7話:白銀の救世主
今日は朝から慌ただしい。望まないモーニングコールから始まり、意味の分からない任務を押し付けられ。
そして__
(あの惨状は…そう簡単に終わる代物じゃない…)
様々な意味で疲弊した彼方にトドメを差すべく、某、鬼の風紀委員様から、荒れ果てた自室の清掃作業を言いつけられたわけだ。
急ぎ飛び出した今朝の情景を思い浮かべ、少しでも効率の良い作業方法はないものかと模索する。
教科書やプリント、放置された衣類、娯楽雑誌やその他etc…。それらは散らかっては押し込められを繰り返し、部屋の中で唯一綺麗な場所と言えるのは日々アイスクリームを楽しむソファーと小さな円卓の付近だけ。
…と言っても、気を使うような客人など滅多な事では来ない生徒の個室の事。自分が生きていく上で障害にならなければ、どうとでもなる___
(…な〜んて思ってるから、一向に改善しないんだろうな)
行きと同じ道を逆向きに進みながら、彼方はため息混じりに言う。
「あぁ…猫の手も借りたい」
異進種が出現してからというもの、絶対数が激減した純正種___元から地球上に生息する生き物たちは、保護施設で厳重に守られているわけで。…そんな猫ちゃんが街中にいる、なんてことはあるはずもなく。
(そう言えば、猫なんて昔保護区で見て以来だな…)
差し出した手をスンスンと嗅いだ後、スリスリと体を擦り寄せてくる愛くるしいあの姿を思い出し、心の奥にジーンと湧き上がる、なんとも言えぬ感情に身を任せていると。
「うおっ!?」
突然開け放たれた目の前の扉が、一瞬で目の前に迫ってくる。本能的にそれを避けるが如く体を捻るが、筋肉痛・眠気・疲労・癒し不足、その他etc…。
力の限りかけられたデバフにより衰弱した体は、言う事を聞かず。
「んごっ!………」
出た、と言うよりは、押し出された。
そんな悲鳴をあげ、扉に押しつぶされた鼻を押さえ、よろよろと後退する彼方。
(今年…絶対厄年…だろ…)
そうだよ… と誰に同調されるわけもなく。側の壁に背を預け、涙でぼやけた視界を天井で見えない空へと向ける。
そんな彼方に。
「ゴゴゴっ…ゴメンなさいっ! …おケガはありませんか…?」
扉の中から飛び出して来た金髪の少年が、聞き覚えのある高い声で駆け寄ってくる。
「かっ、彼方様…!? …ぼ…ぼくはなんて事を…!」
彼方の姿を見るや、両手で顔を覆い、瞬時に絶望の縁へと沈んでいく少年。
それを見て、この学園で俺の名前に様をつけて呼ぶ金髪の子って…2人しか居ないよな…と。
朦朧とする意識の中、彼方は記憶を探る。
「…扉を開ける時は、その向こう側にも空間がある事を忘れるなとあれほど言ったでしょう? 未だに学んでいないとは。…そろそろ本格的に躾けなければいけませんね」
顔を押さえたまま震える少年の背後から、これまた聞き覚えのある声音で、何やら物騒な事を言いながら、同じく綺麗な金髪を伸ばした少女が現れる。
「申し訳ありません、彼方様。この罪は彼が自らの身体をもって償わせて頂きます。どうかお許しを」
「ゴメンなさいでした…」
「……」
本人たちは至って真面目に謝っているのだが、最早誠意を超え、狂気すら超え。
(コントでしょ…これ…)
彼らの腰の低さには理由があるのだが、それを差し引いても、少し行き過ぎな所がある。
「…あの〜」
「……」
「取り敢えず、顔を上げてくれる…?」
「…はい」
いつの間にか完全形で土下座を決めていた少年に声をかけ、人目もあるので取り敢えず顔を上げてもらうことに成功した彼方は、金髪の2人へ向け、静かに語りかける。
