54話:LABO
·····なんで、そんなことを言うの?
訴えるように向けられた視線に。”私”は、返す。
私には―――あなたの言葉の意味がわかりません―――私は―――兵器です―――命じられるがままに対象を始末し―――任務をこなす―――機械です―――
·····どうして? ·····あなたは人間、みんなや私と同じ、人間じゃないの?
わかりません―――しかし―――そう―――教えられました―――
·····誰に?
父と―――母に―――
·····え? ·····両親がいるのなら、あなたは人間じゃないの?
―――わかりません
でも··········
―――わかりません―――私には―――わかりません――――――――
·····そっか。·····じゃあ、あなたが人間かどうか、試してみましょう。
そう言うと”彼女”は、”私”の体を抱きしめる。
そして―――――
·····ほら、やっぱりあなたも人間よ。
·····なぜ、そう言えるのですか·····?
だって·····こんなにも、暖かいんだもの。
暖かい··········?
そう。これは、人の温もりよ。
温もり·····?
あなたは人間。人間よ。間違いないわ。
私は·····人間·····?
そう、人間。·····私と同じ、人間。
···············
初めて、人の温もりを知った日。
あの人は”私”のことを、人間だと言った―――――
*********
「っ···············」
夢·····。
(ここ·····は·····?)
四方を無機質な白い壁で囲われた、どこかの一室。
瞼を震わせると、どこか洋人形のような雰囲気を漂わせる少女―――神道芽衣は、今まで見たことも、足を踏み入れたことも無い場所で目を覚ました。
(なぜ·····今になって·····あの時の夢を·····)
頭の中央から湧き出る締め付られるような鈍痛に、少女は眉をひそめる。
「··········」
芽衣は静かに息をつくと、すっと体を起こし、眉間に当てていた指先の隙間から覗く空間に、自分が転がされているベットの他に、対面に置かれたもうひとつのベットを注視する。
「芽愛·····?」
そして、そのベットに静かに横たわる人間。その額と頬、そして首元に巻かれた包帯によって見える範囲は限られているが、自分と同じ金色の髪を見間違うはずもなく。
「重傷とは聞いていましたが·····随分、派手にやられたのですね」
音を立てずにベットから降りた芽衣は、静かに寝息を立てる弟のそばに移動し、その寝顔を暫く見つめたのち。
「··········」
芽衣は、その表情を崩すことなく、物思いにふける。
断片的に残る記憶は、あのセカイでの戦闘中のもの。
現れた2人と1人の介入により、あっさりとケリのついた争い。そして―――
(あの後·····彼方様のあとに続き光の輪を潜り··········)
ゲート。
そう呼ばれる地点を潜り抜けたあとの記憶が、ごっそりと抜け落ちていることに気づく。
(しかし·····)
もう一度、辺りを見渡す。
·····無機質な空間に、変わりはない。
(出入口や窓の類は無し―――外部との連絡手段も、現状では無し―――――)
凹凸の一切ない空間に並べられた2つのベット。その他にあるものと言えば、小ぶりのウォーターサーバーがひとつと、コップが2つ。
「·····まるで、監禁ですね」
壁、窓、天井、床。
普段ならば、容赦なくそのどこかを破壊して脱出するのだが―――――今は武器は愚か、この身も万全ではないという悪循環の巣窟。
(·····治療は·····されているようですが··········)
力を込めると鋭い痛みの走る我が身に手を当て。芽衣はため息混じりにその名前を呼ぶ。
「芽愛」
「··········」
「·····そろそろ起きて貰わないと困るのですが。もし同量の麻酔を打たれたのなら、目が覚めるのにかかる時間も大差ないはずでしょう?」
「··········」
呼びかけに反応がなく、芽衣はいつも通りその耳たぶをつねろうとして。
「·····」
指先で挟みこもうとした場所にも、ガーゼが当てがわれていることに気付く。
·····ふと、その指先を引き。芽衣は―――
「わたくしも、そこまで鬼ではありませんから」
そう言うと、代わりに手のひらで少年の額にそっと触れ。
「·····起きなさい、芽愛。体感覚的にはですが·····朝です」
その温もりを感じたのか、芽愛はう〜ん·····と声を出すと、ゆっくりと瞼を開く。
「··········ねー·····ちゃん·····?」
「·····寝坊癖は、どこに行っても変わりませんね」
ふぁ·····と緊張感のないあくびをする芽愛に、芽愛は少しだけ表情を強ばらせ、呟いた。
「·····少しだけ、厄介なことになりました」
「·····?」
芽衣の言葉に、芽愛は。
寝ぼけ眼のまま、静かに、首を傾げるのであった。
***********
舗装された道をタイヤが噛み締める音、そしてエンジンの奏でる重低音とが響く車内。そこには、不自然な形で続く”沈黙”が流れていた。
·····というのも、
(なんか流れで乗っちゃったけど··········これがまた教官の計画に乗せされているだけだったらどうする?)
