作者と読者の距離
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作者と読者の関係は、少し恋愛に似ていると思う。
様々な仕掛けをこらし、駆け引きをし、己に夢中にさせるゲームだ。それを楽しみ、たくさんの「ファン」を得ようと大きな舞台に立つ者もいれば、一歩引いた場所で少数の「理解者」に向けて作品を書く者もいる。
それはどちらが優れているとか、劣っているとかの話ではない。好みの問題だ。どちらの作者も、結局は同じ悩みに辿り着く。
『どうしてもっと読まれないんだ!』
感想が来ない、来ても求めているものじゃない、ポイントがつかない、ブックマークが伸びない、そもそもアクセスがない……etc.etc.
たくさんポイントを稼ぎアクセスがある作者が「反応がなくて辛い」とこぼせば、「何を贅沢な!」と怒りの声があがることもある。だが、本当にそうなのか。いや、違う。
アクセスもブックマークもただの目安であり母数だ。分母が大きいだけで、作者の求めている『読まれている』と感じられる指標はまた別にあるのだろう。
それでもまだ不満があるのなら、あなたも分母を増やせば良い。アクセスやブックマークが欲しいなら、人気ジャンルを書けば良いし、不向きなので書けないと言うのなら、宣伝を増やせば良い。
「ファン」や「理解者」じゃなくて良い、「読者」を増やすのだ。人間は星の数ほどおり、その中で日本語を解してかつネットで無料小説を読んでいる層なんてほんの一握りなのだ。その一握りの中であなたの作品を読んでくれる「読者」がどれくらいいるのだろう。そう、「ほとんどいない」のだ。
なぜ読まれないのか。
その答えは、『あなたの作品を知らない』からだ。
知らないのだから読みようがない。
だからあなたは知ってもらう努力をするべきだ。
これに対して、
『宣伝なんかしなくたって読んでもらえるようでなければ』
という反論をするひとがいたとしたら、そのひとはちょっと考えが足りないのではないだろうか。雑誌で連載していて単行本も出ていてたくさんファンのいる漫画家だろうと、ちゃんとプロモーションを組んでCMを流している映画だろうと、『知らなかった! 知ってたら買った(見に行った)のに!』という層は必ずいる。
作品は氾濫をおこし、読者は忙しすぎるのだ。
宇宙の片隅で『新着更新情報』なる他人の手によるメッセージボードにちょろっと載ったくらいで小説という基本文字だけの作品を読んでもらえるほど世の中甘くない。(しかもそのメッセージはさっさと流れていくのだ)
「読者」に届けるのだって工夫と努力が必要だというのに、それがあなたの「理解者」に届くように宣伝するのは多大な努力を要するのだ。
『だけど実際にはそういう作品もあるよね』
そんな声もあることだろう。
私もそう思う。
そういった作品は、おそらく別の工夫をしているのだ。それは読まれるための工夫である。読者が読者を呼び、「ファン」が『これが面白いよ』と宣伝し、さらに読者がやってくる。
とっかかりの易い世界観を、読みやすい文章を、応援したくなるキャラクターを、憎まれる悪役を。のめり込める物語を、読み進ませる展開を、続けて読みたくなる勢いを。
何より、読者が求めているものがそこにはある。
それが、すべてだ。
ここ、「なろう」においての話をするなら、作者と読者の距離は「近すぎて、しかし遠い」のではないかと私は考える。
悪口ばかりが作者の心に入り込み、『好きだよ』『面白いよ』の言葉は届かない。まるで意地悪な子にかけられた棘のある言葉ばかり気にして、幼馴染みの好意には気づかない主人公のようだ。そんな重箱の隅をつつくようなあら探しのことは忘れて、あなたの作品を好きだと言ってくれる読者層を大切にすれば良いのに。
逆に、読者からのまっとうな助言に反論している作者も見かける。まるで『身だしなみは整えた方がいいんじゃない?』と助言してくれたクラスメートに『やっかみよ!』と憤慨する主人公のように。体裁くらいは整えた方が実際読まれやすいと思う。
ともあれ、物語の作者に対して『これにはどういう意図があったのですか』なんて直接言葉をかけることができて、しかも返事がかえってくるなんて、紙面を介してではなかなかハードルが高いのではないだろうか。それをひょいと越えられる「なろう」は、私にとって大変ありがたい存在だ。
だが、中にはその質問に対してもやもやする答えが返ってくることもある。あくまで例え話であって、実際にこのやり取りはなかったのだが。
Q:「なぜ主人公はなんでここで彼女に必要以上にキツく当たるの?」
A:「実はこの時点で主人公は、彼女が昔、自分が引きこもるきっかけになったイジメの首謀者だと気づいていたからなんです。主人公はイジメのせいで自殺しようとして失敗し、家族に『お願いだから死なないでくれ』って頭を下げられたので仕方なくニートになったんです」
