1.スカウト
「美味しいお肉ー、ありますよー! 鳥に豚牛、コカトリスにオークにミノタウロス! じゃんじゃん入荷中です!」
イナカッペ王国のスミッコ港町。そこは人口数千人の大きな町。そんな町のニギヤカ市場に、私の声が響き渡る。
ニギヤカ市場は、国内有数の魚市場。まわりは魚屋さんだらけ。そんな中で肉屋を営むうちの店は、精一杯アピールしないとお客さんに興味を持ってもらえない。なので、肉屋の娘の私は、今日も朝から元気いっぱいに声を張り上げるのだ。
遠くまでよく通ると言われている私の肉声による宣伝文句が、道行くお客さんの視線を惹きつける。
よし、ここで歌います。『お肉様の歌』。
「毎日お魚お腹いっぱい、それでもたまにはお肉が食べたい、だって焼肉肉汁ジューシィ、今夜の晩酌サラミで乾杯」
お客さんを振り向かせるためなら、歌だって歌ってみせるんだから。
うちのお肉は世界一……とまでは言わないけれど、スミッコ港町では一番加工肉が美味しいお店だと自負している。だから、一度お客さんに買って貰えればリピーターだって望めるんだ。そう思っている。
ココロ・ココロン、十四歳。精一杯歌います!
「肉肉お肉、お肉様は美味しい!」
この歌は、私が子供の頃、近所の子供達と適当に考え出した『お肉様の歌』だ。
当時の私は妙にこの歌を気に入っており、店頭で歌ってみたところお客さん達に妙に受けた。店長であるお父さんも怒らなかったので、それ以来、売り子をするときは歌うようになった。
笑顔一杯で短い歌を歌い終え、一息つく。
すると、隣の八百屋のオヤジさんが楽しげに話しかけてきた。
「ココロちゃん、今日も楽しそうに歌うねえ」
「はい、歌うのは大好きですから! あ、お肉はもっと好きです」
「がはは、そりゃ魚より肉が好きじゃなきゃ、肉屋の娘は勤まらんわな!」
お父さんの加工肉は港町で一番! 特にハーブソーセージは絶品なんだから!
そんな気持ちを込めて、今度は道行くお客さんにソーセージを宣伝する。
「晩ご飯のお供に、特製ハーブソーセージはいかがですか! 焼いても茹でても絶品ですよ!」
歌う肉屋の看板娘。そんな名前でこのニギヤカ市場の名物として、私のことが広まってきている。そんなことを交易船の船員さんから、前に聞いた。うんうん、お肉屋さんの存在が認知されてきているようで大変よろしい。
今日も昨日も一昨日も、そのずっと前から変わらない日常。そんな中で、少しずつでもお父さんのお店『肉屋のココロン』が有名になっているなら、嬉しいことだ。
変わらないようで居て、少しずつ、少しずつだけど変わっていく日常。
――だけれど、今日は少しずつだなんて言っていられないことが、起きた。
「もし、お嬢さん」
「いらっしゃいませー。お、魔術師さんですか? いい魔物肉入ってますよー」
正午まであと少しといった時間帯、お店に一人のお客さんがやってきた。
その人は、一風変わった格好をしていた。準一級魔術師。その地位に就く者しか着ることを許されない、紫の生地に銀糸で刺繍を入れたローブ。
ここは人の多い港町。そんな格好をする立場の人がいても、おかしくない場所だ。
私はそんなお客さんに肉を売るべく、食べると魔力が微量上がるという魔物肉をオススメし始めた。
「今日は特にコカトリスがですね――」
「うんうん」
私のセールストークに、黒髪黒目の魔術師のお兄さん――準一級魔術師にしては異様に若い男性だ――は、うなずきを返してくる。
「というわけでお一ついかがですか?」
「うん。でも僕料理がとんとできなくてね」
「それならおつまみとしてそのまま食べられる、加工肉はいかがでしょうか? ミノタウロスのサラミが本日のおすすめですよ」
「それじゃあ一包み貰おうかな」
「毎度ありがとうございます!」
私の目配せに、お父さんは無言でサラミを油紙にさっと包む。
お父さんは無口だ。でも、それではお客さんが呼び込めないので、一人娘の私とたまにお母さんが、売り子として手伝いをしている。
商品を魔術師さんに渡し、大銅貨を受け取る。高位の魔術師さんは大抵、お金を持っている代わりと言って良いのか、ズボラ。平気で金貨を使って買い物をしようとしてくる。
だが、この若い魔術師さんは違うようで、ぴったりの額の硬貨を渡してくれた。
「またご贔屓にー」
「うむ、ところでココロさん」
