2話
今から5年前、マールは勇者となった。
グレイとマールの二人が暮らす家にある日、神官服の男と数人の兵士がやってきた。
神官服の男はマールの右手の甲にあるアザを見て「予言通り」と言った。
世界を掌握せんとする魔王に対抗するための勇者。
城にいる高名な占い師がその存在を予言した。
予言に従った神官が対象の人物を探し、マールを探し当てたのだ。
勇者になる場合、家を出ないといけないので当初マールは渋った。
それまでのマールは街を拠点とした冒険者であり、おかげで実家で父グレイとの二人きりの生活を送れていた。
マールはその生活に満足していた。
むしろそれ以上の生活は無いとさえ思っていた。
故に神官の説明を受けた際、力尽くで追い出そうとした。
それを止めたのはグレイだった。
グレイは神官の話を聞いた時、マールの父離れの時がやってきたと思った。
何をするにしても父を優先するマールの将来にグレイは不安を覚えていた。
グレイも若いころは冒険者だった。
妻がマールを身籠ると同時に引退したが、そのノウハウはマールに引き継いだ。
マールには才能があり、わずか12歳で冒険者になると1年でグレイの冒険者ランクを超えてしまった。
15歳になる頃には、その美貌も合わさって名が売れ、貴族から直接召し抱えたいと誘いもあった。
しかし、マールは依頼で遠出をすることはあっても決して家を出ようとはしなかった。
その理由が父親と離れたくないからと知っているのは一部の者だけだ。
そんな折、勇者の話が舞い込んだのだ。
グレイは勇者になることがどれだけ光栄なことかをマールに話した。
娘がいなくなることを想像すると、たまらない気持ちになったが我慢して説明した。
マールはグレイの話を聞くと、「私が勇者になると父さんは嬉しい?」と聞いた。
グレイが「もちろん」と答えるとマールは神官に勇者になることを告げた。
次の日には、荷物をまとめてマールは家を出て行った。
冒険者なだけあって身が軽い迅速な行動だった。
家を出る前に「なるべく早く帰るから」とマールは言った。
グレイは魔王を倒してもマールが家に戻ってくることは無いだろうと考えていた。
魔王を倒したとなったら、国が放っておく訳がない。
もしかしたら王子に娶られでもするかもしれない。
親馬鹿かもしれないが、王族に名を連ねたとしても娘の美貌なら違和感がない。
いずれにしろ、こんな家に縛られるよりはよほど幸せになるだろう。
グレイはそう思った。
マールが魔王を倒しに旅に出ると、各地での活躍が時折グレイの耳に入ってきた。
そのどれもが華々しいもので、それを聞いた民衆は大層喜んだが、グレイは娘が遠い人になってしまったようで寂しさを感じた。
娘の活躍そのものについては喜んでいたが。
1年ほど前のことである。
魔王が倒されたという情報が世界中に出回った。
勇者マールとその仲間達が魔王を打ち破ったのだという。
そして、近く凱旋パレードを行うと。
グレイはマールがもう家に戻らないにしても、娘に一目会おうと凱旋パレードを見物しに行った。
しかし、パレードにマールの姿は無かった。
諸事情により勇者はパレードに参加できないとのことだった。
民衆は勇者が居なくてもパレードそのものを楽しんだが、グレイは娘を見ることが出来ずにがっかりして家に帰った。
家にはマールの私物が残っており、それが目に入るとグレイは嫌でも娘のことを思い出した。
それからしばらく、マールは誰の前にも姿を現すことは無かった。
これはいよいよ国に囲われているのかとグレイが勘繰り始めた頃、ある人物が訪ねてきた。
夜、グレイが一人寂しく食事をしているとノックの音が響いた。
グレイが家の出入り口の扉を開くとローブをまとった女性が誰かを背負って立っていた。
彼女はグレイに名前を尋ねる。
グレイが素直に答えると彼女は背負った者を見せてきた。
それは美しい銀髪の可愛らしい少女だった。
グレイはその少女を見て懐かしさを感じた。
だから「俺の娘の子供の頃を見ているようだ」とグレイは言った。
すると「あなたの娘です」と彼女は言った。
グレイは混乱した。
自分は今は亡き妻の他に関係を持った女性は居ないはず。
グレイがそう言うと彼女は慌てて言った。
この少女がマールであると。
グレイは彼女を家に上げて話を聞くことにした。
少女は眠っていたので、そのままベッドに寝かせた。
彼女はマールの仲間で魔王を共に倒した魔法使い、リリーと名乗った。
グレイが熱いお茶を出すとフーフーしている。
猫舌なのかもしれない。少し冷ましてから出せばよかった。
グレイがそう考えているとリリーは語り始めた。
話の内容はおおよそ魔王戦のことで、問題は魔王に止めの一撃を与えた時だった。
魔王が最後の力でマールに呪いをかけたのだ。
呪いの力で子供になってしまったマールを人前に出すことは出来なかったので、これまで城で解呪をしていたのだという。
しかし、呪いを解くことは出来ず、おまけにマールは力の制御が上手く出来なくなっていた。
リリー以下、城の者達はどうしようもなくなり、父親であるグレイの元を訪ねたのだと、リリーは言った。
また、父親の元に送り返すことが決定してからマールの力の暴走が収まった。
マールにとってグレイは精神安定剤的な役割なのだという。
リリーが話終える頃にちょうどマールが目を覚ました。
マールはしばらくボーッとするとグレイを見つけて抱き着いた。
背骨を折らんばかりの腕の力に、グレイはリリーに向かって昔はここまで力はなかったと叫んだ。
リリーは勇者の力自体はそのままらしいと冷静に返した。
こうしてグレイとマールの新たな暮らしが始まった。