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第八話:誰も見向きもしない肉と新しいきつね亭のメニュー

 翌日、朝から郊外の牧場に出向く。


「結構歩くわね」

「そうですか?」


 彼は涼しい顔をしている。

 私は女性だけど、それでも年下のアルネの前で弱音を吐けない。

 アルネが微笑みかけて、私の荷物を持ってくれた。

 こういうところが男の子なんだなって微笑ましく思えた。


「サヤマ様、気になっていることがあるんです。なんでわざわざレナリック・ハンバーグが仕入れている牧場に行くんですか?」

「あれだけ大量に納入しているっていうのが重要なの。大量に肉を用意するには、大量の牛を育てててばらしてるってことよ。レナリック商会が使う部位は問題ないだろうけど、使わない部位の肉は大量に余るの」


 それこそが私の狙いだ。

 向こうにとってゴミの山、私たちのとって宝の山かもしれない。


「そういうわけだったんですね。楽しみです。あと、おじさんが紹介状を書いてくれました。この紹介状があれば邪険にはされないって」

「……あの八百屋の親父さん、何者なの?」

「お父さんのお友達で、昔から良くしてくれてます。きつね亭にも足を運んでくれますし、友達を連れてきてくれたりも。本当に感謝してます」


 いい人だとは思ったけど、まさかここまでとは。

 謎の権力だけじゃなく、人格的にも優れているようだ。

 そうこうしているうちに牧場につく。

 大牧場と言っていい規模だ。


 レナリック・ハンバーグ全店で使う肉を卸すだけはある。

 調べてもらった情報によると、牛肉のうち、すね肉やすじ肉などといった安い部位はレナリック・ハンバーグ。


 ロースやモモ、サーロインといった上等な部位はレナリック商会が経営する高めのレストラン、一部をレナリック・ハンバーグにも卸している。

 その他のホルモンなどは市場に下ろす。そのせいで、ホルモン系が大量に市場へと流れて値下がりしていると親父さんは文句を言っていた。

 私がほしいのもホルモンではあるが、ホルモンらしからぬホルモンだ。

 今の日本では当たり前に食べられているが、切り落としと同じく一昔前まではあまり注目されていなかった食材。


 ◇


 牧場について紹介状を渡すと、中に通してもらえた。

 ……親父さんの権力は相当のものだ。


「アッシュバーグさんの紹介できたきつね亭の人だね。なつかしいね、きつね亭。昔はよく行ったよ。代が変わってで味が落ちたって聞いていかなくなったけど……おっと、口が滑った。悪気はないんだよ」

「いえ、言われなれてますから」


 アルネが悲しげな微笑みをする。

 牧場主は、そのアルネの表情に良心の呵責を感じているようだ。


「今日はどのような相談かな」


 ここからは私の出番だ。

 私が交渉をする。


「もちろん、料理店ですから肉を仕入れにきました」

「うちは、小口はやってないんだ。精肉店にも卸してるから、きつね亭さんみたいな小口はそっちから買ってほしいな」

「一度に仕入れる量は少ないですが、年間契約ならどうですか? それも料金前払い。そして、仕入れたいのは牛の肺を動かす筋肉、横隔膜です」


 そう言って、現金を積み上げる。

 私が提示した金額はグラム単価では切り落としの交渉のときと同じ値段。

 契約書は、今朝アルネに作ってもらった。

 つまりは上肩ロースの四分の一。


 単価は安いがきつね亭のような小さな店でも一年分になるとそれなりの量になる。

 精肉店を歩き回ったが、肺と、肺に付随するあの肉が売られていなかった。

 聞けば、肺はまずく誰も食わないらしく捨てられているらしい。もったいない。だからこそ、使う。


「まさか、きつね亭じゃ肺なんて売るのかい? あんなまずい肉を」

「肺がまずいかは置いておくとして、本当に欲しいのは肺を動かす筋肉、横隔膜です」


 横隔膜、部位の名前としてはハラミと言ったほうがわかりやすいかも。

 ただ、この世界ではハラミ肉は流通していないので、あえて正式名称である横隔膜と言った。

 ハラミはホルモンに分類されるけど、筋肉の塊であり肉質はホルモン系ではなく正肉と一緒だ。

 特徴としては歯応えがあって、うまみ成分が強い上質な赤身。

 ロース肉などと比べると脂っけがなく、さっぱりしすぎて物足りなさはあるけど、脂身が多い切り落とし肉と合わせるならベストと言える。

 赤身の旨味と歯応えをハラミ肉で作り出し、切り落とし肉で脂肪の旨さを得る。

 それが、私のイメージする安くて美味しいハンバーグ。


「横隔膜? あんまり聞きなれない言葉だね。いいよ、きつね亭さんが欲しいのは肺についてる肉なんだね? 色んな売れない部位と一緒に保管庫に置いといて、三日に一回まとめて捨てるから好きに持って行って。この金額をもらえるなら、一年間好きに持って行っていい。なにせ、切り分けて測量するなんて手間をかけたくないし」