あらすじにはニートとしか書いておらず、自殺未遂については触れられておらず、主人公の一人称でありながらイジメの首謀者をただ「クソ女」とか「ビッチ」としか書いてなければ、引っかかりを覚えるのも仕方がないことなのではないだろうか。
まるで告白して両想いになったと思ったら『オレ、留学するんだよね』と打ち明けられた主人公のようだ。まさしく『えっ、そんなの聞いてない』である。
しかも物語の本筋にまったく関係なく、その後も触れられないとしたら、そのエピソードは必要なのだろうかと考えてしまう。
私事で申し訳ないのだが、私が読むのをやめてしまうのはこういった「引っかかり」が積み重なって読むことがストレスになってしまうときだ。
質問をもらったら、それに答えれば良いという問題ではない。読者の一人ひとりに対してそんな対応はできない。そもそも、いくら近いからといって、そんな風につっこんで聞いてくれる読者はほとんどいない。ただ小説を読むのをやめてしまうだけだ。
この意味においては作者と読者との距離は果てしなく遠い。読者は基本的に、作品を通してしかその世界を知ることができない、書いてあることがすべてなのだ。
別に書いていない裏の設定があってもいいし、なくてもいい。けれど、書いていないことが伝わると思っていてはいけない。書いてあることでさえ伝わらないことの方が多いのだから。
同じことはキャラクターの行動の伝え方や考え方にも言える。
『A=B』という考えをあるキャラクターが持っていたとして、この部分を書かないままに一足飛びに『(A=Bだから、取るべき行動は)つまりCだ』という結論を出してしまうと読者は置いてきぼりになってしまう。もちろん、『A=B』ということを読者が推測していれば別だが。(そして、すべてが終わったあとから『A=B』だったのだという説明をすると主人公の有能感を演出することができるかもしれない)
どういう書き方をすれば、読者に伝わるのか。どこまで伝えたいのか、どこまで知って欲しいのか。どんな書き方をすれば正確に伝わりしかも文章表現的にも美しいのか。
それは多くの作者が腐心しているところだろう。
それらは経験によって磨かれる。読まれて、指摘されて、それを繰り返すことによって作者の意図はわかりやすくほどかれ伝わっていくのだ。
伝わりにくいものを、伝わるように書いていなくて、『やっぱし伝わらないんだ』と思うのはあまりにも卑怯だと思ってしまう。だったらなぜ読者の前に置いたのか。自分一人で書いていれば良いのではないのか。
『伝わるひとにだけ伝われば良い、伝わらないのなら伝わらないなりに何かを感じ取ってもらえればそれでいい』
これなら理解できる。
また、感動的な場面を思いついたとして、『その感動を伝えるためには「共感」という下地が必要だ』というのが私の持論なのだが理解してもらえるだろうか。
大きな感動を伝えるためには長い物語が必要で、小さな感動を伝えるためにはそこにフォーカスされた短い物語が最適だ、と私は思っている。
なぜか。
それもまた距離だ。
作者の側には作品には語られない、キャラクターたちの一切合切が詰まっている。それだけキャラクターとの心の距離が近いのだ。
だが、読者は?
作品を通してしかキャラクターを知らない読者は、書いてあることでしか判断できない。だから、描かれた感動的な場面に対してもそこへの感情移入の深さは作者には及ばない。
心を動かされなかったからといって、それは読者のせいだろうか。
いや、違う。それは情報量の差に過ぎない。
人間、目の前で起こったよく知らない人の死より、近しい人の訃報の方が悲しみの涙を誘うものだ。だから、読者が感動しなかったのはある意味、言葉が足りなかったのだ。文字の羅列でしかないキャラクターをより近く、人間らしく感じさせるための工夫が求められる。
このエッセイを読んだ方に、近くて遠いこの距離を、どうか上手く使い分けてほしいと願う。
作者は作品を投稿する前に一度読者の視線に立つと良いと思うし、読者は作者に対して何かしらの助言をしてもそのすべてが受け入れられるわけではないことを理解してほしい。
もちろん読者からの助言が正しいこともあるだろうが、後の展開のためのブラフという可能性もある。また、作者が想定している読者の層というものもある。その層に属していないと、その作品の持ち味をイマイチよく理解できないものだからだ。
あなたから時間を頂戴して読んでいただいたこのエッセイから、何か得るものがあれば誠に幸いだ。
最後になるが、小説家になろうに投稿していらっしゃる作者という立場の皆さまに一つだけ、お願いがある。「誤字報告」機能が実装される前に投稿された作品は、「小説情報変更」ページから手動で操作しないと「誤字報告」機能がオンにならないのである。
かねてより誤字が多いと自覚のある作者の皆さまは、ぜひ、ぜひオンにしていただきたい。そうすれば、私が見つけたとき、メッセージやツイッターのDMでご報告せずとも修正が可能だからである。
心より、よろしくお願い申し上げる。