1.異世界転移と竜との契約
「はー、さみーなー」
誰に言うでもなく、冷たく乾燥した風に当たりながらそう伸びをする。
季節は冬、12月の上旬。
美術部の活動に夢中になり、すっかり日も落ちて真っ暗になった帰り道を歩いていた。相変わらず風は冷たいが、雪は降っていない。
コンビニ寄っておしゃぶり昆布と肉まん買って帰ろっかな、と思いながら何となしに横へと目を滑らせると、家と家の間にある細い道の奥にやけに明るい場所があることに気づいた。普通は人家から漏れる光だと思うのだろうが、その光に違和感を感じざる得なかった。何と言うのだろうか、人工の光などではなく自然な光と言えばいいのだろうか。そこだけ昼間のような...。
コンビニに寄る予定を振り棄て、好奇心に煽られるままその光の方へ向かう。大概、自分が怪しいなと思った物は実際大したものでもなかったという事が多い。今回もそうなんだろうが、疑問を抱いたまま家に帰るのも釈然としないのですっきりするためにその光の正体を確かめることにした。
訝しむように、ゆっくりと歩みを進めていく。冷風が頬に当たり、思わず寒さを凌ぐために制服の上に着ていたブカブカのダッフルコートのフードを被った。
これ人に見つかったら不審者か子供の幽霊だと勘違いされちゃうだろうな、なんて思いながらどんどんと歩いていく。
そして明るい場所へと大きく一歩を踏み出した。
足がふわり、と軽くて柔らかいものを踏みしめる感触とともに冷んやりとしたものに包まれる。反射的に足許を見ると、それは雪であった。
「は...?雪...?なんで...」
さっきだって雪なんて降ってなかったのになんでこんなに積もってるんだ?
最後まで口に出さず、混乱したまま前を向いて目の前の光景に絶句した。
一面の銀世界。
あまりにも広大な大地に降り積もった雪。
驚きのあまり目を見開くと、降ってきた大粒の雪が目の中に入った。...目に入った冷たさも、足許の感触も紛れもなく本物だ。
すると自分の置かれている状況が途端に怖くなり、元来た道へ戻ろうと踵を返す。
しかし、振り返って見た先でまたもや絶句した。
来た道がなくなっている。
広がるのは先程見た銀世界だけだった。
出口も無くなり、いきなりどこかもわからない世界に置いてけぼりにされた絶望感が私を襲う。
「どうしよう...帰り道、なくなった...」
そしてふと、スマホを持っていることを思い出した。しかし現在地が分かるはずもなく、身内のLIMEに伝えようにもどう伝えていいかわからなかった。とりあえず、家族用のグループLIMEに「どうしよう変なところにいる」と送ると、自分の打った文字が文字化けして読めない文字になってしまった。既読をつけるのが早い妹から来た返事も文字化けしてしまい読めない状況となった。
悩みに悩んだ末、メモ機能を使って変な場所にいること、そっちに戻れるかどうかわからないこと、文字化けしてLIMEの字が読めないこと、行方不明届を出して欲しいことを要点にまとめ、それをスクショして送った。スクショした文字は文字化けしないようでとても安心した。
そして銀世界の写真も写るかどうかわからなかったが撮って送ってみたが、写真はかろうじて送れるようだった。
困ったことにスマホの充電も残り少なく、28%程度しかなかったため電池を無駄にしないためにも電源を切りリュックの中にしまい込んだ。
所持品は、財布とペットボトルの天然水、数学のワークとプリントが入ったファイルと筆箱、残った昼ごはんのおにぎり一個、それからスマホ。
どう考えても生きていける装備じゃないし、これじゃあ2日3日持つかどうかもわからない。
