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第十八話:最後のデートと届いた言葉

 異世界で最後の日、今日の夜に私は元の世界に戻る。

 この一か月、長いようで短かった。

 アルネの申し出で、今日はデートをすることになり、二人で繁華街を歩いていた。

 ……あの子のことはまだまだ子供だと思っていたのに、妙に胸がどきどきする。


「サヤマ様、たくさん屋台が出てますね。いい匂いがします」

「そうね。こういう料理も色々と参考になるわ。食べ歩きをしましょう。外国を歩くだけで、シェフとしてすごく刺激を受けるの。異世界だったらなおさらよ」

「賛成です。でも、屋台の料理はどれも意外とボリュームがありますよ。すぐにお腹がいっぱいになっちゃいそうです。二人で分けて食べませんか? そうすればたくさんの種類を食べられますし」

「そうね。それはいい考えよ」


 料理人というのは、どれだけ多くの料理を作ったのかが大事だが、どれだけ食べたかも大事。

 舌で経験値を稼いでおかないと、視野が狭くなってしまう。

 自分の守備範囲の外にこそ、むしろ新たな発見がある。

 ……それでも太らないようで陰で努力をする羽目になるけど、今日は気にしないようにしよう。


「さっそく、見たことがないものがあるわ。買いに行きましょう」

「はいっ!」


 ケバブのように、薄いパンで赤く煮込んだチキンを包み、とろとろのチーズをかけた料理。

 あれはなかなか美味しそう。


 ◇


「もう、お腹いっぱいです」

「いい勉強になったわ。市場じゃ見ないものも多かった」

「今日は、街ができた日で特別な祝日なんです。お店はどこもお休みだけど、このとおりたくさんお屋台が出てすごく賑わうので街の人も外の人もたくさんやってきて屋台をやるんです」

「それで、こんなにバリエーション豊かなのね。いい日に来たわ」


 一か月で、この街のことはだいぶわかったつもりだった。

 だけど、ちょっと考えればわかることだ。この世界は広い。

 私はこの世界のことなんてほとんどわかっていなかった。

 自分の中のせまい価値観が壊れて世界が広がっていくのを感じる。今日一日だけでも、こっちに来る意味があったと思えるだけの刺激があった。


「サヤマ様、休日なのに厨房にいるときと同じ顔をしています」

「悪い癖ね。日常でも、たまにスイッチが入ってしまう」

「悪い癖なんかじゃないです。それだけ、料理が好きだってことですから。とっても素敵なことだと思います」

「……そうね。私は料理が好き」


 その言葉を今なら素直に言える。

 私は料理が好き。こっちの世界に来るまでシェフを辞めようかとすら思っていたけど、そんな考えは消えた。

 これからもシェフを続ける。

 アルネのおかげで、夢を取り戻せたから。


「食べ歩きはそろそろ終わりにしましょう。いろいろと面白いものが売っているわ」

「そうですね。見ているだけで楽しいです」


 二人で、露店を除く。

 祭りということもあり、アクセサリーの類が多い。

 その中に、異国の調理器具がある。

 この街の市場で売っているものよりもずっと優れた金物があった。

 今日じゃなかったら、買うことができないだろう。


「アルネの使っている包丁、大事に使っているけど、もう寿命よ」

「……それはわかっていますが、子供のころから使っていて、愛着があるますし、買い直す余裕がなくて騙しだまし使っています」


 彼は私と出会う前は、それこそ寝ているとき以外は働いていた。

 そのお金は全部、店の赤字を埋めるために使っていた。

 自分のために使うお金はまったくなかった。

 今は余裕はあるけど、それでも染みついた習慣は変わらない。


「腕を磨くのも大事だけど、いい調理器具を揃えるのも大事よ。じゃないといい料理は使えないわ」

「そういうものですか?」

「そういうものよ」


 二人で話しながら、露店の前に止まる。

 腕がいい職人が開いているように、どれもこれも出来がいい。

 その中で、アルネの体格と癖から一番しっくりくるものを選ぶ。


「……きれい。鏡のように顔が移るほど研ぎ澄まされた刃。こんな包丁で料理できたら楽しそう」

「そうね、選ぶならこれか、これね。握りやすいのはどっち?」

「右のほうが好きですね。こっちのほうがグリップが手になじみます」

「そう……なら、店主。この包丁をもらうわ」

「毎度あり」


 料金を支払って商品を受け取る。


「もしかして、僕のために買ったんですか」

「そうよ。もう会えないかもしれないって考えると、アルネが一番使うものがいいと思ってね。お洒落なアクセサリーより、使いやすい包丁がいいと思ったの。受け取ってもらえるかしら?」