(その時は容赦なく帰るわよ? 芽衣さんと芽愛さんの無事を確認したその後でね)
(·····痛い)
·····と。
メッセージアプリ内で怒涛の会話を繰り広げる3人は、もちろん現実では一言一句発していない。
会話が成立しているのに音がないという、なんとも不自然な沈黙。そんな空気に耐えかねた後部座席の少年は、恐る恐る口を開く。
「·····あの、本当にラボに向かっているんですよね·····?」
「うちはあの先生と違って、正直者やさかい。嘘言ったりせんよ?」
「·····で·····ですよね〜·····」
まるで不自然な会話が途切れ。それと同時に、グループチャットにメッセージが投下される。
(余計なことを言わないでよ!)
(そんなこと言ったってさ·····)
(一応、道的には山梨方面に向かってるから、大丈夫だと思うよ)
ついに画面の中にも沈黙が流れ、3人は各々車窓へと目を向ける。
「··········」
「··········」
「··········」
宿屋”緑禅”の女将である、翠川雪と名乗った女性の運転する車に乗り、揺られることおよそ半刻。
姫乃たちが買ってきたアイスクリームで”補給”していた彼方の元に、逢里がこれまた見舞いの品を手にやってきた所から、話は始まる。
(全く連絡がないけど、2人の安否はどうなのかしら?)
(姫乃が言うには、治療は無事に終わって、経過観察に入ったって)
(そうそう簡単には、ってとこだろうね)
騒動の後、同じ病院に搬送されたと思っていた芽衣と芽愛だったが、運び込まれて以降、その姿を誰も目にしていないということを、彼方は逢里から聞かされた。更には姫乃を始めとした親しい人間たちでさえ面会を断られ、不自然に思った綾音が2人の病室へ突撃―――――
(でも、綾音も相変わらずだね)
(どういう意味よ?)
(強引なところ、って言いたいんだろ?)
(あ、ネタバレやめてよ)
そして、場面は先のシーンへ。
見舞いの品―――リンゴを齧っていた彼方と逢里の元に、2人の情報を掴んできた綾音が駆け込んできたわけだ。
(別に、言いたければ言えばいいわよ。いつまでも、あの人の手のひらで踊っているわけには行かないもの)
(それはそうだけどさ·····なんて言うか·····病院も大変だなーと)
(お前の父さん強すぎだろ·····)
綾音が秘匿されていた神道姉弟の行き先を掴んだ手段というのが、そう言われる所以。
”湖富綾音”の”湖富”という苗字は、現日本で御三家と言われる3つの組織のうちのひとつ。特に、医療関係の施設に携わる”湖富”財閥は、佐倉総業と権力を2分する組織で、その”ご令嬢”である綾音の言葉は―――――
(仕方が無いでしょ? こうなる前に教えてくれれば、こんな強行策に出ることなかっんだから)
(恐るべし、湖富綾音)
(バンザイ、湖富綾音)
「··········」
ふざけ始めた後ろの男子生徒たちを、助手席の少女がキツく睨む。
その視線に気付いた2人が、目線を逸らすと同時に。
「そう言えば、黒髪のあんさん?」
「·····え? 俺·····?」
「そうそう、名前は·····彼方、やったっけ?」
「は·····はい·····」
運転席の女性が、不意に口を開き。彼方を呼ぶ。
「傷の具合は大丈夫なん? 結構ぱっくり空いとった、って聞きましたけど」
「ま·····まあ·····動ける程度には·····って·····おい、やめろ」
振り返った綾音の視界で、自身の胸部に触れる彼方と、その脇腹をつんつんと続く逢里。
