悪徳野郎
五日かかった帰り道中、岐阜が目と鼻の先、美濃の大垣でおれは初めて気が付いた。
沓掛勢の先頭、馬上にあるのは吉田早之介だ。
吉田早之介の実体はさゆりんという愛人なのだが、岐阜に来るのだろうか。
まさか、奥さんと愛人が鉢合わせにはなるまい。さゆりんも気を利かせるはずだ……。
やがては岐阜に入った。
本隊と離れて沓掛勢をいつもの願福寺に連れてくる。
おれは誰かがでしゃばる前に先に言った。
「太郎。とりあえず、早之介とハンザの住まいを早急に見つけてやってくれ。二人はそれまでここの寺を仮住まいにしろ」
ハンザはこくりとうなずく。太郎も承知しましたと言う。
ところが早之介だけは冷たい目でおれを見てくる。
おれは焦って視線を外した。邪魔者扱いしているのを察しているような顔つきである。
「あと、太郎。ここの住職はカネを寄越せってうるせえから、いくらか寄付しとけ。わかったな」
用を済ませて、そそくさとクリツナに戻る。鉢巻きの補助で背中に跨る。
「じゃ、あとは――」
よろしく。
と、右手をかかげようとしたところ、さゆりん、もとい、早之介が太郎にさっぱりとした無機質な顔を向けた。
「若君。せっかくですから奥方様にご挨拶をと思うのですが」
おれは背すじを凍らせる。
「お、おい……」
おれがつぶやくと、不可思議そうな表情で、太郎やねじり鉢巻き、ハンザがおれを見やってくる。
早之介だけは兜の下から三白眼を広げてくる。
「そうだな。母上に挨拶せんと」
太郎が言ってしまい、おれは震えた。合わせたくなくて合わせたくなくて震えた。
「やめろ……」
「え?」
と、太郎が首を傾げてき、おれはあわててうなずく。
「そ、そ、そ、そうだな。うん。いや。あ、そうだ。ハンザ、お前、あれだな、具足を返さないとな。そ、そうだな。行くか。うん。おい、早之介、おれと一緒に城に行くぞ。おい、聞いてんのか」
「それならば拙者が付いていきますよ」
太郎がこういうときだけお節介をしようとする。
「皆が父上の帰りを今か今かと待ちわびていますでしょう。それに早之介は母上に会ったことがないのですから、先に紹介してあげてください。半左衛門は母上に会ったことがあるよな」
「はい。四郎次郎殿とともに来たときに」
「おい、やめろ」
「え?」
おれがつぶやいたら不可思議そうな表情で、太郎やねじり鉢巻き、ハンザがおれを見やってくる。
早之介だけは凍てつい眼光を飛ばしてくる。
「いや、なんでもない。あっ、イテテ。クリツナにずっと乗ってきたから腰が痛いや。おい、鉢巻き。お前、先に帰ってろ。ちょっとおれは柔軟がてら散歩してくるからよ。早之介、お前も付いてこい」
おれは腰をさすってイテテとつぶやきつつ境内からそそくさと逃げ出し、城下町とは反対のほうに歩き出す。
雑兵に馬を預けたらしき早之介が具足をかちゃかちゃと鳴らしてやって来る。
立ち止まって追いついてくるのを待つが、さゆりんは鼻先をそそり立たせながら悠然として歩いている。
おれは苛立って足を揺らしていた。
「さっさと歩けっ!」
「拙者も腰を痛めてしまいました。早く殿のお屋敷でお休みしたいです」
「おい、やめろ」
「何がや」
かちゃっ、と、具足の鳴りを止めて、さゆりんはぐいっとおれを睨み上げてきた。
「何がや」
「な、なんで、そんなに怖い顔をしているのかな?」
「怖い顔? あんたがそう見えているだけちゃうんの」
「おれの家に来て何をするつもりだ」
「なんや。私を奥方に合わせたくないんか」
「そ、そうだ……」
「なんでや」
「お前が変なことをしそうだからだ」
