異世界とカレーとマイペースな二人。
なんというか、その場ののりです。
「……コメントしづれぇな」
「この状況でその反応に対して、私はすごくそう感じてるよ」
「そうは言っても、他のリアクションが思いつかねぇんだよ」
「まぁ、確かにリアクションに困る事態ではあるねぇ」
目の前に広がる光景を眺めながらやけにのんびりと言い交わしているいかにもな初心者装備の二人連れ。
一人目はもとが癖っ毛なのか、毛先がやや乱雑にはねているが長さはいたって常識的な範囲におさまっている黒髪が唯一目立つ点というだけで、地味な外見の青年。
二人目は化粧をすればそこそこ、といった雰囲気の女性。肩よりも少し長い程度の髪を首の後ろで一つにくくっただけで、こちらも良くも悪くも十人並みというところか。
おそらく同行者の青年よりは四つ五つ年下だろう彼女は小さく何かをつぶやいて軽く目を見張る。
「倉庫がメニューに加わってるし、入れてた物も残ってるね。
……この倉庫がやたらめったらな容量なのは、全アカウント分が一つにまとめられたとみていいのかな?」
「そらいい情報だ。お前のカオス倉庫がありゃなんとでも……っつー事はキャラチェンもできんのか?」
「みたいだね。試す?」
「安全な場所に移動してからでいいんじゃないか? それより、目の前に広がる町に行ってみようぜ」
いたって平常運転だがこの二人、ゲームの世界に取り込まれるという目にあった直後である。その割に落ち着いているのは二人ともその手のネット小説が好物だからだろう。
あとは訳もわからずゲームの中に拉致されたのではなく、きっちり説明を受けてからのことだというのが大きい。さらに二人とも年単位のゲーム歴があり、知識も装備も中の上程度にはそろっているというのもあるだろう。
のんびり歩き出しながらまわりを見渡す。
「セオリー通りならあれはスタート地点のどれかだよな」
「たぶんヒューマンの初期ポイント、サザンだね」
「根拠は?」
「私たちがヒューマンだから」
「さもありなん」
言われてみればもっともな理由に青年がうなずき、それから思い立ったように隣を歩く連れに視線を送る。
「ところで名前はどうする? キャラ名のどれかにしとくか? それとも別の名前にするか?」
「ん~……。じゃあ私はリーシェで」
「んじゃ、俺は怜にしとく」
それぞれ、本名をもじった一番愛着のあるキャラ名を選んで確認する。今までもボイスチャットで使っていた呼び名だ。間違いにくいし呼ぶのにも呼ばれるにも抵抗はない。
さて、二人が歩いている間に少し状況を説明しよう。
二人が今いるのは先程もいったように、とあるオンラインゲームの世界だ。ただし、昨今はやりの設定であるヴァーチャルリアリティタイプのものではなく、普通にパソコンに向かってやるタイプのMMORPGである。
このゲームの特徴を一言で言うのなら、タイピング技術と羞恥心を捨てることが必要なマゾゲームだろう。なにせ、スキルを発動するのに必要なのはキャスティングタイム中に正確に呪文をタイピングすること、という仕様。もちろん、辞書登録による短縮入力は不可能――なにせ呪文とは呼ばれているものの実際にはランダム出題の短文なのだ。そのパターンたるや、数万に及び、とても単語登録で誤魔化せるレベルではない。
文面も著作権の切れた文学作品であったり、義務教育の教科書であったり、インターネット上で有志が編集して着々と肥大化して行っている有名な辞書の抜粋であったり、サラ○ーマン川柳やネタに走ったぼやき節だったりもする。
スキルを選択するとそういった膨大なネタの中からスキルの難易度に合わせた長さの文が表示され、時間内に正確に入力すると威力が上がり、あまり酷い状態だとスキルが不発する、という発狂したくなるような仕様となっている。
つまり、タイピングが下手だとキャラ育成が非常にマゾくなるというわけだ。
そして二つ目の特徴が、バフ・デバフ系のスキル――効果時間が五秒以上ある能力値を上昇または下降させるスキル――は音声入力でのみ発動するという点だろう。正確にはマイクを通して人間の声が入力されている間だけ効果がでるのだ。別に声を出していればひたすら叫んでいてても歌っていてもお経を唱えていようが関係ない。無論雑談でも構わないのだが、そうすると自分以外が喋っている間はバフが切れてしまう。
ではCDでもかけて誤魔化そうとしてもこれが難しい。一体どんな認識システムなのか録音した音声ではスキルが発動しないのである。しかも声量が大きく、あまり途切れがない方が効果が高くなるというこれまた面倒な仕様になっている。
ゲームのシステム上、どうしてもプレイヤー同士のコミュニケーションにはボイスチャットが必須で、そこで各自が好き勝手に声を出しまくる弊害は言うまでもないだろう。
そこでプレイヤー達が考え出した解決策がカラオケ方式である。パーティ内で担当者一人を決めて曲を流し、全員でその歌を歌うのである。これならば間奏に入るタイミングで戦線を下げればいいし、多少の意思疎通は曲の途中で発言しても皆同じ歌を歌っていれば聞き取りやすい。
問題があるとすれば、部屋で一人でいるのに歌い続けるという同居人から白い目を向けられやすい状況だろう。この最大の問題を嫌ってバフ・デバフ系のスキルを使わないプレイヤーもいるのだが、これまたこの手のスキルの効果がかなり高く設定されているのであるなしでは成長速度が露骨に違う。
