第十六話:カスタードプティングと技術料
レナリック・ハンバーグの値下げから三日目の営業が終了した。
客がミラとレコフが帰ってから、二人でレナリック・ハンバーグの値下げ対策をするのが日課になっている。
「やっぱり、今日もお客さんが少なかったですね」
「そうね。……だけど、想定していたよりずっとましね」
レナリック・ハンバーグが三セルンで売るようになれば、店のリニューアル前のように閑古鳥が鳴き始めるぐらいのことを想定していた。
だけど、昨日も今日もそれなりには客が入っている。
満席とはいかないけど、昼食時や夕食時ともなれば常に七~八割ぐらいは埋まっている。
「アルネ、今日の売り上げを教えて」
「ちょっと待ってくださいね。レコフさんがきっちり帳簿をつけてくれるので楽になりました」
レコフは数字に強いし、帳簿を扱ったこともあり、こういうことが得意だ。
その彼女に甘えて帳簿を任せていた。
売上から、材料費、人件費、光熱費などの諸費用を抜き取る。
「……利益は少ないけど黒字ね。レコフとミラの給料を差し引いても」
「はい、びっくりです。ハンバーガーがたくさん売れましたからね」
「材料が余っても、そっちで消費できるのは強みね。客引きのために始めたけど、利益面でも貢献が大きいわ」
肉が余らずに、限定三十食しか作っていなかったハンバーガーだが、昨日は肉だねを使い切れなかったので、六十食まで増やしたし店内に余裕があったので、販売時間も長めにとった。
その分で店内の赤字を相殺している。
不思議と、レナリック・ハンバーグが三セルンセールを初めてもハンバーガーは変わらず売れている。
外食をする時間がない人や、食べ歩きをしたい人、家で食事をしたいニーズを満たしているからだと私は思っている。
それはそれとして、店内のほうが予想よりずっと客が減っていない理由は気になる。
「……もしかしたら、まだあまりレナリック・ハンバーグの安売りが浸透してないのかもね」
「それはあるかもしれません。安くなっていることを知らなきゃ、うちに来ますし」
「そうだとしたら、日に日に売り上げは落ちるわね」
「はい。でも、不思議です。それなら昨日よりも今日のお客さんが減るはずなのに、あんまり変わりません。ハンバーガーの収益を抜いてもほら」
「たしかに。……いいことだけど、どれだけ考えても理由がわからないのは気持ち悪いわ。どっちにしろ対策は打つべきね」
昨日、今日の収益だけ見て楽観視はできない。
ぎりぎり黒字をいつまでも維持できるのなら、レナリック・ハンバーグを放っておいてもいい。黒字を維持できる限りきつね亭は潰れるないし、向こうだって赤字にいつまでも耐えられるわけじゃない。
効果がないとわかればどこかで音を上げる。
でも、大丈夫そうだが手を打たず、いきなり客足が落ちるとひどく後悔をすることになるので、ちゃんと対抗策は打つ。
「昨日お互いに考えてみようと言ったが、アルネは何か答えが出たか? もちろん安売り以外で」
「いろいろ考えましたが一番は市場でのお弁当販売です。ハンバーガーは今でも売れていて、その理由が時間がなくても美味しいものをがっつり手軽に外で食べられるからだと思います。なら、店頭じゃなくてもっとお弁当を求める人が多い市場に行って、ハンバーガーを売ればいいんじゃないかなって。市場だと、昼食に時間を取れない人が多くて、人気がでますよ」
いい手だ。たしかにそれなら、材料のロスを減らしつつ売り上げが確保できる。
「いい考えね。私はなかった考えよ。市場で働いていただけはあるわ」
「ただ、今日の様子を見ていて問題に気付きました」
「言ってみて?」
「……市場までいかなくても、今の売り上げなら普通に店の前の販売で売り切れちゃうので行く意味がないかなーって」
「そのとおりね。でも、アイディアはいいわ。店の前で売り切れないぐらいに肉だねが余ったら実行しましょう。お弁当向けに冷えても美味しく食べられる工夫したレシピは考えていたほうがいいわね」
「ですね」
実行には至らなかったが、着眼点が面白い。
いくら安くても行列に並んでから店で食べるのには時間がかかる。忙しい市場の人々は、昼時にレナリック・ハンバーグには食べにいくなんてできない。
