあいい、帰るぞ」
「はぁい」
「家に着いたらお説教だ」
「やだぁ」
マールは、いやいやと首を振りながらもグレイの手をしっかり握り、よどみない足取りである。
グレイはそんなマールの姿を見て、
(説教は短めに終わらせるか)
と考えて、娘への甘さに自嘲した。