第十話:美味しい料理と素敵な内装
きつね亭の新たな看板メニュである安くて美味しいハンバーグ作りが始まりってから三日経った。
新しいハンバーグ作りはアルネに任せている。
ハンバーグの基本レシピは固まった。
あとは、微調整を繰り返していき、各材料の分量の見極めと、それにあうスパイスの調合。
それにかかりっきりのアルネの代わりに、料理以外のことを請け負っている。
リニューアルオープンまで時間がない。
安くて美味しいものを作れば客が押し寄せるほど商売は甘くはない。
いくらいいものを作っても、知ってもらわないとお客様はやってこない。
美味しくて安いものがあると声をあげて周知しないといけない。
それに、変えないといけないのは料理だけじゃない。
料理の味を心行くまで味わえるように内装を工夫しないといけないし、薄利多売を行うには、回転率を上げるためにいろんな工夫が必要だ。
「ふう、これで注文は全部終わりと。予算がそろそろまずいわね」
宣伝や、業者に発注が必要なものはあらかた手配が終わったので、今はきつね亭の内装のリニューアルを考えていた。
きつね亭にある机や椅子といったインテリアは大きく変える必要はない。
レナリック・ハンバーグのように、最新の流行を取り入れた新品でぴかぴかのインテリアはない。
だけど、掃除と手入れが行き届ているし、古くてもしっかりとしたものばかりだから、老舗ならではのレトロな魅力が感じられる。変に、流行りものを取り入れてこの空気を壊すことはないだろう。
一番の問題は座席が多すぎること。
厨房の広さ、ハンバーグの調理時間から最適解を計算する。
……よし、テーブルを三つ減らそう。
そのぶん、広々と空間を使う。
配置ももう少し考えないと、少しでも配膳がやりやすくし、厨房から客の様子が見えるように。
図面に新たな配置図を書き記す。
内装というのは、軽視しがちだが客の満足度を考えた上で重要な要素で、手は抜けない。
一通り、配置図を書き終えた。
店主であるアルネに許可をとらないと。
彼がいる厨房に向かおうとしたら、その本人がこっちにやってきた。
少しやつれている。ずいぶん根を詰めているようだ。
だけど、目は生気に満ち溢れている。
過労で倒れたときとは違い、今の彼は希望のために頑張っているからこその表情だ。
「サヤマ様、新しい味を見つけるって大変ですね、スパイスを変えたら、お肉の割合を変えたくなって、そっちを弄ると次はソース、ソースをかえるとやっぱりスパイスって、どれかを弄ると、どこかに歪みがでます」
新しい味を作るとき、全体の調和を取るのが一番難しい。
普通は変える部分を決めて、それ以外はがっちり固定しておくものだが、アルネはすべてピースがぴったりとはまる最高の答えを探している。
だからこそ苦労している。
だけど、それがきつね亭の新しいハンバーグには必要なことだ。
「それをやり遂げれば、アルネはシェフとして成長するし、今よりきつね亭が好きなるはずよ」
「はい! すっごく大変だけど楽しいんです。それでですね、サヤマ様にいくつか聞きたいことがあって」
彼の質問に快く答える。
鋭い質問ばかりだ。アルネはよく鍛えられているし、努力家で、教え甲斐がある。
直接手を貸すことはしないけど、彼が求める答えを見つけるためのヒントぐらい出すようにしていた。
「勉強になります。サヤマ様の引き出しってすごいですね」
「私の世界じゃ、勉強するのに必要なものが山ほどあったの。本がたくさん出回っているし、シェフ同士の情報も活発だったわ。学ぼうって思えば、いくらでも学べたのよ」
「羨ましいです。料理の本って、どれも高くて手がでないし、サヤマ様以外のシェフはみんな自分の技術を秘密にしちゃいます」
「そういうシェフは私の国にも多いけど、そうじゃない人が集まる場所があるの。みんなで情報を交換し合えるから、結局、他人に真似されないように殻に閉じこもる人たちよりも腕が上がるのよ」
「いつか、僕もそんな場所に行きたいです」
こっちと違って、私の世界には資料、ネット、教師、ライバル学ぶのに必要なものが段違いにある。
恵まれた時代に生まれたものだと、改めて思う。
「サヤマ様、その図面はなんですか?」
「リニューアルオープンするときに内装を変えようと思っていてね。この図の通りにテーブルの数を減らそうと思うの」
「減らしちゃうんですか? 薄利多売でお客さんをたくさん必要なのに」
「だからこそよ。薄利多売と言っても、お客様を不快にさせて、二度と来たくないと思わせれば終わりよ。安定して売り上げを出すには、リピーター率がとっても大事なの。断言してもいいけど、今の席数じゃ、お客様を怒らせてしまうわ。私たちだけじゃさばききれない席数なの。どんな状況でも、ニ十分以内に客にハンバーグを提供できる限界の席数がこれね」
