第十一話:リニューアルオープンとまねかねざる客
いよいよきつね亭のリニューアルオープン当日になった。
どうしても緊張してしまう。
この日のためにできることをすべてやったとはいえ、努力は必ず報われるとは限らない。
私ですら緊張しているのだ。アルネはもっと緊張しているだろう。彼は掃除をしているが、少し気合が入りすぎて、あぶなかっしい手つきだ。
「アルネ、気負い過ぎよ」
「うう、どうしても、こうなっちゃいます。怖いのと、わくわくが一緒になって不思議な感じがして」
「その気持ちはわかるけど、落ち着きなさい。そろそろ開店しましょう。練習したとおり、美味しいものを作ることだけを考えなさい」
アルネの方にぽんっと手を置き、店を開いた。
◇
一日目は大して、盛り上がらない。
そういう読みをしていたが……その通りになった。
リニューアル前のように、ほとんど客が来ないわけではなく、
八百屋の親父さんに頼んで、目立つところにポスターを張らせてもらい、それがきっかけになり、初めての客が来てくれていた。
昼時はそれなりに客が入ったけど、それが終わると客足が消え、今のお客様が帰ったことで、店には二人きりとなる。
値段が安くなっても、客があまり入らない理由はいくつか考えられる。
第一に、そのポスター自体が視界に入ってない。人間というのは興味がないものは目に入っても認識されない。
第二に、レナリック・ハンバーグと同じ値段でしかない。さらに安いのならともかく同じ値段であれば、いつもの店を選ぶというのも人間の心理。食べ物であまり冒険をしたくないという人は多い。
アルネが口を開く。
「いつもよりはお客さんが入ってくれてますが、まだまだ駄目ですね」
「予想していたことよ。安くて美味しいハンバーグが出来たことを広められていないの。だけど、これから変わっていくはずよ。お客様の顔を見たでしょう?」
まったく手ごたえがないわけじゃなかったのだ。
「はい! すっごい勢いで食べて、美味しいって言ってもらえて、それからまた来るとも! 最後のお客さんなんて、これだけ美味しくて、本当に一シリンでいいの? なんて言ってくれました!」
安いから、あるいはレナリック・ハンバーグでしかハンバーグを知らないゆえに味にはあまり期待をせずに入った客たちは、そのうまさに驚愕していた。
あの様子だと、また来てくれるし口コミで広めてくれるだろう。
「地道な作業になるけど、こうやって好きになってくれるお客様を増やしていけば人気店になるわ。だけどね、それをただ待ってはいられないわ。それだとあまりにも遅すぎる。今日は新しいメニューに慣れる必要があるから、あえて仕掛けなかったけど、明日は思いっきり仕掛けるから覚悟をしておいてね」
「仕掛けですか?」
「ええ、こうして待っているだけじゃ食べに来てくれない客を一気に引き寄せるための必殺技があるのよ。客が知らない店に入るのはどういうときだと思う?」
日本じゃいろいろと規制が厳しくできない手がある。
リニューアルオープン前にはお隣さんに、何をするか話しており、許可もとっているので抜かりはない。
「えっと、メニューを見て美味しそうだって思ったとき、美味しいお店だって教えてもらっとき、あと初めてのお店だからって興味本位で入ったりですか?」
「うん、間違ってはいないわ。メニューを見ただけやなんとなくで入るお客様は少ない。口コミが広まるには時間がかかる。だからこそ、手っ取り早く、なおかつ効果的に客を引っ張る方法を使うの」
見た目、宣伝、口コミ。これらに加える第四の集客。
それを明日から仕掛ける。
「そんな魔法みたいな方法があるんですか!?」
「ええ、あるわ。でも、それは明日になってからのお楽しみ。だから明日は忙しくなる。私はそっちで忙しくなるから店のほうはアルネ一人に任せることになるけど大丈夫?」
「えっ、その無理です。お客さん、たくさん来るんですよね。さすがに、一人でたくさんのお客さんは無理です」
「大丈夫よ。客は来るが、すぐに帰るから」
アルネがいくつものクエッションを頭に浮かべる。
あとでゆっくりと説明せよう。
「それから、明日の仕込みについてだけど」
「今日、多く作りすぎちゃった分、明日は減らすんですね」
きつね亭では、ハンバーグは注文を受けてから焼くが肉だねはあらかじめ作っておき、木製の冷蔵庫で冷やしておく。
その肉だねは作って二日で捨てる。明日も売れ残れば捨てるしかなくなる。
「いえ、今日と同じ数作ってほしいの」
「ものすっごく余っちゃいますよ!?」
「大丈夫よ。私を信じて」
これも、仕掛けるのを明日にした理由の一つだ。
アルネの仕込めるハンバーグの数に限りがある。だから、今日は余らせて明日たくさんのハンバーグを作れる体制を整えたかった。
「わかりました。でも、明日まで待つなんてひどいです。気になりすぎて仕事が手につきません」
「そう、仕方ないわね」
これ以上、じらしても可哀そうだ。
私の考える秘策を教えよう。
そうして口を開こうとしたとき、扉が開き客が現れた。
