3.レッスン
スゴマジ芸能プロダクション事務所。スミッコ港町の外れにある、一階建ての一軒家のことだ。
そこに今日、私は訪れていた。仕事ではない。いや、一応仕事の一環ではあるのかな? 今日は歌の『レッスン』とやらを受けに来た。
『録音』の仕事として、歌を歌う予定の私。
でも私は、今まで仕事で歌を歌ったことがない。いや、客引きのためで歌を歌ってはいたけれど、純粋に歌を聴かせることそのものを目的として歌ったことはない。
いわばアマチュア。プロではない。というのがタナカさんの主張。アマチュアとかプロとかの線引きは、いまいち私には解らないけれど。だって、必要ならば素人だって歌を仕事で歌うし、ド素人の子供だって大人に混じって仕事をする。プロ意識を持てとか言われても、いまいちしっくりこない。
まあ、そんな私でも、『レッスン』、すなわち練習をすべきだということは、私にも解る。
むしろ、朗読の練習をせずに、いきなり『中指姫』を『収録』して良かったのかな。
そんなことを思いつつ事務所で待ってしばらくのこと、事務所に一人の男性が訪ねてきた。
四十代ほどの成人男性。彼が『レッスン』をしてくれるという音楽家さんだろう。
その彼が、事務所の部屋を見渡しながら言う。
「さすがにピアノは用意できなかったようだね」
「まあこの事業に資金が投入されているとは言っても、締めるところは締めないとね」
そう言いながら、タナカさんは用意してあったギターを音楽家さんに渡した。
この音楽家さん、普段のお仕事はなんと、家庭教師として貴族の子女に音楽を教えているのだそうだ。
スミッコ港町を治めるエライーノ伯爵の長女が教え子だ。
そんなすごい音楽家さんに、私は歌を習うのだという。震えてきた……。
「では練習曲を決めようか。『ムソーのアリア』でどうかね?」
そう言いながらギターを奏でる音楽家さん。何かの曲だろうか。
「ええと、すみません知らない曲です」
私の言葉に、音楽家さんはギターを奏でるのを止める。
「そうか。若い子だから、三剣士のオペラの曲ならば解ると思ったのだがね」
三剣士のオペラ……人気小説『三剣士~農家の僕が最強勇者に転生した件~』のオペラのことを言っているのだろう。
オペラ化されていたなんて全く耳にしたことはないけど、王都で人気の小説ならばそういうこともあるのだろうね。
「すみません……オペラとか、一度も見たことないです」
「まあ歌劇場などこの辺りにはないし、肉屋の娘ならば然もありなん」
肉屋の娘ならば。字面だけ見れば馬鹿にされているような内容だけれど、その声色に蔑みの感情は含まれていなかった。
ただの事実として述べている、そんな語り口だった。
そんな音楽家さんが、再びギターを鳴らし始める。あ、この曲は……。
「『イナカッペの花畑』にてはわかるかね?」
「はい! 子供の頃、歌っていました」
「では、まずは歌ってみたまえ。どれだけ歌えるか、指標が必要だ」
そう言って伴奏を進め、歌が始まる。
「イナカッペ~、イナカッペ~、イナカッペ大国の美しき~」
今持てる全力を尽くして歌う……としたかったのだけど、何をもってして歌に力を尽くすのか、それがそもそも判らなかった。
どのように歌うことが、良い歌となるのか? 市場でお客さんに向けて、子供の作った短い歌をなんとなく歌っていただけの私には、全く判らなかった。
やがて歌が終わり、伴奏も終わる。音楽家さんの視線が、どこか痛いように感じた。
「ふむ……」
ギターを降ろし、何かを吟味するかのように目を閉じる音楽家さん。
そして、しばらくして口を開いた。
「現状は……、素人に毛が生えたようなものだね」
「……そうですか。そうですよね」
彼の言葉に、がっかりしたか? 正直、した。タナカさんは『歌う肉屋の看板娘』としての評判を聞きつけて私をスカウトした。
だから、私には誰をも、うならせる美声があるだとか、純粋に歌が上手いだとか、そういう何かを自分に期待していた。だが、結果はこれだ。素人に毛が生えた程度。そんなことで果たして新しい職業である『声優』が勤まるのか……。
「だが、素養はある」
うだうだと落ち込んでいた私に、そう語りかけた音楽家さん。
私は、ハッと顔を上げて音楽家さんを見つめる。
「レッスンを続ければ、君はプロになれる。……やれるね?」
そうも持ち上げるなら、やってやろうではないですか!
