48話:命の天秤
木々の合間、不気味な静けさを奏でる森の中で、少年は―――――
「いや·····触るなって··········えぇ··········?」
文字通り、言葉を失っていた。
「·····別に、生理的な嫌悪感を感じての発言ではありませんよ。·····今下手に触れられると、折角押し戻した肋がまた戻ってしまいますから」
「·····あ、そういう事ね」
「前科がおありなんですか?」
「·····いや、ねえけど··········」
初手から煽り文句が溢れ出す芽衣だったが、頬についた血を手で拭い、立ち上がろうと四肢に力を込めた·····その瞬間―――――
「·····ッ!」
「お·····おい! 肋ってことは、無理に動いたりしたら·····!」
「大丈夫ですよ·····これくらい。·····そんな事より、今は····ッッ!」
眉間に深い溝を刻んだ芽衣は、苦悶に満ちた吐息と共に腹部を押さえうずくまる。
「とても·····大丈夫そうには見えないんだけど··········」
「·····心配されると疲れますので。·····程々にして下さいますか」
「·····じゃあ肋の方の心配はしないよ。·····で、その腕は?」
「·····?」
肋の痛みに気を取られ、本人も気付いていなかったのか、ふと自らの腕に触れた芽衣は、先程とは少し違った仕草で顔をしかめる。
「·····こちらもかなりやられましたね。·····まあ、足でなければ走れますので、大目に見ましょう」
「色々と日本語の使い方間違えてません·····?」
彼方の言葉を軽く聞き流し、短く息をついた芽衣は少し前までが嘘のように滑らかな動作で立ち上がる。
「この程度で音を上げていては、仕事になりませんから。·····それに、今はわたくしの心配より、ご自身の心配をなさって下さい。·····わたくしに先ほどまでのような動きを期待していると、痛い目を見ますよ」
「精神が屈強過ぎる··········」
本人以上に精神的に疲弊した彼方をよそに、芽衣は自らの気を悟られないよう、極わずかな身振りで辺りを見渡す。
(·····気配が··········消えている··········)
「·····?」
そんな芽衣の動きを見て、あれやと彼方が口を開く。
「ああ·····あの熊なら、そこでめり込んでるよ?」
かち割られて突き出た破片が茨のように噛み付き、天然の手枷と化した大木から逃れようと暴れる大熊を、彼方が目線で指す。
「それは知っています。·····彼方様の”頭”は、飾りではなかったようですね」
「··········君も、元気そうで何より」
それを盛大な皮肉で返された彼方が、真顔で芽衣に視線を落とし。
「·····走れそうか?」
「まあ·····全速とまでは行かなくとも、軽くなら」
「君の”軽く”の基準が、一般的な標準であることを祈る·····」
動く方の腕で裾についた落ち葉を払い除けると、芽衣は深い息を1つつき、姫乃たちが向かったはずのゲート方面へ向け、一歩を踏み出す。するとその時。
『·····彼方!』
かさっという足音に混じり、あの声が聞こえた。それは、紛うことなきウルドの声。
「えっ!?誰!?」
『ええい! ボケるにはまだ早かろうが!』
「·····ってウルドか!? いざって時に何してたんだよよ!?」
ほのかに強い口調に気圧されたかのように、ウルド
は申し訳なさそうな口調で、2人に語りかける。
『すまぬ、少しばかり邪魔が入っての。だが、これで暫くは接続が安定するはずじゃ』
「なんだよ邪魔って·····」
その彼方の問が言葉を成す前に、ウルドは言葉を続ける。
『·····世界同士を繋ぐ導線が、不安定になっておる。お主らも早く現世に帰らなくては、ゲートの再構築までかなりの時間を要する羽目になるぞ』
「かなりの時間って·····どのくらい?」
『おおよそ、1時間と言ったところじゃな』
「こんな戦闘1時間も続けてたら干からびるって··········」
『·····ッ! 何じゃと!?』
僅かに歩を早める2人だったが、その道中。ウルドが鬼気迫る声音で悲鳴をあげ、再び足を止める。
「今度はなんだよ·····また邪魔が入ったのか?」
『·····これは·····何故じゃ? こんなにも時があれば、容易く潜ることが出来たはず·····!』
「だから何があったんだよ·····?」
彼方の問いに息を詰まらせたウルドは、どこか気まずそうに、それでいて鮮明な焦燥感を声に滲ませ、呟いた。
