第十七話:レナリックの懺悔とまっすぐな子ギツネ
デザートの導入には期待通りの効果があった。
たまに赤字の日はあるけれど、レナリック・ハンバーグが三セリンで始めた日からのトータルして黒字。
プティングはこっちでは新しいお菓子で、こちらの人たちの好みにもばっちりあった。
狙い通り、一口サイズだけど無料でプティングを提供した客の多くは追加注文してくれたし、美味しくて新しいデザートの噂が街を駆け巡っている。
このプリンの導入でもっとも大きな効果と言えるのが女性客の増加だ。
今までのきつね亭は肉をがっつり安く食べられる店というふうに見られていたこともあり、客層が大きく男性に傾いていた。だが、デザートに力を入れたことで新たに女性層を開拓できているのは強い武器だし、レナリック・ハンバーグとの差別化になっている。
今は昼営業が終わり、まかないを食べ終わり夜営業に向けての準備をしていた。
この時間に、アルネが作ったプティングの味見をする。
期待と不安が混じった目でアルネが上目遣いに私の顔を覗き込む。
「どうですか? サヤマ様」
「うん、今日の仕込み分も問題ないわ」
特訓のおかげでカスタード・プティングを提供し始めて三日目には、店に出しては問題クオリティのプリンをアルネは作ることができるようになっていた。
……正直言って驚いている。
プティングは単純なだけに、シェフのセンスが問われる。一つ一つの工程を完璧にこなすには、普通なら年単位で修業が必要。
たった三日で、私が太鼓判を押すカスタード・プティングを作るにはとびぬけた才能が必要だし、それだけじゃ足りない。
私のアドバイス、その言葉を受け入れ、その先まで想像して自分でたどり着く、それだけの熱意とストイックさと血のにじむ努力が必要。
アルネは教えてもらう情報だけじゃ満足せずに、その先を求め続けた。だから、想定を超えるだけの成長を見せてくれている。
本当に教え甲斐がある子だ。
「サヤマ様のおかげできつね亭を守れそうです。レナリック・ハンバーグの安売り中でもちゃんと黒字です。どうやっても無理だと思ってたのに、こんなことって、僕、今でも信じられないです」
「……正直、私も驚いているの。カスタード・プティングの効果もあるだろうけど、ここ数日の売り上げはそれだじゃ説明できないの」
新たに出すようにしたプリンはたしかに新しい顧客層を開拓したし、今までの客の単価を上げてくれた。
だけど、きつね亭が黒字を出しているのは、既存客。デザートなんて関係なしに今までどおり来てくれる客がしっかりといるから。
はじめは、レナリック・ハンバーグの安売りを知らないだけで、広く周知されるようになれば離れていくと思った。実際、そういう客もいる。だけど、そんな客ばかりではなくて変わらず残っている客もいる。
「どうしてでしょうか?」
「私たちが造り上げたハンバーグの味の力だって信じたいが、今までのことを考えるとね。……私はアルネみたいに無垢に客のことを信じられないの」
どうしても臆病な私がいる。
どれだけ美味しい料理を作っても、安いってだけで客は流れていく。
私たちシェフのプライドも、工夫も、努力も、全部無視して優しいだけの粗悪なものを選ぶ。
そんな客がほとんどだって私は知っているから……。
「そうですよね……、味を良くしてどうにかなるなら、きつね亭はこんなに追い詰められなかったです。でも、きつね亭より安いレナリック・ハンバーグにお客様にとられない理由がわかりません」
もちろん、客が減らないというのは歓迎すべきことだ。
だけど、妙に気にかかる。
このままじゃ、仕事に支障が出る。
この悩みを解決しないと先に進めない。
なら、やるべきことは一つ。
「アルネ、常連さんの何人かに聞いてみましょう。サービスのミニプティングを出すときなら食事が終わって一息ついているし、話しかけやすいわ。このままじゃ仕事に集中できないでしょ?」
「そうですね。変わらず来てくれているお客様に聞くのが一番早いです。直接聞いちゃいましょう」
アルネと頷き合う。
この答えを知りたくて仕方ない。
俺もアルネも安いだけの店に窮地に立たされたのだ。なぜ、今回だけ無事なのか知らずにはいられない。
「……それから、サヤマ様。いよいよ明日ですね」
「そうよ。明日が満月の日。アルネの祖父の話だと鏡が光って帰れるようになるのでしょう?」
「はい、タツヒコ様のときはそうでした。サヤマ様も帰っちゃうんですね……」