「はい、頑張ります!」
◆
また別の日、音楽家さんとは違う人物が、レッスンをしに事務所にやってきた。
音楽家さんの本来のお仕事は、貴族の子女の家庭教師だ。私に使える時間は、週に一日といったところ。
その代わりと言って良いのか、今日の講師はこの港町を拠点に活動する吟遊詩人のお兄さんだ。
「いや、まさか吟遊詩人をやっていて、同業に歌を教える以外で昼の仕事があるとはね。いや、あんたも一応同業ということになるのかな?」
この港町での吟遊詩人の主な活動場所は、船員向けの夜の酒場だ。昼の広場などで演奏をして投げ銭を稼ぐ芸人もいるけれど、この人はそういうことはしていないんだろうね。誰もが働いている昼間に、のんびり音楽を聴く余裕のある人は、少ないのかもしれない。
「『声優』というものがなんなのか、私もいまいち把握し切れていませんが、歌を歌うという意味では同業でしょうか?」
「そうかい。しかし『録音魔法』か。これは吟遊詩人の仕事が変わるね。酒場には魔法道具だけが置かれ、吟遊詩人は締め出される未来になるだろう……」
そんなお兄さんの言葉に、タナカさんは苦笑して応える。
「まあそうだね。今後、吟遊詩人は、録音魔法で曲を収める歌手か、曲を作る作曲家になる。仕事はあるけど、そのままではいられないだろうね」
「いやはや厳しいね。まあ俺は生き延びるだろうがね」
そう言いながらお兄さんは手元のハープをかき鳴らす。
その手つきは、ギターを演奏していた音楽家さんにも負けず劣らずの流暢なものであった。
「さて、まずは聞いてもらおうか」
そう言って、吟遊詩人さんは唐突に歌を歌い出した。
和やかな、優しい歌だ。聞き覚えはない。でも、不思議と懐かしさを憶えるような、そんな歌だった。
どうやら貴族による治水の偉業を讃えた歌のようで、水辺に住む農民の歓喜が歌われていた。
歌は続き、やがて曲が終わる。和やかな歌だが、迫力のある声量だった。これがプロかあ。
「どうだったかい?」
「……知らない曲です」
「そうだろうね。その知らない曲を教えるのが俺の仕事だ」
そんなお兄さんの言葉に、横で歌を聴いていたタナカさんも口を挟んできた。
「ココロさん。貴女が収録で歌う曲は、誰もが聞いたことのない新曲だ。だから、知らない曲を覚えることに慣れなければいけない。そのための今回の人選さ」
なるほど、タナカさんが前に言っていた。「吟遊詩人は、他の同業者に歌を教えることでもお金を稼ぐ」と。
今回、吟遊詩人さんへの依頼料は、タナカさんの芸能プロダクションから出ている。けれど、教わるのは半同業者の私だ。
吟遊詩人のお兄さんは納得したように頷くと、手荷物から紙束を取り出してきた。
「楽譜は読めるかな?」
「文字は読めますけど……がくふ? ですか。知らないです」
「ま、文字が読めるなら、学のない他の吟遊詩人よりは幾分かマシだろう」
ええっ、今時、文字が読めない大人の人とかいるの?
伝票読めないとか魚市場じゃ絶対にやっていけないよ。
「日が暮れるまで……、俺の本来の仕事の時間までに、とりあえず三曲ほど覚えてもらおうかな。歌うこと自体の練習は、また後日ってことで」
それは結構、厳しくないですか? それが業界標準?
◆
「ららららら、赤い万華鏡~」
歌を、歌う。
ヘッドホンという魔法道具を耳に付け、そこから聞こえる主旋律に従って、私のためにタナカさんが用意してくれたという新曲を一心不乱に歌う。
歌のレッスン期間は一ヶ月半と短いものだった。民俗学者さんと童話作家さんの童話集編纂チームの作業進行が思いのほか良く、予定が押してるらしい。
だから、「素人に毛が生えた程度」と音楽家さんに酷評されてからそう経っていない私が、歌を『録音』している。良いのだろうかそれで。
でも、練習している間の私は何も生み出さない穀潰しだ。新人というものは得てしてそういうものだと言えるかもしれないが、実際自分がなってみると少し辛いものがある。だって、その間、国からの補助金を私、受け取っているのだもの。
「はい、収録終わり。修正はないと思うよお疲れ様」
歌が終わった。これで私の仕事は完了らしい。
この後『編集』という作業があるらしいが、私がそれに参加することはない。『声優』の仕事ではないんだとか。正直、どこからどこまでが『声優』のやるべきお仕事なのかが判らない。それは、タナカさんの頭の中にだけある。
とりあえず私は、押した予定に追われて、歌を一曲歌いきることだけを今日は考えて来て、それを完遂した。
タナカさんは忙しそうだ。
というか、それこそ歌なんて、本業の歌手さんや吟遊詩人さんに任せてしまえば、その場をしのげるのだと思うのだけれど。私が仕上がっていなくて、予定がきつきつなら、そうしてしまえばいい。
でも、タナカさんに言わせてみるとそれは違うらしい。歌って踊れて朗読で演技も出来るようになるのが理想の『声優』らしい。……歌うのと演技するのは解るけど、踊るってなに?
「まあ、今は踊れなくても良いかな」
第一人者のタナカさんが言うならそうなんだろうけど、『声優』って声を吹き込むお仕事じゃないのかなあ……。劇の役者みたいなことも今後やらされるのだろうか。
「それより歌だ。君は納得していないようだけど、何事も、準備万端になってから行えるわけではないということは解るね?」
「まあ仕事ってそういうものですよね」
「その過程で、成長していければ『声優』はそれで良いんだ」
成長。成長か。私は一ヶ月半で成長できただろうか。
レッスンがない日に肉屋の売り子をしていたら、前よりも声の通りが良くなったと、隣の八百屋のオヤジさんに言われたけど。
「ココロさん、仕事と一緒に成長していきたまえよ」
未熟な私の歌、赤い万華鏡の『収録』を皮切りに、私の地方を走り回る『声優』の仕事は本格的に始まった。