 買ったばかりの包丁をアルネに渡す。

 間違いなく、こっちの世界でみたどの包丁よりも丈夫で、鋭い切れ味の包丁。

 弟子のアルネが一流のシェフになるために相棒に相応しいもの。


「握ってみて。その包丁、あなたにぴったりと思ったけど、ちゃんとあなたが使っている姿が見たいの」

「そんな、照れてしまいます。いつももらってばかりなのに、最後までまたもらっちゃって、申し訳ないです。でも、とってもうれしい。一生大事にしますね」


 うん、やっぱりこの包丁はアルネにぴったりだ。

 きっと、私がいなくなった後、アルネの力になってくれる。


「喜んでもらえて何よりね。まだまだ時間はある。もっと楽しみましょう」

「はいっ! 私もサヤマ様に贈り物をしたいので、一緒に良さそうなものを探させてください」


 駆け引きも、ロマンチックさもまるでない、でも真っ直ぐで温かい。

 本当にアルネらしい。

 でも、アルネのそういうところが好きだった。


 ◇


 そのあと北にある街に伝わるミサンガのようなものを買った。

 絹のように、虫の繭を編み込んだもので手触りがいい。

 この世界でないと手に入らないもの。デザインも良く気に入っていた。


「ありがとう。大事にするわ」

「向こうでも身に着けていてください。そしたら、きっと、こっちのことを思い出すから」

「意外と計算高いわね」

「こう見えて、ずっときつね亭を一人で切り盛りしていたんですよ。計算高くもなります」

「そうだったわね」


 アルネといる時間は楽しい。

 一人でいるときよりも自分らしくなっている気がする。

 だけど、その時間ももうすぐ終わりだ。

 日は沈み月が昇る。

 今日は満月。

 完璧な円を描く美しい月。

 もう、屋台や露店は店じまいを始め、私たちもきつね亭に戻っていく。


「サヤマ様が来て一か月、ほんとあっという間でした」

「そうね。本当に一瞬のようだったわ」

「たくさん教わったけど、まだまだ教わりたいです。だから、待ってます。サヤマ様、私が待っているって忘れないでください。もし、次の満月の日、サヤマ様が来なくても、その次の満月も、次の次の満月も、鏡の前でお祈りします。だから、もしまた来たくなったら、次じゃなくてもいつでもいいから来てください。ずっとずっと、満月のたびに祈り続けるますから」


 次じゃなくても、その次も、そのさらに次もずっと。

 もし、向こうで生きていくと決めたとき、暖かい場所があるというのは救いだ。

 そのときは甘えてしまいそう。


「私を甘やかしすぎよ」

「ただの本音ですよ」


 きつね亭についた。

 私たちはそのまま倉庫のほうに向かう。

 大きな鏡には布が被せられていた。

 扉の前でアルネが立ち止まる。


「どうした? 中に来ないのか」

「……今、そっちにいくと鏡を割ってでもサヤマ様を引き留めようとしてしまいそうで。実際、今日まで何度も鏡を割ろうって、悩んじゃいました」


 それは初耳だ。

 思いとどまってくれてよかった。


「わかったわ。じゃあ、そこにいて」


 少し寂しいけど、そういう事情であれば仕方ない。

 布を剥がすと、月あかりが鏡の中から漏れ始めていた。

 指先でつつくと、まるで水面のように波紋が広がる。

 ここに飛び込めば帰れる。そんな確信が脳裏によぎる。


「アルネ、楽しかった。きつね亭に来てよかったわ」

「僕も楽しかったです。サヤマ様がきつね亭に来てくれてよかった」

「それから、最後だから言うけど、そのサヤマっていうのは私の姓よ。日本、私の国じゃ姓のあとに名がくるの。だから、次からはトオルと呼んでくれ」

「どうして、今まで言ってくれなかったんですか!?」

「いや、アルネがサヤマ様って呼ぶのがしっくり来て、言い出すタイミングを見つからなかっの。でも、やっぱり名で呼んでほしい。そう思ったんだ」

「では、トオル様。また会いましょう」


 さよならじゃくて、また会いましょうか。

 その一言からアルネの想いが伝わってくる。

 だから、私が返す言葉は……。


「また会いましょう。アルネ」


 そうして、私は鏡の中に飛び込んだ。

 たった一か月の夢のような経験。

 だけど、夢にはしたくなくてきつね亭の想いでごと自分の体を抱きしめる。

 浮遊感、意識が飛んでいく。

 そんなとき、アルネの泣き顔と、叫び声が聞こえた。

 涙を流しながら、アルネが叫んだ言葉、それは……。


「トオル様、僕はトオル様のことが好きです!」


 言うのが遅い。

 その言葉をもっと前に聞いていれば私は。

 そこで意識が落ちた。

 次に目を開ければ、祖父の倉庫にいるだろう。


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