ハンバーガーを弁当として売るのは効果的だ。
「サヤマ様は何か案がありますか?」
「そうね。私のは名物を増やすことだ。前々から思っていたんだがきつね亭には大きな弱点があるの」
「弱点? それは気になります」
そう、洋食屋をやっていた私からすれば、きつね亭には洋食屋にとって重要な要素が欠けている。
「それはデザートよ。美味しい肉料理を食べたあと、甘いものを食べたくならない? なのにきつね亭にはデザートがない。大きな需要を取りこぼしているの。デザートがあれば客単価があがるし、デザートが評判になればそれでも客を呼べる。特に主婦層には強いわ。美味しいデザートがあるなら、多少高くてもやってきてくれる。主婦をリピーターにしたら、主婦仲間の集まりで使ってもらえるし、家族でも来てくれる。口コミも広がりやすいわよ」
「言われてみればそうです。……でも、お菓子なんて作ったことないです」
「そう思って、試しに作ってみたの。アルネにも作れそうなお菓子を選んだわ。レシピも用意したから、何度か一緒に作れば、アルネも作れるようになるはずよ」
デザートはレストランの顔だ。
最後に食べるものだけに、一番印象に残る。
まずいデザートを出せばすべてが台無しになってしまうし、逆にデザートが素晴らしいものであれば店の印象は良くなる。
デザートを制するものがレストランを制するとまで言われるぐらい。
私も当然力を入れて勉強した。
「楽しみです。僕、甘い物が大好きなんです」
「その割には、甘いものを食べているところを見たことがないけど」
「……きつね亭が大丈夫になるまで、贅沢はしないって決めてましたから。きつね亭では扱ってないので勉強にもならないので、もうずっと食べてません」
この子はちょっとストイックすぎる。
もっと、自分に素直になればいいのに。
「なら、久しぶりの甘味を味わって。私の店で一番人気だったデザートよ。このデザートを選んだ理由はいくつかあってね、二セルン(二百円)もあれば、十人前作れる。ものすごく材料費が安いの。それに、冷蔵庫で冷やして保管しておけるから提供するのも冷蔵庫から出すだけで早いわ。今のきつね亭じゃ注文を受けてから作るデザートを用意するとパンクするから手軽さは重要な要素よ」
「素敵です! 儲けが上がります! もっと早く言ってくれればよかったのに」
「理由はあるの。デザートを出せば儲けは上がるけど、どうしても回転率が落ちるかわ。一人でも多くの人にきつね亭の味を知ってほしい状況じゃ導入できなかったのよ」
行列ができているのに回転率を落とすのは自殺行為。
ましてや、売り上げよりも店の周知が優先だった。
だから、デザートの必要性に気付いていたけど、あえて手をつけなかった。
でも、状況が変わった。
行列が消えて空席がある今なら、回転率を落としてもいい。
街を色々観察していたけど、どうやらこの街のレストランはのきなみデザート関係が弱い。もちろん、敵であるレナリック・ハンバーグも。
私が作るデザートは武器になりえる。
私は冷蔵庫に入れてあったデザートを取り出す。
それは大きめの木のパッドに敷き詰められた鮮やかな黄色のデザート。
机に置くと、ぷるぷると震えた。
「見て、これが安くて美味しいデザートよ。アルネ、これを食べるときに二セルン(二百円)出す価値があるか舌で判断して」
「ちょっと待ってください。それだと原価が一割じゃないですか!? すごい儲けが出ますけど、お客さんが納得してくれますか?」
「料理の価値は材料費じゃなくて、味とお客様の満足度よ。美味しいデザートが二セルンって聞けばお得でしょ?」
「たしかにそうです。お砂糖たっぷりの揚げパンと同じ値段です。では、味合わせていただきます」
木のパッドからスプーンで一人分掬い小さな器に移す。おまけで同じく冷蔵庫にいれてあったホイップクリームを乗せる。
「どうぞ。カスタードプティングよ」
「初めてみます。綺麗で可愛いです。では」
アルネが口に含む。
「んんんんんんんんんんぅ、おいひいれひゅ」
そしてうっとりした顔で咀嚼する。
夢見るような表情のまま、スプーンで二口目、三口目を運ぶ。
あっという間に食べ終わり、空になった容器を見て寂しそうな顔をする。
