蛍丸伝説 ~刀剣の記憶~
「おう、やはり此処にいたか昌直」
俺は同僚の肥後藩士である松村昌直にそう声を掛けた。
藩内でも博学で名を馳せるこの男、無類の刀剣好きでも知られている。よって暇を見つけては刀剣を眺め、刀剣を眺めてはその様子を仔細に書き記す。また自らも優れた刀剣を鍛える程の腕前を持つと云うから恐れ入る。
今日も今日とて阿蘇神宮の拝殿に独り籠り、一振りの大太刀を前にして熱心に書を認めて居た。
何故斯様な場所に居るかと云えば刀剣が在るが故。この男にとって其れは当然の如しか。周囲はそんな篤学の熱に折れ、自書である『刀剣或問』を認めるにあたり自由の出入りを赦したのだ。
夜も更けて宿舎を覗けば昌直の姿が見えぬ。急な用事があるわけではない。ないがどうも気に掛かる。
姿が見えぬならどうせ此処に居ようと、暇に飽かして探し出した俺が声を掛けた処だ。
果たして昌直は居た。板張りの拝殿に座し、一振りの業物を目の前にして。
「なんだ其れは」
「此れか。此れは蛍丸国俊だ」
刀剣に明るくない俺は、いちいち訊ねねば其れが何の銘であるかも分からぬ。昌直は突然現れた俺を意にも介さず、独り呟いた。
「相も変わらず濃やかにして麗しき地金よ」
「そういうものか」
「そういうものだ。分からんか」
「分からん」
俺がそう答えると、昌直は大仰な態度で「お前はどうにも無粋者じゃな」と云い放ち、苦笑いをして溜息を突いた。
確かに俺は、刀剣なんぞとんと分からぬ。「此れぞ雅か」と問われれば「只の武器ぞ」と答えるだろう。俺の腰に差した刀とて、形ばかりで業物とは程遠い。
無粋呼ばわりされれば、流石に俺も鼻白む。腹に据えかねんものがないとは云わん。
云わんが、博識に勝る昌直に云われれば、然もありなんと答える他に科白はない。
昌直は不貞腐れた俺を気にするでもなく、刀身に見惚れたように「ううむ」と呻った。
「月の綺麗な夜だ。こういう晩こそ刀身を眺むるに限る」
「そういうものか」
「そういうものだ」
ただ、そう答えて刃先へじつと目を凝らす。
俺も真似をしてじつと眺めてみたものの、刃毀れを生じた只の古びた刀にしか見えぬ。
そんな俺の心持ちを察してか、昌直はニヤリと相好を崩して、
「見えるものばかりを見るから見えぬのだ。目に見えぬものを見てみるがいい」
などと問うてきた。
「なんじゃそれは。頓知か?」
「頓知ではない。単なる智慧じゃ」
そう云われては癪に障る。昌直を真似てじつと見入る。なれど幾ら目を凝らそうが、頭を捻ろうが、俺に答えなど知れるわけもない。
「ええい、いいから教えんか」
「刀の記憶を想えと云うている」
「刀の記憶だと?」
「そうだ」
昌直の云う『刀の記憶』とは即ち、その背景にある歴史を知れと云うことであった。
蛍丸国俊――
九州は肥後国の名族、阿蘇惟澄が遺愛刀である。刀身は三尺三寸四分五厘|(一メートル三十五センチ)、短刀で有名な来国俊作にしては珍しき大太刀だ。
建武三年、この大太刀の持ち主である惟澄は、当主惟直に従って、北朝を成立した足利尊氏の軍勢と筑前多々良浜に於いて相対す。
阿蘇氏は九州では同じく重鎮である菊池氏と共に連合軍を組んで尊氏を迎え討った。
この時、尊氏は本州に於いて連敗しており、九州上陸に失敗すれば後がない。まさに背水の陣であった。
惟澄は大いに奮戦したものの、背水の陣で挑んだ尊氏を前にして甲斐なく、不幸にも大敗を喫してしまう。
当主惟直、惟威は戦死し、惟澄はひとり生き残った兵たちを引き連れて、追い縋る敵を斬り払打ち払いして窮地を脱す。
命からがら阿蘇まで辿り着いたものの、愛刀の大太刀はささらの如く、刃毀れを生じてしまった。
すっかり疲れ果て居館にて深き眠りにつくと、惟澄は不思議な夢を見る。
何処からともなく現れた蛍の群れが我が愛刀へと群がると、煌々と光を照らしては消え失せたではないか。
翌朝起き出でて帰還してよりそのままの大太刀の鞘を払ってみると、刃毀れひとつなく元の刀身となっていたという奇瑞である。
この霊験により修復されし此の太刀を「蛍丸」と命名した――そう傳えられている。
「そう聞いてどうだ」
「どうだとはなんだ?」
「惟澄様の奮戦を思わば、お前とて武者振いのひとつはしようが」