一体何を狙ってこんな仕様にしたんだ、と誰もが思いつつもなぜかログインしてしまうというプレイヤーが多く、結構な規模のプレイ人口を抱えているのだ。
この中毒性には、キャラクターのスペックをプレイヤーの腕で相当補うことができ、職によっては低レベルからソロでも格上の敵を一方的に狩り倒すことが可能であったり、装備制限が割合とゆるく、集めた高性能装備を低レベルのキャラでも使いまわせることで新キャラを育てやすい環境があったりするのが関係しているだろう。
その上、サービス期間がすでに十年を超えていることからサーバーの分裂・統合が何回もあり、倉庫容量や一アカウントあたりのキャラクタースロットが多いというのも多数のキャラに手を出してやりこんでしまう要因だろう。
その上、キャラクターはスキルとステータスを自由に育てられるので、同じ職業でも様々なタイプに育てられ、殴りまくる回復職だのバフスキルに特化した支援特化ナイトだのが普通にいる。育て方次第でどんな職業でも支援タイプ攻撃タイプどちらにでもなれるようなスキルが用意されているのだ。
それというのも、職業固有スキルにせよ、共通スキルにせよ、そのスキルを使った回数に応じて強くなっていくシステムで習得する種類に上限がない。その気になれば全てのスキルをマスターすることも可能なのだ。
――が、そのために必要なのは時間と労力が膨大すぎること、ステータスによって使い物にならないスキルも多いことからそんな暇……、もとい廃……、もとい強者と呼ばれる存在は今のところ確認されていない。
ちなみに、ステータスの方も行動に影響を受ける節があり――もしくは成功率や効果の判定が依存する数値が上がるという方式で、やはり限界値はない。システム上、それ以上反映されなくなるという意味での上限はあるが、合計でここまでしか上げられないという意味での上限はないのだ。つまり、理論上は全てステータスをシステム上の限界まで育てることができる。
ただし、数値が高くなるほど一ポイント上げるのは大変になるし、他のステータスが上がった際に反発するステータスが下がる可能性があるので、こちらも余程の……でなければ到達することは不可能である。
その上、各種条件を満たすことで加算されるポイント。そのポイントを消費することでしか受けられないクエストや得られない装備、使用できるアイテムが出てくると言った制限まで発生してくる。
そんな面倒くさい仕様であるのに――、いや、あるが故か。プレイ歴が長ければ複数アカウントを持つ人間も多く、リーシェと怜の二人もそんな結構廃な部類に入るプレイヤーである。
「やっと着いたか……」
「案外遠かったねぇ」
「ゲームだと町中スタートだったしな。やっぱり現実になると細かい差が出てくるな」
「ま、そういう話だったしね。敵にからまれないでたどり着けた分、運が良かったと思うよ? チュートリアルすら終わってないと共通スキルも使えないし」
「そもそも、歌うのはともかく、タイピングとかどうやれってんだか」
「それを聞くためにも新兵訓練官、探そうか」
いくらか愚痴っぽい怜の言葉をうっすら笑みを浮かべたリーシェが受け流す。
「ええと……、多分入ってきたのは西門かな? あそこにあるの西門名物のミルク屋さんぽいよね?」
リーシェが指した先にはミルクの大きな缶を並べた小さな屋台がある。この世界の回復アイテムとして存在する飲み物――非戦闘時にしか使えない代わりに安価で費用対効果も優秀なSP回復剤――を売っている店だ。名物とつくのは、ミルク屋を自称するくせに紅茶やコーヒー、フレッシュジュース、カレー――飲み物かどうかで非常に意見が分かれるところだが――まで売っていることと、NPC自身が「飲み物販売・ミルク屋さんと言うけどお勧めはカレーですっ♪」などと歌っているせいだ。
おかげでだべっている時に流れてくるその歌を聞くと「カレーは飲み物じゃねぇ!」とつい突っ込むのがお約束である。
ちなみにカレーは実際飲み物扱いの回復アイテムで、ある程度レベルの上がったキャラクターはスキル乱発型で無い限り大抵は常備している、非常に長い期間お世話になるアイテムだったりするのが悩ましい事実だ。ついでに言うとスキル入力のために打ち込む文章にもこの歌の歌詞が出現するので、その時はきっちり突っ込みを入れるのも大事なお約束。
閑話休題。
「だな。てことは、チュートリアルはあっちか? ――カレーは飲み物じゃねぇと思うが」
「世のイエローがどう思ってるかまではわからないけどね。――たぶんそうだと思うよ」
聞こえてくる若い女性のほがらかな歌声に習慣なのか突っ込みを入れる怜と軽く流すリーシェ。
どこまでも平常運転で、本当に突然ゲームの世界に生身で参加せざるを得なくなった危機感というものは感じられない。
周りを眺めながら露骨にお上りさんの様子で歩いているのに、目的地はおおよそ把握しているので足取りには迷いがない。よく見れば若干不審な二人組かもしれない。
この国ではそこそこ大きな町とだという設定だけあって、目的地まで一時間以上かかってようやくたどり着く。
ゲーム時代、チュートリアルは新兵訓練官という名前のNPCから新兵訓練というクエストを受けることで開始されていたので、二人はその習慣に習ったのだ。
それらしき人物を見つけて声をかけると、中年をいくらか超えたくらいのいかにもな雰囲気の兵士は胡散臭そうに二人を見比べた。
「新兵訓練? お前らがか?」
「フリーの冒険者になるにはここで新兵訓練を受けて、合格証明をもらってから登録に行かないといけないと聞いたんですが」
