第七話:市場での発見と新しいハンバーグの試作
市場を巡っていた。
とくに精肉店は注意深くみている。
やっぱりだ。
あるべきはずの部位が売られていない。
売られていないということは使われていないということだ。……つまり、レナリック・ハンバーグの仕入れ先では大量に余っている。
ただ、それがダメだったときのことも考えないといけない。
他の案を試すためにも、いろんな部位の肉を買って帰らないと。
「きつね亭で使っている肉は精肉店で仕入れているの?」
「はい、きつね亭の消費量だと、お店に頼るのが一番安いです」
大きく分けて仕入れには三種類ある。生産者から直接買い付けるか、市場で買う、小売りから買う。
牧場から直接買い付けるのが一番安く、次に市場、この二つにはある程度の量がいる。
「わかったわ。今後どうするかはあとで考えるとして、せっかく精肉店に足を運んでいるのだもの。この店で買いましょう。肉を見る目がある店主がやっているし、カットの腕もいいわ。すじ肉とすね肉、それから切り落とし肉を売ってもらえないかの相談ね」
「切り落とし肉ってなんですか?」
私の世界ではありふれたものでも、こっちではあまり流通していないようだ。
「店頭に肉を並べるとき、形を整えるために不要な部分を切り落とすのは知っているわよね? その切れ端を切り落としって言うの。形が悪くて、ステーキなんかには使えないけど、ミンチにするハンバーグには使えるの」
日本では、一昔前は切り落とし肉は捨てるか、捨て値同然で売られていた。
でも、少し前から使える肉として目を付けられてしまい、あっという間にそれなりの値段がするようになっていた。
ステーキ肉の切れ端だから形は悪くても味はいい。みんながその価値に気付けば、値上がりも当然だと言える。
「そんな素敵なお肉があるんですね」
「さっそく聞いてみるわ」
近くで肉を見ると、店主の目利きと、精肉の技術をより感じられる。
仕入れをするならここがいい。
さっそく、切り落とし肉を売ってもらえないかを相談する。ステーキ用の肉を売ってるので、かならず切り落とし肉は出るはずだ。
話を進めていくと、商品としては扱っていないけど、ほしいのなら売ってくれると言ってくれた。
きつね亭で使っている肩ロース肉の四分の一程度の値段で売ってもらる。
ステーキ肉の切り落としで形を整えるだけじゃなく、余分な脂身を切り落とすという意味でもカットされているので、購入した切り落としは脂身が多すぎてそのままでは使えないが、工夫次第では十分質のいいハンバーグができる。
人気店のためか、切り落としだけでもそれなりの量があり、二キロを購入できた。
店主と話をしていると、毎日、これぐらいの量は切り落としが出ているようだ。継続的な仕入れができないかを聞いてみると、廃棄するものを買ってくれるならありがたいと向こうも乗り気だった。
二、三日検討して、必要なら毎日切り落としを購入する契約したいと伝えて店を離れる。その際は今日買った値段より値下げしてもらえるようだ。
私たちはその店を離れる。
「いい買い物ができましたね! 形は悪いですが、サヤマ様の言う通り、質は良さそうです。肩ロースの四分の一ですから、このお肉を使うだけで安くて美味しいハンバーグを作れそうです」
アルネが上機嫌になっている。
たしかに彼の言う通り、切り落としでハンバーグを提供できれば、それだけで安いハンバーグを作れるが、いくつか問題がある。
「それはそうだけど、実はこれにも問題があるの」
「問題?」
「所詮、切れ端だから量の確保が難しいわ。さっきの店では毎日二キロほどでるらしいが大量に客をさばくようになると、これをメインには使えなくなるの」
きつね亭のハンバーグは一つ二百グラムほど、玉ねぎなども含まれるので使用する肉は百五十グラムほどだが、それでも二キロの肉から作れるのは十二、三個ほど。
