相良編⑦
相良編は割と元があるので書きやすいですね。
最近の筆がじわじわと受け入れられているので凄く嬉しいです。
ありがとうございます、こんな特殊な話を!
7.
舞台は整った。
冬のあの日に逝った彼女の夫の一周忌も済んで、暖かい春の日に俺は再会を望んだのだ。
ラフなチュニックにデニム地のパンツ。
あの女性はいつも報告通りのそんな服装でウォーキングをしている。
夢にまで見た陽毬さんが、最近ディスカウントショップで購入したストレートアイロンで天パを伸ばして、サラサラしたボブスタイルの髪を揺らしている。
ああ、そうだったね。貴女はロングの時は重宝していた、左右で巻きの変わる天然のウエーブに苦労していたんだ。
サラサラストレートが嬉しいの?
舞い散る桜の花びらがふと貴女の顔を上げさせた。
ぐふッ!─────壮絶に可愛過ぎる。
いつも護衛と言う名の探偵を張り付かせて、監視報告させていたけど、写真より生身がインパクトあり過ぎて胸が、痛い……。
初接触するにあたり、先ずはさらりといこうと態々長引かせない為に仕事中を選んで、楠木を出し抜いてここまで来たのに。
言葉が出ないどころか、緊張で具合が悪くなってくる。
あの女性に道を聞くだけだ。
さり気ない体でスマホの地図を見せ、近付いて話してお礼を言う。
それだけの事が、何故出来ないのか。
思わず蹲っていると、
「だ、大丈夫ですか⁉︎」
と、女性の声がした。
顔を上げると、明るい色の髪をしたOLが傍に駆け寄って来た。
邪魔!
「苦しいんですか?救急車を呼ぶか、そこのベンチまで肩を貸しましょうか?お手伝いします」
そこそこ綺麗な顔だちをした彼女に、勿論俺は全く食指が動かない。
だが、その目に邪な感情はなさそうだった。
唯の親切なら断り易い。
「─────ありがとうございます。大丈夫…ちょっとした…持病の癪です。どうぞ、お構いなく」
きっぱりと彼女を断り、癪の元凶を垣間見ると、驚きに唇が僅かに開いている。
考えている事なんてお見通しですよ、陽毬さん。
どうせ大人の恋の始まりに遭遇した、とかオバちゃん的な発想でニヤニヤしているんでしょう!よりにも寄って、このOLと!
「あの、でも…」
「いえ、本当に。直ぐに収まりますから。原因は分かって、いますから」
グズグズ言い募る彼女を断固として退けていると、漸く目当ての陽毬さんが、『ふいィ〜ヤレヤレ』とでも言いたそうに此方に来てくれた。
「あー、どうかしました?何かお手伝い出来る事、ありますか?」
陽毬さん、棒読みですよ…。
「─────有難うございます…。ああ、貴女、通勤の途中にご迷惑をお掛けしました。こちらの方に後はお願いしますから…もう行って下さい」
さっさと物言いたげな女を追い払い、目当ての長年の夢結晶に向き合った。
ああ、陽毬さんだ。
きょとんとした顔も可愛らしい。ちょっとした目尻の皺も貴女の愛らしさは損なわない。
近くに寄りたい、もっと、
「す、すみません、ジャケットの内ポケットから携帯を出して戴けますか?」
気がつくと、そう言葉が口から飛び出していた。
ああ、といった風に目が見開き、すっ、と彼女は俺のジャケットの前をはだけ、胸ポケットを探り出した。
時間にして数秒。
しかし、至福。至福の時が俺に訪れた。
何ですか、この怪しからん甘いイイ匂いは!
カリオ○トロの城のルパンの気持ちが分かったよ!この場で今この人攫えるなら、俺は全財産はたいてもいいよ‼︎
「ロック解除しましたから、履歴の中の楠木と言う男に掛けて戴けますか?」
受け取ったスマホの『電源を入れ』、指紋認証させると再び彼女に渡す。
短いやり取りの間に迎えに来るまでの俺を頼んでくれた様だ。
でかした、楠木!お前は空気が読める男だ‼︎
バス停のベンチに肩を借りて移動するも、余りの小ささに(陽毬さんは150cmちょっとしかない)覆い被さる形になり、彼女の警戒心を心配した俺はつい、
「…すみません、適齢期の若い女性に借りを作りたくなくて」と、言い訳をしてしまう。
しまった!
