第四話:三つの妥協と一つの理想
朝がやってきた。
こっちの布団は固く、寝心地が悪かった。
とはいえ、眠れないほどではない。数日すれば慣れるだろう。
「おはようございます。サヤマ様」
「おはようアルネ」
元気のいい声が響く。
その声で覚醒した私は、着替えて身だしなみを整え下に降りる。すでに彼は朝食の準備を終えていた。
「昨日は遅かったのに早起きね」
「慣れました。どうしても、お店を閉めたあとに料理の研究をするので、睡眠時間が短くなっちゃいます」
「そうね。その気持ちはよくわかるわ」
私も同じだったので笑ってしまう。
「朝ご飯、できてますよ」
「ありがたくいただくわ。それから、少し話をしたいが時間を取れるかな?」
「もちろんです!」
今からするのはきつね亭を立て直すための話だ。
あれからも考えてみたが、残酷な答え意外思い浮かばなかった。
◇
アルネの作ってくれた朝食は、ベーコンエッグとパン、それにスープ。
「このスープよくできてるわね」
「ありがとうございます。実は、トマトソースに使うベーススープの試作品なんです」
「ならもう少しエッジを利かせたほうがいいわね、これだと味がぼやけるわ。ハンバーグのソースとしてならやりすぎぐらいがちょうどいいの」
「たしかに。スパイス類の調整でなんとかなりそうですね。カラムラと、オラーブを足せば……朝食を切り上げて、すぐに試したくなりました」
アルネが笑う。
この子は本当に料理が好きだ。
朝食は良く出来ていた。惜しむとしたらパンだ。
こっちではまだ酵母を使う文化がないらしく、ふっくらとしておらず、固い。
朝食を食べ終わったので、アルネにきつね亭を蘇えらせるための方法を話し始める。
「昨日、痛いほど実感したと思うけど、いくらハンバーグを今より美味しくしたとしてもレナリック・ハンバーグに勝てないの。今ですら、とんでもない味の差がある。味以外を変えないといけないわ。きつね亭が勝つには三つの方法があるの」
「はい、味を良くしても勝てないのは同意します。その三つ、教えてください」
彼はそれがわかっていて、トマトソースの試作をしていたのか。
だが、なんのために?
いや、今は考えるのを良そう。
「一つ、路線変更。きつね亭を大衆食堂ではなく、高級店にするの。今よりもずっといい材料を使い、内装も高級路線に、その上で見栄えのいい料理をコース料理で提供する。金持ちだけを相手にする。そうすれば、レナリック・ハンバーグと競合しないわ」
昨日、帰り道でそういう店を見かけたし、流行ってもいた。
十分現実的だと思う
「……無理です。初期投資がかかりすぎます。それに、それはもうきつね亭じゃないです。たくさんの人を安くて美味しい料理で幸せにする。それがきつね亭です」
後半は気持ちの問題だが、前半は彼の言う通りではある。
高級路線の場合、とにかく初期投資がかかる。
無理やり何とかする方法があるが、感情が否定するならやめておこう。
「次ね。別の看板メニューを作り出す。ハンバーグ以外の看板メニューを作り出せば、客は取り戻せるわ。いくら安いからと言っても客だってハンバーグばっかり食べていられない。安く作れるものに絞ってメニュー開発をしてそっちを看板にしましょう」
「実は、ずっとそっちは頑張ってみました。いくつもメニューを作って、でも、新しいメニューってみんな、なかなか手に取ってくれなくて効果がでなくて」
「がんばり続けるしかない。強烈なインパクトで手に取らせることも考慮して作るといいわ。新しいものはヒットしたときにはリターンが大きいけど、手に取るのは客にとって不安で手に取ってもらいにくい。だから……」
新メニューを盛り上げる方法をいくつか伝授する。さすがにそれは経営者と名乗っている私からは具体なメニューは教えてあげられない。
「あの、サヤマ様。その案はもちろんやります。でも、それと一緒にハンバーグを食べてもらえる方法を考えたいんです。やっぱり、きつね亭はハンバーグだから」