それではとても店では出せない。
あの店の規模なら、最低五十食、薄利多売を目指すなら百食は毎日売りたい。
「なら、街中の精肉店を回れば……」
「他の店が売ってくれるかは交渉次第だけど、それでも厳しいと思うわ」
「なら、どうして買ったんですか? 長期の仕入れができるかまで聞いていたってことは、サヤマ様はこれを使うつもりなんですよね」
なかなか鋭い質問だ。
切り落とし肉だけでハンバーグを作るのは難しいが、切り落とし肉でハンバーグを作れないわけじゃない。
「簡単なことよ。切り落としだけでハンバーグを作らなければいい。例えば肩ロース肉のうち四分の一を切り落とし肉にするだけで値段がずっと落ちるわよね?」
「たしかにそうです!」
「問題は他にもあって、切り落とし肉だけハンバーグを作ると脂身が多すぎてくどいものができるの。でも、他の肉と混ぜて使うなら、その脂身の多さも武器になる。安くて脂肪分がすくない赤身肉と組み合わせれば安い材料二つで美味しいハンバーグができるわ」
この切り落としの仕入れ交渉はそのためにある。
脂身の多い切り落としは旨さを補強するために使い、ベースになる肉は別に探す。
「……そんな発想なかったです。でも、ちょっと想像しただけでも美味しくて安いハンバーグのイメージができてきました! うちは肩ロースを使ってますが、肩肉なら安く買えます」
元気が良くて何よりだ。
彼が言った肩肉も候補の一つ。
肩ロースより硬めの肉質で、脂身が少なすぎるので旨味にかける部位だけど、脂身たっぷりの切り落としと合わせるのなら、むしろ肩ロースよりいい。何より二、三割肩ロースより安くできる。
上質な赤身肉でなおかつ安い部位。
その心当たりはある。
あとは、私の読みが当たっているか。
結局、そのあと三軒精肉店を回ってみたが、私の探す肉は取り扱っていなかった。
目につく肉料理を出す店も軽く見たが、あの肉を出している店はない。
……思ったより、精肉技術が発展していないのかもしれない。
あれを食べずに捨てるなんてもったいない。だが、あれが捨てられていることがきつね亭を救う突破口になる。
◇
その後は、スパイスや調味料、いろんな野菜を仕入れた。
工夫するのは肉だけじゃ足りない。肉が変われば、全部練り直しだ。野菜の分量もそうだし、スパイスも調合しなおす必要がある。
大豆に似た野菜を見つけたのも収穫ね。
アルネの話では茹でると柔らかくなり、栄養もたっぷりでスープの具などに多く使われるとのことだ。
これも安くてうまいハンバーグに必要になるかもしれない。
「いっぱい買いましたね。新しいハンバーグの試作が持ちきれないです」
「ええ、私も楽しみよ」
もう日が暮れている。
買い物や下調べに夢中になっていたら、あっという間に時間が過ぎていった。
八百屋へと足を運ぶ。
親父さんは私たちを見つけると、ぶんぶんと手を振った。
あの顔は、レナリック・ハンバーグの仕入れルートがわかったようだ。
「アルネ、姉ちゃん、来るのが遅かったな。とっくに調べ終わってるぜ。口で言うのもなんだ。こいつを見てくれ」
八百屋のおじさんが文字がびっしり書かれた紙を渡してくれるが、あいにく私には文字が読めない。
「……アルネ、読んで」
本当に読み書きは早いうちになんとかしよう。不便だし、恥ずかしい。
「はい、えっと、ほとんどは市場やお店を使わずに農家や牧場と直接契約しているみたいです。すごい、農家や牧場のリストまで書かれてます」
「よく市場を使っていない仕入れルートまでわかったわね」
「そりゃ、レナリック・ハンバーグが市場を使ってなくても、その仕入れ先は市場にものを卸してるからな。調べようと思えば、調べられるぜ」
顔役というのは、誇張でもなんでもないらしい。
これで情報を得られる。
「アルネ、肉を仕入れている牧場はここから歩いて行ける距離かな?」