ハンバーグの一度に焼ける数と調理時間をもとに、客の流れを逆算すると、どうしてもこの席数が限界となる。
ニ十分というのは客が大人しく待っていられる限界と言われる時間、それを超えると急に客の不満が爆発する。
十分で怒り出すような人も、三十分でも平気で待つ人もいるけど、そこが普通の人が待てるラインだ。
「お店に入ってから、ハンバーグをニ十分で出せるような席数にしぼっても、結局店に入れないで外で待たせることになっちゃいますし、外で待たせるぐらいなら中で待ってもらったほうがお客さんも楽だし、不満を感じないんじゃないですか?」
「それは違うの。私が恩師の言葉をあなたにも伝えるわ。一時間がニ十分より長いとは限らない」
これはファミリーレストラン等ではマニュアルにも書かれている常識だ。
「お客様は店の中に入って席についた時点でサービスを受ける立場になったって考えるのよ。席に着いてから料理が出るまでに三十分かかれば激怒するけど、外で三十分待たされて、中に入ってすぐに料理がでれば、さほど悪感情は抱かない」
だからこそファミリーレストランでは、厨房がパンクしたら、わざと客が帰ったあとも席を片付けずに厨房が正常に回るようになるまで外で客を待たせる。
店内では待たせない。それが商売の鉄則だ。
だからこそ、客を入れておいて料理が提供できない席数を用意するべきじゃない。
「やっとわかりました。店の中で待たせちゃうと、料理がでるのが遅い店って思われて二度と来なくなるけど、外で待たせて店に入ってからがすぐに料理がでると、すぐに料理がでる店だから、また来ようとって思ってもらえるってことですね」
「正解ね。人を雇ったりすれば席数を増やせるけど……今の状況でそれも難しいしわね。減らした席数でもうまく回せば百食が達成できるわ。それに席数を減らすメリットはこれだけじゃないの。……外で待たせて行列ができればいい宣伝になる」
アルネがまたまた首をかしげる。
行列ができることをマイナスとしかとらえていないみたいだ。
「行列ができたら、待つのが嫌なお客さんを逃がしちゃいますよ」
「逃げるお客様もいるけど、行列を見て待ってでも食べたい人がたくさんいる店だって並ぶお客様も多いわ。それに一度行列を避けても、そんなに人気がある店なら、空いてるときに入ってみようと覚えてもらえる。覚えておきなさい。行列は、もっとも効果が高い宣伝方法のひとつよ」
回転率が高い店だとこれも常識だ。
ひどい店になれば、わざと回転数を落として意図的に行列を作ったりもする。
「勉強になります。そんなこと、今まで考えたこともなかった。でも、納得しました。その席数でいきましょう!」
「それから少し値段がはるけど、扉をガラス張りにして中を視えるようにしたいわね。中の様子が見えないと怖くて入れないってお客様も多いのよ」
とくに女性の一人客なんかの場合は、外から中が見えない店は危険だから絶対に入らないって人が多い。
「お任せします! サヤマ様のセンスを信じていますから」
「任されたわ。なんとか銀時計を売ったお金でリニューアルはできそうよ」
切り落としとハラミを手に入れる長期契約も、アルネが研究に没頭できるのも、内装を弄れるのも、宣伝活動ができるのも予算があるからだ。
予算が十分にあるというのも、一つの強みと言える。
お金がないと何もできない。
「それなんですが、こんなものを用意しました」
アルネが一枚の書類を渡してくる。
「……読めないわ。なんて書いてるか教えて」
「借用書です。僕がサヤマ様から650マルン借りたって書いてます」
「あのお金は共同経営者として出したお金よ。貸したわけじゃないわ」
「ダメなんです。サヤマ様に甘え過ぎたら。きつね亭は僕の店ですから。二人で経営するにしても、しっかりしないと」
苦笑する。この子は強いな。
始めた会ったとき、努力もせずに神頼みをする奴は好きじゃないと言ってしまったけど、本当にとんだ勘違いだった。
「わかった。そういうことにするわ。なら、この前言っていた利益の半分をくれるって話は辞退をさせて」
借金させた上に、利益の半分をもらうなんて良心が痛む。
「何言っているんですか? そっちも払いますよ」
「……アルネ、それはしっかりしているを通り過ぎて、ただのお人よしよ。きつね亭を守るためにも出さなくていいものまで出そうとしないで」
「だけど、サヤマ様がいないと何もできませんでしたし」
結局、私の報酬を減らすために必死に説得し、650マルンは私が貸した形にして、私自身は雇われシェフとして平均的な給料をもらう形にした。
お金をもらったからにはしっかりと仕事をしよう。
内装の変更なんて、数ある改善の一つに過ぎない。
まだまだきつね亭は良くできる。
◇