「はいー、まだ何かご入り用でしょうか? 肉屋ココロンは魔物肉の取扱ならスミッコ一ですよ!」
「ああ、肉屋ではなく、君個人に用があってね」
「えっ、何でしょうか。逢い引きのお誘いはお断りしていますよ!」
「違う違う」
魔術師さんはそう言いながら、胸ポケットからなにやら紙片を取り出し、私の前に突き付けてきた。
「?」
謎の紙片を前に、困惑するしかない私。
「わたくし、こういうものです。ああ、これは名刺といってね。私の肩書きや連絡先が書いてある物だよ」
「はあ……」
私はその『めいし』とやらを受け取り、眺めてみる。その紙片には何やら文字が書かれていた。
「字は読めるかな」
「あ、はい。幼年学校に通っていましたから、文字も計算も大丈夫です」
イナカッペ王国は周囲の国と比べて後進国と言われているが、それでも学校制度はしっかり制定されていて、識字率も悪くないって交易船の船員さんが言っていた。おかげでスミッコ港町は商売がやりやすいんだとか。
「ええと、オート魔術商会スゴマジ芸能プロダクション 技術部長兼プロデューサー 準一級魔術師 カズト・スゴマジ・タナカ」
この『めいし』とやらで新たに解ったのは、オート魔術商会という部分と、技術部長という部分と、魔術師さんの名前だ。カズト・タナカという名前で、スゴマジという魔術名なのだろう。
オートとはイナカッペ王国の王都オートのことだろうか。だとしたら、ずいぶんと都会の商会だということになる。
「『プロダクション』? 『プロデューサー』?」
この二つだけは意味の解らない単語だった。一体何をさしている言葉なのだろうか。
「ああ、その通りだ」
『めいし』を持ち、立ち尽くす私の顔を魔術師さんが覗き込んでくる。彼の黒い瞳が私の瞳をじっと見つめてくる。
「ココロさん、世界で初めての声優になってみないか?」
わけのわからないその言葉。それが、私ココロ・ココロンの人生の転機になるなんて、このときはまるで想像していなかった。
◆
日が沈み、お店も完全に閉店して、一日の終わりをゆったりと楽しむ。
本来ならば、そうなるはずだったこの時間。私は我が家に魔術師さん――タナカさんを迎えていた。
彼の名目はスカウト。『声優』とかいう聞いたことのない職業に私を誘っているのだ。
本来なら門前払いにするところだが、準一級魔術師というその社会的地位を保証する肩書きによって彼はこの場に留まっていた。
まあなんというか、準一級魔術師は社会的に信用できる立場の人なので、話しも聞かずに放り出すというわけにもいかないのだ。
で、現在、私と両親は、タナカさんから『声優』という職業についての説明を受けていた。
「このたび私が開発しました『拡声魔法』と『録音魔法』。これは今までの魔術属性に該当しない新たな音属性の魔術なんですねぇー。正確には風属性と空間属性と時空属性の混合なんですけどぉ、まあこれは専門的な話になるので省いても構わないでしょう」
「はあ……」
「…………」
相づちを返すのは私のみ。お父さんはいつものように無言で、お母さんはただニコニコとした顔で話を聞いている。
「『拡声魔法』は、声を何倍もの大きさにして、遠くまで音を響かせる魔法。録音魔法は、声を紙に書く文字のように“記録”し、いつでもどこでも、その声や音を聞けるようにする魔法ですねぇ。画期的なんですよぉ」
「画期的なんですか」
「画期的ですよぉ。具体的にはですねぇ、拡声魔法は演劇なんかで使うと、本来より遠くまで声が響くようになるから、より多くのお客さんに見せることが出来るようになるんですよぉー」
「遠くまで聞こえても、遠くからじゃ演劇なんて見えないんじゃないですか」
「そこは、オペラグラスを使うんですよぉ」
「おぺらぐらす」
「遠くにある物が、近くに見えているかのようになる、拡大道具ですねぇ」
しかしタナカさん、敬語を使うと語尾が気持ち悪いな。
「『録音魔法』の方はですねぇ、例えば歌を録音すると、その歌をいつでも好きなときに聞けるようになるんですねぇ。歌謡界の革命ですよぉー」
「それは……歌う機会が減って歌手さんが廃業になりそうなくらい、すごいですね」
「歌手さんは、録音した道具を売れば儲かるようになるので、今より高給取りになりますよぉ」
なるほど、売るのか。そうなると歌手さんのお仕事は、常に新曲だけを歌って『録音魔法』を使うことになるのかな?