「そんなに謝らなくてもいいって。ぼーっとして歩いてたの俺なんだし…」
「いいえ。例え彼方様が許そうと、芽愛の罪は到底許されるものではありません」
「はい…?」
「そうです! 僕を紐で縛って家の軒下に気の済むまで吊るしておいてください!」
「君はまず落ち着け」
行き交う他の生徒達の生暖かい視線に耐えかね、再び土下座をかます少年を、半ば強制的に起立させる。
「とっ…とにかく! 俺の心配は要らないから、ね? 今あったことは全て夢! すべて忘れて!? 分かった!?」
「いいえ! 僕の愚かさをこの身に刻んでいただくまで、忘れるわけにはいきません!」
「そうですね…せめて指の1本や2本は____けじめは付けるべきです」
「どこで付けてくるんだ!? そんな物騒な知識!?」
終息どころか徐々に泥沼化する会話に、静寂とはかけ離れた喧騒に憤りを含有した声音で。開け放たれたままになっている教室の扉の奥から、ピリッと張り詰め、幼さが残りつつも凛とした声が廊下に響く。
「…先程から、少し騒がしいのですが」
「っ!」
その声に、ハッとした表情を見せる金髪の少年。
…相変わらず、少女の方は無表情を貫いているが__
「どんな事情があろうと、廊下で大声を出すのは不適切です」
微かな靴音をたて、扉の影から声の主が現れる。
「姫…乃…?」
「………」
その少女は、イタズラをした飼い犬を叱る主人のような___ほんの少しの怒りと慈愛の込められた、なんとも可愛らしい困り顔を見せ、彼方を見上げるのであった。
*****
教室から出てきたのは、通常の制服とは少しデザインの異なる、和のテイストを加えた特注の制服を纏った少女。
気品のあるオーラをまとったその少女は、彼方を真っ直ぐに見据え、こう言う。
「…あら御兄様、おはようございます。そして、明けましておめでとうございます。…今日も平常運転で、何よりです」
「その台詞、今日2回目なんだけど…」
「…1度目は、綾音さんですか?」
「なんで分かるんだよ…」
さらりとした銀髪を後ろで纏め、少しはにかんだ笑顔でそう言うのは、彼方の妹__ 佐倉姫乃である。
「…それはそうと、これは一体どんな状況ですか? 芽衣」
…と、廊下の真ん中で胡座をかく彼方とその正面で土下座する金髪の少年を見て、姫乃が訝しげに言う。
「あ…あの…それは…」
言葉が纏まらない芽愛の代わって、芽衣と呼ばれた少女が姫乃に耳打ちする。
「…なるほど。 それで御兄様に、芽愛がお詫びをしていたと…」
「そうなんです! けど彼方様は僕に何もしようとしないんです!」
「うぅん? …なんか話の趣旨変わってない!?」
しかし、こうやって話の腰が折れかけると手を差し伸べてくれるのが、彼方の出来た妹__姫乃なのである。
「御兄様が大丈夫って言っているのなら、気にしなくて大丈夫ですよ。…ああ見えて、結構頑丈なので」
「そうそう。こう見えて、ね」
姫乃に言われ、さらに彼方からも同調の意を得たことにより、芽愛の顔に色が戻る。
「本当に、ゴメンなさいでした」
「寛大なご配慮、痛み入ります。彼方様」
恐らく、本気の謝辞を述べる芽衣と、安心から声音も1段階高くなった芽愛からの言葉を受け取り、これにて一件落着__
…そう思っていた彼方に、また違った方向から視線が射し込まれる。
「一件落着、なんて思ってませんよね? 御兄様?」
なんと言うか…綾音の眼光も勿論恐ろしいのだが、妹から注がれる注視というのは、ひと味違う感覚に見舞われる。
…別に、変な意味じゃないよ? 授業参観の時後から見られているあの変な感じのことだよ?