「登録審査のことだな。そりゃここで受けられるが……。お前達、本当に大丈夫なのか?」
どうにもインドアな学生にしか見えない二人を心配そうに見つめる兵士。
「ま、合格できなけりゃ諦めるさ」
話が進まなそうな気配に、怜が幾分投げやりにそう言うと、兵士は苦笑いで頷いた。実際、冒険者に憧れて新兵訓練を受けにきた若者の半数は訓練に耐えかねて諦める――という設定がゲーム時代からある。
「じゃあまずは申し込みからだな。二人とも姓名と出身地、年齢を言え」
ごく当たり前の質問に思わず顔を見合わせる二人。ゲーム内では姓名を別に登録したりしなかったので、名前しか考えていなかった。その上、出身地と言われてもそんな設定があるわけがないし、適当なことを言っても調べられたらすぐにわかってしまうだろう。
「……出身地なんてそんな重要か?」
「まぁ登録しなくても問題はないが、大型の魔物が出たりして徴兵令が出た場合、お前達が冒険者として参加したとするだろう?」
「まぁ、身の丈にあった役割でなら参加するでしょうね」
「そうすると、だ。出身地を登録していると故郷から出さないといけない人数からお前達二人分を差し引けるわけだな。だから特に故郷が嫌いでなければ登録しておいた方がいい」
ゲーム時代にはなかった設定に納得したものの、登録すべき故郷もない。なまじ下手に適当な場所を登録してそこの出身者と話が食い違っても困る。
怜がどうしたものかと思っていると、リーシェが苦笑いで頭をふった。
「折角だけど、私達は親に捨てられた身だしなまじ繋がりがあるとわかるようなことをするわけにもいかないの。だから姓も名乗れないのだけど、それだと登録できないかしら?」
さも困ったように告げられた内容に兵士が言葉に詰まる。リーシェは適当なことを言っただけだが、この世界では実際結構な頻度で跡目争いに負けて家を追い出された貴族の次男三男や妾腹の子供達が冒険者になることがあるのだ。改めて二人の態度を見ると確かに身綺麗にしているし、幼い頃から親の手伝いで働きづめという階級の出には見えない。――無論、デスクワーク中心の仕事をしている怜と引きこもり癖のあるニート街道まっしぐらのリーシェが飼い殺されてきた貴族の子供に見えたのは大いなる偶然でしかない。
しかし、兵士はそれで納得がいったのか一人でうなずいた。
「そういうことなら出身地は必要ないが、名前しか登録してないと何かあった時本人確認ができない場合があるからな。別に本名でなくともいいから、姓は何か登録しておいた方がいいぞ」
「……偽名で問題ないんですか?」
「まぁ、階級によってはそもそも姓を持ってない場合もあるからな。そこらはある程度ゆるいのさ。ただし、故意に他人を騙った場合は厳しい処罰があるぞ」
兵士の説明に二人はちらりと視線を交わしてから、怜が口を開く。
「じゃあ、姓は二人ともウィステリアで。俺が怜、そっちはリーシェだ」
やはりこれも本名のもじりという安直な名前を出す。しかし、呼ばれて気づかなくても困るので、こういったものは少々安直なくらいが丁度いい、というのが二人の持論である。
「よし、じゃああそこの詰所で書類を書いて登録して来い。ついでに職業適性検査を受けるのを忘れずにな」
受付票に二人の名前を書き込んで渡しながら、兵士が視線で少し離れた建物を指す。
「ありがとう」
「サンキュ、行ってくるわ」
それぞれに返事を返して再度歩き出す二人。歩きながら受付票に視線を落としたリーシェが何かを確かめるようにうなずく。
「文字は同じみたいね」
「お前が脅して読み書きの自動翻訳もぎ取ったんだろが」
「そうだけど、実際に翻訳されてるか確かめたわけじゃなかったから。一安心ってところかな」
脅した、という物騒な言葉を否定せずにリーシェが笑う。
「だいたい、私なんかに揚げ足取りされて条件もぎ取られてるあたりでおかしいでしょ」
「……いや、時々お前の交渉能力はしゃれにならねぇからな……。取られても別におかしかねぇよ」
「褒め言葉と受け取っておくわ」
「事実褒めてんだ。素直に受け取れ」
からかう口調で言いながらも、怜は彼女の交渉術を信頼している。引きこもり予備軍の癖にやたらとオンラインゲームをやりまくっているからか、リーシェは意外なほどかけひきがうまい。あくまでもその環境にいるにしては、だが、それなりに安心して任せられるくらいの腕ではあるのだ。
そんなことを考えている間にさほど距離のなかった目的の建物に着く。中に入るとすぐに受付と札のかかったカウンターがあり、若い兵士が一人立っていた。
「冒険者登録前の新兵訓練申し込みはこちらですよ~」
妙に軽いのりの声に二人が苦笑交じりに近づいて受付票をさし出す。受け取った兵士は内容に目を通し、カウンターの上に二枚の用紙を並べた。自分で何か書き込んでから用紙を二人の方に向けて置き直す。
「お二人とも字は書けますか? では、このペンをどうぞ。姓名と出身地は申告したものと間違いないですね? 職業適性検査を希望される場合はここ、されない場合はこっちにサインをお願いします」
これまたチュートリアル通りの台詞に二人はひとまず適性検査を希望する欄に署名した。なにしろこの世界では初めてだ。受けられるガイドは受けるに越したことはない、という方向で話がまとまっている。
「お二人とも適性検査希望ですね。では、この書類を持って右手奥の階段から二階に行って、左側三つ目のドアを入ってください。入り口に職業適性検査室と書いてあるので」