「変なこと? なんですの。変なことってなんですの」
「やめろ。やめろ。そうやっておれを追い詰めるな」
「あんたと私はやましい関係やあらへんやろが。あんた一人がやましい関係だと思っているだけやろが」
「色仕掛けしてきただろうが」
「ほんなら言うてもええで。あんたが山崎でさゆりっていうおなごを犯そうとしたことを」
「やめろ。やめろ」
「あんただけちゃうの。そうやって意識してんの」
さゆりんはくるりと踵を返し、かちゃかちゃと歩いていく。おれはあわてて追いすがる。
「やめろ。もういい」
「挨拶ぐらいせんといかんやろ」
「そんなのしなくたっていい」
「それにあんたの奥方、見ておきたいからな」
さゆりんはおれに顔を向けてきてニヤリと笑う。おれはぞっとして身の毛がよだつ。
「なんて言っていたやろか。さゆりさんと一緒やないといやだって言っていたやろか」
「本当にやめてくれ。本当に勘弁してくれ。本当に頼むから」
「ほんなら私の俸禄はいかほどにしてくれるんや」
「えっ?」
「この前、十貫文とかけったいなことぬかしておったっけ」
「おいおい、ちょっと待ってくれ。おれのところの財布は太郎が握ってんだ。おれが決められる問題じゃねえんだ。それにお前は盗っ人なんだから銭なんて必要ねえだろ」
「百貫文ぐらいにはしてくれへんとなあ」
「おいっ! 何を言ってんだテメーっ! 池田で下手を打ったくせに強気になってんじゃねえっ! 盗っ人猛々しいってのはこのことだ! 脱落忍びのくせに生意気なことぬかしてんじゃねえっ!」
「そや。私は下手を打ってしもたわ。誰かがしつこかったもんなあ。犯されそうやったし、一緒じゃないといやだとか言うて」
「すまん。それだけは勘弁してくれ。頼む」
「いかほどや」
「えっ?」
「俸禄はいかほどって訊いておるんや」
「ご、五十であれば、太郎くんにはなんとか言えると思います」
「あ、そう。そんだけ。そっか。でも、ほんまに私じゃなかったら犯されていたで。奥方にきちんと言わんと。そういうのは女の敵やから」
「ろ、六十っ! 六十貫出しますっ!」
「ふーん。あんたってそういや諏訪で初めて会ったときも下衆やったな。ああいうことしょっちゅうやっておるんか? 奥方に言うておかんとな?」
「七十、いや、は、は、八十出します。お願いします。それで手打ちにしてください」
「かように頂けるとは、この吉田早之介、恐悦至極でございます」
女狐ヤクザが低音を響かせておどけてみせてきて、おれは怒りで頭がおかしくなりそうになりながらも拳を握ってこらえた。
主人たちの帰陣で賑やかな屋敷町の通りをやって来る。
自宅の門前で立ち止まった。さゆりんを睨みつける。
「八十貫なんだからな。ちゃんと吉田早之介をやれよ」
「言われなくても承知しております」
さゆりんは冷ややかに見返してきていた。おれは舌を打つ。
門をくぐると庭から声がしてくるので、玄関をまたがずにそちらに回る。あいりんがクリツナを撫でていた。ねじり鉢巻きが草を食べさせている。縁側にはあずにゃんとお貞が立っている。
おれはごくごく自然にしらりと入っていく。
最初に気付いてきたのはあいりんだった。
「あ、旦那様」
するとお貞も朗らかに笑んで頭を下げてきた。
「おかえりなさいませ」
奥さんは何も言わずにいた。
桃色の地に萩の花模様の小袖をまとっている。おれを見つめながら、笑みを押し隠すようにして唇を中にしまいこんでいた。それでも口許は緩んでいた。女の子のような表情をしていた。
おれはでれでれとしたいところだった。が、隣にやばいのがいるので、とにかく無味乾燥の態度で、早口に言った。