陽毬さんの笑顔が凍った。背中に不動明王が見えますよ?陽毬さん。
燃えていますよ?その火の中からフェニックスが生まれて時空を超えて飛び立ちましたよ?
「え?いえ、落ち着いていらっしゃる様にお見受けしたので、30代くらいの既婚の方かと……す、すみません!ひょっとしてもっとお若かったのでしょうか⁉︎」
ナニ、この慈愛の女神は…。
笑顔の質が途端に優しくなった。
ねえ何、この可愛い生き物……。
丸くてプニョ、っとしてて。小ちゃくて目がくりっとなって円らな瞳が極上のオニキスの様。
「……そういう事なら私の方がいいかも、ですね。貴方と同じくらいの息子も居ますし。さ、無理して喋らなくて良いですよ。
お迎えの方が来られるまで、寄り掛かっていいですから安静にしてて…」
そう嬉しい事を言われて、勿論遠慮なく彼女に凭れ掛かる。
体重を掛けない様に調整していると、不意にまたあの香りが鼻孔を擽った。
「─────何だか、バニラの香りがします」
びく、と横の小動物が跳ねた。
そうだった、この香りは、
「ヴェルサーチのベイビーローズジーンズ、オードトワレ…」
薔薇の香りがミドルノートの時点でもうバニラビーンズの様に甘く香る。貴女のお気に入りの香水だった。それにしても、貴女は纏う香りが甘過ぎる。
ボディクリームもラッシュの『肌の愛情』でしょう。
もう俺を殺す気ですか?いいですよ?受けて立ちます。それにしても、あー抱きしめたい。この甘い香りを直に吸い込みたい。ダイ○ン並みの吸引力で食人嗜好的に取り込みたい。
「お電話下さった方ですね。うちの者がとんだ粗相を致しました。お時間を取らせてしまって申し訳ない。改めて後日お礼をさせて戴きたいのですが?」
─────気がつくと両手を封じられ、楠木の肩上に回収されていた。
《省吾さん、言いたい事は沢山ありますが、あの方が貴方の女王様で間違いありませんね?》
《そうだ。だから放せ》
《初対面レベル1のスライム如きが近付き過ぎです。せめて近くのダンジョンで装備を整えてレベルをスライムナイトぐらいまで上げてから立ち向かいなさい》
右京ほど彼女について詳しく話をしていないが、勿論一薫にもビジネスの原動力としての紹介はしていた。
「そんな事より早くそのヒト休ませてあげて下さいな。おばちゃんの親切はイコールお節介。お礼には及びません。んじゃ」
陽毬さんは爽やかに片手を上げて立ち去った。
おーい、陽毬さ〜ん。一薫も結構顔の良い部類なんですがね?イケメン二人置いてけぼりですか?ねえ?
「……貴方の女王様は随分男前な方ですね」
うちの第一秘書も複雑な思いで熟女を見送っていた。
☆
『省吾さん、息子さんが動きましたよ。どうやら、お出かけの模様です』
スマホを取ると右京から連絡が入った。
次の出会いを考えていた俺を気遣ってくれたのだろう、遅番の出勤前に自主的に陽毬さんのアパートを張ってたらしい。
『御母堂、丸々としてお可愛らしいですね?長身の息子さんが人さらいに見えましたよ』
「────遠くない未来、それは俺のポジションになる。無駄に妬かせようとするなよ右京。別に護る者が居る奴なんて、俺の敵にはならない。で、何処へ着いた?」
スマホのナビを起動して、楠木と住吉にメモで幾つかの指示を渡した。
『通町の割烹【忍冬】です。息子さん、芹沢清明さんでしたか、お孫さんと奥様がいらっしゃいます。夕食をご一緒される様ですね。
近くに席を取っておきますから、此方で合流しましょう』
うちの子は出来る子だらけだ!