「わかりました、ありがとう」
丁寧な解説にリーシェが微笑んで礼を言う。と、兵士が何やら微妙に固まったのでリーシェが首を傾げた。
「おら、行くぞ」
その理由を知っている怜が受け取った用紙で彼女の頭を軽く叩く。もっともぺら紙一枚なので痛くもなんともない。文句を言いたげな連れを無視して怜が歩き出すと、リーシェが後に続く。無自覚のたらし癖が、と苦々しげに呟いた声は幸い誰にも聞こえなかった。
職業適性検査室、と書かれたドアをノックして中に入ると、そこは部屋の半分ほどの大きさがある魔法陣が床に書かれており、残りのスペースの八割を本棚、二割が本に埋まった応接セットと事務デスクがしめる、というカオスなことになっていた。
二人そろって、なんだか怪しいローブ姿が現れそうだ、などと考えながら部屋を見回す。どうにもまともな住人の姿が思いつかないのはなぜだろう。
「いらっしゃい。適性検査かしら?」
「お、部屋の主は案外まとも」
かけられた声にふりむいて、思わずなのかとんでもないことを口走る怜。横ではリーシェが額に手を当てて盛大なため息をつく。
しかし怜の言いたいこともわからなくはない。町中でも見かけたごく普通の服装をした四十代半ばだろう女性は、栗色の髪を背中の中程まで伸ばしていて、いかにも人好きのしそうな笑みを浮かべている。室内から受ける印象とだいぶ食い違うのだ。
「よく言われるわよぅ? 独創性が足りないわね」
いくらか冗談目かした言葉に二人は苦笑するしかなく、ついでに怜は肩をすくめてみせた。
「ま、意地悪を言うのはこのくらいにしておきましょうか。目的は二人とも適性検査でいいのよね?」
「わかります?」
「そりゃあもう。いかにもこれから冒険に出たそうな若者に見えるもの」
確かにそう言われれば否定のしようもないのだが、なんだか身も蓋もない言われようだ。
「じゃ、とりあえず魔法陣の中に一人ずつ入ってくれるかしら? 少しまぶしいけど別に痛かったりはしないから光が消えるまでは外に出ないでちょうだいね」
さらりと注意事項を告げられ、まずは怜が進み出る。別段危険を感じたりはしないが、やはりこういう時は自分が最初だろうと思うくらいの男気はある。もちろん、好奇心に負けたという側面もないではないが、それは言わぬが花だ。
「じゃあいくわね。――面倒だから呪文は省略っと」
「「ちょっと待てぃっ?!」」
あまりな言葉とともに軽く手を振る相手につっこみがかぶる。しかし床の魔法陣が結構なまぶしさで光りだしたのでそれ以上は何も言わず二人とも様子を見る構えになった。
十秒ほどで光が消えた後、空中にいくつかの職業名が綺麗にレタリングされた。
「また珍しい適性持ちねぇ……。吟遊詩人、格闘家と細工師はともかく、人形使いときたわぁ。――とりあえず、そっちのあなたも適性だけ調べてしまいましょうか。説明は後でまとめてするから」
うながされて怜とリーシェが立ち位置を入れ替える。
「やっぱり呪文は省くわよ~」
「「またっ?!」」
つっこみがかぶったのはもはやお約束か。先ほどと同じく、リーシェの周りにもいくつかの職業名が浮かぶ。
「裁縫師に調合師、細工師、文書師、楽器職人、料理人、人形師……って、あなた制作系職業以外に相性いいのないわけ?!」
随分な数が浮かんだ職業名を読み上げて女性が声を上げる。
「……らしいっちゃらしいよな」
引きこもり寸前のリーシェが普段どんな生活をしているか知っている怜にしてみれば、適性のかたよりはさほど不思議でもない。なにしろ、放っておくとMMOでは生産ばかりしてまったくレベル上げをしないのだ。リアルでも手芸はとりあえずなんでもやってみているし、本を大量に読むし文章を書き散らす。何かを作るということに関してその情熱の大半を注ぎ込んでいるのだから、適性がその方面にかたよるのは当然だろう。同じ生産系でも鍛治職人など体力がいりそうなものが含まれないあたり、徹底してる。
「人形使いと人形師ってどう違うの?」
当のリーシェは別の事が気になったのか、こめかみをもんでいる女性に声をかけた。
「人形使いは人形を操って戦う職業ね。人形師はそのための人形を作る職業よ。どちらもかなり珍しい職業ね」
「なり手が少ないの?」
「ええ。人形を思う通りに操るのは大変だし、その間自分が無防備になってしまうもの。確かに極めれば複数の人形を同時に操ったりもできるから最強と言われるけど、その域までたどり着くのは他職の何倍、下手をすれば何十倍も辛いのよ」
そこでため息をついて「しかも、よ」と続ける。
「仮に一流の域まで上り詰めたとしても、その実力に相応しい人形を入手するのが大変なの。最高級の人形を作るには様々な制作系の技術も必要だから、そんなすべてに適性があるような人はそうそう……」
言いかけてリーシェの顔をまじまじと見つめる。
「……いるといえばいるわねぇ」
「……え?」
「あなた、人形師になるつもりはない? 冒険者ギルドに登録している人形師から弟子を取りたいから適性がある子がいたら紹介して欲しいって言われているのだけど」
「えぇ……。なんか面倒臭そう……」
詰め寄られてなんとも嫌そうな表情をするリーシェ。元から逃げ場のない人間関係が嫌で引きこもりかけていたのだから、弟子入りというのが嫌なのだろう。
「でも、あなた達一緒に活動する予定なんでしょう? 彼は適性に従うのなら吟遊詩人か格闘家か人形使いになるわけだし、あなたが人形師になるのは悪くないと思うわよ」
