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第十二話:リニューアル二日目と客を捕まえる秘策

 二日目の営業が始まっていた。

 昨日の感触は悪くない。

 客入りは少なかったとはいえ、次に繋がっている感覚はあった。

 この調子でゆっくり、リピーターを増やして、口コミで評判が広まるようになれば一か月もするころには客入りも大きく改善するだろう。

 だけど、一か月も待っていられない。

 その動きを加速度的に速くする。


 そのために秘密兵器を用意した。

 きつね亭の前で簡単な屋台のようなものをセットしている。

 炭火のグリルに山積みにされたパン、そして昨日使い切れなかった肉種たちを氷と一緒に木箱に詰めてある。

 安く仕入れるため、ハンバーグの材料は長期購入契約を結んでいるため、ある程度の量をさばき続けないといけない。

 具体的には、一日百食分。

 昨日は三十食売れたので、七十食分の食材が余っており、それを使い切らなければその材料費がそのまま赤字になる。

 すでに昼時は終わっており夕方に差し掛かっていた。


「さて、そろそろ頃合いね」


 リニューアル前の一週間は情報収集も行っている。

 とくにこのあたりの交通量を念入りに調べていた。

 ここは大通りから一本外れているが、それなりに人通りが多い。

 特に夕食を買いに主婦たちが出かけ、学生たちの帰宅時間が重なるこの時間は人通りが一気に増える。

 そこを狙う。


 注文が来る前からグリルでハンバーグを焼き始めた。

 炭火で火を通したハンバーグに刷毛で特製ソースをたっぷり塗る。


 これは、アルネが作り上げたきつね亭特製ソースではない。私が作った照り焼きソース。

 市場で仕入れた醤油に似た豆で作られた発酵調味料をベースにして、各種スパイス、くず野菜ペースト、アバラ骨にこびりついた肉と脊髄からとった濃厚なスープで割り、蜂蜜で甘みを付けて片栗粉でとろみをつけて熟成させたもの。


