第三話:美味しいハンバーグと安いハンバーグ
アルネと一緒に敵情視察に行くことになった。
レナリック商会が作りだしたハンバーグチェーンで食事をする。
きつね亭の半額で提供しているとはいえ、祖父のハンバーグを出す店を追い込んでいるハンバーグには興味がある。
歩きながら、アルネからさまざまな物の価格を聞いて、この世界での物価や、相場というものを把握していく。
私はこの世界のことを知らなすぎる。少しでも多くのことを知らないと不安だし、きつね亭を立て直す手伝いもできない。
「だいたいわかったわ。ありがとう」
仮に一食分のパンを基準とした場合、きつね亭のハンバーグは日本円換算でおおよそ千円ほどの値付け。あの味を千円で出すのはすごい。
ということは、レナリック商会のハンバーグチェーンは五百円ほどの値付けとなる。
現代では大量生産できるし、流通システムが成立しているからこそ安価で料理をできているが、こっちは街並みから見るに中世から近世という水準だ。
それなのに、そこまで安く提供できるのが不思議で仕方ない。
「サヤマ様、あれがレナリック商会の店、レナリック・ハンバーグです」
「料理名を店名に加えるのが、単純だがいい手ね。店の売りをわかりやすく伝えられるわ」
店名に料理名を入れれば、一目でその店の名物がわかる。
客としては非常にありがたい。
飲食店を見つけても、その店で何が一番おすすめなのかがわからないという経験が誰にでもあると思う。そういう店には入りにくい。
夕食時ということもあり満席のようで、行列までできている。
「すごい人気ね」
「一シリンで、肉たっぷりの晩御飯が食べられるお店は、ここぐらいなので人が押し寄せるんです」
一シリンというのは、銀色の硬貨であり。日本円換算で五百円。
「一コインっていう値段付けも安さをアピールするのにはいい手ね」
「サヤマ様は、きつね亭の味方じゃないんですか?」
アルネが頬を膨らませる。
「だからこそ、敵は正しく分析しないといけないの。長所も含めてね」
「……わかりました。でも、きつね亭のハンバーグも一コインです」
「ラドルのほうだけどね」
ちなみに、一ラドルという、千円相当のコインも存在する。
セルンが百円、シリンが五百円、ラドルが千円、そこから大きく価値がとんで一マルンという一万円相当の紙幣が存在する。
マルンの十倍の紙幣もあるが、日常生活では使わないらしい。
一コインというのは、安さのアピールもあるが会計時に楽というのも利点だ。
単価が安い店では回転率がものをいう。会計に時間がかからないのは大きい。
レナリック・ハンバーグは回転率がいい店のようで、行列はすぐにはけて思ったより早く店の中に入れた。
内装はしっかりとしている。
適度に明るく、机や椅子は装飾は控えめではあるが頑丈な作りで食事の際に不愉快にならない。
店員もてきぱきしていた。
飲食店では、料理も重要だが内装や店員も同じぐらい重要だ。料理を実力以上に美味しく感じさせることもできるし、その逆もある。
私たちは二人掛けの席に座り、メニューを見る。
文字が読めないので、アルネに読み上げてもらう。
「ハンバーグのほかにステーキやシチューもあるのね」
「ハンバーグに比べて値段が高いので、注文する人は少ないみたいです」
周囲の様子を探ると、七割はハンバーグを頼んでおり三割はステーキやシチューを頼んでいた。
三割はけっして無視できる数字ではない。
おそらく、利益率の低いハンバーグは客引きで、三割が頼む他のメニューで利益を稼ぐ。
……あるいは、複数店舗があると聞いているし、安く仕入れるために牛を丸ごと購入するようにしているのかもしれない。
