49話:不幸を運ぶ蝙蝠
蒼い穹を絶つ、天元の太刀。
天絶翔命流の秘奥義の一つである”蒼穹”は、利き手側に大きく身体を捻り、その回転により生まれる体の弾性力を最大限に活かした、横凪の一撃を繰り出す剣術である。
自らの背丈を優に超える大熊の一撃は、その殆どが上方向からの振り下ろし攻撃であり、その威力を相殺、もしくは押し切るのには、その力を分散する斜め方向からの攻撃が有効と判断し、よって彼方はその”蒼穹”を、迎撃に用いたのだ。
「は··········あぁぁぁッ!」
綺麗な半円上の弧を描いた彼方の刀が、大熊の巨大な爪と交錯し盛大な金属音を森に奏でる。
力比べの鍔迫り合い―――片方は爪ではあるが、その一瞬の戦況の停滞を見逃さず。芽衣は、大熊の背後に回り込むと、その無防備なうなじに大振りの苦無を突き立てようと暗躍する。
だが―――――
『―――――ッッッッッ!!!』
それを野生の感で察知した大熊は、片手間に彼方をいなしながら、逆の腕を芽衣の攻撃に合わせて薙ぎ払う。
「くっ·····!」
攻勢から一転、苦無を盾代わりにし防御するので目一杯の芽衣は、その勢いのままに押し返されて少し離れた場所まで飛ばされる。
「ぐっ·····あああァァッッッ!!!」
だが、そのほんの僅かな瞬間、大熊の意識が芽衣に向いた隙に、渾身の力をもって振り切られた彼方の刃が、大熊の攻撃を完璧に弾き返す。
『――――――ッッッ!?!?』
「喰らい··········やがれぇッッッ!!!」
天絶翔命流剣術・天絶空。
珍しく驚きに目を見開き、大きく後方に弾かれた大熊の喉仏を目がけ。”斬撃”ではなく、刀身を真っ直ぐ対象へ突き出す、”刺突”による一撃を浴びせるべく。彼方は、思い切り地球を足蹴する。
「·····ッ!」
『―――――ッッッッッ!!!』
突き出された刀身が、銀色の輝きと共に大熊の急所へと真っ直ぐに向かう。
込める力をより一層強め、眼前の脅威を一撃で仕留めるべく剣気を高めながら。彼方は、勝利を確信し―――――
「なッ··········!?」
大熊の喉元まで、切っ先があと数ミリに迫ったとき。
大熊だけを見ていたはずの彼方の視界が、真っ黒に染まる。
次の瞬間、突風に煽られたような唐突な浮遊感と、全身を銃で撃ち抜かれたかの様な衝撃、それに加えて激しい痛みが彼方を襲う。
当然、命中間際だった”天絶空”も、無理矢理に無へと帰された。
「があッ!?」
質量の塊に打ち据えられ、枯葉のように軽々と吹き飛ばされた彼方は、赤い線を残しながら茂みの中へと消えていく。
「彼方様ッ! ッ··········!」
目の前で起こった現象理解の追いつかないまま、自らの鼓動に合わせて込み上げる痛みを堪え、次はお前だと言わんばかりに身を反転させる大熊へ向け、苦無投げつける。
そして、大熊が自身の瞳めがけ投げつけられた刃を腕で払い除け、再び少女が今までいた場所へと目を向けた時。
『···············』
·····そこに、少女の姿は無かった。
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姿を消す。それは、芽衣が最も得意とする行動のひとつ。
動物は機械と違い、自身の意思下において複数の情報を処理することに慣れていない。それは、人間はもとい、異進種であってもそうそう覆すことの出来ない固定概念であるのだ。
(恐らく、あの黒いモノは―――)
彼方を通り魔的に切り刻み、戦線から強制的に離脱せしめた存在。芽衣は反射的にそれを目で追いその正体を暴いていた。
(殺人蝙蝠·····それもかなりの大群。そして·····なぜ、今このタイミングで現れる·····?)
彼方を傷つけ、先の木々を掠めて上空へと舞い上がって行ったその”異進種”は、タイミングから考えても、大熊の窮地を救うべく現れたように感じる。
·····と、何らかの”統率”を疑念として抱く芽衣は今、大熊の僅かな隙をつき、茂みの中に身を踊らせていた。
(·····細かい詮索より、今は彼方様を·····ッ!?)
