第六話:冷たい常識と立ち向かう覚悟
朝食を終えて、それからアルネをベッドに連れていき、昼過ぎまで横になっているように厳命した。
「僕はもう大丈夫です! サヤマ様の美味しい野菜ポタージュのパン粥で元気になりましたから!」
「それでも休みなさい。今日一日とは言わないはせめて昼まで」
「……わかりました」
この子は、すぐにでも働こうとする。
働きものなのはいいが、あの子の場合は少々やりすぎだ。
無理にでも休ませないと。
手がかかる。でも、悪くない気分だ。
◇
正午を示す街の金が鳴り響くと同時に、ちょっと乱暴なノックの音が部屋に響いた。
新しいハンバーグの案を書いていたノートを閉じてアルネを出迎える。
「お昼になりました! サヤマ様、さっそく始めましょう!」
思わず苦笑しそうになった。
この子はいつも頑張り屋で元気だ。
顔色を見る。うん、朝のように青ざめてはいない。血行もいい。
「アルネ、私の手を思いっきり握って」
「えっ、その、サヤマ様の手をですか」
赤くなって、慌てている。
「いいから早く。思いっきりよ」
「はっ、はい!」
少し痛い。
うん、しっかり手に力が入っている。これなら大丈夫だ。
「わかったわ。早速新しいハンバーグ作りを始めましょう。まずは材料の仕入れね。肩ロースを使う時点で、安く作るのは無理だから、何を使うのか色々と試さないといけないわね」
「はい! 肩ロースよりも安くて、それでいて味が落ちないお肉を見つけにいきましょう!」
「それがどれだけ難しいかはわかっているでしょ?」
いいものは高い。それは常識だ。
「もちろんです。でも、なんだかやれるって気がします」
「そうね、私もやれると思うわ。大変だけどね」
だいたい頭の中にイメージはできている。
安くて質がいいものを見つけるのは難しい。
だけど、特別な下ごしらえで、ばける素材というのも多い。
たとえば、レナリック・ハンバーグで使っていたすね肉やすじ肉。それも手間暇かければ、魔法のように美味しい肉に生まれ変わる。
お金がかけられないなら、普通には使えない肉を購入し、手間と工夫で美味しくするのが王道だろう。
「出かける準備をするわ。玄関で待ち合わせをしましょう」
「はい! それと、サヤマ様の作ってくれたパン粥、とっても美味しかったです。すごく優しい味がして、おかげで元気になりました!」
「できれば、今日一日ぐらいは寝ていてほしかったのだけど」
……まあ、これだけ元気ならベッドに縛り付けるのも酷だろう。
◇
出発の準備が整った私たちは繁華街のほうに足を運ぶ。
「実はね、レナリック・ハンバーグに行ったとき、きつね亭のハンバーグが売れない理由がもう一つわかっていたの。ショックを受けると思って黙っていたけど」
歩きながら、さきに悪いニュースから伝えておく。
今の値段じゃ絶対に、どれだけ美味しいハンバーグができてもどうしようもないそんな理由。
「教えてください」
「レナリック・ハンバーグで、ハンバーグを初めて食べた客は、みんなこう思うの。『ハンバーグはこの程度の料理かって』ね。レナリック・ハンバーグがハンバーグの基準になれば、きつね亭で売っている値段じゃ誰も買わないのよ。きつね亭の昔のお客さんたちは別だけど、あれだけ大規模に展開している店だもの。もう、ハンバーグの常識はレナリック・ハンバーグになっているわ」
かつて、日本でも同じような現象が起きた。
牛丼がそうだ。
チェーン店が大安売りする前は、一定数、ある程度の値段がする質が高い牛丼と言うものを出す個人店が多かった。
でも、安い牛丼が出回り始めた瞬間、牛丼というのは安くてそれなりなものというイメージが根付き、目に見えて美味しい牛丼を出す店から客は離れ、次々に潰れていった。
もう、日本人の中で牛丼が八百円もするのは高いというのは”常識”だ。いい牛肉を使って、美味しく作る工夫をすれば八百円はけっして高くない。だけど、牛丼がそういうものになった以上、どうしようもない。
イメージというのは手ごわい。一度レッテルを張られれば一店舗で覆すのは難しい。
「……言われてみればそうですね。レナリック・ハンバーグでハンバーグを知ったお客さんは、ハンバーグに高いお金を出したくないって思っちゃいます。悔しいです。本当のハンバーグは、きつね亭のハンバーグは、ご馳走で、美味しい料理なのに」
「私も悔しいわね。祖父のハンバーグが馬鹿にされているようで」
「だけど、吹っ切れました。絶対に安くて美味しいハンバーグを作らないといけないって覚悟ができました。僕も全力でがんばります。だから、力を貸してください」
アルネが街中だというのに勢いよく頭を下げる。
「もちろんよ。アルネに恩返ししたいからね」