「走ったりしなければ大丈夫って、病院の先生は言ってましたね〜」
「あと脇腹をつつくのもやめろ」
「元気そうでなによりやわ〜」
そんな後部座席の微笑ましい?やり取りを微笑みながら聞いていた雪は、信号で車が止まったのを機に、言葉を続ける。
「·····実はなあ、あんさんたちに、言っておかなきゃいけないことがあるんよ」
「なんです?」
「この車、実は同じ道をぐるぐる回っているだけでした·····みたいのはやめてください」
その反応に、小さく息を吐き。
「わてはな、可愛い子に言い寄られると駄目なタイプなんよ·····」
「··········」
唐突な告白に、3人の口からこの場が消え。代わりに―――――
「··········お·····お兄·····ちゃん·····?」
「ひ·····姫乃っ!?」
彼方の背後―――トランクルームであったその場所から。
白銀の髪を携えた少女が、ひょっこりと顔を出したのだった。
*********
居住区第22区、富士山を望む旧山梨県の南側に位置するこの地区には、学園の医療チームのリーダーである広瀬縁と、その助手たちが息を潜める研究施設がある。
その地を目指し、雪の車で移動していたわけなのだが―――――
「なっ·····なんで姫乃!? いつからそこに!?」
雪の言葉を合図に、どこか気恥しそうに頬を赤らめた姫乃が顔を出し。
「いやあ·····な? どうしてもって言うから、連れてきてもうたんや〜·····」
「ちょっ!? 私はそんなことっ·····!」
どうやら体育座りに近い体勢で隠れていたらしい姫乃が、後部座席の上部から顔を突き出しながら訴える。
「これは先生が、芽衣と芽愛のお見舞いに行こうって言うので着いて行ったら、何故か座席じゃなくてここに入れられただけで·····!」
「入れられたって·····もうそれ半ば誘拐に近い形なのでは·····?」
「ごめんな〜姫乃はん。病院を抜け出るところ、誰かに見られるわけにはいかんかったんよ。·····許してくれる?」
「そもそも怒っては居ませんけど·····お尻と腰が少し痛いです」
「それはあんさんに癒してもらって〜」
「ッ〰️〰️!」
全然謝る気ないでしょう!? と、僅かな怒りと別の何かの感情で顔を真っ赤にする姫乃。
それを背に雪が運転席のスイッチを押すと、彼方と逢里の間、後部座席の背もたれの中央辺りのシートが前に倒れ込み、簡易的な通路が出来上がる。
「てゆうか·····姫乃、女将さんと知り合いだったの·····?」
「へっ·····?」
頬を膨らませながら移動する姫乃に、彼方が問いかける。
その問いに、首をかしげつつ姫乃が答える。
「·····? 女将さんって、誰のことですか?」
「いや·····雪さんのことだけど·····」
「··········雪さんは、学園の事務員さんですよ? お兄ちゃん、会ったことありませんでしたっけ?」
「···············」
この人、一体何者なの·····? 職業、なに?
そんな疑惑に満ち溢れた視線を一心に受け、姫乃が座席に座ったことを確認した雪はと言うと。
「それじゃ、座ったことやし。行きますえ〜」
気の抜けた車掌のような声音で呟き。信号が変わると同時に、アクセルを踏み込む。
「えっ·····? あの、雪さん·····? 速過ぎ·····ませんかこれっ!?」
「きゃああっ!」
車内の阿鼻叫喚をものともせず。爆速で、目的地へと車をとばすのだった。
(((マジで何者なんだこの人―――――!?!?)))