「ただいま帰りました。こちらは新たな家臣となった吉田早之介です」
と、目を向けたら、なんと、この小娘は兜を取っていた。
兜を小脇に抱え片膝をつくのだが、髪を下ろしているので、男装しているとはいえ、おれにはさゆりんにしか見えない。
「お初にお目にかかります。奈良で浪人をしていた折、殿に召し抱えられた吉田早之介と申します」
さゆりんが視線を伏せながら低音を通らせて、おれはおそるおそるあずにゃんへと視線をすべらせていく。
「栗之介から聞いた」
あずにゃんはにこにこと笑っていた。
「亭主殿と太郎をよろしくお願いいたす」
「承知つかまつりました。簗田家のため、忠義を果たす所存でございます」
「奈良か。わらわも行ってみたいの」
何事もなくておれはほっとした。
さゆりんが願福寺に戻り、入れ違うようにして太郎が凶暴馬クロスケとともに城から帰ってきた。
縁側に座って白湯をすすっていると、シロジロがみたらし団子を差し出してくる。
「旦那様のお帰りを待って腕を磨いていたッス」
さゆりんがわりかし大人でほっとしたが、女狐ヤクザに恐喝されたのをすぐに思い出しておれは苛立っていた。
久しぶりに見たシロジロのへらへら具合は八つ当たりに打ってつけだったが、我慢して団子を食べる。
「まあまあだな」
「若君。どうッスか、お味のほうは」
「うん。うまい。京で食べてきたものと遜色ない」
「ありがとうございます。若君にそう言ってもらえると嬉しいッス」
葉を赤黄色に染めた百日紅の木の下の特等席にクリツナが寝転がっており、クロスケは庭のすみで兄貴と同じ態勢でべったりと寝ている。暴れていたのも南近江までで、あとは疲れてだらけていた。
「京はいかがでしたか」
と、後ろに座っているあいりんが言う。おれにじゃなくて太郎に問いかけていた。おれはむしゃくしゃと団子を食う。
「いかがかと言われたら、そうですね、何か雰囲気はやはり違いましたかね」
「お前、どうしてあいりんにはですます口調なんだ」
「いや。おなごですし」
おれはシラーッとした目で太郎を見つめる。太郎は顔を背けて団子を頬張る。
けれども、おれはあわててそんな目をやめる。
女狐ヤクザに恐喝されたから、その分を太郎にお願いしなければならない。ご機嫌を悪くさせてはいけない。
「ま、しかし、あれだな。太郎も一人の将となったことだし、これからは足軽も増やしてどんどん頑張っていかんとな」
「え? 増やさないとおっしゃっていたではありませんか」
「ああ、あれは太郎の言うとおりだった。おれは間違っていた。うん」
今度は太郎がじろっと見つめてくるので、おれはわけもなくうなずいてごまかし、白湯をすする。
「之定は買いませんよ」
「わかってるって」
「之定ってあれッスか。二代目和泉守ッスか」
「お前うるさいんだよ。黙ってろ。てか、さっさと風呂を沸かせや」
シロジロは唇を尖らせる。
「だって、奥方様がまだいいって言ってたみたいなんスもん。あっしは旦那様が風呂に入るだろうからって言ったんスよ。お貞さんに。ねえ、あいりちゃん」
「ええ、まあ」
あいりんが苦笑して、おれは辺りを見回す。そういえばあずにゃんとお貞がいない。着替えてここに来たらいなくなっていた。
なんだろう。何かサプライズでも用意しているのかな。
「みたらし団子もいいが、おれはあいりんの作ったあつめ汁を食いたいな。なあ、太郎。そう思わないか」
「なんですか急に」
「今晩はそのつもりですよ。ねえ、四郎次郎さん」
「そうッスそうッス。あいりちゃんが腕によりをかけて若君のために作るッス」
「なんだ、若君のためって」