「……それは第三の案になるわ。第三の案、それは、プライドを捨てて、ただ限界まで安くしたハンバーグを提供することね。今使っている上質な肩ロースを止めて、安い肉を使い、混ぜ物なんかもして、なんとか切り詰めていけば、あれと同じ値段を出せなくもない。もちろん、ハンバーグで客を呼んで他で儲ける仕組みも含めて検討が必要ね。アルネの腕なら、ひどい材料でもあれよりは美味しいものが作れるはずよ」
第三案はもっとも現実的であり、料理人としての私がもっとも忌避する手段。
安く提供するためだけに、まずい料理を出す。
そんな、妥協と諦めの産物。
自分の夢も客すらも裏切る選択。
「たくさん考えてくれださってありがとうございます。どれも現実的だけど、きつて亭らしくないって感じで。あの、僕も考えたんです。レナリック・ハンバーグのハンバーグは最低だったけど、あれのおかげで気付けたことが。あっ、もうこんな時間。ごめんなさい。ちょっと出かけてきます! 夕方には戻るので」
「店は大丈夫なの?」
「今日は週に一回の定休日なんです。では!」
慌てて走っていった。
昨日の深夜といい、今日といいせわしない。
週に一回に定休日ぐらいゆっくりすればいいのに。
いったい彼は何をしているのだろう? それが少しだけ気になった。
◇
家の中でじっとしていても仕方がないので外にでる。
私はこの街を知らなすぎる。
幸い言葉は通じるので、外に出て情報収集ぐらいはできる。
「なかなかにぎやかな街ね」
景気が良さそうに感じる。
繁華街には人通りが多く、市場もにぎわっている。
昨日のように街の大通りをひとしきり歩き、街にどんな店が多いのかを傾向を掴む。
人が集まっている店は念入りに見る。
流行りものを見逃さない。
一通り、店巡りが終わると市場のほうに向かう。
初めて訪れる土地だと、やはり何を置いても市場を見たい。
未知の食材との出会いは何よりも喜ばしい。
変ね、料理人は辞めかけているのに、それでも心が躍る。
スパイス類を扱う店を見て、好奇心が爆発した。
試してみたい。
だけどお金がない。
……生活費の心配はなくなったけど、さすがにこういう個人的なものまでアルネには頼れない。お金を作ろう。
あまりアクセサリーは身に付けていないほうだけど、指輪やシルクのハンカチなど、それなりに売れそうなものはある。
道行く人たちに話しかけて質屋の場所を聞いて、そちらに向かった。
◇
質屋に入る。
明るく、大きな店だ。
日本では薄暗くせまい店が多いので驚く。
受付に行くとふくよかなおばさんがいた。
「その顔つき、髪色、異人さんかね?」
「そんなところね」
「異人さんは食い詰めてこっちに来たのかい?」
「いえ、観光よ。来月には戻る予定。軍資金がちょっと足りなくなったの」
あまり足元を見られたくないので適当なことを言う。
ここに来るまでいろんな店や市場を除いたので、だいたいの相場はわかる。
あまり、無茶な値段をふっかけられたら別の質屋を探すつもりだ。
「でっ、売りたいものはなんだい」
「ハンカチと指輪」
金になりそうなものを渡す。
「あら、こいつは絹じゃないか、あんた、そんななりで貴族さんかい? こっちじゃ貴族様ぐらいしか、こんなもの持てないよ」
「それは言えないわ」
今でこそシルクのハンカチは三千円もあれば変えるが、昔はひどく高級品だったと聞いたことがある。
こっちは今でも高級品のようだ。運がいい。
「そりゃそうだ。そんな恰好をしてるってことはお忍びだろうしね。この手触り、間違いないく絹、それも、こんな上質なものはなかなかないよ。指輪もいい、一級品の琥珀、リングもこんな見事に整形された銀なんて。……合わせて四十マルンってところだね」
マルンからはコインではなく紙幣になる。
パン換算で、だいたい四十万。
思ったよりいい値段になった。
これなら、一か月の間は何不自由なく過ごせる。
「他の店でも見てもらってくるわ。こちらのほうが高ければ戻こよう」
「まっ、待ちな。五十マルン。それ以上は他の店も出さないよ」
ダメ元で言ったが効果があったようだ。
職業柄、嘘を見抜くことには自信がある。
なんとなく四十マルンと言ったときに、私を騙そうとしていると感じた。五十マルン以上出さないというのは本当のようだ。