·····お陰で?予定の3分の1程の時間でラボに到着したのは、言うまでもない。
*******
「おっそーい! 早く早く!」
木々を抜け、林を抜け、たどり着いたこの場所で。車内からでもハッキリ聞き取れる、広瀬縁の張りのある声が響き渡る。
「そんなん言っても、限界ギリギリでとばして来たんよ? 頭文字Aみたいに」
「そんなんどうでもいいのよ。さ、早く降りた降りた!」
「·····っ!? おうふっ!!」
「お兄ちゃん!?」
だがしかし。どこへ行っても騒がしいのは変わらない―――到着早々悲鳴を上げるのは、黒髪の少年―――彼方。
「こっちから開けますからっ! ぶっ壊れたタクシー見たいな勢いで外からドア開けないで下さいっ!」
「そんなのどうでもいいから! 早くこっち!」
「1ミリも良くねえってば! うえっ!? ちょっ! 待てって―――――」
不意に開かれたドアにより、顔面から地面に突っ込み。危うく眉間を割るところだった彼方。しかし受難は続き、そのドアを開けた本人に腕を捕まれ、半ば引き摺るようにして敷地内へと連れ去られる。
「はぁ··········相変わらずね、ゆかり先生のせっかちぶりは」
「彼方·····死ぬでしょ、あれ·····」
今度は開きかけの自動ドアを無理矢理通され、ガラス扉にぶつかり鈍い音を発する彼方を見て、逢里が唖然として呟く。
「わては車停めてきますさかいに。先にあのせっかちおばさんのとこ、向かっててな〜」
「あ、はい」
逢里は雪の車を見送ると、ふと施設の建屋へと目をやる。
「はぁ·····姫乃さん、彼方のことになると本当に早いわよね·····」
「··········」
それは君も同じだと思うけどな·····と、言葉を噛み殺し。
「·····ま、それを言ったら僕も同じか」
ため息をつき歩き出した綾音の背を追うように、逢里も彼方の消えていった方へと足を運ぶのだった。
******
「待って·····死んじゃう·····本当に·····死ん·····じゃう·····!」
「ゆかり先生!? お兄ちゃんは怪我人ですから! もう少し丁寧に扱って下さい!」
「·····着いたわ!」
彼方の手を引き、ゆかりがやってきた先。そこには―――――
「あ、いたいた」
「ここは·····?」
無機質な鋼が支配する、長い廊下。
一見行き止まりにも見える壁面を見つめ、ゆかりはその場に全員が揃ったことを確認しすると、壁にしか見えない平面を指でなぞる。すると―――――
「うおっ!?」
「これ·····扉だったんだね」
「開き方独特過ぎない·····?」
なんと言えば良いか。なんとも今日日見ないような開き方で開いた扉の先。
その瞬間、4人の目に見知った人影が写り込んだ。
「芽衣·····! 芽愛·····!」
金色の髪。そして、瓜二つの顔立ち。その人影は―――――
「御嬢様·····? どうしてここに·····?」
「ふ·····2人こそ、病院にいると言われていたのに、なんでここに·····?」
互いが互いに、頭の上に?マークを浮かべる主人と従者。
だがその背後で、残された3人は別の意味でそのマークを浮かべていた。なぜなら。
「·····なんでほうとう?」
「山梨だから·····?」
芽衣と芽愛の2人が、向かい合ったベットの上で、何かをすすっていたから、である。
「·····はぁ。まったく、急患だって言うから改装中の特別室を開けたのに。目を覚ました瞬間拉致だ監禁だって騒ぎ立てた挙句··········この扉の存在に気付いたのはともかく、設備を壊されたら困るから事情を説明しようにも信じてくれないし! ·····仕方がないから食べ物をあげたら、大人しくなったってワケ。分かった?」
「「「いや何が!?」」」
苛立ちと理不尽に対する悪口雑言をただ並べただけのゆかりの言葉に、全く状況を飲み込めない3人の声がピッタリと重なる。
「皆様」
その時、立ち上がった芽衣が彼方たちを見据え、口を開いた。
「今に至る経緯は、わたくしが。·····どうやらその方も、被害者のようですので」
「·····?」
それを聞き、ゆかりの肩からストンと力が抜ける。
「·····それじゃ、そういう事だから。あとは任せたわよ、芽衣ちゃん」
「はい」
通りすがりの彼方の肩にポンと触れ、フシュウン·····とガスが抜けるような音を立てて閉まる扉の先、ゆかりの姿が消えていく。
「まあ·····簡単に言うと、腹が減っては戦は出来ぬ、ってことですね」
「食事を済ませてから話なさい」
「はーい」
相変わらずのやり取りをする姉弟に、姫乃が問いかける。
「·····2人がここに連れてこられたのは、怪我の治療のため、だったんですか?」
「少なくとも、嘘では無いでしょう。受けられる全ての治療を施し、この部屋で安静にさせていようとしていた。·····その心意は、間違ってはいないと思います」
「そう·····ですか·····」
姫乃に代わり、今度は綾音が口を開く。
「治療の他に、なにかされなかった?」