「恩返し? なんのことですか」
「秘密よ」
夢を思い出させてくれた。その料金分は働いて見せよう。
◇
質屋に銀時計を換金しに行く。
昨日の今日であっさり前言撤回したのは気まずくはあったけど、背に腹は代えられない。
銀時計を渡すとき、私の心の一部が悲鳴を上げた。
ずっとずっと、私の心のよりどころだった銀時計だから、弱い私がいかないでって叫んでる。
だけど、私は変わりたい。
最後に銀時計をひとなでする。いつものように不安を忘れて、自信を取り戻すためじゃない。
別れと感謝を。
私は変わらないといけないけど、今まで歩いてきた道も無駄なんかじゃない。この時計に支えられて料理の腕にプライドを持ち磨きつけた日々が私を強くした。
でも、ここからは栄誉の証には頼らない。
さよなら……そして、ありがとう。
私は笑顔を作り、銀時計を差し出し、質屋のおばさんは受け取った。
驚いたのは、質屋のおばさんはその場で六百マルンを用意したこと。
額が額なので、後日届けるか分割支払いするかと思ったが。
……おまけで、六百マルンを収納するケースまでくれた。
「いい買い物をさせてもらったよ。この時計は大貴族様に売り飛ばそうかね」
「大事にしてくれる人に売ってね」
たぶん、このおばさんは倍近い値段で大貴族様とやらに売りつけるのだろうが、文句をいうつもりはない。
そんなコネは私もアルネも持っていない、このおばさんに売るのが一番いい。
これで軍資金はできた。
材料の仕入れ、宣伝、内装の変更。それらをある程度好きに行える。
店を出ると、ずっと緊張しっぱなしで黙っていたアルネが口を開く。
「こんな大金、僕、初めてみました」
「すぐになくなるけどね」
「えっ!? 六百マルンがすぐにですか」
「安く大量に提供する場合、基本は長期契約にするの。そうすれば、ある程度仕入れ価格は抑えられるわ。それをするには現金である程度前金を渡しておかないとだめ。小口だとそうでもしないと信用されないのよ」
継続的にそれなりの量をさばいてくれる相手には、生産者も利幅が少ない条件で契約してくれる。
そのために、ある程度の資金は必要だ。
「安くて美味しいものを作るって大変なんですね」
「そうよ。高い材料を使えば、美味しいものを作るのは簡単よ。でも、安くて美味しいものを作ろうとすれば、ありとあらゆる手で仕入れを少しでも安くして、画期的なアイディアか、あるいは誰にもできない技術か、そう言ったもので美味しくするの。アルネだって、それがわかっていて、安くて美味しいものを作ろうと言ったんでしょ?」
「……そこまで、考えてなかったです。でも、なんとしてもやらなきゃとは思っていました」
正直な言葉だ。
お金を得た私たちは市場を回る。
アルネを雇っている八百屋の親父さんのところに行った。
大事な相談がある。
アルネが親父さんに向かって頭を下げる。私から頼むよりも彼女からのほうが聞いてくれる可能性が高い。
「おじさん、無理を言ってごめんなさい」
「いいってことよ。アルネはうちでもよくやってくるし、息子みたいなもんだからな。これぐらいは協力する。俺は、この市場じゃ顔が効く。たぶん夕方には調べられると思うぜ」
私も礼を言っておこう。
「ありがとう。助かるわ」
「別にあんたのためじゃねえ、アルネのためだ」
八百屋の親父さんに頼んだのは、レナリック・ハンバーグの仕入れルートの調査だ。
あの値段で、なおかつ大量の支店で安定提供し続けるには普通の仕入れでは不可能だ。
安く大量に仕入れることができるそのルートを参考にしたい。
そして、私の読みが正しければ、レナリック・ハンバーグが消費しきれずに余る材料があるはず。
「親父さん、きつね亭が生まれ変わったら招待状を出させてもらうわ。アルネ、それでいいでしょ?」
「はい、おじさんに生まれ変わったきつね亭のハンバーグを食べてほしいです!」
「ああ、必ず食べにいくって約束するぜ」
ダメ元で頼んだが、こんなにあっさりと引き受けてくれるとは。
「アルネ、結果がでるまでは新しいハンバーグに使えそうな材料を買おう」
「はい、色々と買い込みます。今までかつかつで研究用の食材とかあんまり買えませんでした。でも、今回は全力でいきます!」
料理は研究するにも金がいるのだ。
私も精を出して、市場を見て回るとしよう。
それに、食材を探すだけでなく調べないといけないこともある。
レナリック・ハンバーグの店舗であれを使っていないという確信だ。
街を歩くときに、周囲に目を光らせているが、あの肉はこの街じゃ取り扱っているのを見たことがない。
もし、まだ誰も見向きもしていないなら、大チャンスだ。
主役となる肉が、とんでもなく安い値段で手に入るかもしれない。