「制作系の職だと一緒も何もないと思うんだけど?」
「別に制作系の職だからって討伐系の依頼が受けられないなんてこともないし、メインの職に選ばなくても才能さえあれば技術を身につけることはできるわ。紹介を頼まれている人形師は人形使いとしてもそれなりだし知り合っておいて損はないと思うわよ?」
「ううん……」
嫌そうに返事を渋るリーシェに対して怜はなにやら考える様子だ。
「実際に会ってみてから考えるってのはなしか?」
「ちょっとっ?!」
「どんな職につくにせよ、誰かしらに師事しないといけないには違いないだろ? なら、条件がいい所を選ぶべきだし、素質のある人間が少ないなら、なり手の多い所より高く売りつけられるだろ」
「……その理屈はわかるけど……」
「それに、二人まとめて同じ所で世話になれるなら都合がいい。検討する価値はあると思うぜ?」
「……まぁねぇ」
理詰めの言葉にリーシェがため息をつく。確かに怜の言う通りなのはわかるのだが、どうにも気が乗らない。
「そんなに深刻に考えないで、ひとまず会ってみてから考えて? なんなら今から工房に案内しましょうか?」
「……やたらに乗り気なのがなんだか胡散臭いとか思っていい?」
「滅多に適性のある子がいないからぜひ行って欲しいのは確かねぇ。彼、かなりギルドに貢献してくれているから適性のある子がいたのに紹介すらしなかったとなるとちょっとまずいし」
「見学に行ったらなし崩し的に弟子入りさせられるって流れじゃないでしょうね?」
「…………たぶん、ね?」
「「たぶんかいっ?!」」
だいぶ自信のなさそうな答えに二人のつっこみがかぶる。
「あなた達、さっきから息があってるわねぇ」
「そりゃ、十年一緒に暮らしていればこのくらいはね」
「だなぁ。たぶんこの先も一生腐れ縁だろうし」
二人の息のあいっぷりに感心した様子の相手に、二人はそれぞれあまり熱のこもらない返事をする。確かに長く一緒にいるし大概趣味もあうのだが、この相手と恋愛をする気があるかと言われるとなんとも微妙だ。さりとて他の相手とこれ程うまくやれるかといえばおそらく無理だろうとわかるくらいには馬が合っている自覚があったりもする。
「ま、それはともかく。見学イコール弟子入りじゃない、うるさい勧誘もしないって誓約書もらえるなら検討するけど?」
「まぁ手強い……。ひとまずむこうに連絡とってみるから先に他の訓練に進んでもらっていていい? 希望職業は適性のあるうちのどれかで構わないんでしょう?」
「俺はそれで構わない」
「ま、私も制作系職が無難でしょうね」
「じゃあそれで書類に書いておくわね。……はい、これを持って基礎運動訓練に進んでくれる? 下でやってるから」
返された書類に目を落とすと、職業欄に調整中とした上でリーシェは制作系、怜は吟遊詩人・格闘家・人形使いが併記さていた。
「基礎運動訓練は目指す職によって目標にする所が違うから、一応目指す職業は決めておいた方がいいの。ちなみに、お嬢さんが近接戦闘職に希望を変えたら訓練はやり直しになるから気をつけてね」
「それで先に職業適性検査なのね」
「ま、だからと言ってペナルティがあるわけではないからあまり深刻にとらえなくても大丈夫よ」
そんな言葉と共に送り出された二人は、体力測定のようなことをさせられることになったが、特に問題なく休憩を取りながら二時間程で終了した。
元から大抵のスポーツは人並み以上にできる質の怜があっさりクリアできたのは当然だが、リーシェもなんとか合格したのは、制作系職業に求められる体力の基本値が一般人に毛が生えた程度だったのと反射神経に助けられたからだ。
運動訓練を終えた二人が一休みしていると、なにやらすごい勢いで走って来る人物が現れた。
「……なにあれ?」
「……さぁ?」
傍観者の体で首を傾げている間にも近づいてくるやたらとマッチョな男がまったくスピードを緩めないのに危機感を覚えた怜は、男の進路から外すようにリーシェの腕をひいて背中にかばう。
髭面の暑苦しいマッチョ――ご丁寧に小麦色に日焼けしている――はそのまま突進してきて……
「あぶねぇっつの」
ぼやきながらの怜が仕掛けた足払いをよけ損ねて綺麗に宙を舞う。見事に数メートル吹っ飛んで顔面から地面に着地。勢いがつき過ぎていたのかそのまま更に一メートル程土煙をあげながら滑って行った。
「変態はもう間に合ってんだよ。――なんともねぇな?」
足払いのためにしゃがんでいた怜は立ち上がると背後に庇ったリーシェに声をかける。リーシェはいくらかくもった表情でうなずいただけだったが、気にするでもなく軽く頭をなでる。
「約束はきっちり有効だから心配すんな」
ことさら軽く言って自分を見上げる相手に笑みを見せる。引きこもりかけな理由を知っているだけに、自分で排除できる範囲で怖がらせる原因は作らせないと勝手に決めているのだ。
「さて、あれはなんだったんだ?」
言いながら怜が足払いで吹っ飛ばした相手に視線を送る。ギャグ漫画のように顔面を地面につけてシャチホコ状態でぴくぴしているので、どうやら生きているのは間違いない。
「ふぬっ」
気合いと共に男が飛び起き、首をこきこきとならす。ひとしきり首と肩をほぐしてからくるりと振り返った。
「唐突に何をするか。儂でなかったら結構な怪我をしたぞ?」
「自分にむかって突撃して来る怪しいおっさんだぞ? 警戒して当たり前だろが」
「……そう言われるとぐうの音もでんな」
