プロローグ
血の味が舌の上に広がる。
内蔵を痛めてしまったのかもしれない。
もうとっくに感覚は麻痺してしまって、痛いだとか寒いだとか、そういったことは感じなくなってしまっていた。
私を取り囲む男の一人が、蹲った私の体を無造作に蹴飛ばす。
衝撃と共に、熱い者が喉を逆流する感触、この時喉に感覚が残っていたことに、自分でも驚いた。
私が転がった跡がいくつも残る土の上に、血の混じった胃液が零れる。
いや、もう胃液の混じった血と言った方がいいかもしれない。
少しだけ酸味のするそれは、真っ赤に色づいていたのだから。
私を蹴り飛ばしたのとは別の男が、私の金髪を掴み無理矢理に立ち上がらせる。
血、胃液、男達の唾液……ありとあらゆる体液で汚れた私の顔が、五人ほどの男の前に晒された。
私の纏う服は所々破け土に塗れ汚物と血で染まり、既にボロ布同然の有様だ。
私の髪を掴む男が劣情を孕んだ笑みを浮かべる。
恥ずかしいとか、怖いだとか、そんな感情はとっくに私の中から消え去っていた。
他人の映像を見せられているような空虚さがそこにはあった。
「じゃあ腕を折ってみるか! こいつが本物かどうか確かめてみようぜ!」
大柄の男はそう言うと、私の腕を両手で掴み捻りあげる。
コキリと小さな音がし、本来曲がらない位置が曲線を描く。
骨が皮膚を突き破り、外気へと晒された。
そんな凄惨な光景を目の前にして、しかし私は何も思わなかった。
何も感じなかった。
ああ、痛そうだな……そんなことくらいは考えたかもしれないけれど。
男が折れた腕を放す、それと同時に私の腕は耳障りな音を立てて再生を始めた。
骨が正しい位置に戻り、突き破られていた皮膚も塞がった。
まるで折られた事実がなかったかのように、腕は元に戻る。
「……おぉ、こいつはすげぇ。これが吸血鬼か」
男達の中で比較的細身の者が、その光景を見て感嘆の声を上げた。
「いい買い物しただろ? いくら壊そうが勝手に直るサンドバッグだ。高かっただけはあるよな。流石は化け物だぜ」
直ったばかりの腕を踏みつけ再度折りつつ、ニヤニヤと笑みを浮かべる男。
「しかしアニキ、オレ本物の吸血鬼見るのは初めてですよ。意外と普通なんですね、まーた偽物掴まされたのかと思いやしたよ」
「ばっかお前、今回のこいつはとある研究家が奴隷として買ったやつを譲り受けたんだぞ。偽モンなわけないだろ」
そう、私は吸血鬼。
人から生まれながら生まれつき鬼だったために、親に捨てられ奴隷となった少女。
上下二本ずつある鋭い八重歯と深紅の瞳が、吸血鬼であることの証明。
それは私にとって、まるで烙印のよう。
私が痛みを知覚すれば、魔力を使ってその箇所が勝手に再生する。
痛覚を見失っている今も、踏みつぶされている腕が重みに逆らってギチギチと嫌な音を出しながら元に戻ろうとしていた。
その様子を下卑た笑みを浮かべながら眺めつつ、男は続ける。
「だからよ、人相手には出来ないようなことでもこれ相手なら出来ちまうんだ。最高だろ?」
「へっへ、親方ったら何するつもりなんですか」
「そりゃあ女を買ってすることなんて決まってるだろ?」
バカみたいに大声で笑い出す男達。
頭の中で男の言葉を反芻し、その真意に至ると共にそりゃあそうかと納得する。
私はこれでも女だ。
齢にして十数歳、髪はボサボサと伸び放題で肌も汚らしいが、しっかりとあるところにはそれはある。
貧相ではあるものの、胸だってごく僅かに膨らんでもいる。
奴隷として売られてから約十年、数々の家を転々としながら様々なことをされてきたけれども、よくぞ今まで生娘でいられたものだ。
さようなら、私の純潔。
前々から覚悟していたことだからか悲しみは無かったけれど、いざその時が来るとなると不思議と寂しさのようなものがあった。
そう、この感情ははきっと寂しさ。
散々嬲られたのだもの、今更恐怖なんてするわけないわ。