「·····いいえ。術後の経過観察にしては、なにぶん扱いが異質だと思い、ゆかり様に聞いてみたのですが―――」
無機質な”病室”を見返し、芽衣は言葉を続ける。
「この部屋は急遽用意したため、医療用の設備が間に合わなかったのだそうです。怪しみもしましたが、点滴による投薬か必要なわけでもなく、既に鎮痛剤も効いている状態で不可欠なものは安静のみである、という点からも、医療的な過不足はないかと」
「そ·····そう·····」
芽衣の話では、目を覚ました芽愛と共に脱出の手段を考察中、壁と一体化した操作パネルに気付き、周辺の機器を破壊、もしくはダウンさせれば可能だと言うことになり。いざ、実行に移そうかとなった時―――
カメラの映像でそのやり取りを聞いていたゆかりが、慌てた様子で館内アナウンスを入れ、間一髪のところで説明を始めたらしい。
「·····それで、それを食べていたわけね」
「我らが予想よりも早く麻酔から覚めてしまったと驚かれていましたが·····病院としての機能は、しっかりと果たしていましたね」
それらの説明を聞き、彼方たちは胸を撫で下ろす。
「彼方様もお元気そうで。·····体を張った甲斐が、少しはありましたね」
「ああ。あの時はサンキューな。芽衣が居なかったら
、俺はここに居ないし。·····芽愛も、姫乃を守ってくれて·····本当にありがとう」
「·····結局、この有様ですけどね·····」
声の調子を落としながらも、芽愛、そして芽衣は協力者である逢里と綾音へと向き直り、言った。
「·····この度は我々の失態に皆様を巻き込んでしまい、申し訳ありませんでした」
悲痛な響きを孕んだ声が、ほんの僅かに反響し。その余韻が消えぬうちに、綾音がこうべを垂れる2人へと口を開く。
「いいえ。2人が謝ることは何も無いわ。·····元はと言えば、大切な情報だったりそういう物をひた隠しにし続けた先生が悪いのよ。·····あの、寿健慈とかいう人が」
「·····2人が悪いっていう点については、僕も反論させてもらう。·····あのセカイの異進種は、普通じゃなかった。僕らが相手した犬狼型も、綾音と2人だったから無力化できたんだ。·····しかもあの大熊を相手にして、1人も欠けずに帰って来たんだから。素直に喜んでいいと思うよ」
「··········」
責める気など毛頭ない2人に対し、罪悪感を覚えたかのような眼差しを地面へと向け。
芽衣は、静かに言葉を紡ぐ。
「·····全ての責任は、我らにあります。·····生きて帰って来たこと。その点が唯一、妥協できる事柄でしょう。·····しかしながら、御嬢様を危険に晒しただけでなく、その脅威を排除できず、更には彼方様を始めとした多くの方の手を借りなければならないにまで被害を拡大させてしまったのは··········我々の·····責任です」
「芽衣さん·····」
隣には芽愛も、言葉無く俯いている。
その姿を見て姫乃が、何かを思い出したかのように一歩を踏み出し。言う。
「·····芽衣、もしかしてあなた達が考えているのは、あの人の·····こと·····?」
「··········」
「やっぱり·····」
珍しく動揺を見せる芽衣だったが、直ぐに冷静を繕い、言葉を続ける。
「·····わたくし達の使命は、何があろうと御嬢様を守り、身の安全を保つことにあります。·····例えそれが異世界であっても、相手が神であっても、我らの力で討ち払わなくてはならない事なのです。他者の力を借り、縋った時点で··········」
「·····皆さんが良いと言っても、あの人は認めてはくれない。··········僕らも、嬉しいんですよ?また·····こうしていつもの顔ぶれで、話が出来ることは」
芽衣の言葉を継ぎ、哀しみとも取れる表情で語る芽愛。
「·····その人たちがなんと言おうと、俺たちは2人に感謝してる。いくらしても、しきれないくらいに。·····だろ?」
「もちろん。唯一無二の親友を、危うく亡くす所だったからね」
重苦しい空気の中、彼方が口を開き2人に言う。それに乗っかり、逢里も声音を鮮やかにする。
「2人は·····これからどうするの? ここには先生の独断で連れてこられたわけだし、元の病院に戻るのも―――」
「·····少し、芽愛と今後について話をする予定でいます。·····申し訳ありませんが、2人きりにして頂けると·····ありがたいです」
「··········」
「芽衣·····! 芽愛·····!」
しばらくの間沈黙を貫いていた姫乃が、再び俯いてしまった姉弟に、声をかける。
その声に顔を上げた2人に、姫乃は―――――
「私は何があっても、2人の味方です。·····2人が私を守ってくれたように、私も·····2人の力になりますから!」
「御嬢様·····」
「·····だからまた··········一緒に学園に行きましょう。怪我を直して、普通の学生として。·····また·····一緒に·····!」
自らの主が紡いだ言葉を受け止め、互いに目合わせた姉弟はそっと、笑を零したのであった。