好奇心で動いたせいでこんなところで死んでしまうのか、とあの時自分が取った浅はかな行動を酷く後悔した。ローファーから染みる雪が徐々に足から体温を奪っていく感覚を感じながらも、ただ立ち尽くすことしかできない。
その時であった。
強い強風と共に地面の雪が舞い上がった。
そしてどおん、と地響きが鳴る。地響きは雪の中に吸い込まれたのか、それほど響かなかった。
舞い上がった雪で視界が更に白く染まる。
目の前が明けた瞬間、私は呆然とした。
ドラゴンだ。ドラゴンがいる。
目の前には雪よりも少し灰色がかった大きなドラゴンがいた。
少しでもこの世界で生き残ってやろうとと思った私が馬鹿だったのだ。ここは私がいた世界の常識が通じる場所じゃないのだから。ドラゴンなんて架空の幻想生物だと思っていた。しかし目の前でグルル、と唸るドラゴンを見てしまった以上信じざるを得ないのだ。翼と鋭い牙を持った眼前のドラゴンに当然太刀打ちなど出来るはずはなく、ああ、今から自分は喰われて死ぬんか、と半ば諦めに似た感情でドラゴンを見つめていた。
『そなたは何処から来た者だ?』
不意に頭の中で直接響いてくるような、そんな声が聞こえた。直感的に目の前のドラゴンが話しかけているんだ、と思った。
「わからん...此処が、どこかも...歩いとったら此処に居ったんよ...でもこの世界じゃないとこから来たんは間違いないと、思う」
目の前の大きなドラゴンはそうか、と白い息を吐く。
『...名は、なんと言う?』
「え...?私のこと、食べんの...?」
食べられる、と思っていたため名前を聞かれたことに拍子抜けしてしまい、そう訊いた。
『...生憎そなたは美味そうではないからな。して、名はなんと言う?』
「豊田、よろず」
『「トヨダ」が名か?』
「えっと、よろずが名前で、豊田が苗字...」
『そうか...この世界の人間は名前が先で苗字が後だからな。なるほど違う世界から来た、と言うのは本当らしいな』
本当に今更なのだが、自然にこのドラゴンと話せている事に気付いた。しかし人ではないが話が通じる者と会えて少し安心したのも事実であった。
「あの、貴方の名前は...」
『名はない。...そなたが名をつけてくれても構わん』
そう言われ、少しの間悩む。そして思いついた。
「...じゃあ、『ガブリエル』はどうけ?」
『ガブリエル』は天使の名前だ。灰色とはいえ白に近いこのドラゴンは私にとって天使か神の使いの様に思え、そう名付けた。
『ガブリエル...か。いい名だ。気に入ったぞ』
かなり気に入ってくれたのか目の前のドラゴン...ガブリエルは大きな尻尾をパタパタと揺らした。その風で雪がすごく舞い上がっている。
『ヨロズ、人間のいる場所へ案内しよう。此処じゃあそなたのようなチビはすぐに凍死にするであろう。乗れ』
「えっ乗れって...ガブリエルの背中に?」
『ああ、落とさぬようにゆっくり行くから安心しろ』
「うん、えっと、ありがとう。ガブリエル」
背中に乗るとふわりと地面が離れて行く。ガブリエルの背中の凹凸になった鱗のようなところを掴むと、手に伝う感触が現実だと訴えた。遠くなる地面と翼を動かす音を聞きながら辺りを見回す。
「ほんまに飛んどる...」
『...そなたの世界にはドラゴンや魔物は居らぬのか?』
「うん...でも、本当かどうかはわからんけど...大昔には居た、みたいな話は聞いた。私が住んどった世界は科学が発展した世界やから、そういう生物はいないって言われるのが妥当やったんよ」
『ほう...不思議な世界だな。どれ、人間のいるとこまで少し時間がある。そなたの住んでた世界の話を聞かせてくれぬか』
空を飛んでいる間、話すネタが尽きるまでガブリエルに向こうの世界について教えた。