 アルネのソースよりも美味しいというわけじゃないが、客を呼び止めるために必要な、とある魅力が圧倒的に強いからこそ、これを使う。

 炭火で肉が焼ける、美味しい音、そして照り焼きソースと肉汁の匂いが一気にあたりに漂い始めた。


 きつね亭の前を通り過ぎようとしていた人々が足を止める。

 できるだけ目立つように作ったポスターを気にもしなかった人たちも、これには意識を奪われる。

 店に客を引き付けるのに有効な手段、宣伝、口コミ、メニューの魅力。

 これらよりも圧倒的に強力で、即効性があるもの。


「それは香り」


 焦げた甘い照り焼きソースと、肉汁の香り。それを夕食前のタイミングで嗅いでしまえばたまらなくなる。

 アルネのトマトソースじゃなくて照り焼きソースを使ったのは、炭火でハンバーグを焼いたときの香りの強さが、こちらのほうが強いから。

 この時間帯で狙う客層ともマッチしている。

 育ち盛りの学生たちは腹を空かせていて、夕食前に軽く何かを食べたい。

 買い物に出かける主婦たちは、これだけ美味しそうな匂いがして安いのなら、晩御飯に買って帰ろうと検討している。

 そんな学生と主婦の胃袋を香りでがっしりと掴んで引っ張るのが私の狙い。

 真っ先に近寄ってきたのは学生たちだ。


「お姉さん、それハンバーグ?」


 ハンバーグという料理自体は知っているようだけど、その先は知らないようだ。

 この屋台で出すのはハンバーグじゃない。


「そうね、でもただのハンバーグじゃないわ」


 昨日のうちに大量に焼いたパンを切って、バターを塗り、レタスを乗せてから焼きあがったハンバーグを乗せる。


「ハンバーガー、食べ歩きができるハンバーグよ。一シリン(五百円)でボリュームたっぷりで美味しいわよ。こうがばってかぶりついて食べるの」


 ごくりっ、学生の一人の喉が鳴らす。

 こうしている間にも、照り焼きソースと肉汁の匂いがあたりに広がっている。

 じゅっと音がなった。肉汁と照り焼きソースが炭に落ちてひと際強い香りが周囲に漂う。


「一つ、ください」


 気が付けば、その学生の他にも何人か集まっていた。

 出来立てのハンバーガーを紙に包んで渡す。

 学生がかぶりついた。


「うまっ! すげえ、ハンバーグってこんなに美味かったんだ! パンもふわふわで、すげえ」


 ものすごい勢いで学生はハンバーガーを食べてしまう。

 あまりにも美味しそうに食べるものだから、それを見ていた誰かのお腹が鳴った。


「僕も一つ」

「私は二つ」


 学生たちが次々に注文をしていく。

 この香りをかがされた上に、目の前で美味しそうに食べられたことで我慢できなくなったようだ。


「これ、すごっ」

「甘くて香ばしくてたまんない!」

「すっげえ肉汁だよ!」

「レナリック・ハンバーグのハンバーグ食べたことがあるけど、それとは比べ物にならないわ」


 好奇心の強い学生たちは次々に買い、その場で食べていく。

 照り焼き炭火ハンバーガー。その威力に学生たちは夢中になっている。

 お代わりするものまで現れた。

 主婦たちは興味深そうに見ているだけで、買うのに躊躇しているようなので声をかける。

 彼女たちは学生と違って、買い食いには抵抗があるようだ。


「奥さま、このハンバーガーを持ち帰って今日の夕食にどうですか? 肉を焼きなおせば、それだけでご馳走ですよ」

「……そうね、一シリンだし、いいかも。こんなにいい匂いで、美味しそうだし。じゃあ、三つもらおうかしら」


 一人が買うと、遠巻きに見ていた他の主婦たちも買っていく。

 彼女たちには、紙袋ではなく紙箱に詰めて渡す。

 紙箱は当然紙袋よりもコストが高い。


 こっちは紙や印刷にかかるコストが、私の世界よりも数段高く、きつね亭のマークと名前、地図を印刷した紙箱なんてものは薄利多売で使うようなものではない。

 だが、それを使わないといけない理由がある。

 この屋台は、別に昨日売れ残った材料を使いきるためのものでもない。

 ハンバーガーで利益を出すつもりはない。

 この屋台そのものが宣伝のためにある。


「ねえ、私たちは夕食をゆっくり食べて帰りたいのだけど、お店でも同じものを食べられるのかしら?」

「もちろんです。店では同じ値段で、ハンバーグをパンとサラダをセットしてお出ししています。しかも、外で売っているものより美味しいソースを使っていますのでお得ですよ」

「あら、素敵ね。じゃあ、入らせてもらおうかしら」

「どうぞ」


 ハンバーグの香りにつられて興味を持ってくれた客も、持ち帰ったり、その場で食べたい客というわけじゃない。

 ゆっくりと、店内で食べたい客もいる。

 そういう客には、本当のきつね亭の味をしっかりと楽しんでもらうの。


「さあ、早く注文しないとすぐになくなってしまいますよ」


 気が付けば、ちょっとした行列ができていた。

 香りだけでなく、人だかりを見て何事かと集まってきた客も増えている。

 人だかりというのは、それだけで目立つ宣伝材料となる。

 美味しい香りがして、たくさんの人が押し寄せて、美味しいと叫んでいる。

 この光景を見れば、普段冒険しない客も試してみたくなる。

 これなら、昨日使い切れなかった七十食、全部売り切ってしまえるだろう。


 ◇


 二日目の営業が終わった。


「さすがに疲れたわね……。外での仕事はこたえるわ」


 外で売っていたハンバーガーは完売した。

 出だしから好調だったし、その後に労働者の帰宅ラッシュと重なったのも大きい。


 営業時間が終わるだいぶ前に肉が尽きて終了。

 やっぱり、照り焼きハンバーガーを炭火で焼いた香りは破壊力抜群だったようだ。


 この街の住人の好みともあっているようで、その場で食べていた人たちは絶賛していた。

 店を閉めて、椅子に座り、ハーブティを飲みながらアルネと店の外と店の中、双方の状況を語り合う。


「店内のほうはハンバーグが四十食ほど出ました。ステーキとシチューは十食づつぐらい。昨日より、お客さんが増えてます」

「いい傾向ね。明日はさらにお客様は増えるわ」

「そうなったら素敵です」

「いえ、必ずそうなるわ。そうなるように動いているの」


 きつね亭のハンバーグは絶品だ。一シリンであれを食べられると知れば、かならずもう一度足を運んでくれる。


「サヤマ様はいつも頼もしいです。それにお外の販売のほうはすごく好調ですね。初日で七十食なんてびっくり。材料がきれなきゃもっと売れていたんじゃないですか? いっそ、そっちに力を注ぐほうがいいかもしれません。明日は外に回せる材料が六十食分しかないですし、仕込みを増やしますか?」