「本当はね、まだ答えが出てないの。いえ、次の満月で帰ることは決めているの。だけど、その後どうするかが決められないのよ。また、きつね亭があるこっちの世界に来るのか、それとも向こうで過ごすのか。どっちを選ぶにしろ、向こうでやらなきゃいけないことはあるわ。だから、次で帰ることだけ決めたの」
どっちの世界で生きていくか。
悩み続けた結果、一度帰る。そして、再び満月の夜が来るまで考えつつ準備をすると決めた。
向こうにはたくさんの忘れ物があるし、もしこっちに来るのなら別れを済ませたい人たちもいるし、相応の手続きもいる。
こっちで暮らすことにしても、けじめはつけないといけない。
「サヤマ様が選ぶことだから、口を出しちゃいけないとは思ってます。でも、私はサヤマ様にいて欲しいと思ってます。そのためなら、僕にできることはなんだってします。今までの恩返しをさせてください」
「そういうことを男の子が言っちゃだめよ。それに私はもう十分すぎるほど、アルネにいろいろともらってるの。アルネと出会わなきゃ、もう料理をすることがなかったかもしれない」
客に絶望して、夢を失っていた。
だけど、同じように安いだけの料理の脅威にさらされて境地に陥りながら、彼はそれでも客を信じた。
安くても美味しいもの。その当たり前を懸命に目指した。
その姿を見て自分の過ちに気付いた。
ここに来なければ、その過ちに気付かないまま、
私は夢を諦めていた。
アルネに出会ったからこそ、私は夢を取り戻した。
「……サヤマ様、待ってますから」
「その言い方はずるいな」
「僕も必死なんです。僕、サヤマ様にいなくなるなんて嫌で……ごめんなさい。今の、忘れてください。そろそろ仕込みをしましょう。今日は追加で仕込みをしないと、夜の分、持ちそうにないです」
「そうね。今日のお昼もお客様がたくさん来てくれたから」
私たちはいつも通りに仕事をする。
別れの前日だけど、それが一番私たちらしい。
◇
夜営業、今日は満席だった。
行列はできておらず、店としては一番いい客の入り具合と言える。
アルネもだいぶ一人で厨房を回しているのに、余裕がある。
私がいなくなっても大丈夫だろう。
私はフロアに出て、ミラとレコフに接客について教える。
彼女たちはただ店を回すだけなら十分だけど、一流の接客を求めるだけなら足りない部分がある。
残された時間で、そこを教え込む。
一つでも多くのことをきつね亭に残してあげたい。
そして、そろそろ試すときだ。
なぜ、レナリック・ハンバーグが安売りしてもきつね亭に通ってくれるのかを常連に聞く。
常連の一人にサービスのミニプティングを持っていく。
アルネも調理をしながら、こちらに注意を向けていた。
「お客様、いつもご愛顧ありがとうございます。サービスのカスタード・プティングです」
「ありがたいね。お試しなのに、毎回もらえるなんて」
毎回というように、ミニプリンをサービスするようになってからすでに三回目と常連の中でも頻繁に来てくれる客だ。
「こちらこそ多くのお客様がレナリック・ハンバーグに奪われているなか、変わらず来ていただけて感謝しております」
聞くにしても、なんで向こうのほうが安いのにこっちに来るの? なんて聞けないのでちょっと遠回りに言ってみた。
「きつね亭のほうがずっと美味しいからね。きつね亭のハンバーグを知ったら、あんな紙みたいにパサパサで、臭いハンバーグなんて食えないよ。そりゃ、向こうはバカみたいに安いけど、きつね亭だって安い。いや、こんなにうまいのを一シリンなんて安すぎるぐらいだ」
美味しいから。
俺とアルネが、そうであってほしいと願いつつ、違うだろうと決めつけていた答えをが出た。
安ければそれでいい、そんな客私は絶望していたのに……。
他のお客様も聞き耳を立てていて、次々に口を開き始めた。
「そうよね。たった二セルンの差で、これだけ味が違うなら向こうに行く気はしないわ」
「僕も、きつね亭のハンバーグが好き!」
「一回、休業しただろ、そのとき死ぬほど後悔したんだ! こんなうまいハンバーグが食えなくなったってな」
「このお店が大好き、だからやめないで!」
常連の言葉に反応するように、次々に他の客が美味しい、あるいは好きという言葉をくれる。
それは私の心に染みわたる。
美味しいものを作るのは無駄じゃない。
ただ、安くすることだけじゃなく、客に喜んでもらえる美味しいを作る。その苦労が報われた気がした。
アルネと目が合うと彼もにっこりと笑って頷いた。