そうなれば、ハンバーグに使わない部位を料理にしたほうが効率がいい。まあ、レナリック商会が大商会というなら、レナリック・ハンバーグ以外の店に、ハンバーグに使わない肉を卸している可能性も高い。
こういうコストダウンは大きな母体を持つものの強みだ。
「真剣な顔ですね。サヤマ様」
「安く提供するには、それなりのからくりがあるのよ。それを知ることが対抗策にも繋がる。……できれば、この店の仕入れルートを調べたいわね。きつね亭も参考にできるかもしれないわ」
後でごみ箱もみたい。
店のごみ箱は秘密の宝庫だ。
「……すごいです。そんなこと考えもしませんでした」
「すごいわけじゃないわ。経営者なら普通よ」
店員が注文を取りにきたので、ハンバーグを二人前頼む。
さほど時間がかからず提供されてきた。
大きめの皿に付け合わせの野菜と一緒に乗せて提供するのはきつね亭と一緒。
匂いを嗅いで顔をしかめてしまう。
食べる前から、期待値がさがる。
「あまりいい香りじゃないですね」
「すじ肉の匂いね。下処理がいい加減なすじ肉を使うとこんな匂いがしてしまうの」
ナイフを入れてみる。だらしなく水気が外にでる。
旨味が食べる前に外に漏れてしまった。
口に運ぶ。
「これはひどいわね」
「……こんなのハンバーグじゃないです」
上質な牛肩ロースを使っているきつね亭とは対照的に、このハンバーグに使われているのは通常の料理法では使い辛いすね肉とすじ肉だ。
すね肉もすじ肉も丁寧にした処理をすれば美味しく食べられる。
だが、それを面倒がってとりあえず食べられるようにするように徹底的に潰しているせいで、肉の食感なんてものはなく、細胞が潰れて旨味は逃げ出しほうだい、取り除かないといけない臭みはそのまま。水気が抜けてぱさぱさ。
それだけじゃない、安い鶏肉と芋を混ぜてかさを増してる。
……牛以外の肉を使うのも美味しく手段としては有効だ。
例えば、豚肉を二割~三割使うと味が膨らみ、牛百パーセントとはまた違った旨さを味わえる。
だけど、このハンバーグは違う。ただ安いからぶちこんだだけ、イモも一緒。
そうして、薄まってしまった味をごまかすために塩を濃い目に使っており、わずかに残った肉の味も塗りつぶされる。
「……こんなのに、こんなのにきつね亭は潰されるんですか?」
「アルネは食べたことがなかったの?」
「悔しかったんです。敵にお金を払うのが」
気持ちはわからなくはない。
だが、店の経営者としては失格だ。
敵を知らなけば、正しい対処法など取れない。
にしても、想像の倍はひどい。
私の店が潰されたとき、シャンゼリアはそれなりな品は出していた。
だけど、レナリック・ハンバーグは本当に安いだけだ。
安いだけの店に潰されるという現実が、私の店と重なってやるせなさと、怒りがこみあげてくる。
「どうかしたんですか? すごく怖い顔をしています」
「ごめんね。ちょっと、嫌なことを思い出してね。少し冷静になるわ」
一度、目をつぶり、私の中にあるハンバーグのイメージを消し去り、きつね亭のことも忘れる。
このハンバーグだけに集中する。
その上で、どう感じるかを試す。
「きつね亭と比べたから、ひどく感じたけど、食べられはする味よ。ボリュームがある肉料理を、一コインで食べれる。それがこの店のすべてであり、客はそっちに迎合した。そういうことなのね」
「僕もそう思います」
言っていて馬鹿らしくなってきた。
品質で負けているのなら、もっとうまいものを作ればいい。
だけど、負けているのは安さだけ。
ここまで差があるのに負けるなら、もはや味なんてどうでもいいと言われているようなものだ。
勝つには安さ以外のすべてを捨て去るしかない。
味を捨てて、料理人のプライドを捨て、ごみのようなものを客に提供する。
それで勝ってなんになる? 料理人としてそれは幸せなの?
