第十五話:禁忌の客寄せときつね亭の危機
リニューアル後の好調は続いていた。
ここまで好調が続くのなら安心できる。
ただの興味本位の客が押し寄せただけなら、とっくに人気がなくなっている。ちゃんと客が定着している証拠だ。
新入りの二人も仕事に慣れてきてくれた。
ミラは頭がいい子で、会計の仕事を完璧にこなしてくれるようになり、少しでも手が空くと店の中の様子を見て、少しずつほかの仕事も頭に入れている。
行列に並んでいる間にメニューを決めて、チケットをあらかじめ購入するシステムを始めたけど、ミラはうまく対応しているし、客も受け入れてくれている。
帰りに待たされないし、料理が出てくるのが早くなるというのは客側にもメリットがあり、喜んでくれる人もいる。
八百屋の親父さんが紹介してくれたレコフさんは器量が良く働きもの。仕事ができるだけじゃなくて、にこやかで柔らかい接客をしてくれて助かっている。
成長しているのは新入りの二人だけじゃない。アルネの成長も著しい。
ちょっと前まで、少し注文が溜まり始めるとあたふたしていたのに、今じゃ混雑する時間帯でもなんとか一人で回せるようになってきた。
これなら、私がいなくなっても大丈夫かもしれない。
三人できつね亭は回る。心配事が一つ消えた。
一週間後には満月の夜が来てしまう。私がいないと回らない状態で放り出すのは嫌だった。
「そろそろ、どうするか決めないとね」
私はまだこっちに残るか、帰るかの答えを出せていない。
いい加減答えを出さないといけない。
……そんなことを考えていたせいか、異変に気付くのが遅れた。
八百屋のおじさんにもレナリック商会が動いていると話を聞いていたはずなのに。
最初に気付いたのはミラだ。
「今日はいつもよりお客様が少ないですね」
「そう言われてみればそうね」
客入りがいつもより悪い。
それも多少のばらつき程度ではない。
昼時ともなれば毎日ずっと行列ができていたのに、今日は一瞬行列できたぐらい。
そのことにアルネはとっくに気付いていたようだ。不安そうに私の顔を見ていた。
もうすぐ、昼営業が終わる。
昼休憩になれば、アルネと話をしよう。
◇
昼休憩の時間になった。
手早く、従業員の食事を作る。
今までアルネと二人だったが、最近ではミラとレコフの分もあるので四人分。
まかないは店にある材料で作るのが基本だ。
とは言っても、店のメニューをローテーションしているだけでは飽きてしまう。
だから、ちょっぴり手を加えることで印象を変えてしまう。
まかないだからと言って手を抜けない。美味しいものは従業員の活力になる。美味しいものを食べて夜も頑張ってもらわないといけないのだ。
「できたわ。熱いうちに食べてね」
「サヤマ様、なんですか?」
「餃子よ。なかなか美味しいから食べてみて」
「ギューザですか? 初めて聞いた名前です」
ハンバーグの肉だねに、クズ野菜を加え、味付けを濃いめにして小麦の皮で巻き、油を多めにして焼き上げたものをタレにつけて食べる焼き餃子と、スープで茹でた水餃子を用意した。
朝から、昼飯は餃子にしようと思っていたので皮は仕込んでいた。
きつね亭のメニューとしては、イメージに合わないため出せないが、美味しいし、いい気分転換となる。
きつね亭のメニューは洋食ばかりだから、こういう中華の料理はみんな新鮮に感じるはず。
私の店のまかないでもたまに作っていた得意料理で、従業員たちも喜んでくれた。
「サヤマ様、これ美味しいです。サクサクとした皮で、噛むと肉汁がじゅわーって。付け合わせのタレも絶品です! あっ、でも、スープに入ったほうはもっといい。つるんってした皮ののどごしがたまりません」
アルネが絶賛してくれて良かった。
ミラとレコフも美味しそうに食べてくれている。
「これもメニューに加えられないですか!? 焼いたギョーザはボリュームがあって、若い人たちや、男性のお客様に喜ばれると思いますし、スープのほうは女性のお客様にぴったり」
「あはは、さすがにきつね亭のメニューとしては色が違いすぎるわ。美味しいからって、らしくないメニューは並べられないわよ」
美味しいが中華料理はさすがに駄目だろう。
さて、私もいただこう。
うまくできている。酢をベースに、こっちの調味料で作ったたれはちょっと不安だったけど、この世界の調味料でもうまくいったようだ。
お米が欲しくなるが、餃子はもともと炭水化物を含む完全食なので本場ではむしろ何もつけずに食べる。ある意味、これが正道だ。
「残念です。……でも、これをベースにきつね亭で出せるような色に染めることはできると思います」
「そんなに気に入ったの? そうね、できないことはないわね。時間ができたら作ってみるわ」
「うわぁ、楽しみです」
餃子は出せなくても、洋風餃子と呼べるメニューはある。
ラザニアだ。小麦で出来た皮でひき肉を包み、トマトソースとチーズをたっぷりかけて焼き上げる。
あれなら、きつね亭にあるハンバーグの材料を流用できる。
材料費が安いのに、とてもリッチな味わいを演出できる。今度、レシピを考えてみよう。