「はい、僕も知っている牧場です。街の郊外にありますよ」
「なら、今日……と言いたいけど、もう遅い時間だ。明日にしよう」
「わかりました。ただ、レナリック・ハンバーグにお肉を売ってたら、僕たちに売ってくれるものなんてないかも。それに牧場だと、小口なんて相手にしてくれないですし」
「物にもよるわ。さっきの切り落とし肉と一緒よ。小口が相手でも、誰も買わないものを買ってくれるなら相手にしてくれる。ゴミがお小遣いになるんだから。それも長期契約なら話がまとまりやすいわ」
他に売れる相手がいるならともかく、そうでないなら話は別だ。
今日は精肉店を多く回ったが売られていなかった極上の赤身、あれを売ってもらえるように交渉を頑張ろう。
◇
夜は今日買った材料でいろいろと試作品を作ってみる。
一つ目は、今までのように上肩ロースを使うが、二割程度を切り落とし肉に置き換えたハンバーグ。
「ちゃんと美味しいです。でも、ちょっとあぶらっぽすぎるかもしれません」
「そうね。でも、スパイスを強めに利かせれば問題ない範囲よ。これなら、二割ほどコストを抑えられるわね。でも、レナリック・ハンバーグと同じ値段で出すには、原価が高すぎるわ。次にしましょう」
これは切り落とし肉を使ったもののお試し版だ。
次はある意味、本命に近いものを作る。
いつも使っている肩ロースではなく、三割ほど値段が落ちる分、硬く脂身がほとんどない肩肉に、二割の切り落とし肉を加えて作ったハンバーグ。
アルネが食べた瞬間、目を輝かせる。
「今までのハンバーグとほとんど同じ味です!」
「肩肉と切り落とし肉で作ったハンバーグ、これなら四割も原価を抑えられるわ、目標には届かないけどいい線をいっているわね」
「これなら、一応赤字にはならないで出せます」
もともと、きつね亭のハンバーグは日本円換算で原価が六百円。販売価格千円。
でも、肩肉と切り落としの場合は三百六十円にまで抑えられる。五百円相当で出せなくはないが、一つあたりの利益が少なすぎる。
「せめて原価をあと一セルン(百円)削らないと話にならないわね。……まあ、この値段で出して他で儲けを出すという方法もある。例を見せましょうか」
私は厨房に入り、チーズを軽く温めて溶かしつつ、さらに、ニンニクをスライスし牛脂で上げてフライドガーリックを作る。
溶けたチーズをトマトソースがかかった新作ハンバーグをかけて、フライドガーリックを散らす。
「食べてみて」
「美味しいです! トマトソースとチーズ、それにハンバーグの相性が抜群で、この揚げたニンニクも食欲が刺激されますし、がつんっとした強さがいいです!」
「そのチーズとフライドガーリックを一セルンで売るの。ハンバーグで利益を稼げないならおまけで稼ぐのよ」
これらはカレーショップや牛丼チェーン店でも使われている手法だ。
カレーや牛丼をあの価格で出すと利益はほとんどない。
だが、チーズやガーリック程度であれば一セルンで十人分のトッピングが作れる。
つまり、客がトッピングを頼めば、利益がほぼ一セルン分上昇するし、ダブルトッピングならニセルンだ。
「これってすごいですね。おまけを買ってもらえれば、もうけが倍近くになります」
概算で、トッピングの利益を0.9セルン(90円)とすれば、ハンバーグの利益が1.4セルン(140円)なので、2.3セルン(230円)。
客一人当たりの単価が、1.6倍になるのはとても大きい。
「そうね。それでも利益が少なすぎるわ。トッピングで儲けを出すのも採用するとして、最低でもあと一セルンは原価を下げたい。そうすれば月で80マルン。人件費や光熱費を支払って純利益がでる最低ラインがここね」
一セルンハンバーグの原価を下げればトッピング込みでの利益が3.3セルン(三百三十円)。
仮に、一日百食を売り上げれば利益がおおよ3.3マルン(33000円)。週休一日制なので、26営業日なので一か月の利益がおおよそ80マルン(80万円)