考えれば、考えるほど馬鹿らしい。
勝つための方法はわかる。
だけど、料理人として勝つ方法がわからない。
私たちは無言になって食事を続ける。
すると、一人の男が近づいてきた。
恰幅が良く、私から見ても仕立てがいいと思える服を着た中年だ。
どこかいやらしさがある表情をしていた。
「これは、これはきつね亭さん。レナリック・ハンバーグにようこそ!」
男はわざと周囲の客に聞こえるように大声で告げた。
「こんばんは、レナリックさん」
この男がレナリック商会の主らしい。
アルネが硬い表情で対応をする。
「どうですか、我が店のハンバーグは?」
「美味しくないです」
「ふむ、おかしいですね。街一番のシェフだった貴方の父親が死に、息子がシェフになった瞬間、閑古鳥が鳴き始めたきつね亭のハンバーグより美味しいはずですけど。この客入りが証明している。でしょ、皆さん」
そうレナリックが言うと、周囲の観客たちが笑い始めた。
アルネは拳をぎゅっと握りしめる。
「……値段が安いだけです。味なら絶対負けてない」
「負け犬の遠吠えは見苦しいですね」
レナリックの口撃は目に余る。口出しさせてもらう。
「いい加減にしなさい。レナリック商会というのは暇なの? こんな子供に嫌がらせをするためにわざわざ当主が来るなんて、よっぽど暇じゃないとできないわ」
「貴様はなんだ」
「きつね亭の従業員よ」
外野とは思われたくないのでそう言った。
「あの貧乏定食屋が従業員? おかしいですね。まあ、いいでしょ。何も私は嫌味をいうために来たわけじゃないですよ。返事を聞きに来たんです。きつね亭の名前とレシピに店と土地を売ってくれないかとね。きつね亭のハンバーグを商品として出したいし、支店も増やしたいですからね。アルネも意地をはらずに楽になればいいじゃないですか。私が提示したのはそういう金額です。一生、遊んで暮らせますよ」
アルネはうつむいて拳を握りしめた。
レナリック商会がきつね亭を買収しようとしていたのは驚いた。
理由はわかる。
いくら、安くボリュームがある肉が食べられるからといって、いくらんでもこのハンバーグはひどすぎる。
ある程度の客離れはあるだろう。
こういう提案をする以上、売り上げも伸び悩んでいるはずだ。
街の名店だったきつね亭の名前とハンバーグのレシピを手に入れて巻き返したいと考えている。
いや、それだけじゃない。
「なるほど、きつね亭が怖いのね」
レナリックの表情がわずかに歪んだ。
「……いったい、どうしたらそんな勘違いをできるのか」
「あなたはハンバーグで商売をすると決めた。それは、この街でハンバーグの人気があったからだけじゃない。食べて美味しいと思ったからでしょう? レナリック商会の当主、あなたが一番、きつね亭が出す本物のハンバーグが美味しいってことを知っている。だから、恐れている。奪った客が離れていく、すぐにつぶれると思ったきつね亭がまだ続いてる。このままじゃ、きつね亭に客を奪い返されるってね」
適当に言ったが図星だったらしい。
安いほうに客が流れている。でも、その味を客以上に敵が認めている。
奇妙な話だ。
「……見苦しいですね。きつね亭さん! 言っておきますが、これ以上の条件はないですよ。それに、いつまでもこんなうまい条件を提示し続けるとは思わないでくださいね。今を逃せば後悔しますよ。では」
レナリック商会の主が去って行く。
そして、重苦しい空気だけが残った。
食事を続ける気分でもないし、このまずいハンバーグを最後まで食べる元気もなかったので、私たちは会計を済ませて店を後にした。
◇
レナリック・ハンバーグを出たあとは、私の希望でこの街で一番の繁華街を通ってきつね亭に戻る。
どんな店が並んでいるのか、どういう店にどういう客が入っていくかを確かめておきたかった。