強がる私の心に反して、目尻から新たな雫が生まれ頬を伝う。
止めようと思ってもそれは止まらず、汚れた頬を清める。
涙に洗われた肌はまるでカンバス、これからどす黒い絵の具で彩られる。
私の限界近くまで高まった恐怖が、止まっていた私の世界を動かし始めた。
痛みが、感情が……無くしたと思ったそれらが再び私の元に戻ってくる。
今の私にとっては、それらはさび付いたままの方が良かったのかもしれなかいのだけれど。
喉から漏れる荒い息が、次第に嗚咽へと変わっていく。
喉の震えを押さえることが出来ない。
私は泣いていることを彼らに悟られまいと、無事な方の腕で目頭を覆い、あらん限り歯を食いしばった。
お願い……止まって……泣いてもこの人達を喜ばせるだけで、助けなんて来ないのだから……
私の声なんてこの森に吸い込まれてしまう、それは誰にも届くことはないのだから……
それでも私の声は口から零れる。
次第に強くなるそれに、私を踏みにじる男がまず最初に気がついた。
「おいおい! お前ら、こいつ泣いてやがるぜ!」
私の腕を両方掴み、万歳の形になるように男は持ち上げた。
私の泣き顔が、男達の眼前にさらけ出される。
少しばかりの抵抗に、私は男達を睨みつける。
「おぉー、こいつ睨んできてるぞ! まだそんな元気があったのか、流石化け物だ!」
「怖い怖い、女がそんな顔するもんじゃないぞ! って、化け物だから関係ねーか!」
各々が様々な言葉で私を嘲り罵った。
私の目から落ちる滝が、流れを強める。
それを見て、男達の機嫌は更に良くなった。
小柄な男が、私の衣服を無造作に剥ぎ取った。
辛うじて隠されていた胸部や恥部が晒される。
男達の歓声は更にヒートアップ。
限界だった。
「…………けて。…………れか…………てよ」
誰に向けるでもなく無意識に、私は声を発していた。
「ん? お前なに言ってんだ、聞こえねーぞ?」
私を掴む男が顔を近づけ、そう問いかけてきた。
生暖かい域が顔にかかり、私の背筋を凍り付かせる。
震える喉を動かし、私は叫んだ。
「誰か……誰か私を助けてよ!」
「うおぉ……ッチ、うるせえだろうが!」
男に側頭部をひっぱたかれ、地に崩れ落ちる。
「ったく、こんな所に人なんて来るわけないだろうが。でかい声出してんじゃねえよ」
地面に伏す私の頭を踏みつけ、グリグリと緩急を付けていたぶる男。
この男の言う通りだ。
私たちがいるのは魔物の住む森の奥の、男達の住処。
なぜこんな所に拠点を持つのか、おそらくは玩具として買ってきた奴隷を私にしているように虐待するためだろう。
こんな所に来る人は、自殺志願者か、あるいはただのマヌケの冒険家くらいだろう。
蹲った私を、男達が殴る、蹴る。
殴る、蹴る、殴る、蹴る、踏みにじる……
やがてそれに飽きたのか、私を嬲っていた男達は私の四肢を押さえつけ、股を開かせた。
「俺の機嫌をあまり損なわせるな……精々俺達を楽しませろよ、そうすればしばらくは生きていられるぞ?」
自らのズボンに手をかける男。
これから行われることを想像し、私は硬く瞼を閉じた。
ざわざわと、木の葉が風に揺すられる音だけが聞こえる。
太ももに男の手が触れ、全身が強ばった。
「奴隷なんだから慣れてるだろうが、そんな顔するなよ。興奮するじゃねえか」
すぐ近くで男の声が聞こえる。
破瓜の痛みに耐えるべく奥歯を噛みしめた。
下腹部に硬い何かが触れ、私が絶望しかけたときに、それは起こった。
「ンゴアッ!?」
ドサリと音がし、下半身に触れていた物が遠ざかる。
……何が起きたの?
私はうっすらと目を開けてみた。
そこにいたのは、色褪せた銀髪の女性。
背が高くほっそりとしたシルエットが月明かりに照らされている。
手に持つのは、なんの変哲もない木の棒。
彼女は、私に向けてこう言い放った。
「助け、きたよ」