……ここに来てようや一つの確信を得た。
ここには、かつての夢。祖父を見ていいなと思った景色がある。
魔法のようにフライパンを振るって美味しい料理を作って、その料理を食べたお客さんが笑顔になって、それを見た料理人が幸せになる。
そんな幸せの輪。
それが、ここにあった。
駄目だ、これ以上ここにはいられない。
厨房に戻る。
「サヤマ様はいつも正しかったですが、一つだけ間違いがありましたね。客なんて値段しか見てない。そんなことはなかったです」
「そうね。私は間違っていたわ。救われた……頑張ったことは無駄じゃなかったわ」
小さく二人で笑いあう。
今回のことは、結局たった2セルンしか値段が変わらないことも客が離れなかった理由の一つだろうし、他にも行列に並ぶのを嫌った、あるいはきつね亭のほうが近くにあり2セルン差のために遠出をするのもバカらしいなんてことも考えられる。
だけど、そういうのは考えないようにしよう。
美味しいものを食べたいから。
きっと、それが一番強い理由だから。
私とアルネが目指した、安くて美味しいものを作るといういばらの道。
その道を進んだことに意味があった。その努力は客に伝わった。
その喜びを今は噛みしめよう。
◇
それからもたくさんのお客様が来てくれた。
きつね亭の黒字は続いている。
そして、とうとう私が働く最後の営業日が終わった。
明日はこの国の祝日で、いかなる店も休みを義務付けられており、きつね亭も例外じゃない。
たった一か月だったけど、この店にも愛着ができていた。
閉店時間になると、言いようのない寂しさが胸を襲う。
「サヤマ様、明日の仕込みがないので久しぶりにゆっくりと出来ますね。お風呂が好きって言ってましたよね。大衆浴場に行きますか? 今からならぎりぎり使えますよ」
「それもいいけど、最後の日よ。この厨房をしっかりと磨かせて」
「サヤマ様らしいです。手伝います」
二人でもくもくと厨房を掃除していく。
念入りに、愛情をこめて。
世話になった厨房を去るとき、いつも私はそうしていた。
帝都ホテルの厨房だって、取り壊しが決まっていた私の店の厨房もそうした。
これは別れと感謝を伝える儀式だ。
たくさんのありがとうを、一緒に料理を作った相棒に伝える。
その儀式が一通り終わるころ、店の扉が開いた。とっくに営業終了をしているのに。
「レナリック、なんのよう?」
そこにいたのは、商売仇。
きつね亭を窮地に陥れた張本人だ。
「そんなふうに睨まないでくれたまえ。今日、ここに来たのは敗北宣言をするためだ。もう、三セルンで売るのは辞めにする。来週で、きつね亭に近い店も畳む……認めたくないが君たちの勝ちだ」
やけっぱちな、作り笑いでレナリックは告げる。
その瞳は、私よりもアルネを見ていた。
「意外に早かったわね」
「ここまでやって、客入りが落ちんのなら、いくら続けても無駄だ。きつね亭を潰すのは私の感傷もあるが、そのためだけにこれ以上の赤字は許されん。もう一度言おう、君たちの勝ちだ」
いい見切りの速さだ。
レナリック商会の規模であれば、まだまだ体力的に余裕だろう。それなのに損切をしたのは彼は一流の商人だからだ。
「それで、そんなことを言うためだけにここに来たの?」
「違う。最後に、アルネの顔を見たかった。もう会う口実もなくなる。だから、最後に伝えたい言葉がある……アルネ、本当に君はアルナに似ている」
「母さんを知っているんですか?」
「……なんだ、レックから聞いてなかったのか。私とレック、アルナは幼馴染で友人だった。まあ、よくある三角関係だ。勘違いしないで欲しいのだが、アルナを奪われたからといって、レックを恨んではいない。、二人が結ばれることを友として祝福した」
レナリックは疲れた顔で昔を懐かしむように目を閉じた。
「私はアルナを取られた分、仕事ではレックに勝ちたかった。私の力を見せつけてやりたかった。だから、レックに言ってやったんだ。一生、小さな店でフライパンを振り続けるなんて馬鹿らしい。ハンバーグのレシピときつね亭の看板を使って支店を出そう。おまえは責任者として監督する立場になる。そうすれば今までの何倍も儲けられるし、体が弱いアルナにも楽をさせてやれる。これは商売人としての提案というのもあるが、たとえレックと結ばれたとしても、アルナを幸せにしてやりたかった。言うならば男の意地だ」
それはどこか懺悔に似ていた。