「そして『拡声魔法』と『録音魔法』に声を吹き込む、声だけの演者さんのことを『声優』って呼ぶんですよぉ」
『声優』……。
聞いたことがない。新しい概念のお仕事だ。でも、なぜ……。
「なぜ、私なんですか?」
「ほう?」
「私、ただの肉屋の娘ですよ。歌手でも、はなし家でもありません!」
「んー、歌手は話が得意じゃないですし、はなし家は歌は歌いませんよねぇ」
「私は……」
「話が得意で歌も歌いますよねぇー、歌う肉屋の看板娘さん」
ぐぬ……。
「僕の開発した『拡声魔法』と『録音魔法』。それを平和利用で広めるためには、貴女が必要なんだ、ココロさん」
「でも、私お肉屋さんの売り子の仕事があるし……」
「売り子はお母さん一人でも、できるわよー」
と、ここでお母さんが、初めて横から声を割り込ませてきた。売り子はお母さんでもできる……それはつまり、私が『声優』の仕事をするために抜けても良いって、お母さんが言っているわけだ。
「初めは、在宅でも出来る簡単な録音仕事と、スミッコ港町周辺で簡単に行ける拡声仕事に留めます。どうでしょうかぁ」
オート王都に行くとかじゃないなら……お肉屋さんの仕事と両立できるのだろうか。
「声優が定着するまで、国と商会から採算度外視の補助金が出るので、給金も良いですよぉ」
う、物価が高いという王都基準の商会のお給料か。それは美味しいかも。
どう答えを返すべきか。
「ココロ」
と、そこでお父さんがぼそりと私に向けて言葉を発した。
無口なお父さんが、加工肉の名前を言う以外で喋るのは久しぶりだ。どうしたことだろう。
「やりたいか、やりたくないかだ」
やりたいか、やりたくないか……。
そうだよ、急に告げられた『声優』という仕事は、私にとってどういうものになるのか。よく考えてやりたいか決めないと、その場の勢いで決めちゃって良いものなのか。
「私……」
「はい」
私の呟きに、返事を返すタナカさん。
「歌って話すのは、嫌いじゃないです。いえ、正直大好きです」
「そうですかぁ」
「肉屋さんの売り子は天職なんじゃないかって思っていました」
「では、歌って話す声優は?」
「別に、『声優』なんかじゃなくても、売り子で十分歌って話せるんですよね……」
そう、わざわざ専門の職に就く必要なんて、ないのではないか?
だから、訊いてみる。私より『声優』をよく知っているであろうタナカさんに。
「肉屋の売り子じゃなくて、わざわざ『声優』になるメリットって、なんですか?」
「より多くの人に、声を届けることが出来ます」
「でもここは港町だから……船を使ってやってくるいろんな国の人に、売り子でも声を伝えることができて……」
「なによりも、肉以外のことも歌って話すことが出来ます」
「肉以外のこと」
私は、ハッとなった。
そうだ、私はいつも変わらない同じことばかり売り子として喋っていた。
子供の頃に作ったお肉の歌。お母さんを真似て覚えた宣伝文句。それは毎日少しずつ変わってはいたものの、それでもあまり代わり映えのしないお肉のことばかり。
「恋の歌を歌うかもしれない。お祭りの開始を宣言するかもしれない。有名な戯曲を録音するかもしれない。明日の天気を国中の人に伝えるかもしれない」
お肉以外のことを話せるとしたら。よりいっぱいの人にいろんな声を届けられるなら。
――私の胸は、いつの間にかドキドキと高鳴っていた。
「ココロさん」
タナカさんの黒い瞳が、私の瞳を覗き込んでくる。
「僕は僕の魔法を活かす〝声〟を探してここまで来た」
それはまるで、私に芽生えたワクワクした心を彼に察知されたようで――
「ココロさん、声優になってみないか?」