「では、それで」
「姉さんしっかりしてるね」
「そうでもないわ」
おばさんの出した五十マルンの札束を受け取るために手を出す。
すると強く左手を掴まれて、悲鳴をあげそうになる。
「びっくりした。いきなり何をするの?」
「あんた、これ、もしかして時計かい」
「……そうよ」
「ちょっ、ちょっとだけ見せてもらっていい?」
「それはかまわないけど、大事なものなの。壊さないでね」
私は左手に巻いていた銀時計を手渡す。
「すっ、すごい、こんなに小さく、精巧で、それになんて細かい装飾、ここまで不純物がない銀なんて始めた。芸術品として価値も工業品としての価値もすごい。……姉さん、売ってくれ。三百マルン、いや五百マルンだそう」
五百万相当。
とんでもない大金、指輪とハンカチを合わせたものの十倍。
だけど私は首を振る。
「姉さん、強欲だね、六百! さすがにこれ以上出さないよ。これでどうだい」
「いえ、値段の問題じゃないの。これだけは売れないの。大事なものだから」
この銀時計は私の誇りだ。
いつも不安になったとき、迷ったとき、この腕時計を撫でてしまう。それほど、私はこの時計にすがっている。
「……そうかい、残念だ。気が変わったら声をかけてくれな。間違ってもほかの奴に売るんじゃないよ」
「約束するわ」
おばさんは、名残惜しそうに銀時計を返してくれた。
ただ、これの価値は思った以上にあるようだ。
あまり、人に見せるのは避けよう。
長袖で隠れる位置に巻く。
とりあえず、シルクのハンカチと指輪で五十マルンを手に入れた。
これだけあれば、いろんな食材を買える。
◇
金を作った私をもって市場に戻る。
そして、スパイスや調味料を中心に、気になったものを買い込んでいく。
まったく新しい料理が作れる。
気分が高揚する。
……無理やりこっちに呼び出されて一か月帰れないという状況は喜ばしくないけど、新たな出会いがあるなら悪くない。
それに、アルネのことは嫌いじゃないし、応援したいと思っている。
トータルだとプラスだと思う。
そんなことを考えていたとき、アルネを見かけた。
市場の八百屋で笑顔で接客している。
週に一回の定休日にどんな用事があるのかと思えば、まさか八百屋で働いているなんて。
なんとなく隠れてしまう。
しばらく見ていると、配達行ってきますと言って、私とは反対方向に野菜がつまった重い箱を担いで走っていった。
彼女と入れ替わりに店の奥からいかついおじさんが顔を出した。八百屋に足を踏み入れる。
「あの、さっきの男の子。どうしてここで働いているの?」
「ああん? まさか、あんたレナリックのものじゃないだろうな! あんな頑張り屋のアルネを虐めるなんて俺が許せねえ!」
「……違うわ。私はきつね亭で雇われたの。店主が定休日に外で働いているのを見れば、理由を知りたくなるでしょ」
「ああ、あんたが『サヤマ様』か。アルネ、久しぶりに心の底から笑ってたな。……サヤマ様がハンバーグを美味しくしてくれたって。そんなあんたなら、話していいか。あんたもわかるだろきつね亭が赤字だってことぐらい」
「当然ね」
あんな閑古鳥がなく店で、原価率六割のメニューを看板にしていればどうやったって赤字が積み重なる。
「じゃあ、その赤字、どうやって埋めると思う」
「貯金を切り崩しているの?」
「そんなもん、とっくに尽きてるよ。あの子はな、店が終われば深夜まで開いてる酒場で働いて、定休日はうちで働いて、その代わり売れ残りの野菜を安く仕入れてる。赤字の店をあの子の稼ぎでぎりぎり維持してんだよ。……痛々しくて見てらんねえよ。あんないい子が、身を削って必死にきつね亭を守っているんだ」
鉛を飲み込まされたような気分になった。
一生懸命で、いつも笑顔で頑張り屋だとは思っていたが、そんな無理をしているなんて。
……あの笑顔の裏で、どれだけアルネは苦痛に耐えてきたのだろう。
同情した。だけどそれ以上に嫉妬をした。
少し赤字が出ただけで、諦めて夢を手放した自分とはあまりにも違いすぎて。
なんでそこまで頑張れる? 私とは何が違うの?