「サヤマお姉ちゃん、ごちそうさまー。美味しかったよ」
「あの子にも食べさせてあげたいぐらい美味しかったです。では、のちほど」
食事が終わったところで、ミラとレコフの二人は外に出る。
17:00までは休み時間であり、二人には好きにしていいと言っていた。
レコフは十三歳の一人息子がおり、学校に通わせている。
彼女はこの時間に一度戻って、息子の食事を用意してから働きにくるのが日課だ。
こっちでは十二歳までは初等学校で文字の読み書きと計算を教え、十三歳からは高等学校に通うらしい。
初等学校は街が授業料を負担するが、高等学校はそうではなくそれなりに金がかかる。ただ、レコフの息子は優秀なようで特待生として入学し授業料を免除されているようだ。
だからこそ、彼女は学校を辞めて働くという息子を必死に止めて、仕事を探していた。
「食べさせてあげたいなら、もって帰っていいわ。ちょっと待ってね、多めに作ってあるの。焼くか、スープに入れて茹でれば食べられるわ」
厨房に戻り、バスケットに紙で包んだ餃子を詰める。
「ありがとうございます! 息子も喜びます。代金は……」
「いらないわ」
「でも、こんなに美味しいものをただでいただくのは悪くて」
「そう思うんだったら、夜もがんばって。それが一番きつね亭のためになるから」
「そうします。このお店に雇っていただけて良かったです」
レコフが礼をして、大事そうにバスケットを抱えて店を出ていき、ミラがそれに続く。
二人を送り出したあと、アルネに話があると伝える。
「さて、二人きりになったことだし。店の異常について話しましょう」
「はい、お客様が急に減ってびっくりしました。味も落ちてないし、値段も変わってないはずだし、いいお天気なのに」
内的要因で客入りが少なくなる理由としては、味が落ちたり、値上げをすることなどがあげられる。
だが、アルネが言う通りきつね亭はいつものクオリティを維持している。
そうなれば、外的要因となる。天気が悪いと客足が鈍る。雨が降る日は行列に並んで食べようと思う客はほとんどいないからだ。
だけど、今日はよく晴れている。
そうなれば……。
「レナリック商会が何か仕掛けているの?」
「前から、いろいろやってはいたみたいですが……今度は何をしてきたのでしょう」
あれから、レナリック商会は地味な嫌がらせはいろいろとしていたけど目立った効果はなかった。
レナリック商会は従業員を使い、きつね亭の悪い噂を流したが、実際に食べた人たちの声でそんなものは吹き飛んだ。
それ以外にも、レナリック紹介はきつね亭で幻のメニューと言われているハンバーガーを出してみたり、きつね亭がハンバーグにソースをかけ始めたのを真似た。だけど、いかんせん土台が違いすぎて空回り気味だった。
真似をするほど歴然とした質の差が目立つ結果になり、レナリック・ハンバーグの客離れが加速している。
そんな彼らが逆転の手を打ったなら要注意だ。
「ちょっと、外に出てみようかしら。レナリック・ハンバーグを見に行くのが一番手っ取り早い」
「はい。今からなら、見て帰ってくるだけなら営業時間に間に合います。……客足が減ったおかげで追加の仕込みも必要ないですし、ハンバーガーも休みの日です」
夜に向けて追加の仕込みがないのは喜んでいいのか、悲しんでいいのかわからないけど、動きやすいのは確か。
今はとにかく行動しよう。
◇
一番近いレナリック・ハンバーグの店に来てみて、客足が鈍った理由が一目でわかった。
なにせ、客足が減った理由が店の前の巨大な看板にでかでかと目立つように張りだされている。
なるほど、これじゃ勝てないわけだ。
「そんな、ハンバーグをたった3セルン(三百円)で出すなんて」
巨大看板には、今だけハンバーグ3セルンと書いてあったのだ。
「ほとんど半額ね」
そう、レナリック・ハンバーグは大感謝祭としてただでさえ安いハンバーグをさらに値引いた。
そこまで下げるとレナリック・ハンバーグのやり方でも完全に赤字のはず。
サイドメニューで埋めるにも限度がある。
赤字を出してまで値下げをする理由なんて一つしかない。
「これはこれはきつね亭さん。ようこそいらっしゃいました。また、我がレナリック・ハンバーグを食べていかれますかな?」
レナリック本人が現れる。
きっと、客足が鈍ったことに違和感を覚えた私たちがここに来るのをよんでいたのだろう。
「やってくれるわね。赤字を出してまで、きつね亭を潰すためだけの安売りなんて仕掛けてくるなんて考えもしなかったわ」
「……おやおや、いいがかりは止めていただきましょうか。我々は、日ごろの感謝の気持ちを込めてお客様に奉仕させていただいているだけです。まあ、資本がないきつね亭さんには悪いことをしてしまいましたね。ただでさえ、ぎりぎりの値段で経営しているのに客が取られて材料のロスが出れば、そうそうに立ちいかなくなりますからねえ」
それこそがレナリックの狙いだ。
初めから、この安売りは利益を出すためのものじゃない。きつね亭を潰すための兵糧攻め。