「いえ、六十食でいいわ。あくまで外のはきつね亭に客を呼ぶためにやっているの。無理をして数を売る必要はないの。私の狙いは昨日説明したでしょ? 第一、紙袋なら三つで一セルン、紙箱に一セルンもかかっているせいで儲けも少ないから」


 私は苦笑する。

 一シリン(五百円)のハンバーグでだいたい三セルン(三百円)ほどの儲けがでるように作っている。

 だけど、紙箱で一セルンも金をかけてしまうと儲けは立ったニセルン、今日は七十食売ったが利益はたった一マルン(一万円)と四ラドン(四千円)。


 実際は、その場で食べる客も多く三分の一の価格で済む紙袋を多く使っているから、もう少し利益が出ているとはいえ、無駄な出費がなく、トッピングなどで利益幅が増える店内で食べてもらえるほうがいい。


「難しいですね。……でも、サヤマ様の読みが当たるなら、外で食べた客が中で食べるように変わっていくんですよね」

「そうよ。外で食べた客も、今度は中で他のメニューも食べてみたいって思ってくれる。何より、高いお金を払ってまで紙箱にきつね亭のロゴと地図を印刷したのは、買った人だけじゃなくて、それを受け取った人たちにきつね亭のことを知ってもらうためなの。美味しいハンバーガーを食べて、こんな美味しいものを売るのはどんな店だってきになったときに箱を見れば、その答えがわかるのよ」


 そのために、追加料金を払ってまで店の名前を印刷した。

 実際のところ、物を買うときに店の名前をいちいち記憶していない場合が多い。

 ハンバーガーを食べた人が、どこで買ったの? と聞かれてもうまく答えられず、きつね亭を知ってもらう機会が失われてしまう。

 それはあまりにももったいない。

 だから、ハンバーガーを持ち帰る箱に目立つようにきつね亭のロゴを書き、簡単な地図まで用意した。

 お土産にもらった人は次から一人で来ることができるようになる。


「勉強になります。香りで通り過ぎる人の足を止めて、それで持ち帰らせて、買った人以外にもきつね亭とその美味しさを知ってもらうってことですね」

「昔から、割と使われる手よ」


 強い匂いを周囲にばらまくので、日本でやるとクレームを受けたりする。

 今回は、近隣の店や家の人たちに許可を求めており、全員が快く許してくれたからこそできた。

 近隣の人々は、アルネの応援をしたいと言ってくれており、許可をもらえたのは彼の人徳によるものだろう。


「明日が楽しみです! 明後日も! どんどんお客様が増えてくれるんですよね」

「そのためにも仕込みを頑張りましょう。アルネ、ハンバーグの仕込み、しっかり頼むわ。私はパンを焼かないとね」

「あの、それで一つ頼みがありまして。サヤマ様のハンバーガー僕にも食べさせてくれませんか? 店の中にも、素敵な匂いがして、サヤマ様の作ったソースが気になって仕方なかったですし、なにより、見た目からして、ふわふわのパン、そっちもすごいなって思っていたんです!」

「それぐらいなら構わないさ。私たちの夕食はまだだったし、夕食はハンバーガーでいいかしら?」

「はいっ!」


 あまりに元気よく返事をするので、私は思わず苦笑してしまった。


 ◇


 予備のパンがあったので、今日の売れ残りの肉だねでハンバーグを焼き、ハンバーグを作り、アルネに渡す。

 さらに盛り付けてもいいが、ハンバーガーは手で食べるほうが美味しく感じる。


「これが、サヤマ様のハンバーグ。いただきますっ!」


 アルネがかぶりつく。

 そして夢中になって、顎を動かした。


「美味しいっ! すごいです、このハンバーガー」

「気に入ってなによりね」

「パンがふわふわで、溢れるハンバーグの肉汁をしっかり受け止めてくれて相性ばっちり。甘くてぴりっとするソースも食欲を刺激してとまらなくなっちゃいそう。それに片手で食べれる手軽さもいいです。……美味しすぎてちょっと悔しいです」