怜のあまりな言いように反論できずマッチョが眉をハの字にする。
「で、あんたはなんで突進してきたんだよ?」
「うむ。長年待ち望んでいた弟子候補が見つかったと聞いてつい興奮してしまってな」
「お断りします」
「顔合わせすらしとらんではないかっ?!」
マッチョの言葉に怜の背中から断言するリーシェとショックを受けるマッチョ。
「一般常識すらない筋肉ダルマに弟子入りとか何の罰ゲーム?」
「うぬ……っ。なんたる正論っ」
「罰ゲーム呼ばわり認めんのか……」
なんとも言い難い口調で怜がつぶやく。確かにリーシェの言い分は容赦がないが彼自身も――そして大概の人間が同意するだろう。けれどそれを本人が認めるのか、とつっこみたくなってしまう。
「ただでさえ適性がある人間が少ないのだから、その暑苦しい態度で逃がすなと嫁に言われておるっ」
「「だったら自重しろ」」
「……う、うむ。そうであるな。しかしだっ。決めポーズを我慢してるだけでも儂にとっては相当の我慢なのだが」
「私、細工師になろう」
「わ、わかったっ! もう少し自重するのであるっ」
リーシェの冷たい視線にマッチョが大慌てで宣言する。
「弟子入りしてくれるのなら、主らの前では決してポーズを取らないのであるっ。三食賄い付きの部屋がついて安いが給料も出すのであるっ。もちろん部屋は二人分用意するし、もう一人も人形使いの修行をするのならまとめて弟子に取るのであるっ」
よほど慌てているのか、次から次へと条件を並べ立てるマッチョ。
「……よっぽど奥さん怖いんだね」
「そんなことはないでのあるっ。ただ、今度弟子を逃がしたら半月程実家に戻るというのであるっ。そんなことになったら儂は気が狂うのであるっ」
「……バカップルおつ」
「だねぇ……。これはいっそう関わると面倒臭そうな気がするんだけど」
「そう言わずにとりあえず弟子になってみて欲しいのであるぅっ。どうしても嫌だったらその時は出て行ってもらってかまわないので試すだけでもっ」
冷たいリアクションをする二人に取りすがるマッチョ、というなんだか非常にあれな感じの状況になっている。しかも、マッチョの声が大きいものだから何事かと三人の様子をうかがう人間が増えている。
一番最初にそれに気付いたリーシェは辺りを見回して深々とため息をつく。
「ええと……。じゃあひとまずどんな環境なのか、貸してもらえる部屋とか工房? とか? 見せてもらえる?」
「来てくれるのであるかっ?!」
「いいのかよ?」
「このままここでこいつと一緒にいて、叫ばれ続けるのはさすがに……」
疲れた口調でこぼすリーシェに怜が乾いた笑いで応じる。確かにこの暑苦しいマッチョが大声をあげているので、延々ここでやりとりをしているのもいただけない。
「あくまで検討する材料集めだからな。あと、少し声落とせ。うるせぇよ」
「おぅ、これはすまぬのだ。どうも人形使いの技を磨くと声がでかくなってしまうのである。うるさかったらすぐに言うのである」
声が大きい自覚はあるのか、おまけして普通の音量の範囲に収まる程度の声でマッチョが謝る。
「では早速案内するのである。――その前に、新兵訓練を中断する旨断って来るのであるな。少し待つのである」
善は急げで動きだしかけたマッチョが、急角度に方向を変えて最初に受付をした建物の方に向かう。
「……冷静ならそれなりに気の回る人なのかな?」
「そう願いてぇな。暑苦しくてうざいだけじゃ弟子入りなんざ頼まれてもごめんだぜ」
「ま、結論はもう少し状況をみてから出せばいいんじゃない? 今の所、私たちの身柄を一番高く評価してくれているのはあの人みたいだし」
「だなぁ」
そのまま、確認しておくべきことを打ち合わせている間にマッチョが戻ってきた。
「手続きをしてきたのである。続きは後日受付に名乗り出れば受けられるのである」
「わかった、ありがとう」
ふっと笑みを見せて礼を言うリーシェに、マッチョが一瞬固まった。
「……妻の次くらいにいい女になりそうなのであるな」
思わずといった体でマッチョの口からもれた言葉に、周辺の気温が一瞬にして下がる。思わず硬直したマッチョの肩にぽんっと怜の手が置かれた。何気ない仕草だが、さり気なく背後に回っているし間違え様もなく黒いオーラが漂っている。漫画であれば他の人物の数倍の大きさになった黒いシルエットに目だけが光っているような表現をされているに違いと確信できる魔王ぶり。
「……おっさん?」
特に大きくもない声だが、魔王降臨とでも言いたくなる気配を漂わせている人物のものにしては不似合いに穏やかである。
これはとんでもない地雷を踏んだと察した――これで察しがつかなかったら危機管理能力が低すぎる――マッチョが助けを求めてリーシェに視線を送ると、不思議そうに首を傾げられてしまう。どうやらこの魔王様、リーシェに対しては完璧なステルス機能がついているようだ。
つまり、自分で状況を打開しなければとって食われる――いや、その程度で済むはずがない、きっと骨までしゃぶられ……、いやいや、踏み潰されて即死かも、などとほんのり現実逃避をしはじめた自分を鼓舞してなんとか声を出す。
「っち、違うのであるっ。儂は妻一筋であるっ。ただそのっ、そうっ! 好感の持てる心根であると言いたかったのであるっ」
受付の兵士に続いて無自覚のリーシェにたらされかけただけの、いわば完全に被害者でしかないはずのマッチョが必死に弁解する。
「こいつに余計なちょっかいかけたら……わかってるよな?」