気が付けば、銀時計を撫でてしまうくせがでてしまった。
◇
夕食のとき、帰ってきたアルネと共に食事をしたが、どこか気まずかった。
アルネは笑っている。
疲れていることなんて、一切感じさせず。
食事が終わると出かけて行った。
きっと、深夜営業の酒場で働くのだろう。
「……どうにかしてやりたいわね」
あのおじさんが、痛々しいという意味がよくわかる。
辛いそぶりを一切見せない。隠しているとすら感じさせない。
だからこそ、彼の裏側を知ると痛々しく感じる。
彼を助ける方法は簡単だ。
きつね亭を黒字にしてやればいい。
そうすれば、こんな無理をする必要はない。
彼が帰ってきた。
そして二階には上がって来ない。厨房で調理している音が聞こえる。
……疲れ果てているはずだ。
なにせ昼間はきつね亭、深夜は酒場、週に一回の定休日すら外で働く。
なのに、どうして無駄とわかっている料理の研究をする?
昨日は、料理が好きだからと決めつけた。
だけど、それは違う気がする。
大きな音が聞こえた。
私は下に向かって駆け出す。
厨房にたどりついて言葉を失う。
アルネが倒れていた。真っ青な顔で。
厨房の火を消して、彼を抱き起す。
「大丈夫!?」
アルネが薄く目を開く。
「あはは、ごめんなさい。倒れちゃったようですね」
気まずそうにアルネは笑う。
「……なんでそこまで頑張れるの。いくら美味しいものを作っても意味がない、結局見た目が同じなら安いほうに流れてしまう。そんな人たちに、心をこめて努力して美味しいものを作りたいってどうして思い続けられるの?」
彼への問いかけだが、同時に自問自答でもある。
たぶん、私は答えがほしい。
意味がないなんて言ったことを否定してほしい。
私自身が救われたい。
「意味がないかもしれないです。美味しいより安いがみんな大事だから。だけど、それだけじゃないって思うんです。美味しいものは、誰が食べても美味しいんです。美味しいものを食べれば幸せで、みんな幸せになりたいって思ってる。だから、安くて美味しいものを作ればいいんだって思ったんです」
厨房を見る、彼は野菜スープの試作と合わせて、肩ロースではなく様々な部位を使おうとしていた。それも安い部位。
だけど、レナリック・ハンバーグとは違う。
安い肉でまがい物を作ろうとした彼らとは違い、安い肉でも美味しいものを作ろうとする工夫があった。
「……馬鹿ね、そんな苦労する道を選んで」
「でも、夢ですから。美味しい料理を作って、お客さんに笑顔になってもらって、それを見て自分も笑顔になるのが。だから、がんばらないと」
彼が昨日、レナリック・ハンバーグで収穫があったと言った意味がわかった。
彼は、別の肉でハンバーグを作るという着想を癒えた。
私が教えたトマトソースも私が後押しした。
安い肉を工夫とトマトソースで美味しくして、今のハンバーグと同じレベルの者をする。
安いほうに流れたお客を、安くて美味しい料理で呼び戻しつつ、自分の夢も守る。
私が出した三つの選択肢はすべて妥協を前提にしたもの。なのに、この子は何一つ捨てずに進もうとしていた。
「……私が考えもしなかった道を、こんな小さな子に選ばれたら立つ瀬がないわね」
自分の店が傾いたとき、安くすれば、美味しいものはできないと決めつけていた。
私には、それが実現できる技術があるのに。
本当はただ、これ以上傷つきたくなかっただけかもしれない。妥協するぐらいならシェフを辞めるなんてかっこをつけて、逃げてしまったんだ。
今、こうして少し頭を働かせれば安くて美味しいができる方法はいくつも思いついてしまう。
「アルネ、嘘をついていたの。実は、私はシェフよ」
自然とその言葉が出ていた。
シェフを名乗ることにもう迷いはない。
私の夢は間違ってなかった。
だから、前へ進めるし、進みたい。
「知ってました」
「……いつから気付いてたの?」
「初めて手を握ったとき」
そっか、私が彼女が努力家だと気付いた瞬間、彼にも私が積み重ねたものを見抜いていたのか。
「アルネ、朝言った三つの案は全部忘れて。二人で安くて美味しいハンバーグを作ろう」
「はいっ!」
それは、一番難しい道。
でも、全部を諦めない道。
その道を進むと決めた。
それがきっと、私が憧れた祖父の背中に近づくための道だから。