**********
芽衣と芽愛に言われるがままにその場から離れた後、4人は研究所の一角である、いかにもサイエンチックな1Fロビーにて、ぼーっとして歩いていると激突しかねない一面ガラス張りの空間にその姿があった。
「·····姫乃は、2人の言ってた”あの人”って言うのが誰か、知っているのか?」
「あ·····はい。一度、2人から話を聞いたことがあるので·····」
すると姫乃は少しだけ躊躇うような仕草を見せ、やがて息を呑むと口を開いた。
「”あの人”っていうのは、2人の··········お母さんなんです。·····私も何度かお会いしたことはありますけど·····」
「どんな人なんだ?」
彼方の問いに、姫乃は表情に出るほどの嫌悪感を抱きながら言う。
「あまり大きな声では言えませんけど·····あの人には、人間の心が無いような気がします。·····慈しみや愛情·····普通ならば持っているはずの”母親としての感情”が、欠落しているかのような方なんです」
「··········」
「·····私が唯一、嫌いな人·····かも知れません」
「·····マジ?」
姫乃にここまで言わせるんだから、余程の人なんだろう―――――
その言葉を聞いた3人は、心のどこかで、覚悟を決めたのだった。
**********
「··········」
暗闇。
それは人間が活動することに対して、あまり好条件とは言えないかもしれない。
しかし、生まれながらにして”人間”である事をやめた彼女にとって、暗闇とは絶好の活動環境と言える。
「··········」
身体は、動く。·····ならば、治療など、今優先してすべきことでは無い。
「··········」
無機質な天井を見つめていた瞳を、これまた無機質な左手側の壁へと向け。芽衣は、一切の音を立てずにベットを降り、そして―――
(確か·····この辺りだったはず·····)
出入りしていたゆかりがそうしたように、指先で操作盤があると思われる場所に触れる。すると―――――
「··········」
恐らく、ロックの類は解除されていいたのだろう。なんのラグもなく、相変わらずの不可解な開き方で扉は開いた。
「··········」
姫乃の警護を主に、芽愛と2人でこなさなければならない事は言い尽くせないほどある。山積みだ。
(·····あのセカイにいた暗殺者―――この正体も、ハッキリさせなければ·····)
姫乃の身を守る以前に、自らを狙う輩は排除しなくてはならない。今回のように、取り込み中に手を煩わされては話にならない。つまり―――――
「こんな場所に、用はありませんから」
微かに足元が見えるかという暗闇が広がるラボの廊下を目にし。芽衣は躊躇うことなく外の世界へと一歩を踏み出した。
「どこに行くのかしら? ·····芽衣さん?」
「ッ·····!」
扉をくぐり抜けた、丁度その時。扉の影の闇に隠れるように立っていた人影が、芽衣の背を呼び止める。
「·····止めても、無駄ですよ」
ゆかりだった。
「止めるつもりなんて、さらさらないわ。·····勿論、邪魔をするつもりも」
「·····では、何故そこに居るのですか?」
ゆかりは無言のまま手に持っていたクリアケースを掲げ、口を開く。
「·····ん、まあね。分かりやすい言葉で言うとすれば、”商談”·····かしらね」
「それは·····?」
「ふふ·····気になる? ·····これは私が·····いや、私たちが研究している新薬―――そのプロトタイプなの」
「··········」
「体の自然治癒力限界まで上げて、致命傷をも短時間で治してしまう薬。·····これが世に出れば、さぞ多くの人間がこれを欲しがるでしょうね。·····ま、誰にも売るつもりはないけど」
「·····そんなものを、なぜわたしに?」
「へえ·····。あなたの一人称、元々はわたし·····だったのね」
「·····っ!」
そのゆかりの発言に芽衣は明らかな警戒を見せ、身構える。
「あなたは·····何を知って·····!」
「·····何も知らないわよ。ただ、あなたが無理をしているって、感じただけ。·····いち医者として、ね?」
「··········」
「それで·····私の商談についての話なんだけど―――」
未だ警戒を解くことなく厳しい目を向ける芽衣に、ゆかりは。
「取引は·····こう。あなたは今すぐ病室に戻って、怪我が治るまで安静にしていること。·····そうしてくれたら、·····特別よ? この薬を、あなたにあげるわ」
「·····!」
それは自信か、はたまた謀策の嘲笑か。
ケースを乗せた手のひらを芽衣に差し出し、不敵な笑みを浮かべたゆかり。
その髪を、どこからともなく吹きつけた風が、息をするように揺らして行った。
to be continued·····
お読み頂きありがとうございます!
投稿遅くなりましてすみませんでした。完結に向けて一生懸命、Mono―――動きます。