「旦那様と若君のためッス」
おれが肩ごしに振り向いてシロジロを睨みつけ、あいりんは顔を赤くしてうつむき、太郎が素知らぬ顔で白湯をすする。
奥の廊下からお貞がやって来て、
「旦那様」
と、呼んでくる。
「梓様がお待ちになっています」
「え? おれだけ?」
お貞はこくりとうなずいて、おれは首をひねりながら腰を上げる。
お貞に付いて廊下を行く。あずにゃんの部屋を通り越して更に奥へ行く。いちばん奥の空き部屋の前でお貞は両膝を付き、両手で戸を開ける。
なんのサプライズだろうと思っていると、おれは目を疑った。ただの板間の空き部屋だったはずが、なぜか、畳敷きの鮮やかな部屋になっている。
それでいて、あずにゃんは奥のほうに正座しているわけだが、そのかたわらにはヘタレ弥助の庵で見かけた茶道具一式が並んでおり、床の間まである。花瓶に一輪の花がいけられている。山水画の掛け軸が垂れている。
「な、な、なんスか、これ」
別世界をまたぐような気分で部屋の中に足を踏み入れると、あずにゃんはお澄まし顔で背すじを伸ばしながら言う。
「茶室じゃ」
「ええっ?」
「亭主殿に茶を振る舞おう」
「い、いや……」
「どうぞ」
と、あずにゃんはお澄まし顔――というか、おままごと顔でおれに座るよううながしてくる。おれは目を点にさせたままあぐらをかいて座る。ゆっくりと戸を閉めたお貞がおれの斜向かいに座る。
「梓様は姉上様にお茶をお習いしてしていたのです。旦那様がお帰りになるのを心待ちにしておりました」
「う、うん……。それはそれでいいんだが、こ、この部屋はどうしたのかな」
「改装しました」
「それは見ればわかるよ」
「これっ!」
と、あずにゃんが声を立ててきて、あぐらをかくな、正座しろと言う。
おれが目を丸めながら足を組み換えると、あずにゃんは耳かきみたいな棒で茶碗に抹茶を入れていく。
「いや、だから、この部屋の改装費用だとか――」
「これっ!」
あずにゃんがまた声を立ててきて、茶を点てているときに話すなと言ってきて、やけに厳しい。おままごと茶人ではないヘタレ弥助でさえそこまでうるさくなかったというのに。
柄杓で釜湯をすくってきて茶碗の底に注ぐ。ぎこちない手つきで茶碗の中身を茶筅でかき回し、おれに差し出してくる。適当にやっているとどうせまた叱られるので、ヘタレに教わったとおりの所作で茶を飲む。
空っぽにして置く。
「結構なお点前でございました」
「うむ」
「で、この部屋の改装費用は――」
「これっ! 茶碗を褒めぬかっ!」
「え……」
「作法はできておるのに、なにゆえ主人役が用意した物を褒めぬのじゃ。それではいかんであろう。亭主殿はこれから天下の将に茶の湯にお呼ばれするはずじゃ。そのときに不興を買ってはいかんではないか」
うるせえ……。ヘタレはそんなことを言わなかったのに……。
仕方なくおままごとに付き合う。
「この茶碗はいいですね。いくらしたんでしょう」
「なに?」
「あ、いや、このどこにでもありふれた、じゃなくて、がっしりとした土色で、ふむ、派手好きの梓殿には似合わない、あ、いや、なかなかいい茶碗です。茶の味がいっそう引き立ちます」
「左様か」
それで、花瓶を褒めろ、花を褒めろ、掛け軸を褒めろととやかくうるさい。しまいには背すじを伸ばせだの、膝と膝の間隔はこのぐらいだのと窮屈な思いをさせられ、挙げ句にはもう一度部屋に入ってくるところからやり直せと言い出す。
「ちょっと待って下さいよ」
おれが苛立ちを見せたら、あずにゃんは眼光を飛ばし、デザイアをちらつかせてきた。
おれは部屋の外に出て、もう一度入った。クソまずいお茶をもう一杯飲まされた。