「儂は愛妻家で有名なのであるっ。他の女子などアウトオブ眼中であるっ。主の連れには弟子候補として以外の興味はないのであ~るっ」
口調も声の調子も雑談をしていた時と全く変わらない怜の念押しにマッチョが早口にまくし立てる。このマッチョ、怜の前でリーシェに見とれたら殺される、と脳内にしっかりと焼き付けたようだ。
「ま、じゃあそういうことで。とりあえず部屋とか見せてもらえるんだよな?」
充分に脅しつけたと判断したのか、怜が普段の態度に戻って話題も戻す。本来であれば弟子入りさせてもらう立場であるはずの二人の方が明らかに強気に出ているという逆転現象には誰も触れない。
近くで様子をうかがっていた見物人たちも敢えて口にして魔王を降臨させることもないと思ったらしく、ひそひそと言い合うばかりだ。もちろん、訓練の監督をしていた正規の兵士達を含めた全員が、リーシェに見とれたら危険だと頭にたたき込んだ。
かわいそうだったのは、三人に一番近く、かつ、一人で訓練を受けていた新兵候補で、内心では「ひぃうっ、怖いぅっ。そこらの魔物よりこいつの方が怖すぎるっ。でも下手に動いたら殺されるぅぅぅっ」などと半泣きだというのは余談。
「え? 人形って声と文字で操るの?」
きょとんとした声を上げたリーシェに、マッチョがこくこくとうなずく。――ちなみにこのマッチョ、エイブル・ラ・ファンクルという名前で、そこそこ偉いらしい。
「人形の動力は人形使いの言葉であるからな。声を出すことで大まかな動きを指示し、強力な技を使わせるには更に文字を使うのである。事前に文字を書き込んでおいた符を使うこともできるが、その場で書く方がより強力である。しかし、書き間違っては効果は半減どころではないし、一概にはどちらがいいとも言えないのであるな」
「……なるほど、こうつなげてきたわけね」
ゲーム上の仕様とどう整合性をとるのかと思っていた問題が、案外あっさりと片付けられたことにリーシェが一人で納得する。
「うぬ?」
「あぁ、ひとり言だから気にしないで。それで、文字っていうのは書くのが原則?」
「別に書かなくてもいいのだが、頭で思い浮かべるだけでは漠然とするのであるな。だから書いた方がわかりやすいのであるが、別に書く以外でも本人が文字を強く意識できる方法があるのなら問題ないのである」
「つまり、やりやすい方法にあわせた道具を作れればそれで問題ないってことよね?」
「であるな。書く以外の効率的な文字の認識方法は人形師の課題なのである。今は魔力を込めたペンを使っているのであるがやりやすくはないのである」
「そうなの?」
「字が下手だと正しく書いても認識されないのであるな……。儂はとてつもなく悪筆なので文字を使って技を使わせることができないのである……。人形使い本人が書いたものでなければならないという縛りが心の底から恨めしいのであるな……」
「……そ、それは……。ご愁傷様?」
思わぬ落とし穴と、思い切り肩を落としてしょぼくれてしまった相手に、リーシェが引きつった笑いで応じる。
「……字の上手い下手は矯正するのも大変だしなぁ」
「まぁ物は考えようなのである。儂は最初は人形使いを希望していたのであるが、字がどうしても上達しなかったので人形師になったのである。もし字がうまかったら今の地位はなかったのであるから、結果としてはよかったのかもしれないのである。儂は人形使いの経験があるからこそ、使いやすい人形が作れるのであるからな」
「確かに、使う人の立場に立った設計ができるものね」
「うむ。人形師になるには、まず人形をどういう風に使って戦うのか、それを知らねばならぬのである。よって、リーシェ嬢が弟子入りしてくれたら細工の初歩と人形使いの基礎を学ぶところから初めてもらうことになるのある。そういう理由であるから、怜が人形使いを目指すのなら一緒に教えるのは簡単である」
二人まとめて世話するのに乗り気な理由をさらりと説明したエイブルが怜だけ呼び捨てなのは、本人が殿をつけて呼ばれるのを嫌がった結果である。リーシェは別に嫌がる程でもないとおとなしく好きに呼ばせていた。
「まぁ、儂が細工を教えている間暇であるだろうし、歌か格闘技でも習っておけば丁度いいのである。発声練習も体を鍛えるのも、人形使いの心得のうちであるからな。適当な師匠を紹介するのである」
「なるほど……。そう考えると確かに随分便利な弟子入り先ねぇ」
「であろう? 儂は先代との誓いで少なくともあと三人は弟子を育て上げねばならぬのである。多少は優遇するのであるな」
「でも、私は教わっても弟子をとって教えたりはしないと思うんだけど」
「それはかまわないのである。儂が弟子を育てる誓いを立てたのは、師匠が人形師の技を途絶えさせないことに生涯をついやした方だったのでそれを見習ってのことである。師匠に安心して欲しくて誓いを立てたのであるが、今の世に人形師の才覚を持つものは非常に少なくてな。よって、廃れるのもいたしかなたなしと思うのである」
どこか達観した風情での言葉に、リーシェと怜が顔を見合わせる。ただの暑苦しいマッチョかと思っていたら案外繊細な部分も持ち合わせているらしい。
「よって、二人がもし儂の元で一人前になったとしても、弟子をとる誓いなど必要ないのである。ただ、儂の教える技は秘するものではないのであるから、覚えたいという者がいて、気が向くのなら教えてやればいいのであるな」
そう言ってから、くるりと振り返って「ただし、である!」と二人に詰め寄る。
