1話:日常の一幕
朝日が差し込む部屋に、また、その音は鳴り響く。
ピピピピ―――ピピピピ―――
「んんん…」
何度目かの電子音にようやく目を覚ました少年は、肺から漏れる重苦しい空気を吐き出しながら、ノソノソと体を起こし始めた。
「っ…いててて…」
体中に血の巡る感覚を覚えた瞬間、少年は自らの身体に残る重篤なダメージによって、さらに鮮明に意識が覚醒した。
「くそ…昨日は流石に無茶し過ぎたな…」
筋肉の伸縮と同時に響く筋肉痛を堪え、少年はベットから立ち上がり、背筋を思いっきり伸ばした。ついでに、あくびも一つ。
「はぁ。…来年からはあんな事にならないようにしないと…体がいくつあっても足りねぇ…」
昨日の ”悪夢” がふと頭をよぎるが、その思考を遮るように、目覚ましの音とは少し違う電子音が少年の鼓膜を揺さぶった。
「電話…?」
その発生源は、ベットの枕元に放り投げられた携帯端末。
面倒臭そうに端末を拾い上げた少年の目に飛び込んできたのは、とある、友人の名前。
「……」
無言で、少年はその着信を拒否する。
「……」
無言のまま身支度に入った少年だったが、間髪入れず、再び、着信音が鳴る。
「なんだよっ!?」
わなわなと震えた少年はカッカッと画面を雑に操作し、嫌々電話を取りスピーカーを耳に当てる。
すると、そこから聴こえたのは少年にとって聞き慣れた……訂正、”聞き飽きた” 能天気な声。
『あ、もしも~し。おはよ〜彼方』
その声に、盛大な溜息をつきながら。
「お前にモーニングコールを頼んだ覚えはないんだがぁ!?」
『またまた、そんなつれないこと言わずにさあ』
「だ!か!らぁっ! なんの用だよぉ!?」
気の触れようで語尾がおかしくなる少年を他所に、電話相手は能天気に言った。
『う〜ん……って言っても、特に用は無いんだけどね』
「はぁ?」
『まあ昨日が昨日だったからね。うん、生存確認?』
「勝手に殺すな!」
『生きてれば問題な〜し。じゃ〜ね〜!』
誰かコイツに、言葉のキャッチボールってもんを教えてやって下さい……と、心の中で呟く少年――彼方。その投げかけに、誰が答える訳もなく。
「はぁ……なんか今日も疲れる一日になりそう……」
通話が終わり、ホーム画面に戻った端末の画面。そこに映し出された ”2187年1月1日”の表示を見て。
新たな年、新たな一日を迎えた、とある世界で。
少年は、新たな一歩を、踏み出すのであった。
**********
現在、鳳凰学園等科学校のあるこの場所には、過去に前・日本政権時代の中枢機関である4階建ての施設が存在していた。
後に学園を創設するにあたり改修され、高層化されたのが今の校舎で、地上7階、地下3階建て、敷地面積20万平方メートルを誇る国内最大級の学校となった。
朝8時を過ぎた、ごく一般的な通勤・通学のピークタイムを迎える時刻。
そんな学園の一角で、少年――彼方は寮のある建物を出発し、学園の校舎へと向かっていた。
「こんなにボロボロになったのいつぶりだろう……」
動く度に全身の節々が軋む音を聞きながら、満身創痍の体をぎこちなく動かして彼方は行く。
ある、ひとつの目的のために。
「あぁ……腹減ったなぁ……」
そう。目指しているのは、目の前にそびえる校舎の最上階にある、展望食堂である。
体さえ元気なら一目散に走っていくのだが、如何せん今の状態ではそうもいかない。……が、しかし。運命の神様というのは時に残酷で、校舎に入った彼方の目に飛び込んできたのは――――
「……」
無論、7階建てともなればエレベーターが完備されているのが当たり前の時代だ。……しかし、目の前にあるのエレベーターの操作版には、無情な掛札がぶら下げられていた。
「故……障……だと……?」
肩をガックリと落としながら振り向いた先には、学園名物の中央階段がデーンと鎮座している。
1階辺り34段、それが7階までで計238段。
「…………」
口の中に梅干しをひと瓶丸々放り込まれたような顔をして、呆然と立ち尽くすこと10秒。大きなため息と共に、彼方は意を決して、永遠とも思える旅に出るのだった。
そして、手すりにしがみつくようにして7階の床に踏み出した彼方だったが、再び彼を、悲劇が襲う。
ふと、頭の中にカレーやラーメンと言ったお決まりのメニューの図が浮かび、それらを頬張る自らの姿を思い浮かべた、その時だ。