「うむ、そう云われれば、分かる」
そう説かれて改めて刃を眺むれば、なるほどそれが刀の記憶かと窺い知った。
だが一方で釈然としない心持ちもある。
「確か伝承では、欠け損なわれた刃が元通りとなったと云うたな」
「ああ、云った」
「だがこれは損なわれたままではないか」
蛍丸の刀身は物打ちに其処此処刃毀れを生じ、限界まで砥ぎ減らした刀身は、彫りたる文字が磨滅するほどである。
「此れでは元通りとは程遠かろうに」
「だがそれがいい」
昌直はそう云って、俺の不満を一笑に付した。
「其れこそが実戦刀というものだ」
「そういうものか」
「そういうものだ」
昌直は澄ました顔である。
然も当たり前のようにそう告げられては、俺も立つ瀬がない。だが真っ直ぐに云い切られれば、俺とてそうとしか思えなくなるのだから、まっこと不思議なものだ。
そんな俺を尻目に昌直は、懐から杯を取り出せば、何処ともなく瓶子を持ってきた。
「呑らんか?」
此の瓶子、まさか神前の神酒ではなかろうか、とつい頭を過る。だがこの中身は、恐らく神酒ではなく焼酎であろう。
この辺りの焼酎は『球磨焼酎』と呼ばれ、米で作るがつとに有名である。酒の数倍は濃かろうて、酒豪と程遠い俺は、直ぐに悪酔いしてしまう。
「どうだ?」
「ううむ、では戴くか」
普段であれば一も二も無く断わる処だ。だが何故か、今宵に限っては昌直の酒を呑む気になった。
彼奴にすれば、月の綺麗な晩だから、刀剣を肴に一杯呑ろうと云う処だろう。何故だか俺も、この男のそんな戯れに付き合おうという気になったのだ。
ひとつふたつ、互いに杯を重ね、酔いもほろろとなって往く。
そんな頃の事だ。
不意に天に雲が掛かり、朧月夜となった。
すると酔いの回った昌直が、愉快そうに俺に告げた。
「おう、見ろ。蛍だ」
「何を莫迦な。まだ時期ではな……」
だがそれ以上の二の句が継げず、俺は云い淀む。
どうやら俺も酔いが回ったようだ。
ひとつ、ふたつ。
蛍丸より出でし幾つかの光は、朧げな光を放ちつつ、ふわりふわりと舞い上がり始めたではないか。
その光、その動き。
まるで伝説に謳う蛍のようであった。
「どれ」
昌直はひとつそう云うと、酔うた足取りで拝殿の重い扉を開いた。
蛍丸より出でし仄かな光の魂々は、揺ら揺らと風に揺れるが如く、整然と整えられた玉砂利の上へと舞い降りる。
ふわり……ふわり……
蛍丸の刀身より出でた幾許かの光は、幽玄の庭に遊ぶかのように境内を舞い踊った。
参道を蓮の葉に見立てたが如く、微かな灯の舞う庭の様子に、俺はつい見惚れてしまった。
「どうだ、面白い物だろう」
「ああ……」
「此れこそ『刀の記憶』よ」
昌直はそう云って笑うと、ぐいっと杯を煽って空けた。
そうか――刀剣たちは、俺の想像を絶する程の、遥かなる悠久の時の中を生きてきたのだ。
昌直はその記憶の一端を、この俺に教えてくれたのだろう。ただ其処にある古びた武器というわけではないのだぞ、と。
刀剣の雅など、俺は分からぬ。
無粋者と罵られた俺であったが、今宵に限っては、ふと昌直の意気に触れたが気持ちになった。
「なるほど、面白い」
月の綺麗な夜だ。激動の世を駆け抜けた一振りの業物に思いを馳せるも良きものぞ。
● 松村昌直について ●
水先案内人を務めたる肥後藩士松村昌直(一七六五‐一八三四年)と云う登場人物は、実在の人物になります。
作中にて申し伝えましたる通り、博識で刀剣に造詣深く、自らも優れた刀剣を鍛えたという人物です。
著作に『刀剣或門』(一七九七年)という随筆があり、その同書追加の中に蛍丸の記述を最も詳しく読むことができます。
その昌直の蛍丸が著述を読むに「形の殊勝なること詞にのせがたし」と形容するなど、この大太刀に対するどこか敬愛めいた感情すら感じさせます。
今回は刀剣乱舞に纏わるフィクションと云うことで、審神者の先駆けのような人物として。
または付喪神の存在をどこか信じさせるような。幽玄の中に生きているかのような。
そんな浪漫を感じさせる不思議な人物として描かせて頂きました。
【参考資料】
「名刀 その由来と伝説」牧秀彦(光文社新書)
「阿蘇と大宮司」阿蘇品保夫(阿蘇市)
「日本刀」(宝島社)
「日本刀と無敵魂」武富邦茂(彰文館)
(敬称略)