「では、契約を。念のためですが少なくても一年間、最低限、ここに記載させていただいている量を持ち帰っていいことの担保を」

「うん、いいよ。うちの牧場じゃ毎日それぐらいさばくしね」


 念を押して、契約を結んだ。

 ここまでしたのには理由がある。

 もし、きつね亭でハラミを使っていることが知られれば、それの後追いをされるかもしれない。


 そうなれば、レナリック・ハンバーグはすじ肉、すね肉の使用をやめて、ハラミを使いたがり、きつね亭の仕入れを妨害する。

 そうならないように、前金を払ってでも年間契約と、契約期間内の納入確約を取った。


 勝負できる材料が揃った。

 あとは、よりうまく工夫を積み重ねて、試行錯誤。

 そして、売るための準備をする。

 安くてうまいものを作っても、それを知ってもらえなければなんの意味もない。

 新しいメニューを作るのと同じぐらい、もしかしたらそれ以上に宣伝は大事だ。

 そのことを商売するものとして痛いほど知っている。


「では、廃棄予定のものが保管されている部屋に案内してください」

「ああ、いいよ」


 肺から、横隔膜を切り離すのは苦労しそうだが、なんとかなるだろう。

 こうなることを見越して、市場でごついナイフも買ってきたし。


 一応、フランスにいたころに解体についても学んでいる。

 記憶を頼りに頑張ってみよう。


 ◇


 牧場帰り道、アルネが真っ青な顔をしていた。

 無造作に捨てられた牛の贓物や肉の山から、肺を見つけ出し、横隔膜を剥がす作業はなかなかにグロテスクだった。


「血や内臓に慣れていないなら見ないほうがいいと言ったわよね」

「だっ、駄目ですよ。だって、サヤマ様が帰ったら、僕がやらないといけないんですから」


 言われてみれば、その通りだ。

 なぜだろう、次の満月の日には帰るということをすっかり忘れていた。

 いつの間にか、帰りたいって気持ちが薄れている。

 そんな私の気持ちとは関係なしに、次の満月までの日はどんどん少なくなっていく。その日がくれば私は帰るだろう。

 私がいなくなったあとは、彼がひとりで全部しないといけない。


「その通りね。すぐに慣れるわ」


 あの牧場では売れない部位を三日に一度まとめて捨てるため、いろんな臓器や肉の切れはしをまとめて一室に置いており、それなりに悲惨な状況だった。

 衛生面に配慮して腐らないように工夫しているのは救いだったかも。


 その中に私が望んだ宝ものもあった。

 肺にこびりついた横隔膜を引きはがし、綺麗に掃除して切りはなすと宝石のように美しい赤身肉が手に入る。

 海外留学で、解体を習っていて良かった。

 材料の一つ一つに愛着を持ち、知識を深めるための研修だったが、こんなところで役に立つなんて。


「でも、びっくりです。あんなグロテスクな内臓に美味しそうな赤身肉が隠れているなんて」

「そうね、だからこそ今まで目をつけられてなかったのよ。この肉は私の国ではハラミって言われて、ロース肉と大差ない値段で売られているの。戻ったら、さっそく食べてみましょう。美味しくて驚くわよ」