「妻は師匠の娘で技を広めたがっているのである。妻の前では話をあわせてやって欲しいのであるな」
「……了解」
「ま、弟子入りしたら、の話だけどな」
くすくす笑いながらのリーシェと少しひねくれた怜の返事にエイブルがうなずく。彼が弟子を取ると誓いを立ててから才能がありそうな人物はそれなりの数見つかったのだが、やはりあまりはやらない技術ゆえか弟子になってくれる者はいなかった。この二人もその気があるのかないのかわかりにくいが、話した感じ興味は持っていそうなのでつい熱くなってしまう。間違っても興奮しすぎてポーズを決めたりしないように注意しなければ、などと、二人に知れたらすごい速度でつっこみが入りそうなことを考えているのは幸い気づかれていない。
その後もあれこれ話しながらエイブルの工房兼住居に着く。建物はかなり大きく、広めの体育館程の広さがある三階建ての建物だった。更にそれなりの広さの庭がある。
「……広い」
「そうでもないのである。二階が住居で、残りが工房であるからな」
「……充分だろ」
「工房としては狭いのであるぞ? 地下も二階分しか……」
「「充分すぎるわっ!」」
ウサギ小屋と名高い都心部の住宅事情の中で育ってきた二人のつっこみが見事にかぶる。
「……貴族の屋敷など、この工房三つ分はあるのが当たり前であるぞ?」
「あいにく私たちは由緒正しい一般市民なの」
「一般市民であるか?」
リーシェの主張にエイブルは首をかしげる。彼にはどう見ても二人は富裕層に生まれ育ったとしか思えないのだ。身綺麗にしているし幼い頃から親の仕事を手伝い家計を支えなければならなかったとは思えない、どこかのんびりした雰囲気をまとっている。もちろん、日本育ちの二人はこの世界では一般市民イコール子供も立派な労働力とみなされているなどと知るよしもないからこその発言だ。
一方でエイブルは怜がリーシェをかばう様を見て、どこかの貴族の妾腹かなにかを一人で放り出すにもしのびなく供をつけたが、そちらもいくぶん世間知らず、というような想像をして納得することにしたらしい。
「まぁ、主らの出自はともかく中を案内するからついて来るのである」
余計な詮索をせず、ずんずんと歩いて行くエイブルについて二人も建物の中に入る。
言葉にすれば、工房の案内、と一言だが、人形の骨格を作るための場所は様々な金属や石材・木材が散乱し、外皮を作る場所は布や革が、髪を作る場所ではたくさんの繊維が、と場所ごとでまったく雰囲気が違うのだ。細かい繊細な作業を前提としているのだろう造りの場所があれば、大がかりな作業を想定した場所もある。
「……一人で全部作るのか?」
「分業するやり方もあるのだが、人形師の数が減った今、一人で全てできんと困るのである。それに、全ての工程の知識がある方がいいのであるな」
「正論ねぇ」
簡単な説明を聞きながら歩いていたリーシェがふと棚の上に置かれていた小さなぬいぐるみに目を止める。日本でも見かける、手足を大きなボタンで胴体にくっつけて動かせるようにしてあるクマだ。程よくデフォルメされているカフェオレ色の毛並みが柔らかそうで目を引いたのかもしれない。
「このクマも人形なの?」
リーシェが指差して尋ねるとエイブルは首をかしげた。
「クマであるか?」
「……クマに見えるけど?」
「……どれがだよ?」
怜にまでいぶかしげに言われ、首をかしげたリーシェが道具に紛れて、けれど最前列の目立つ位置にあるクマを手にとって二人にさしだす。
「これ」
「い、今どこからこれを持ってきたのであるか?!」
「……へ?」
大げさにのけぞって驚くエイブルにリーシェがきょとんとする。
「……俺にも、工具しか置いてない棚から突然クマを取り出したようにしか見えなかったぜ……?」
「ええっ?!」
怜の言葉に今度はリーシェが叫ぶ。右手に持った体長十五センチ程のクマがなんだか不気味に――思えない。
「かわいいのに」
「…………いや、かわいいとかかわいくないとかいうレベルの問題じゃないだろ……」
「……リーシェ嬢は大物であるな」
なんともピントのずれた発言に男二人が脱力する。
「……と、ともかく、それを見せて欲しいのである。この工房にはおかしなものは入って来られないはずであるが、正体は確かめないと危険か知れないのである」
「そうだね」
仕草にうながされ、リーシェがエイブルの手にクマを渡す。受け取った方は手のひらにちょこんと座ったクマを目の前に持ってきてしげしげと観察しはじめた。
「――これは……」
「なんだかわかった?」
「何代か前の師匠が作った人形であるな。核に世界に一つと言われる程貴重な素材を使った逸品である」
「「はいぃっ?!」」
「製作者の言うことすら聞かぬ、という話である」
「や、そんな怖いものいらない」
言ってリーシェが怜の後ろに隠れる。
「見なかった気づかなかった、はい、オッケー。次案内して」
「だな。面倒はごめんだ……ってことは、ここに弟子入りもやめた方がいいな」
「だねぇ。……ん? じゃあ案内いらないよね。お邪魔しました、さようなら」
「さっさと職選び終わらせないとなぁ」
勝手に話をまとめて引き上げようとする二人についていけず、呆然としていたエイブルが「待つのであるぅぅっ」と悲痛な叫びを上げたのは、二人がドアの外に出るころになってからだった。
お読みいただきありがとうございました♪
カレーの分類に関する苦情は受け付けておりませんので悪しからず(笑