一度では全体像はわからないが、何度か通えば、大よそ街の傾向が把握できる。
商売をする際に、なにより重要なのは、その土地の色を知ること。
「サヤマ様、ありがとうございました。言い返してくれて、すかっとしました」
「私がそうしたかっただけよ。……こう言ってはなんだけどレナリックの提案を受け入れるのも悪くない選択肢よ。きつね亭の再建を諦めて、お金をもって第二の人生を始めるのは現実的ね」
事実、私はそっちを選んだ。
店を諦め、再開発で値上がりした土地を売り払い、しばらく遊んで暮らせる金を手に入れた。
「それはわかってます。でも、理屈じゃないんです。僕はきつね亭と料理が大好きなんです。美味しい料理を作るのは楽しくて、それを食べるお客様が笑って、その笑顔を見て僕も笑顔になる。そういうのが大好きで、……そんなきつね亭を取り戻したい」
言葉を失って立ち尽くす。
それは、私が抱いて、諦めてしまった夢と同じだったから。
「……いい言葉ね」
「実はこれ、タツヒコ様がおじいちゃんに教えてくれた言葉なんです。それを聞いて素敵だって思って、お店で料理作って、その素敵な言葉がほんとだって知って、僕の夢になりました」
口角が吊り上がる。
そうか、この子も私と同じだったのか。
私と同じように、祖父の意志を継いでいる。
沈んだ気持ちが少し明るくなった。
◇
店に着くなり、時計を見てアルネが慌て始める。
「あっ、もうこんな時間。サヤマ様、ついて来てください。あと、帰りが遅くなるので、僕のことは気にせずお休みになってください。父の服を出しておくので着替えに使って」
私の手を引いて二階の一室に案内し、自由に使っていいと言い足して、走って外に出た。
こんな遅くに用事があるのかな?
だけど、ちょうどいい。
現状把握をしたから、次は対策を考えたかった。それも一人でじっくりと。
競合相手のレナリック・ハンバーグを食べ、味では話にならないぐらいに勝っていのに、それでもなお負けていることを踏まえたうえで、現状で勝つための方法。それを検討するのだ。
◇
意外に早く答えがでた。
というより、ここから立て直す方法なんて限られている。
なにより、私の店が置かれた状況と同じで出る答えもあのときと一緒だ。
だけど、他に答えがないかと探した。
あまりにも私の答えは悲しすぎる。
そっちの答えが出ないまま、深夜と言える時間になった。
扉が開く音がした。
こんな遅くまでどこにアルネは言っていたのだろう?
検討結果は早く告げたほういい。
そう思い、階段を降りる。
厨房に明かりがついていた。
そこには、真剣な表情で野菜を刻むアルネがいた。調理手順を見れば野菜ベースのスープを作っているのがわかる。
……まさか、私が提案したトマトソースに必要なベーススープを、こんな遅い時間から研究するのかな?
すごい集中力で、私が近づいても彼は気付いていない。
ほのかに酒の匂いがした。
出かけて飲んできたかと思ったがそうじゃないようだ。
アルコールを摂取してできるような手際の良さじゃない。酒の匂いが体についているだけ。
酒の匂いが染みつくような場所に長時間いたのだろう。
二階に戻ろう。
これだけ真剣に研究しているんだ。邪魔をするのは気が引ける。
これからの話はまた明日にしよう。
そして、無意識に私は銀時計を撫でた。
「どうして、あんなに頑張れるのかな」
あのひどいハンバーグを食べた。
あそこまで質に差があって負けるのであれば、これ以上美味しくしても無駄で、美味しくするなんて無意味だって、普通は腐るか諦める。
なのに、彼はまだ美味しいハンバーグを作ろうとしている。
笑いはしない、あざけりもしない、むしろ胸が締め付けられていた。
彼は諦めてしまった私とは反対で、ひどく眩しく思えてしまったんだ。