『·····佐倉姫乃が、まだゲートを潜っておらぬ』
「なに·····?」
『同じく、他の2人も潜っておらぬ。·····くっ、何か別の脅威に阻まれたか·····?』
ウルドが呟くと同時に、2人から少し離れた位置で暴れ周りながら、めり込んだ腕を無理やり引き抜いた大熊が咆哮をあげる。
「クソっ·····! どちらにせよ、あいつを連れて姫乃の所には行けないんだ。·····ここで動きを止めないと·····!」
背後からあがる声音に、彼方は再び刀を手に取り臨戦態勢を取る。
『·····今、詳しい状態を探る! 少し待つのじゃ』
「ああ·····。頼む」
迫り来る殺意の塊に背筋に悪い感触が走る。だが、ここで引く訳にも、そして殺される訳にも行かない。
生きて、自分たちの世界で会うために。彼方は、大熊が攻撃を仕掛けてくるタイミングを見計らい、じわりじわりと体に力を溜める。だが―――――
「·····わたくしが、奴の足止めをします。·····彼方様は、御嬢様の所に向かって下さい」
そう肩を引くように呼び止めた芽衣がらどこからか取り出した苦無を両手に握り、彼方の前に出る。
「おい! ちょっと待てって! その怪我でアイツと·····それも1人で戦うつもりか!?」
彼方の言葉に、芽衣は口元に僅かな笑みを浮かべ―――――
「·····ッ!」
その表情に込められた様々な感情を、彼方は悟る。
·····恐らく、1人ではこの異進種を仕留めることは出来ない。手負いかつ専門外である討伐が失敗に終わることを、芽衣は誰に言われずとも知っていたのだろう。
彼方に肩越しの視線を送っていた芽衣は、自らの心意を汲み取ったであろう少年から僅かに目線を下へ向けると、正面に居る異進種へと振り返り、静かに呟く。
「·····わたくしが帰るのと、彼方様が帰るのと。·····どちらが、御嬢様が喜ぶと思いますか?」
「·····それは、どういう意味だ?」
芽衣はその彼方の問いに、今度は肩越しの声で答える。
「·····”家族”である彼方さまと、”赤の他人”に過ぎないわたくしを天秤にかけた時―――――傾くのは貴方の方です、彼方様。·····御嬢様を悲しませない為にも、賢明な判断を」
「···············」
俯く彼方へ投げたその言葉を最後に、芽衣は異進種へと歩み出す。
「·····御嬢様を、どうか·····よろしくお願いします」
傷付いた肉体のあげる悲鳴をものともせず、朱色の瞳から凛とした輝きを放ち。ぐっと駆け出した芽衣の肩を、力強い手が制止する。
「·····俺の天秤は、こっちに傾いたぜ」
「なっ·····!?」
不意を突かれた芽衣が、目を見開き振り返る。そこには、黒い髪の少年が不敵な笑みを浮かべ立っている。
「貴方はッ·····!? 何を考えていらっしゃるのですか!? 」
「·····正しくは―――何も考えちゃいない、だ。芽衣」
「貴方は·····! 貴方はあの方の兄なのでしょう!? ·····何故そうも、自らの才を無下にするような行いをするのです!?」
今にも襲いかかろうと息遣いを荒くする異進種を前にして、この男はいつまでおちゃらけているんだと。
芽衣は心底呆れたかのような、それでいて憤りを孕んだ声音で彼方に言い放つ。·····だが彼方は、その言葉にさえ簡単に言い返してみせる。
「·····姫乃と俺の間に、血の繋がりは無い。·····知らなかったのか?」
「·····ッ! ··········だから、赤の他人を選ぶと?」
「いいや、それも違う」
「·····何が·····言いたいのですか·····?」
「··········」
芽衣の問いを聞き、精神を研ぎ澄ませるかのように静かに息をつく彼方。
そして、一度は納めた鞘からもう一度、その牙を抜き放ちながら、呟く。
「天秤は、つり合ってる。·····いや、つり合わなくちゃいけない」
少し前とは輝きの異なる瞳で、優しく芽衣を見つめながら。少年は―――――
「命は、天秤にかけちゃいけない。かけられないんだ。·····だから―――――」
天絶・翔命流剣技―――――蒼穹―――――
遥か大空に、一筋の弧を描き。命を、飛翔かせる剣。
「·····俺もお前も··········みんなッ! 生きて! 帰るんだッ!」
彼方は握り締めた己”の牙”で、降りかかる災いを祓うべく。·····強く、大地を蹴るのであった―――――
to be continued·····
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