いよいよ、きつね亭リニューアルの前日になった。
内装も今まで培った客の心理を利用したもので納得いくところまで改善した。
そして、きつね亭のハンバーグを知ってもらうための数々の宣伝活動も上々だ。
ずいぶんお金を使ったが、必要経費だ。
ただ、一つ大きな問題が残っている。
それは、肝心のハンバーグができていないことだ。
きつね亭のメニューは回転数重視で四つに絞ると決めた。
・ハラミステーキ
私が以前作ったハラミステーキの改良版。前日に特製のタレにつけ込んでおき、レアに焼き上げてからレモンバターを乗せて提供する。
上質な赤身肉の美味しさと歯応えを楽しみ、足りない脂の美味しさをレモンバターで補強しつつ、酸味で重さを感じさせない。
・きつね亭シチュー。
もともときつね亭の人気メニューだったシチュー。試作をしてみたところ切り落とし肉をとろとろに煮込めば美味しく提供できるので、以前より値段を下げて提供する。ただ、切り落とし肉に限りがあるので一日二十食限定。
・きつね亭ハンバーグ。
昔ながらのきつね亭のファンのため、そして晴れの日に食べる特別なハンバーグとして以前と同じ値段として提供する。
・ハンバーグ。
そして、安くて美味しいを目指して作り上げた新しいハンバーグ。
きつね亭ハンバーグ以外は1シリン(五百円)。きつね亭ハンバーグは1ラドン(千円)にして会計を楽にする。
トッピング類はチーズ、半熟卵、ガーリックフライの三種類を1セルン(百円)で販売。
チーズ、半熟卵、ガーリックフライはハラミステーキにも使える。単価が安いきつね亭では、これらで利益が生命線。
あとは夜はお酒も用意する。もちろん、これも単価を上げるためだ。
「……そろそろ時間切れね。このままハンバーグ完成しないと、リニューアルオープンを延期しないといけないわ」
ハンバーグ以外のメニューも安くて美味しくて魅力的なのだけど、いかんせんメインとなるハンバーグがなければ、戦いようがない。
彼に現状を聞きに行こう。
厨房を覗く。
私の気配に気付いて、アルネが振り向いた。
その目は輝いていた。
もう、完成したかなんて聞かなくてもいい。この表情を見ればわかる。
「ついにできました! お肉の割合も、スパイスの調合も、特製ソースも、全部が調和した新しいきつね亭のハンバーグ。僕の味だって自信をもって言えるハンバーグが!」
よほどうれしいのか、アルネが私に抱き着いてきて、できたできたと連呼する。
彼に抱き着かれるのはうれしいのだが、ちょっと気恥しい。
「その、そろそろ離してくれないかな?」
「あっ、その、ごめんなさい。僕、うれしすぎておかしくなっちゃいました。その、食べてください! 最初はサヤマ様がいいんです!」
「喜んで」
彼がそこまで言うハンバーグだ。
食べたいに決まっている。
あのハンバーグをどこまで進化させたのか知りたい。
アルネがハンバーグを焼き上げ、彼が作り上げたスープをベースにした特製トマトソースをかけて皿に盛りつける。
パンとサラダまでつけて、たった1シリン(五百円)で提供する、安いハンバーグ。
だけど、見た目からは安っぽさはまったくなく、見るからに美味しそう。肉とスパイスの香りが食欲をそそり、胸が躍る。
ナイフで切って口に運ぶ。
しっかりと肉の歯ごたえがあり、噛みしめると閉じ込められていた旨味が溢れる。
トマトソースが口の中で溢れ出た肉汁と一つになり、旨味が爆発する。
うまさの組み立ては、かつてと一緒。
だけど、一つ一つの要素が洗練され、それでいて完璧に調和していた。
「とっても美味しいわ。よくやったね。これほどのものを作れるとは思っていなかったわ」
「合格ですか?」
「二重丸をあげるわ」
「やった! これで、きつね亭はよみがえ」
そこまで言ってふらついたので支える。
この子は、また倒れるまで頑張ったのか。
でも、今回は責めない。ここまでがんばらなければ、この味ができなかった。
安くて美味しいハンバーグの理想形。
これほどのものを作ったんだ。負けるわけにはいかない。
私が勝たせてやる。
「きつね亭は蘇るわ。……ただ、すぐに成功するとは思わないで、リニューアルオープン一日目はあまり変わらず客は来ない。二日目に変化が出始めて、三日目で客が入りだし、どんどん客が増えて行って、七日目で爆発する」
「なんですかそれ。まるで予言じゃないですか」
「私の予言は良く当たるわ。だから、リニューアルオープン一日目、客がぜんぜん来なくても落ち込まないで。むしろ、計画通りだって笑っいなさい」
「わかりました。って言いたいですけど、やっぱりお客さんがこないと落ちこんじゃいそうです」
私たちは笑いあう。
さあ、戦力は整った。やるべきことをやった。
このリニューアルオープンで勝負を仕掛けるのだ。




