第九話:守り抜くものと変わっていくもの
リニューアル際に、どうしても変えないといけない部分、それをアルネに今から話す。
彼にとっては苦痛かもしれないけど、それでもやらないといけない。
「アルネ、きつね亭のメニューについて相談があるの。本気で安くて美味しいを目指すなら、メニューを絞らないといけないわ。ハラミステーキはいいけど、基本的にハンバーグに使う材料で作れないものはすべてカットしないと。理由はわかるわね?」
きつね亭のメニューは、看板メニューのハンバーグ以外にも数多く存在する。
その一つ一つにこの店の歴史と作り上げたシェフの努力とプライドが詰まっている。
それを捨てろと私は言っている。
「……ロスを出さないためですね。いくらハンバーグの原価を下げて、薄利多売で儲けても、売れない他のメニュー用に仕入れた材料を捨てることになれば赤字です。儲けが少ない、安くて美味しいを目指すなら、わずかなロスが致命傷になってしまう」
こくりと頷く。
仕入れる材料が多いほどロスは増える。
それを許容していては、安くて美味しいが破綻する。
「正解よ。それにメニューを絞るのはお金の問題だけじゃないの。二人で一日百食を達成するだけの回転効率を目指すにはメニューを絞らないと無理ね。メニューが多いと客が悩んで滞在時間が伸びるし、調理効率が落ちて提供に時間がかかるわ。仕込みだって、追いつかなくなるわね。これは努力や工夫じゃどうにもならないわ」
酷なことを言っているのは理解している。
だけど、一つたった一シリン(五百円)で売るなら何一つ甘えは許されない。
極限まで切り詰めて、初めて薄利多売なんて方針が成り立つ。
この点において、一歩も譲るつもりはない。
「はい、メニューを絞ります。鶏肉と豚肉を使うメニューは全部諦めます。牛肉のメニューも何を残せるか、相談させてください。ハラミと切り落とし肉で代替できるか、僕一人じゃ判断しきれないんです」
彼は私の提案を受け入れる。
それは消してしまうメニューに愛着がないからじゃない。
実際、彼は白くなるほど拳を握り締めていた。彼は、自分の命を削ってでもこの店を守るほど、きつね亭を愛しているのを私は知っている。
「……ごめんなさい」
「どうして謝るんですか? サヤマ様は正しいです」
「正しい、でもそれは感情とは別の問題よ。だから、ごめんなさい。それから、言おうと思ってたことがあるの。元々のきつね亭のハンバーグはメニューに残すべきね。高級ハンバーグとして今までの値段で。もちろんロスが出ないように、限定メニューにして仕入れは最低限にするわ……せいぜい一日五食限定ね。私たちが作る新しいハンバーグは安くて美味しく作るけど、でもとびっきり美味しいメニューも必要だし、あれを必要とする人もいるわ」
普段は一シリン(五百円)のハンバーグを食べて、そして特別な日に一ラドル(千円)のハンバーグを食べるなんていうのもありだと思う。
私は祖父が作り、きつね亭の人たちがよりよくしたあのハンバーグを尊敬している。
アルネの顔が輝く。
「わかりました! なら、高いハンバーグはきつねハンバーグで、新しいのはハンバーグにしましょう!」
「面白いわね。それでいいと思う」
きつねハンバーグだけじゃ忘れられる。
だけど、新しいハンバーグがあれば、きっとそれをきっかけにあのハンバーグを食べてくれる人が現れる。
◇
食事を終えた私たちは、ハラミ肉を使ったハンバーグを作る。
ハラミ肉はあらびきにする。
ハラミの食感を残し肉を食べている感覚を強調する。
逆に切り落とし肉は丁寧にミンチに。
その二つを混ぜ合わせる。
そこに、炒めたタマネギとニンイクを加え、きつね亭特製のスパイスを加えて、祖父流のやり方で焼き上げる。
新たなハンバーグが完成した。
「美味しそうです。とってもいい匂いがします」
「そうね。これを一シリンで売れる値段で作れたのは奇跡ね。食べましょう。美味しそうじゃなくて、美味しいってことを確認しないといけないわ」
肩ロースに比べ、切り落としもハラミ肉も仕入れ値は四分の一。当然、原価は大きく下がった。
口に含む。
アルネが私の顔をキラキラした瞳で見つめている。
安いのに、それは本当に良く出来た美味しいハンバーグ。
さすがに上質な肩ロース肉を百パーセント作ったハンバーグには劣るが、その差はわずかなものだ。
ハラミ肉は赤身として一級品であり、切り落とし肉はハラミ肉の欠点である脂肪分のなさを補っているからこそ、安価にこの味が出せた。
「美味しいです。すっごく! これならきつね亭のハンバーグとして出せます。それに安い」
「原価計算をしっかりしてみましょうか」
アルネと話し合いながら、しっかりと肉やスパイス、野菜の仕入れ値まで厳密に計算していく。