そうして、あずにゃんは最後に言った。
「この部屋は茶室ゆえに亭主殿がいつもやっているようにして寝そべったりするのは禁止じゃ。よいか?」
「は、はい。ところで、この部屋の改装費用ってのはどっから出てきたんスかね。もちろん、柴田家からッスよね」
「馬屋にあった箱の中じゃ」
おれはひっくり返りそうになった。
それはなんとなく恐れていた。そして現実であった。恐れを現実として受け入れるというのは、強靭な精神力を必要としなくてはならないと思う。
そんな精神力がおれにあるはずがない。けれどもおれは耐えるしかない。崩れ落ちそうだが、こらえるしかない。
「とても助かった。わらわも茶の湯を学べるし、亭主殿も学べる。それに茶室があると客も喜ぶ。この屋敷には風呂もあるからの。今度、おやかた様でもお招きしたらいかがか」
あずにゃんは無邪気ににこにことしており、おれのカネ(本当はシロジロのカネだけど)を勝手に失敬したことについてなんとも思っていないようである。
いったいどういう思考回路をしているのか。
馬屋のカネは家の物だという感覚だったのか。
梓殿、あれはあっしのカネですよ。たとえ置いてあったとしても、勝手に失敬するのはいかがなものじゃないですか。
と、言いたかったが、あずにゃんがもう本当にご機嫌でいて、それがまた憎たらしいほどに可愛らしくって、ああ、傷つけたらいかんな、と、おれは心に涙を流しながら腰を上げ、とぼとぼと茶室をあとにする。
柴田家ではデザイアとして暴れ回っていたあずにゃんだ。なおかつ、年の離れた末娘だ。可愛がられて育てられたんだろう。何不自由なく生きてきたんだろう。カネのことなんてなんにも知らずに今までやってきたんだろう。
おれが松永弾正から渾身の思いで引っぺがしたカネだというのに。
まさか、これが弾正の呪い――。
さゆりんには恐喝されるわ、あずにゃんには勝手に失敬されるわで、おれの愛する女たちはどんどんどんどんおれからカネを引っぺがしていく。
しかも、家計をドケチの太郎が牛耳る始末。
おはらいしないとまずい。なにせ、呪いの主は稀代の大悪党だ。この呪いはとてつもない。
寒気を覚えながら庭に下りて馬屋に入り、藁を掻き上げていくと桐箱があった。蓋を開ける。
うわ……。
見ただけでも三分の一ぐらいが減っている。
「勘弁してくれよお……」
おれはしなびていくへちまのようにして膝から崩れ落ち頭を抱えてしまう。
きっと呪いってある。こうも立て続けに災難が降りかかってくるだなんて、弾正の生き霊みたいなものがおれに取り憑いている。
……。
てか、そもそも、どうしてあずにゃんが馬屋の隠し財産を知っているのだろうか。
――。
おれはハッとしてあわてて箱を抱えた。藁屑を払っていき、いささか軽くなってしまった箱を恋人のようにして抱きしめて馬屋から出る。
左右を確認して誰もいないことを確かめる。裏庭を回っていく。
自室の開け放たれた窓の前に来て、そこから部屋によじ登り、隠し床を開けて、へそくり部屋に箱をしまい込む。
なにせ、あずにゃんが部屋を改装だなんていう大掛かりなことをしてしまったからには、シロジロもあいりんも馬屋財産を把握しているはずだ。
知らないのは太郎だけ。
茶室なんて作っているから当然太郎に知れてしまう。
あずにゃんが家を改築しただなんて知ったら太郎は発狂する。
費用がどこから出たのか問い詰められたあずにゃんは「馬屋にあった箱の中じゃ」と無邪気に言う。
あずにゃんに口止めを依頼したところで、おれが嘘をつくと激怒する人だ、隠し通せるはずがない。