「直ぐ行く。ボーナスは期待しておいてくれ」
そう言うと軽く口笛がして、通話が切れた。
タクシーを手配させ、間を置かず店に入ると右京がLINEで送って来た場所に座っていた。衝立挟んで隣とは。やるな。
アイコンタクトで席を立つと、「じゃあ、俺はこれで。遅番ですので」と軽く手を上げて去っていく。
衝立越しに陽毬さんと清明一家のじゃれ合いを聞いていた俺はタイミングを計って声を掛けた。
「あれ、清明?今日は外食なのか?」
爽やかな、陽毬さんに好まれそうな好青年を意識する。
傾向と対策は充分に練った。
陽毬さんは仕事をしていた時、若い男の部下やら同僚を生き生きと顎で使っていたらしい。
その当時一緒に働いていた女性の意見はと言うと、
『マリさんはわざとポケットに小さなチョコを忍ばせていましたねぇ。それを知っている若い子達が、マリさん捕まえて毟るんですよ。男の子達もマリさんが可愛かったみたいで、ポケットに手を突っ込んだり、チョコ握ったグーを一本一本指を開かせてもぎ取っていました。きゃあきゃあ言いながら、お互い楽しんでいたみたい』
当時を思い出しながら、彼女はクスクスと笑う。
『マリさんの好きなタイプですか?うーん、二極の好みだと思います。一方は年下のワンコ。もちろん、イケメンで出来る男に限りますけど。後一方はマリさんを優しく受け止めてくれる、洋画の渋い俳優みたいな年上かな。此方は余り顔には拘らないみたいでしたね』
彼女の言葉通り、『芹沢裕章』は凡庸な人の良さそうな顔をして、中々食えない男だった。
歳を重ねれば違った形で追い抜く自信はあるが、今俺が演るのは『夫の身代わり』じゃない。
「いや、連れは急用が入って帰ってしまってな。それより、そちらはご家族の方?
────偶然にも俺の命の恩人がそこにお出でなんでちょっと、ご挨拶しても構わないか?」
「は?それヒマの事か?おかん、相良に何したん?」
男二人に視線を向けられて、陽毬さんはふるふると首を横に振る。
「何も。昨日ウォーキング途中に具合の悪くなったらしいその人拾っただけだわ」
「その節はご迷惑をお掛けしました。お陰様でこんなに大きく」
「いや、それおかしいから。昨日今日で人間こんなに育たねぇから。
相良、コレうちの母。後、そっちが嫁と息子。おかん、このイケメンは相良省吾、大学ん時の友達」
俺はにこにこと人好きのする笑顔を浮かべてぺこりと頭を下げると、愛想良く右手を差し出して握手を求める。
戸惑いながら、さっと合わせて引こうとする彼女を逆に引っ張り込み熱烈なハグをかます。
「うわぁ、小さい!可愛いなぁ、清明のお母さん‼︎俺も欲しかったなぁ、こんなお母さん」
ヤバい、二十年の拗らせた慕情が止まらん。
痛がってる痛がってる。ふふふ、反応が可愛い照れてて熱くなってて可愛いもがく姿が可ー愛ーい!夢にまでみた陽毬さんへのハグ。
はっはっは、攫いてえ!俺のマンションに連れ込んで顔中にキスかまして、逃げる気削いで、全力で撫で摩り愛でたい。
「お、おい、相良…ヒマが目ェ回してる。いい加減、おふざけは止してくれ。
大体、お前そんなキャラじゃ……」
うるせえ、清明。要らん事言うな!俺は今、ワンコ系爽やかイケメンキャラだ。
止めに入る清明をものともせずに尋ねる。
「ヒマ?」
「あ、あオカン陽毬だから」
「ひまり?ひまりさん?おう名前も可愛いな‼︎」
ドサクサに紛れて更にぎゅー‼︎
フフ、この日の為にメンズエステに通い、シャワーなら朝から2回浴びて来ました。合間に有り余って湧き上がったりするいらん情熱をジムのプールで20往復して遅筋強化しつつ発散して来たんですが。
はうはう、言ってる。はうはう…あ、苦しいのかな?締め過ぎた?
べし!