彼方がそんな自問自答の思考を振り切ったところで、金髪の2人の間を割り前へ躍り出た姫乃がこう切り出す。
「これを見てください。御兄様」
「…?」
「今朝、こんなものが届いたのですが__」
差し出された端末には、こんな文面が映し出されていた。
※※※
朝早くにごめんね<(_ _*)>
突然で悪いんだけど、彼方が今どこにいるか知らないかしら
知っていたらメールしてね
綾音さん
※※※
「んなっ!?」
「全く… 新年早々何をしでかしたんですか? 綾音さんにこんな連絡をさせるなんて…」
まさかの出来事に呆気に取られる彼方に、姫乃は主導権を握ったまま言葉を紡ぎ続ける。
「周りの人に心配をかけるのは良くないですよ? 仲の良い友人だからと言って、愛想を尽かされたらそれまでです。もう少し思慮深い行動を____」
(これが中学生の口から出るお説教ですか…?)
小言というのは誰しもが好き好んで聞きたいものでは無いものだと思う。けれども姫乃のそれは、
(どうも反論出来ないというか… 何を言われても納得してしまうと言うか…)
姫乃は絶対学校の先生とか向いてるよなぁ…と、そんな雑念が蟠る彼方の脳内を看破した姫乃が、より一層、その声音を強める。
「…って! 聞いているんですか!? 御兄様!」
「え…? うん、聞いてるよ?」
「絶対聞いていませんでしたよね!?」
ゴメンゴメンと手を合わせる彼方に姫乃がぷぅと頬を膨らませ、また別口のお説教が始まる__
…と、その時。突拍子もなく、校舎内のスピーカーから、終礼のチャイムが鳴り響く。
「…ハッ!」
…そして、妹とその御一行との触れ合いに和みかけていた彼方の脳内に。
「違う…! 俺はここで止まっている訳には行かないんだっ!」
「…っ! 御兄様ぁっ!」
またも話に横槍を入れられた姫乃は、少しばかりムキになって、兄__彼方へと言い寄る。
…しかし。
「もうっ! 私の話を聞いて下さいっ!」
「…いや……俺の話を聞いてくれっ!」
「…!? …ひゃっ!」
目前に迫った姫乃の肩を掴み、そのままグイグイと壁際へと追い込む。
「ななな…!? 何を…!?」
口では抵抗しているように見せても、実際は全く抵抗せず壁まで追いやられた姫乃。
しかし、必死になった彼方はそんな姫乃のことはつゆ知らず。
「…姫乃」
「はっ…ひゃい!?」
ドンこそされていないが、壁まで追い込まれ期待と不安で顔を真っ赤にする姫乃。
返事をする声まで裏返り、もはやその時を待つだけ__
そんな顔で身構える姫乃に、彼方は。
「…今日、このあと時間はありますでしょうかっ!?」
「へ…?」
目を瞑っていた姫乃が、その不自然な敬語に戸惑い、瞼を開ける。
「…き…今日…ですか…?」
「あぁ!」
「……」
そして、一瞬の間を開け呟く。
「き…極めて多忙なのですが……」
「なっ…!」
それを聞いて、顔中に脂汗を滲ませる彼方に。彼の縋るべき最後の糸となった姫乃は、やっぱり…と言わんばかりの悪戯な笑みを浮かべ。
「…冗談ですよ。今日の講義は、今の時間でおしまいですから__え…?」
「なら……頼むっ!」
壁面に押し付けられた姫乃に極限まで近付き、ついに彼方はやってしまった。
「今から! 俺の部屋の掃除を…! 手伝ってくれっ!」
彼方が懇願の言葉を姫乃に叫んだその時、彼方の掌は姫乃の顔の横にバシンと突き立てられ。その途端。
「あ…あぅぅ……」
佐倉彼方の義妹__ 佐倉姫乃は、極限まで顔を赤面させ。壁を伝って、へなへなとその場に崩れるのであった___
coming soon……
お読み頂き、ありがとうございました。
*2019-4/25