これは本格的に呪われている。
もう観念するしかないのだろうか。
シロジロが騙し取られたカネを弾正からぶん取ってきたと白状してしまおうか。
そうなればおれは英雄だ。家の中の誰もがおれを敬うはずだ。
「駄目だ」
おれは首を振る。
おれのものはおれのもの。シロジロのものもおれのもの。
どうせシロジロに返したってあいつはまたすぐに誰かに騙し取られるのだ。だったらおれが預かっていたほうがいい。これはシロジロのためである。
そう。シロジロの今後のためを考え、おれはカネの出処を伏せておかなければならん。
しかし、どうやって太郎をだまくらかせばいいのか。
と。屋敷の奥から騒ぎ声が届いてくる。
耳を澄ませてみれば、疑惑の茶室からだ。太郎の声、あずにゃんの声、鉢巻きの声、全員の声が聞こえてくる。
どおりで見かけないと思ったらさっそく騒動になっている。
「父上はどこにいるのだ」
おれはあわてて窓から裏庭に飛び降り、ダッシュで屋敷を飛び出した。
願福寺に行こうとしたが太郎が察知しかねないので、稲葉山と峰を並べている瑞龍寺山に登るとその森の中に隠れた。
葉が色づいた木の幹に背中を預け、ぜえぜえと息を切りながらしゃがみ込む。
まずい。非常にまずい。
簗田牛太郎史上最大の危機だ。
それっぽい話をでっちあげないと財産が没収されちまう。
足利義昭に貰ったということにしようか。南近江や池田で手柄を立てたから足利義昭が個人的にくれたと。
いいや、そんなもの、まったく信ぴょう性がない。信長の庇護を受けてようやく将軍になれたようなあいつが二百貫文をぽんと出せるはずがねえ。
それに、そんな法螺話を作り上げたら、太郎がしゃしゃり出て「公方様に御礼申し上げないと」だなんて言いかねない。公方に直接会えないにしても、最低でも明智十兵衛に礼を言いかねん。
そうなると話がややこしくなっちまう。嘘を嘘で塗り固めるほど、バターで固めすぎたケーキみたいに、後味は最悪だ。
サルに賄賂を送って辻褄を合わせてもらうかな。
信長から個人的に褒賞を頂戴したということで。
おれとサルだけにカネをくれたのは、箕作城攻めの作戦を立てたということで。
それは作戦を立てたのは事実だ。ならば貰うべきだ。本当は半兵衛だが、そんなの知ったこっちゃねえ。
それにサルはカネのためならなんでもするやつだ。
「駄目だ」
おれは溜め息をつきながら色づいた木々の葉をあおいでしまう。
サルは京都に駐在しているのだった。岐阜に帰ってきていない。
「マタザにしようかな」
それも駄目だ。マタザのバカのことだ。すぐに口をすべらせてしまう。
太郎とまったく接点のない、今後も接点の生まれなさそうな奴からカネを貰ったということにしないと。
弾正から貰ったということにすると、どうしてカネを貰ったのかという話になって、シロジロに疑われかねない。シロジロの頭の中では、松永弾正すなわち鼻クソなのだから。
ヘタレ弥助かな。
あいつなら太郎と接触しなさそうだ。個人的なトモダチってことにすればいいのだ。
摂津池田降伏のさい、ヘタレ弥助に賄賂をもらっていたということにすればいい。
賄賂となると半分悪人になってしまっており、清廉潔白をやりたがる太郎に責め立てられそうだが、真実はうやむやにできるはずだ。怒られるだけで済むはずだ。
それでいて太郎も簗田家の名が失墜するのを恐れて胸にしまう。おれと太郎だけの話にする。家の人間たちには公方から頂戴したということにする。
ただひとつ問題なのは、鉢巻きにカネを渡したのが大津ということだった。摂津池田に行く前だった。
けれども、それは鉢巻きしか知らない。すっとぼければいい。