「あっ……あれ……? これは……どういう……?」
普段生徒で賑わう憩いの場、食堂。
それがどういうことか今は人っ子一人居おらず、代わりに出入り口のガラス戸前に立てられた、”CLOSE”の看板。そして、貼り出された”臨時休業のお知らせ”。
「……なん!でや!!ねん!!!」
あまりに理不尽な運命に、遂に彼方が痺れを切らした。
「飢えた育ち盛りの学生を前にして……それでもお前は…!お前は休みだって…!そう言うのかよ!!!」
”CLOSE”の看板を手に満面の笑みを浮かべるシェフ風人形に、行き場のない怒りをぶつける。
それでも満面の笑みを浮かべ続ける人形の肩に手を置き、彼方は崩れ落ちた。
「どうか……パンの一切れ……いや……2日目のカレーでもいい……恵んでくれ……」
「いや。2日目のカレーは、君には勿体ないかな。アレ美味しいし」
「……へ?」
返事をするものだと思って話していた訳でない彼方は、その声に完全に意表を突かれた。素っ頓狂な声を上げ振り返った先には、見知った……いや、見飽きた顔の少年が立っていた。
**********
今朝、あの熱烈なモーニングコールを受けたあと、彼方の携帯端末にはあるメッセージが届いていた。
『上で待ってるよー』と。
「シェフ風人形……!遂に意志を持ちやがった!……って、一瞬マジで思ったからな」
「 はは。飢えすぎでしょ」
そう彼方の隣で微笑むのは、メッセージの送り主であり、モーニングコールの発信元でもある、幸坂逢里。
2人の間で言う”上”とは食堂の事であり、「今どこにいる?」「上」と言うように、会話が成立するわけだ。
「んで、ミックスサンド。お気に召しましたか?」
「うん。美味い。……でもよく見つけたなこれ。コンビニの中でもファミリアにしか売ってないやつじゃん」
「今日購買も閉まっててさ。どうせ行くならと思って買ってきた」
「マジ助かった!まさか食堂も閉まってるとは思ってなかったし」
「なんかインフラ死んでるよね今日。気持ち電波も悪い気がする」
「それお前の携帯が低速化してるだけじゃん?」
「いや今日は一日じゃん」
……と。いつも通り、2人の少年が言葉を交わすのは、校舎の8階――最上階の更に上。つまり、屋上である。
この付近で一番の高さを誇る鳳凰学園。その屋上で軽食をとったり、のんびりと過ごすのが2人のルーティーンなのだ。……ちなみに、立ち入り許可を取ったことは一度もない。
「このままダラダラしてたいのは山々なんだけど。今日は定例会だし……あんまりのんびり出来ないね」
「普通に正月学校って……俺ら真面目だよな」
「それ言えてる」
そんな中、2人の耳に木琴の奏でる心地いいメロディーが届いた。
逢里のデバイスに、SNSのメッセージが来たことを知らせる通知音だ。
「あれ逢里くん、追試ですか?やーねー」
「君じゃないんだからさ。誰かからのデートのお誘いかも」
「お前が!? 誰と!?」
「こう見えて引く手数多だよ〜?僕」
「ちぇ〜嫌味なやつぅ〜」
紙パックのお茶をずずずーと吸い込む彼方の隣で、逢里は端末を操作してメッセージを確認する。数秒後、小さく息を吐くと同時に画面を消灯させる。
「なんか急ぎの用事か?」
「……」
無言のまま、オレンジジュースで喉を潤す逢里だったが、少し経って、こう言う。
「……実はさ。今日、約束してたんだよ」
「お…おう…?」
「……」
また、少しの無言を挟んで。
「……8時30分に、講堂前で」
「え…? 講堂って……定例会は9時からじゃねえの?」
「いや……定例会とは別件で」
「……」
ふと、彼方は がなにかに気付く。
「それってもしかして……例の風紀委員長様案件……?」
「お、当たり」
「……」
3度、無言。そして――――
「……おい、逢里」
「なに?」
「今、何時何分だ?」
「8時42分だけど」
「……」
「……」
「……」
「なんか喋ってよ」
「……」
方や顔を引き攣らせ、脂汗に額を光らせ。方や、とぼけた様子で悠長にオレンジジュースをゴクリ。
そんなカオスを一喝したのは、こんな、絶叫だった。
「もう過ぎてんじゃねえかよおぉぉぉォォォおおおオオオ!?!?!?!?!」
to be continued·····
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