「照り焼きソースは香りと勢い重視で、完成度はアルネが作ったソースのほうが高いとは思うわよ」

「……たしかによく味わうとそうかもしれませんが、勢いがあります。若い人とかなら、こっちのほうが好きかも。それに、ハンバーグをおかずにしてハンバーグを食べるより美味しく感じます」

「それはハンバーグを挟むとき、上と下のパンの厚さを変えているからだ4:6。人間は上あごより下あごの方が強いから、この比率で挟むと食べやすいし、美味しく感じるの」


 これはハンバーガーを作るときの鉄則だ。

 こうすれば、まずいパンズでもそれなりに旨く感じられる。

 だからこそ、私はお洒落なサンドイッチじゃなくて、ハンバーガーにした。


「……いっそ、店の中でもハンバーガーにして出したほうがいい気がしてきました。美味しく感じますし、洗いものも少なくなります。それに早く食べ終わってくれて、いいこと尽くめです」

「それはどうかと思うわね。手軽さがハンバーガーの武器だけど、それだと外食のわくわくがなくなるし、きつね亭らしくない。外の出店ならともかく、中では雰囲気にそぐわないものを出すべきじゃないわ」

「難しいです」


 そう言いながら、アルネはハンバーガーをあっという間に食べきってしまう。


「あっっ、それから、気になる点は他にもあって、どうしてこんなにパンがふかふかなんですか」

「そっちは酵母を使っているからな。パンをふかふかにする魔法よ」


 パンを膨らませるのには酵母、あるいはドライイーストが使われるのが一般的。

 でも、そういうものがこっちでは一切使われていない。

 酵母を使わないパンはそれはそれで美味しいけど、酵母を使わないパンは固くてぼそぼそししまい、ハンバーガーには向かない。


 ハンバーガーに使うふっくらしたパンズを作るために、酵母が必要だったので自作した。

 酵母をパン生地に加えると、発酵し生地内に炭酸ガスの気泡ができ、生地の温度が上がるにつれて生地は膨張し弾力のある生地になる。

 オーブンに入れた後もしばらくは膨らみ続けるので、パン酵母のおかげでパンにボリュームがでてふっくらと美味しい食感になる。現代のパンには必須なものだ。


「魔法ですか……残念です。僕、魔法は使えなくて」

「ただの比喩よ。酵母っていう材料を一つ加えるだけで、生地に空気を入れてふわふわにできるの。これよ。作るのに四日ぐらいかかったわ。時間はかかるけど簡単に作れるのよ。材料は、果実類と糖液だけ」

「瓶のなかがしゅわしゅわしてます」


 瓶にレーズンと糖液を加えて、一日に何度かふり、蓋を開けて空気を入れるというのを四日放置する。

 すると、レーズンに付着していた酵母が増殖する。

 酵母を使いたいときは、こう酵母液をパン生地に加えればいい。


「そうね、酵母を使ったパンの作り方。それから、酵母作り、一緒にやってみようか?」

「はいっ、お願いします! ハンバーグのセットのパンが美味しくなれば、お客さんも喜んでくれると思いますし」


 ほんとうにこの子は熱心だ。

 結局、明日の分の仕込みが終わってから、パンと酵母教室をしたので、全部が終わったのは深夜になった。


 アルネは酵母作りに興味津々だった。

 酵母を作る際に使う果実によってパンの味が違う。

 今回はがっつりと重い肉料理をさっぱり食べるために生地自体に爽やかな酸味がほしくて、レーズンを使ったとアルネに説明する。


「なら、いろんな果実で酵母を作って、一番きつね亭のハンバーグに合うパンを作りたいです」


 彼は目を輝かせて答えた。

 とりあえず、このまま店内にある材料を片っ端から試しそうな勢いだったので、無理やり寝かした。

 熱心なのはいいけど、明日のことを考えるとしっかり休んでほしい。

 ハンバーガーが客を呼んで、店内のほうも今日以上に忙しくなるだろうから。

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