来客はうれしいのだが、相手にもよる。
レナリック商会の主がやってきた。
「おやおや、昼時が終わったと言っても客が一人もいないとは。起死回生の値下げも無駄だったみたいですね」
まるまると太った顔で嫌味を告げてくる。
「商売をやっていればわかるでしょ? リニューアルして店が良くなっても、その情報が広まるのに時間がいるわ。そんな素人みたいなことを言っているとあなたの商会の評判がさがるわよ?」
「まあ、そうでしょうけど、いくらなんでもこれじゃね」
私の軽い嫌味もひょうひょうと受け流す。
ただの嫌な奴じゃなく、この男はやり手だ。そうでないと、レナリック・ハンバーグを瞬く間に次々と開店し、流通網を整えて安く提供するなんて真似はできない。
「客じゃないなら帰ってくれない?」
「もちろん、客ですよ。ハンバーグをもらいましょう。きつね亭の資本で、一シリンのハンバーグなんて、どんなゴミが出てくるのでしょうかねえ。話のタネに試してみましょう」
レナリック・ハンバーグは質の悪い部位を使っているのもあるが、何より生産者からの大量買い付けでコストを下げている。
彼はきつね亭の値下げは質を落とさない限り不可能と思い込んでいる。
「どうしましょう、サヤマ様」
「新しいハンバーグを作りなさい。レナリックさんは客としてきたのよ。だから、いつも通りきつね亭のもてなしをするべきね」
アルネの顔は敵に手札を知られたくないと言っているが、どうせ隠したってすぐにばれる。
明日以降、きつね亭のハンバーグの評判は街を駆け巡るだろう。
「わかりました」
アルネが厨房でハンバーグを焼き上げ、特製ソースをかけ、サラダとパンを添えて提供する。
それは、私たちが苦労して造り上げた安くて美味しいハンバーグ。
レナリックは匂いを嗅いで、首を傾げる。
美味しそうな匂いがして不思議なんだろう。彼はわざとらしくすぐに口の中のものを吐けるようにナプキンをフォークとは反対の手に取って口に含んだ。
彼が目を見開く。
「……うまい」
そして、思わず口にした言葉に苛立ち舌打ちをする。
彼は忙しくナイフとフォークを動かして、ハンバーグを食べ終えた。
特製ソースをパンですくって食べて、皿はぴかぴかに。
こちらのお腹が空いてしまうぐらいの食べっぷりだ。
「何を考えている? きつね亭さんはうちと違って小売りから仕入れているはずだ。一シリンでこんなうまいハンバーグを作れるわけがないでしょう。上質でほどよく脂が入った赤身肉。一シリンじゃ材料費にもならない」
「レナリック・ハンバーグと違って、安くておいしいがきつね亭のポリシーよ」
レナリックはいい舌を持っているようだ。
「自棄になってしまったのですね。こんなもの売れば売るほど赤字がでるでしょうに。すぐに借金が膨らんで首が回らなくなる」
「それはどうかしら? きつね亭じゃ酒なんかも扱っているし、トッピングでも利益は出せるわ」
「ほう、そんな浅知恵をこの子に吹き込んだのですか。ハンバーグは赤字で出し、サイドメニューで儲ける。……悪いことは言わない。やめておきなさい。そういう戦略もありだが、ハンバーグという商材じゃ成立しない。傷口が深くなる前に、店を売ることをお勧めしますよ。アルネさん」
その言葉にアルネが首を横に振る。
「僕は戦うと決めました。最後の最後まできつね亭を守るために。そのために一シリンで美味しいハンバーグを作ったんです!」
「……忠告はしました。では、これで」
レナリックが帰っていく。
その眼は冷たい商人の目だ。
このハンバーグを食べて、ある程度の危険を感じたらしい。きっと何かしらの手を打ってくるだろう。
扉が閉じ、レナリックが見えなくなった。
「あの、どうして売れば売るほど赤字だって言われた時に否定しなかったんですか? うちのハンバーグは利益がでるメニューです」
「そっちのほうが都合がいいからよ。あそこで本当のことを言ったら調査して、真似されるかもしれないわ。いずれはばれるだろうけど黙っておいたほうがいいの。サイドメニューで儲けるってのも間違ってはいないしね。嘘をつくつもりはないけど、勘違いを指摘してやるほどお人よしでもないわ」
「サヤマ様って、たまに意地悪ですよね」
「……おっと、雑談をしている暇はなくなったわ。またお客様が来たわよ」
私たちは私語をやめる。
少しでもリピーターを増やすために、しっかりともてなさないと。
◇
リニューアル二日目がやってきた。
一日目は、盛り上がらないと予め言っていただけにアルネは落ち込んでいない。だけど、二日目もダメなら彼は落ち込むだろう。気合が入る。
頼んでいたものが届き店の前に設置される。
それは、外でも使えるグリル。
炭がごうごうと燃えている。
販売と調理に大きな机が置かれており、机の下にはきつね亭のロゴが印刷された紙袋が詰まった箱と、平べったいパンが敷き詰めた箱があった。
これこそが、宣伝や口コミ、見た目よりも本能に訴える集客の切り札。
今日は店はアルネ一人に任せ、ここが私の戦場となる。