なにせ、太郎の注目はおれが悪事を働いたというところに向けられる。怒りはそこに向けられて、細々とした精査をしてこないだろう。
悪徳野郎という騙し絵によってあらゆる矛盾を覆い隠すのだ。
太郎の信用を失うが致し方ない。肉を斬らせても骨は断たせない。
だいたい賄賂だなんて戦国時代には横行しているはずなんだ。むしろ逆ギレしちまおう。
ということで、おれは山を下りていった。
太郎はむすっとしておれを出迎えた。玄関の上がりかまちに腰掛けたおれは素知らぬふりで足を洗った。
「父上。どこに行かれていたのです」
「ああ。ちょっと森サンザ殿のところにな」
「お話があります。拙者の部屋に来ていただけますか」
「話? なんだよ。ここでいいじゃねえか」
うんともすんとも言わず太郎は奥に引っ込んでいった。おれは手ぬぐいで濡れた足を拭き取り、あいりんに渡した。
「話ってなんだ。怖い顔して」
あいりんは泣きそうな細い眼差しでおれを見上げてくる。何かあったのかとあいりんに訊ねる。あいりんは首を振る。
広間の前を通りすぎていこうとすると、中ではあずにゃんが不安げな顔つきでいた。亭主殿と言っておれを呼び止めてき、これまた泣きそうな細い眼差しでおれを見上げてきた。
「あれは使ってはいけぬものであったか?」
「あれ? 茶室のあれですか? いいえ。べつにいいですよ」
「あの金銀はいったいどうしたのじゃ」
「ああ。公方様から頂戴したんです。戦功の働きで。でも、これは言ってはいけませんよ。おやかた様から口止めされているので。あっしだけが頂戴したので。諸将方々に妬まれてしまいます」
「さ、左様か」
おれは笑みを浮かべると、広間の前を通りすぎていく。
内心はものすごく怯えている。ボロが出ないよう頭を回転させっぱなしで、気を抜いてしまえば腰から砕けそうである。
池田八郎三郎に降伏勧告しに行くときよりも緊張しているのではないだろうか。
堅物ドケチ小僧の部屋の前まで来ると一度深呼吸してから戸に手をかけた。
「太郎、入るぞ」
太郎は部屋の真ん中にあぐらをかいてむすくれている。おれはきょとんとした顔で太郎の前に腰を下ろす。
「話ってなんだ」
二重の澄み上がった目尻をきつく固めて寄越してきて、検察官みたいな怜悧な眼差しにおれは震え上がりそうだったが、どうにかして目を点にする。
「母上が茶室を作った費用は、馬屋に置いてあった桐の箱の中身からというそうですが、栗之介が言うに父上から預かったものだと。一体、どうしてそのような金銀を手に入れたのです」
「あっ。あ、あれは……。その……。いやっ、その……」
おれは目を泳がせて、務めてこれまでのおれを演じようとした。縷々として説明するとかえっておかしい。
「あれはいったいどうしたのです。なにゆえ馬屋の中にしまいこんでいたのです。まさか京で誰かを陥れたのではないんですかっ。京市中での乱暴狼藉は即刻打ち首なのですぞっ!」
「い、い、いやっ。恐喝とか脅迫なんてしていないっ。決してそんな真似はっ」
「ならばどうしたのです!」
「いや、その、実は、はい、あの、賄賂を受け取りまして……」
「賄賂?」
「そ、そ、その、摂津池田に降伏勧告するさい、最初はうまく行かなかったので辞めようとしたんですが、荒木信濃守殿がどうしても池田八郎三郎殿を説得してくれと言って、じゃあ、タダじゃやらないからカネを寄越せって……。はい」
太郎は案の定、瞳孔を大きく広げ、小刻みに震え出した。
「ゆえにあんなに必死になっていたということですか」