「だから、ウチのオカンを放せコラ!」
「イヤだ。くれ」
「やらん。嫁がせるには薹が立ち過ぎだわ」
「馬鹿な、丁度適齢期だ。くれ」
「どんな年齢換算だ、お前はエルフか⁉︎」
「ひまりちゃんは僕のおばあちゃんだよ!誰にもあげないから‼︎
それに、お兄ちゃんがいくらイケメンでも、おんなのひとにはいきなり抱きついちゃダメ!せくはらだよ、嫌われるよ?」
嫌われるのは、困るな。
「そうか。──────失礼した」
「分かればいいよ」
ぱッ。
「どうして俺の諌めより葉月(5)の説得の方が通るんだよ⁉︎」
はうはう放心している陽毬さんは清明ノ嫁が慌ててお水を飲ませて支えている。
割って入りたいのを我慢して、にこにこと再び人好きのする笑顔を浮かべお孫さんとプラレールの話に花を咲かせた俺は勝手に衝立をどかして、席を同じくする事に成功した。
「おかん、許してやってくれや。相良、ちんまい時に母ちゃん亡くしてっから、熟女に弱えぇんだよ」
何だ、オイ。身もフタもねぇな、清明!
「人を色魔みたいに言わないでくれよ。だからって、俺は誰でも良いって訳じゃない。
─────すみません、大学時代の仮住まいが芹沢君のアパートに近かったんで良く遊びに行ってたんですよ。
お母さんのお話もよく伺ってたので、単純に羨ましかったんです」
今の俺が好青年なのをアピールしながら髪は祖母さんがベルギー出身な所為で、決してオシャレ染めなどではなくクオーターだからなのだと話した。
清明を絡めた大学時代の事を陽毬さんが聞きたがり、便乗した俺は話の主導権を握って自分を売り込む事に専念する。
幾つかの店舗経営と携帯コンテンツの会社を手掛けている、と言えば驚いてニコニコと頷いている。
真の目的の為にも、俺がある程度の金を自由に動かせ、将来性にも展望が開けている事を理解して貰うのが一番だ。
その一環として食事代は今日の記念に俺が持つ、と言って芹沢家の女性陣を大いに喜ばせた。
知ってるんですよ、陽毬さん。
旦那さんにもモノで釣られたんですよね?貴女。
初デートでたらふく食べさせられて、山の様にお土産を持たされたらしいじゃないですか。
「そうだ!俺、エステサロンもやってるんですよ!この間のお礼に、陽毬さん、うちのサロンにモニターとして来ませんか?」
如何にも今、お礼として思い付いた感を出す俺。
「…エステ………。痩身?」
陽毬さんが食いついた!
「美顔も付けますよ?」
これで、どうだ⁉︎
「………行って素っぴんで帰るのヤダ」
「視察がてら、俺が送り迎えします」
もー、現実に詰めたら面倒臭くなって来たんですね?ダメですよ?逃がしませんよ?
「……………時間を縛られるのは……」
「帰りはヘルシーな晩御飯のお弁当を持たせてお返しします。週二回」
ほら、俺と居るとお得ですよ〜?
「……(迷ってる)……」
後一押しか。
「ヘッドスパと背面アロママッサージ。その代わり、施術の写真撮らせて下さい」
墜ちた。
「ひまりちゃんがキレイになるの?ボク、嬉しい!」
お孫さん、ナイスアシスト!
旦那さんを亡くしてぽっかり空いたその隙間に清明は部分的にしか入る事が出来なかった。
卑怯であろうと、姑息であろうと、それは赤の他人である俺には唯一の機会にしか見えない。
これから、俺の総てを掛けた戦争が始まる。
さあ、覚悟して。俺はきっと相手にとって不足は無い筈だから。
盤上は駒で埋め尽くされている。
ポーン、ナイト、ビショップ、ルーク。
白と黒との駒が錯綜し、互いの手を探り合う。
貴女は俺の事しか考えられず、
俺は貴女の思考を占拠する。
白のクイーンはオロオロと逃げ回るだけ。
俺は黒の軍隊でそれを囲い込む構えで。
ポーン、ナイト、ビショップ、ルーク。
白のキングは何処に隠れた?
気がつくと、全ての駒は倒されて、立っているのは俺と貴女だけだった。
白い貴女は優しく微笑う。俺の中が灼熱に白く塗り潰された。
果たして、勝ったのはどっち?
.
前編、分けて何話分になるんだろう…。