「もう少し食べる?」
「お願いします!」
男の子だけど、甘いものが好物なのか今までで一番美味しそうに食べる。
私の店でも手作りカスタードプティングは評判で、女性客はそれ目当てにくるぐらいだった。
「なめからで、とろとろで、卵のコクがして優しい甘さ、夢中になっちゃいます」
「ありがとう。改めて聞くわ。二セルン出す価値はあると思う?」
「もちろんです! こんなのが二セルンで売ってるって知れば、僕だって我慢できずに買っちゃいそうです! むしろ安すぎるぐらいです! 一シリンだって買っちゃいます」
怖いぐらいの勢いでアルネが力説する。
「なら、メニューに加えましょう。これを頼んでもらえれば客単価が一気にあがるわ。それから、デザートを取り扱うことを宣伝したいから、しばらくサービスでつけるわ。一口サイズだけどね。それで気に入ったら、注文してもらうの」
「はい、いい考えだと思います! 甘いものが好きなら誰だって夢中になります! ちょっぴりじゃ全然足りなくて、追加注文したくなりますし、また食べにきます!」
レナリック・ハンバーグの三セルンという圧倒的な安さで押されても、デザート込みなら勝てないまでも粘れるかもしれない。
客が減ったなら客単価を上げる。
目標は向うの限界まで黒字を維持すること。
利益が少なくても、黒字でさえあれば耐えられる。
カスタード・プティングはきっと強い武器になってくれると信じたい。
「よし、じゃあそうましょう。でも、私には時間がないわ。あと二日でアルネにはこれを作れるようになってもらわないといけないわね。あれだけ無理をするなと言っておいてなんだが、特訓だよ。無理をしてほしい。じゃないと、作るならともかく、美味しく作るなんて到底むりね。二日間、ろくに眠れないと思って」
「はい、喜んで! 無理は得意です! それに、サヤマ様がきつね亭のためにしてくれることですから」
「そう、さっそく叩き込むわ。カスタードプティングは単純で、単純だからこそ難しい。しっかりとついてきてくれ」
アルネでも百パーセント私と同じ水準のものを二日で叩き込むのは不可能。
だけど、合格点に届くものができる。
この子は筋がいいし、すごい集中力を持っている。何より、料理が大好きだ。
これが私の最後の贈り物になるかもしれない。
精一杯、彼に作り方を教えよう。
厨房に行き材料を広げる。
卵、牛乳、生クリーム、砂糖、酒、ハーブ。たった六つだけ。
「こんなので、あんなに夢みたいな素敵なお菓子が作れるんですか?」
「ええ、そうよ。材料はシンプルだし、作るだけならとっても簡単。でもね、だからこそシェフの腕が問われる。さっき、原価が安いのに、一シリンでも買うとあなたは言ったわね。二セルンで十個作れるお菓子を、一シリンで売る。その差はなんだと思う?」
「えっと、その、わかりません」
「技術料よ。シェフの腕と言ってもいいわ。レシピを知っていても素人にはこの味は絶対出せない。その分、お金をもらう。アルネ、この差を埋めるだけの技術を身に着けなさい。じゃないと詐欺よ」
アルネが、真剣な瞳でこくりと頷く。
懐かしいな。
昔、上杉料理長に同じことを言われた。
このプリンは帝都ホテルのレシピをベースにしている。
あの人は私が作ったプリンを食べて怒鳴ったんだ。
『この詐欺師が!』って。
原価二十円のプリンを、ホテルでは五百円で売る。四百八十円の技術料を払う価値はこのプリンにはない。こんなものを売るのは詐欺だって、上杉料理長は起こったんだ。
その一言が悔しくて、悔しくて、私は毎日必死になって練習した。やっと満足できる出来になったのを食べてもらったんだ。
『やっと客に損させない出来になった。もっと精進して客が得するプリンを作れ』ってあの人は言った。
そのときのことを想いだして、うっかり笑ってしまい、アルネがびっくりした顔で見ている。
……今の私があるのはいろんな人に支えられたから。そんな当たり前のことを今更ながら思い知らされる。
前を見るばかりで、そんなこと考えたことがなかったな。
みんなに助けたもらったように、私はアルネを支えよう。
きっと、それは私にしかできないことだから。