「最近、調子がいいのは知っているでしょ? それなりに蓄えはあるわよ」
「わかっているんですよ。銀時計を売って手に入れた600マルン、それがきつね亭の資産のすべて。それもリニューアルのときにだいぶ使っているし、仕入れコストを下げるために多くの材料を年間契約で前払いしてほとんど手元に資金はない……いつまで赤字に耐えられますかね。二か月もすれば音を上げるんじゃないですか? 我々ならいつまでだってこれを続けられますよ」
さすがは商会。
お金の動きは丸見えというわけね。
こちらの体力をよんだうえで、自分たちも血を流しながら仕留めてきた。
「どうして、そこまできつね亭に拘るの? きつね亭は競合しているとはいえ、席数が少ない一店舗に過ぎないわ。きつね亭に近い店舗の売り上げはかなり落ちているでしょうけど、それ以外のお店にはさして影響はないはずよ?」
「たしかにその通りです。レナリック・ハンバーグの売り上げは全体でみるとわずかな下落でしかない。きつね亭に近いこの店舗は半減していますが無理にきつね亭を潰す理由はない」
「なら、どうしてここまでするの? 馬鹿にならない損を出してまで」
商売として考えるのなら、こんな馬鹿な真似はしない。
「我々は舐められると商売がやり辛くなる。先代のきつね亭がレシピを売ることを拒んだときには潰してやると決めていたのです。うまくいってたんですけどね、代替わりのタイミングで悪評をばらまいて、ハンバーグを扱うチェーン店を展開もして追い打ちをかけた」
「なっ、そんなことできつね亭を潰そうとしたんですか!?」
黙っていたアルネが怒声をあげる。
代替わりしたときに味が落ちたという噂が流れたのは、この男のせいでもあったのだから、冷静ではいられない。
「そんなこと? そんなことですと。ふむ、本当にきつね亭の方々は人を怒らせるのが上手ですね。……私はねえ、きつね亭の先代、あなたの父を許してはいません。今、思い出してもはらわたが煮えくり返る。さて、そろそろ行きましょう。あがくだけ、あがいてください。……あなたがたは、安くて美味しいものを目指して素晴らしい物を作った。だけど、結局安いだけの粗悪品に負ける。……私が正しかったことを証明してやる」
レナリックが去っていく。
その背中をにらみつける。
三セルンのハンバーグ。
ここまで値段を下げられると、もはやどうにもならない。
一シリンまで値段を落とすときはいろいろとアイディアが浮かんだけど、今回は無理。
客一人につき三セルンの儲けを出さないと百食捌いても利益が出せないのに三セルンで売るなんて、根本からおかしい。
「サヤマ様、きつね亭も対抗してハンバーグの値段を下げますか? むこうが値下げしている間だけでも値下げすればお客様は入ります。原価ぎりぎりで、儲けはでませんが材料は無駄になりません」
「だめよ。一時的な値下げっていうのは飲食店にとって禁忌なの。リニューアルのときみたいに、入念な準備をして継続的にする値下げならいいけど、その場しのぎの値下げは店の寿命を削りとるわ。……一度、安く売れば客はその値段でしか買わなくなるの。また値下げするだろうと考えて安売り期間が終わったら、値下げるするまで来なくなる」
リピーターを増やすために期間限定の安売りをする。それで一時的に客を増やし、安値で買った客たちがリピーターになり、安売りを終えても通ってくれる……そんなものは甘い幻想だ。
値下げして入って来る客はその値段でないと来ないし、今までの客まで離れていく。
客の認識が、安売りした値段が普通になる。
安売り終了後に客が減ると、また安売りするしかなくなり、店は死ぬ。
そうやって潰れた店をいくつも見てきた。
「そんな。なら、どうしたら」
「……今回は私にも答えがないの。まずは急いで戻りましょう。そろそろ戻らないと開店時間よ。こんなときでも来てくれるお客様を裏切るわけにはいかない。お店を閉めてから考えましょう」
いろいろと厳しい。
前回は時間も予算もあったけど、次はどちらもない。
二回目のリニューアルをすぐになんてできはしない。
そんななかで打開策を見つけないといけない。
「はい、ですね。やれることをやらないと。でも、悔しい、ずるいです。きつね亭を潰すためだけにこんなことをするなんて。お金の力できつね亭を潰すようなものじゃないですか!」
「そうね。だけど、レナリック・ハンバーグはきつね亭を潰すために毒に手を出した。この局面を乗り切れば、安売りをしてしまった毒が徐々に回り始めるわ」
彼らは地獄のふたを開けた。
衰退の道を進んでいる。
だけど、問題なのは向うよりまえにこちらの体力が尽きること。
レナリックが見抜いている通り、こちら側の体力は銀時計を売ったお金と、ここ最近のわずかな黒字だけ。
人を増やした後に、仕掛けられたのも痛い。
……いえ、偶然じゃない。レナリックはこちらが二人従業員を増やすまで仕掛けるのを待った。
そっちのほうが潰れやすいから。
頭を振り絞ろう。
私はもう、簡単に店を諦めたりしない。