今までさんざん邪魔してきたレナリック。だけど、私は彼のことを憎めなくなっていた。
「……父さんはどう答えたんですか?」
「やつは断った。『金よりも大事なものがある。俺は料理が好きだし、食べてくれる人の顔を見るのが好きだ。なにより、きつね亭を愛してくれる客を裏切れない』。その二年後、アルナは死んだ。体が弱いのに、朝から晩まで働き続けたせいだ。きつね亭の値段で、あれだけの料理を客に出すには、アルナを酷使しないといけなかった。私は奴をなじったよ。私の言う通りにしていれば、アルナは死ななかった。……なのにレックはアルナは幸せだった。彼女は客の笑顔を見るのが好きだったと。許せなかった。私からアルナを奪ったくせに、殺して、開きなるあいつが。だから、私は奴を否定してやろうと思った。客の笑顔とやらのために尽くすことがどれだけ馬鹿らしいかを教えてやろうとした」
「そうして作ったのがレナリック・ハンバーグというわけね。わざとまずいハンバーグを安く出して、きつね亭の客のために工夫を凝らして安くて美味しい料理を出すスタイルを否定したかった」
レナリックは疲れた表情で笑う。
「そうだ。信じられないだろうが、私はアルナの生き写しのアルネを救いたかった。店を高い金で買い取ることでこんな辛い暮らしから解放してやりたかった。だが、どうやら間違っていたのは私のようだな。負けたよ。もう邪魔はしない。一生、フライパンを振って、客の奴隷になればいい。それが君の幸せと言うのなら。そのためにアルナを殺したレックと同じ道を歩むといい。私は馬鹿らしいと思うがね。客なんて馬鹿だ。君たちが客のために積み重ねた努力も苦悩も、その千分の一も伝わらない」
そう吐き捨てると、レナリックは背を向ける。
「今度、また食べにきてください。……私はお父さんでもお母さんでもないですから、あなたにかける言葉はないです。だけど、食べる人が元気になれる、そんなハンバーグを作ってますから」
アルネは、レナリックの言葉を否定しない。
レナリックの言葉の正しい部分も知っているから。
それでも、アルネは先に進み続けて、別の答えを得ている。
だから、彼が口にしたのは、食べにきてくれという言葉。
やっぱり、彼はまだ子供だけど、先を見ている。
この言葉は私には出せなかった。
「やっぱり、君はアルナに似ている。また食べに来よう。今度は料理を楽しむために」
「ええ、お待ちしております。きつね亭は、いつでもお客様の笑顔のために最高の料理を作ります」
レナリックは泣きそうな顔をして、それから笑って去っていった。
「部外者の私からすると、ひたすらはた迷惑な奴だったな」
彼はアルネを楽にしてやりたいと言っていたが、結果的にアルネを追い詰めて過労で倒れさせるまで追い詰めたし、きつね亭は潰れかけていた。
「それは否定しません。でも、たぶんお父さんのこともお母さんのことも好きだったんだと思います。それに、あの人のおかげでサヤマ様に出会えました。だから、彼のことは恨みません」
「本当にアルネは前向きね。見習いたいわ」
アルネの頭を撫でる。
すると彼は子供扱いはやめてほしいと言って頬を膨らませた。
「ごめん、ごめん、ついね」
「サヤマ様のいじわる」
「何かお詫びをしよう」
「それなら、明日、月が出るまでの時間デートしてください」
もともと明日は祝日。
こっちでやることもないし構わない。
でも、こんなおばさんとデートなんてして楽しいのかな?
「いいけど、どこの店も閉まっているし楽しくないかもしれないわ」
「安心してください。お店を開くことは禁止されていますが、屋台や露店なんかを開いちゃうことは許されているんです」
「なかなかにがばがばなルールね」
「みんなが一斉に休む書き入れ時に稼ぎたい人たちが多くてこうなったみたいです」
「それを聞くと、きつね亭も屋台を出して儲けたくなるわね」
「……その気持ちは僕にもありますが、それよりもサヤマ様との思い出がほしいです。僕にとって、サヤマ様と最初と最後のデートになるかもしれないから」
デートという言葉を聞いて、年甲斐もなくどきりとする。
今まで、彼のことは子供としか見てなかったのに。
「わかったわ。明日一日、私に付き合って」
「僕が頼んでいるんです。約束ですからね」
そうして、最後の一日は二人でデートすることになった。
最後の休日、この世界を全身で味わい、そしてアルネに感謝の気持ちを伝えよう。
……私は、帰ることを決めた。
そのこともちゃんと伝えないといけない。