ここから人件費や光熱費を支払うことになるし、食材のロスによる損失もある、これでもぎりぎりだ。
そもそも全員がトッピングを頼むという前提が甘すぎる。ハンバーグ本体の利益をもう少し上げたい。
なんとか、2.1セルン(210円)で200gの食べ応えがあるうまいハンバーグを作る必要がある。
「サヤマ様ってお金に詳しいんですね」
「会った時に料理人じゃないと嘘はついたけど、経営者というのは本当よ。いい、アルネ。百食を売る前提でこれなの。百食を毎日売るっていうのは、繁盛店の一つのラインよ。繁盛してすら、ぎりぎりの商売。それが美味しくて安いものを売るってことの難しさね」
一人の客が3.3セルンしか安い店では利益を得られない
だが、高級店になれば一人の客から一マルン(一万円)の利益を得ることも容易い。
客数が三十分の一でも成り立ってしまう。どちらが楽かなんて考えるまでもない。
「難しさはわかってます。だけど、こっちがいいんです」
「そういうと思ったわ。今の肩肉と切り落としのハンバーグの原価をあと1セルン、いえ1.5セルン下げるために必要なことを考えましょう」
「ハードル上がってませんか!?」
「全員がトッピングを頼むという見通しは甘すぎたから修正ね。まだまだ実験は続くわ」
「はいっ!」
明日、牧場で目当ての肉を手に入れに行くが、それを手に入れられる保証はない。
だから、駄目なときも考えて、この研究にも手を抜けない。
次に取り出したのは、すじ肉を使ったハンバーグ。
すじ肉を使うのはレナリック・ハンバーグと一緒だが、こちらは丁寧に下処理をしている。
下茹でして冷水で締めて、葱と一緒に煮て臭みを取ったものを、切り落とし肉のミンチに混ぜ込んだ。
すじ肉は、肩肉よりもさらに安い。このレシピが使えるなら、肩肉のレシピからさらに1セルン値段を下げられる。
「これ、美味しいです。じゅわーって旨味が出て。……でも、ハンバーグって感じがしないですね」
「臭み消しのためにすじ肉を柔らかく煮込んだけど、そのせいで肩ロースのあらびき肉にあった食感が消えているわね。これはこれで美味しいけど、きつね亭のハンバーグじゃないわ」
美味しいことは美味しいが、何か違う。
それに、すじ肉の下処理に時間と手間がかかりすぎるのも問題だ。
かと言って、生のままミンチにすると臭みは残る。
あらびきにすると硬さが気になるし、徹底的にミンチにすると今度は食感が失われる。なかなかすじ肉の処理は難しい。
「……切り落とし肉と合わせるなら、脂身はいらなくて、その分安い、歯ごたえがあって臭みがない赤身肉がほしいです。でも、そんな都合のいいものなんて」
少し驚いた。
私が求める条件と一緒であり、手に入れようとしている肉と一緒だからだ。
「そんな赤身肉を明日仕入れにいくのよ。市場には流れていないから、今は誰も見向きもしないで、ゴミ捨て場にあると思うわ。それを仕入れられれば、1.5セルン以上原価を下げられるわね」
「そんな美味しい肉が捨てられているんですか!?」
「市場を見る限りはそう見えたわ。だけど、確実じゃないの、その肉を使う以外の研究もしっかりしないといけないの。とりあえず、ハンバーグ本体は次のすね肉を試して終りね。もう買い込んできた材料もないし。肩肉と切り落とし肉の組み合わせが使えそうとわかっただけで前進ね。残りの時間はソース作りをしましょう」
「はいっ!」
ハンバーグの試作を終えて、私はアルネのソース作りを手伝った。
こっちも難航する。原価をかけられないため、くず野菜や安価な材料しか使えない。
アルネの味にするために、トマトソースのベーススープについては助言程度に留める。
そうじゃないときつね亭の味にならない。
アルネは筋がいい。彼に教えるのはなかなか楽しかった。
それこそ、ずっとこうしていたいぐらいに。