「……は、はい」


 ちょっと間があったのは、あの内臓だらけの部屋で食欲が失せているからだろう。

 私はぎっしりと肉が詰まったカバンを背負っている。

 これから、定期的にあそこに通って臓器の山から肺を見つけ出して、横隔膜を切り取るのは一苦労だが、とびっきり安く上質な肉が手に入るのだ。

 少しぐらい我慢しないといけない。


 ◇


 きつね亭に戻ってきた。

 戻るとすぐにそれぞれの部屋に戻り、服を脱いで、たらいに沸かしたお湯を入れて布で体を拭く。


 大衆浴場はあるらしいが、一家に一つ風呂があるという文化ではないので、こうしてお湯で体を拭くようだ。

 日本人の私としては辛いけど、これでも清潔さは保てる。

 ……むしろ、化粧品その他もろもろが手に入らないのが辛い。


 今まで来ていた服には血の匂いが染みついていた、肉を取りに行くときはできるだけ、この服にしよう。

 他の服にまで血の匂いを染みつけたくない。

 着替え終われば厨房に向かう。

 そして、手に入れたばかりのハラミ肉を取り出す。

 ハンバーグの試作もするが、その前にハラミの旨さを知ってもらう料理を作る。

 そう言えば、交渉の後、すぐに解体作業に入ったせいか、昼食を取っていなかった。

 それなりに重いメニューを作ってもいいかも。


 ハラミ肉を厚めに切り、切れ目を入れてニンニクを差し込んだ。

 スパイスを揉みこんで、ある程度時間をおいてから塩を振る。

 スパイスは事前に、塩は焼く直前に。

 これが美味しく肉を焼くための鉄則だ。

 私が作ろうとしているのはハラミステーキ。シンプルだが、ハラミ肉の美味しさをしってもらうにはちょうどいい。

 フライパンに火をかけると、アルネが上から降りてきた。

 血の匂いを念入りに落としていたのだろう。


「いい匂いがします」

「昼飯を食べていなかったわよね? だから、昼食を兼ねてハラミ肉の旨さを知ってもらう料理を作っているの」


 とは言っても、スパイスと塩で味付けして焼くだけだが。

 ハラミ肉はレアに焼くのがうまい。

 中心に赤みを残して、仕上げる。

 皿に肉を盛り付けて、特製のレモンバターを乗せる。

 メインだけじゃ寂しいので適当にサラダを作ってあった。

 酢と卵と油があったので、即席でマヨネーズを作り、添えている。

 ついでに、アルネが昨日練習で作ったスープを拝借し、ひと手間加える。


「できたわ」


 ハラミステーキとお手製サラダ、スープとそれなりに豪華なメニューになった。


「不思議です。解体場のあれを見て、お肉はしばらくいいって気分になってたのに、急にお腹が空いてきました」

「腹が減ってるときはそんなもんだ。さあ、食べよう」


 私も腹が減った。

 早くハラミ肉を食べたい。


 ◇


 さっそく、アルネがハラミステーキを口に含んだ。


「美味しい、これ本当に内臓肉なんですか? こんな上質な赤身、高いロース肉でもなかなか味わえないです」

「横隔膜は常に稼働している筋肉だからよ。下手な肉よりもよっぽど働きもので、旨味が強くなるの。ただ、働きもの過ぎて脂が乗ってないのは弱点ね」


 よく稼働する筋肉ほど美味しいのは常識だ。

 マグロなんかも腰の赤身肉は絶品。

 ハラミが旨いのは当然と言える。


「歯ごたえもいいですね。働きものの筋肉だからでしょうか?」

「ええ、この歯ごたえは私も好きなの」

「噛むほど、美味しい肉汁が溢れて。それに、レモンの風味がするバターが反則です! 口の中がさっぱりして止まりません!」


 アルネはハラミステーキを気に入ったようで、山盛りにしたハラミステーキをどんどん平らげていく。

 私も楽しんでいるが、どうしてもパンではなく米が欲しくなる。市場に似たようなものがあった。今度購入しよう。


 きつね亭では使わないものだから購入しなかったが、私個人の趣味としてほしい。……ハラミステーキはパンで食べるよりも絶対にご飯に乗せてどんぶりにしたほうが美味しい。

 アルネがサラダを食べ、手を留めた。


「サラダ、口に合わなかったかな?」

「いえ、逆なんです。……すごいです。このドレッシング。すっぱいけど、すっぱすぎなくてまろやかで、こんなの食べたことない。厨房の材料で、どうやって作ったんですか?」

「マヨネーズと言うの。これも美味しいけど、もうひと手間加えればオランディーズソースになってもっと美味しくなるわ。私の国じゃありふれた調味料よ。油と酢と卵があれば作れるわ」

「作り方を教えてください! このドレッシングがあれば、付け合わせのサラダがもっと美味しいって感じてもらえます」

「それは構わないけど」


 あまりにもアルネの反応がいいものだから驚く。

 よくよく考えてみるとマヨネーズというのはすごい調味料かもしれない。ありふれているがゆえにありがたみを感じてなかったが、知らない人々からしたら驚きの調味料かも。

 思いがけず、きつね亭の売りが一つ増えた。


「マヨネーズ、ハラミステーキに付けても美味しいです」

「気に入ってくれたら何よりね。脂身が少ないハラミだからあうのよ」


 残念ながらハンバーグとの相性は良くないが、たしかにハラミステーキには会いそうだ。

 私たちは遅めの昼食を終わらせる。

 アルネが満足そうな顔で、表情を緩めていた。いつも気を張っているアルネがこういう緩い表情はなかなかしない。

 せっかくなので眺めていよう。

 そうしていると、アルネが身を乗り出して口を開く。


「このハラミステーキ、きつね亭のメニューに加えられませんか!」

「美味しい料理だけど、いいの?」

「はい! きつね亭の看板はハンバーグですが、他のメニューもやってます! ハンバーグだけじゃ飽きちゃいますし、他に魅力的なメニューも必要です」

「悪くないわね……。もう少し手を加えたら、きつね亭のイメージにあうメニューになるし。何より、原価が安いわ」


 その案自体は悪くない。

 ハラミステーキの場合、材料を多く仕入れられるし、原価も安い。利益率はハンバーグ以上だ。

 ただ、ちょうどいい機会だ。

 きつね亭について言わないといけないことがある。

 生まれ変わるきつね亭では、どうしても今まで通りではいられない部分がある。

 彼が落ち込むかもしれないが、そろそろ伝えないといけないころだ。

 今までのように妥協しろというわけでなく、生まれ変わるために絶対に必要なことだから。

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