科学は発展しているが、人の持つ不思議な力というものを信じる者が少なからずいたことや、神を崇める宗教も多数存在していること。死んだ者の魂を見ることができる者...所謂霊能者や霊媒師がいること。国によって異なった言語や人種、神話が存在すること。
話すことがなくなったら、次はガブリエルにこの世界について訊いた。
ガブリエル曰く、この世界は魔法使いが重宝される世界らしい。当然、魔物が蔓延っており、魔物を倒す為には魔法が必要となるらしくそれらを倒す為に魔法使いを育成する学校があるという。
「ねえガブリエル、この世界にはドラゴンと一緒に魔物と戦う人もいるん?」
『いや...我ら竜族は人間と関わることはない。何せ空を司る神の末裔であるからな。認めた人間の前でないと現れることすらないのだ』
「えっ...まってじゃあなんで、私に話しかけてきたん...?」
『...明らかにこの世界の人間は違うものを感じたのだ。それでそなたに興味を持った。それに、竜族の言葉を分かるものはこの世界には居らんからな。最初に話しかけた言葉がわからなければ食ってしまおうかと思うておったが』
ガブリエルは最後の言葉だけ冗談めかしながら言い、ククク、と含み笑いを零した。
『さて、着いたぞ』
ぶわりと大きく翼をはためかせ雪の上に降りる。ガブリエルの大きな体躯から飛んで地面に降りるのは、雪があるとは言え危ない為翼を伝って降りる。因みに言うと乗る時もこうして乗った。
『此処から先を真っ直ぐ歩いていけば人のいる村へ行ける』
「ありがとう。...でも、ガブリエルと離れるの結構寂しいんやな...」
早い別れに思わず口がそう零れる。
するとガブリエルが口をわずかに開いた。
『...それでは、我と正式に契約を交わすか?』
「契約?」
『ああ。名をくれた礼だ。契約を交わせば、そなたが危ない時、名を呼ぶだけで我を召喚できるのだ』
「...契約したら、ガブリエルとまた会えるんやよね?」
『ああ』
その言葉を聞いて私の意思は固まる。
「契約する」
『...よし。ならば契約のための詠唱を教える。覚えて、唱えるんだぞ』
「うん」
そしてガブリエルに呪文を教わる。呪文は少し長かったが、中二病な為かすぐ覚えることができた。
『それでは、教えた通りに唱えてみよ』
「うん」
ゆっくりと深呼吸をする。
「『東の焔、西の泉に力を預け、南の風刃、北の大地にこの身を捧ぐ。我、この竜にガブリエルと名付け、追従の儀を遂行致す。我が、豊田よろずの名に於いて、契約せよ』」
詠唱し終えたその瞬間。
ガブリエルの首に赤く光る鎖が出現し、私の手首にもそれが現れた。その鎖は巻き付いて締め付けたかと思うと、肌に溶け込むように消えていった。
『契約完了だ。そなたの右手首にある紋章がその印だ』
そう言われて、手首を見てみると動脈の上に火傷の痕のように、二重丸の中に四つの小さな正三角形で構成された三角形が描かれた直径2センチ程のシンプルな紋様が浮かび上がっていた。
『竜と契約する者はこの世界でそなたが初めてであるため、この紋章を知る者もこの世界には居らぬ。しかし何かあった時のためにその紋章を腕輪で隠しておくといい。それと、先程の詠唱は人間には伝えてはならぬぞ。もし間違って伝えようものなら、代償として首が落ちる故な』
そう言うとガブリエルは私に向かって、口で何かを放り投げてきた。見ると、幅は目測で3センチ程ある皮に小さな赤い石がはめ込んである銀色の留め具がついた腕輪だった。
「わかった。...腕輪、ありがとね」
『ああ』
一言だけ呟くと、彼は大きく羽ばたきそのまま空高く飛んで行った。
私はそれを見送った後、人のいる村があると言う場所へ真っ直ぐ進んでいった。
主人公の名前を「まとり」から「よろず」へ変更いたしました