そして、出た結果は……2セルン(二百円)。これなら1シリン(五百円)で売っても3セルンの利益が出せる。トッピングを頼んでもらえれば3.9セルンの利益。商売として成り立つ。
いや、待て。
「……とんでもないミスをしたわね。きつね亭はパンとサラダも一緒に出すわよね」
「あっ、うっかりしてました。でも、あのパン、週に一回僕がまとめて焼くから安いですし、サラダも量が控え目なので、合わせても二人分で一セルンぐらいです」
「それなら、ぎりぎりいけるかも。……いや、もう少しだけ原価を下げれるかもしれない。一番簡単なのは量を削ることだが、それはいやなのよね?」
かなり雑な話になるが、例えば200gで提供しているこのハンバーグを150gにすれば、それだけで25%ほど原価を抑えられる。
「このボリュームは維持したいです。お腹いっぱいもきつね亭のもっとーですから」
「なら、こういうのはどう?」
まだ試していないことが一つあった。
このハンバーグは美味しい。だが、若干うますぎる。肉の味が強すぎるのだ。
それを調整する。
取り出したのは市場で買った大豆に煮た野菜。
それを下ゆでしてからすり潰したものをハンバーグの肉種に加える。
全体の一割ほどだ。
レナリック・ハンバーグは芋をかさましに使っていたが、それとはまったく意味が異なる。
豆腐ハンバーグなんてものがあるが、大豆とハンバーグの相性はいい。大豆の旨味成分はグルタミン酸、トマトと同じく肉の持つイノシン酸と相性がいい。
加えすぎれば、肉の食感を損なうが、一割程度ならむしろ全体がふんわりする効果がある。
これで、原価が若干安くなり、パンとサラダの分を相殺できる。
「食べてみて」
「……あっ、食べやすくなりました。それに、美味しくなった気がします。野菜を混ぜたのに、不思議です」
「混ぜすぎると台無しになるけど、豆の旨味は肉と相性がいいの。量は微調整したほうがいいわね。微調整が必要なのは豆だけじゃないわね」
「ですね。まだまだ、このハンバーグは美味しくできると思います」
「基本が出来たところが入り口よ。ここからが長いわ。ハラミ肉と切り落とし肉と豆、それぞれの分量を再検討して、最適解を見つけないといけない。それも、アルネが作っているスープを使ってできるソースとの相性も考えてね」
ここから先の作業は気が遠くなるほどの試行錯誤が必要だ。
試作品だから、勘で分量などを決めたが、最適解を見つけないと店では出せない。
「すごく大変です。だけど、わくわくします。こんなに安くて、美味しいのに、まだまだ美味しくできそうなんて」
アルネは料理人に向いている。
そういうことを考えられないと、この業界ではやっていけない。
「わかっている? きつね亭のスパイスも配合を変えないといけないのよ。あのスパイスはあくまで、今までのハンバーグのためにできたものよ。新しいハンバーグには、新しいハンバーグように調合しないと美味しくならないわ。アルネ、それは君が作るべきよ。理由はわかるかな?」
「もちろんです。サヤマ様の味じゃなくて、きつね亭の味にするためですね」
「できる?」
「すごく大変ですけど、やらないといけません! きつね亭の味を作るのは僕の仕事です」
よくわかっている。
きっと、こんな彼だから手を貸したくなったのだろう。
「難しいところばかり押し付けて悪いわね」
「いいえ、それを任せてくれるサヤマ様の優しさが大好きです。来てくれたのがサヤマ様で本当に良かった。サヤマ様はきつね亭の味を、いえ、僕の味をすごく大事にしてくれる。その気持ちが嬉しいんです。ゴールが見えたら、あとは走り続けるだけです! 見ていてください、絶対に僕は答えを見つけ出しますから!」
アルネが立ち上がって厨房に行く。
彼の言う通り、あとは、もう研究し、答えを見つけ出すしかない。
きつね亭が再び開くまであと五日。
五日というのは、新しい答えを見つけるにはあまりにも短い。
だけど、彼ならやってくれる。
「楽しみね」
「何がですか?」
「アルネが作る新しいきつね亭の味が。完成したら最初に食べさせてくれる?」
「もちろんです! きっとサヤマ様に美味しいって言ってもらえるものを作り上げますし、僕は誰よりもサヤマ様に食べてほしい!」
私は頷き、微笑んだ。
さて、ここからハンバーグを完成させるのは彼の仕事であり、私ができることはない。
だからこそ、残りの五日で多くの人たちに美味しい料理を食べてもらうためにできることをしよう。
それは私の仕事だ。
彼の努力を絶対に無駄になんてさせない。
さあ、街中に教えてあげないと、私たちが安くてとっても美味しいハンバーグを作ったことを。