その訳は、もちろん彼方の行方を探すこと。そして、いまあの熊とやり合っては、自身の命を保証できないということから―――要するに、避難してきた訳だが。
「これは··········」
第一の目的を果たすべく、少年が飛ばされた辺りまで身を屈めながら移動してきた時。目の前にそびえる木の幹に、べっとりとこびり付く血痕を見つける。
「·····ッ!彼方様ッ!」
そして、真新しいその跡から、ほんの少し目を横に向けると、そこには黒い髪の少年が、物言わず、横たわっていた。
『――――――――ッッッ!!!!!』
時を同じく、木々の向こう側、思いもよらぬ”助け舟”によって勝ちを拾った大熊が、荒々しい咆哮をあげる。
「··········」
その熊の気配を背後に嫌という程感じながら、少女は目の前の小枝にひっかかり、持ち主に拾われるのを待っていた刀を手に取る。
そして―――――
「·····そんな所で、眠っている場合ではありませんよ」
「··········」
”持ち主”である黒髪の少年―――彼方の元へゆっくりと歩み寄ると、手に持った刀の柄をきつく握り締め、切っ先を少年の頭のすぐ脇の地面にドっと突き立て、僅かなたるみもなく張られた弦のように、凛とした声音で言い放った。
「·····まさか、死んでなどいませんよね? 犬死にされては、させたわたくしが、御嬢様に叱られるのですが?」
すると、僅かに指先を動かした少年が、途切れ途切れに言葉を紡ぎ、再び息を吹き返す。
「·····うっさいな·····少し·····休憩してた·····だけ·····だっつうの·····!」
「予想外の一撃に打ちのめされ、伸びていた。·····ように、わたくしの目には映ったのですが」
「別に!? ちょっと着地に失敗して!? ちょお〜っと強めに腰は打ったけど!? 全然!?これっぽっちも痛くありませんでしたけど!?」
「·····そんなボロ雑巾のような身なりで言われても、説得力がありませんね」
「こッ·····これは···············見なかったことにしてくれ」
「致しません」
芽衣の叱咤激励―――改め悪口雑言を耳にした死者―――そもそも死んでなどいないのだが、彼方はのそりと寝返りを打つと、続けざまに吐かれた毒に対し、必死の反撃をする。
「そ、そうやって”口”撃できるお前も! それに反撃できる俺も! 2人ともまだまだやれる、ってことでオーケー!?」
「後者がどうだかは知りませんが。·····わたくしは、まだやれます」
その芽衣の答えを聞き、ったく·····あちこち痛えよ·····と、文字通り全身に醜い切り傷を負った彼方が、よろよろと立ち上がりながら呟く。
「·····横槍を入れたのは、殺人蝙蝠で間違いないようです。·····それにしても、あの一瞬でよく最低限の防御を··········感心しました」
上空を旋回する”黒い塊”―――コウモリの大軍を見上げながら、芽衣が言う。
「いや·····あれはやばかった。あと少し反応が遅れてたら·····こうだな」
手で首筋を切るような仕草をする彼方に、芽衣は短く息をつきながら言う。
「·····その分、全身の各所を裂かれてはいますが」
「そう。めっちゃ痛い、すっげー痛い。泣きたい」
「どうぞ、お好きに」
「··········」
あくまで”塩”を貫く芽衣は、渋い顔をする彼方をよそに。
意識をそちらへ向け、静かに呟く。
「·····貴方を慰めるのも、労うのも、わたくしの役目ではありません。·····その役割は、御嬢様が」
「··········」
その言葉に、ふと顔を上げ。
彼方が、はにかみながら芽衣へ言う。
「·····ああ。·····もちろんその時は”君も一緒に”だけどな」
「·····!」
自分たちを”見る”視線に、睨みを返し。
「·····絶対帰るぞ、俺たちの世界に」
「はい」
「ウルドが居ようが居まいが関係ない。これを乗り越えるのは俺たちだ」
「はい」
「成功の条件はただ一つ、生きて帰ること。以上!」
「·····はい!」
芽衣の単調ながら気持ちの込められた返事を耳にし、彼方は―――
「来るなら·····来やがれ! この熊野郎ッ!」
『――――――ッッッッッ!!!』
茂みの先からこちらを見る赤い瞳に向かって、声高に、宣戦を布告するのであった。
to be continued·····
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