「内緒でお願いします。これは内密に。太郎くんとお父さんだけの秘密ってことで。バレるとまずいんで。家の人たちにも公方様から貰ったということにしてください」
太郎は膝の上に置いていた拳をぐっと握って素襖の裾を絞り上げ、怒りを押し殺していた。
「蔵を壊そうとしたり、壺を抱えたまま出歩いたり、銭貫文には異様に執着する人だと昔から思っておりましたが、まさか、織田のいくさをそのようなことのために扱うだなんて」
「ところでだ――」
と、おれは開き直ったふうに言った。火に油を注ぎかねないが、今の怒りは新たなる怒りで風化してもらわくてはならん。
「早之介のことなんだが。あいつを雇うとき俸禄八十貫文って言っちゃったんだ。よろしく頼むな」
太郎はしばし呆気に取られていた。おれはへらへらと笑う。太郎は再び震え出し、声を荒らげる。
「な、な、何を申しておられるのですかっ! は、八十貫とは、な、何をっ!」
「あいつは出来る奴だしな。池田の件でもいろいろと働いたしな。強いしな。お前、一度手合わせしてみろ。たぶん負けるから。ということで出してくれ。な」
「ち、父上はっ、金銭感覚がどうかしているのではありませんかっ! 半左衛門といい、名もなき者にどうして八十貫文も出せるのですかっ! 箕作城で功績を立てた才蔵は沓掛にいるとき六貫文だったんですよっ!」
「それはだってサイゾーが活躍する前じゃないか。足軽一兵卒だったんだから」
「半左衛門だって早之介だって戦功の一つもまだ立てていないではありませんかっ!」
「だから、前にも言っただろ。踏み出す者にはそれなりの――」
「それにしたって出し過ぎなのですっ! ならば拙者が早之介に申しますっ! 俸禄は五十貫文とっ! せめて半左衛門と同じでなければ示しがつきませんっ!」
「駄目だ。おれがどうしてもって頼んでそうしたから駄目だ」
「ならば拙者がどうしてもと頼んで俸禄を下げますっ!」
「いや、それはちょっと勘弁してくれ。おれの面目が立たない。頼む。最後のわがままだと思って。わかった、こうしよう、な。おれのお小遣いは無しでいいから。そうしよう」
「お、お小遣い? なんですかそれは」
「あっ――」
と、おれは自ら墓穴を踏んだかのようにして口をつぐみ、太郎の怒りをさらに違うものに振り向けるために演じた。
「なんですかそれはっ!」
「あ、いや、実は、その、ゴロザ殿に頼んで、毎年、五十貫文を貰っているんだ。そ、それは無しでいいから、早之介に回してくれ」
「五十貫文……。いったい何に使うためにそんな……。父上の身の回りの物はすべて揃えているというのに……」
「み、身の回りの物って、だって、お前、刀とか鎧とか買ってくれねえじゃねえか」
「無銘のものはいやだと言うではありませんかっ! 具足だって好きで綱を巻いているではなかったじゃありませんかっ! そもそも具足を用意しろだなんて拙者は一度も言われたことがありませんっ!」
「好きで綱を巻いているわけねえだろうがっ! お前、どうかしてんじゃねえのかっ! あれはな、おれの寸法に合うものがねえからって仕方なくそうしていただけなんだからなっ! そういうお父さんの気持ちもわからないでとやかく言うんじゃねえっ! とにかくだっ! 小遣いはいらねえからその分を早之介に回せって言ってんだっ! それでなんか文句あるかっ!」
太郎はおれを睨みつけてき、おれは太郎を睨みつける。
「わかりました。納得できませんが、一度約束してしまったものは仕方ありません。ただ、これからは家臣を雇うときは拙者に相談してください。特に俸禄は。父上は金銭感覚がどうかしてます。自覚してください」
「はいはいわかりましたよ。以後気をつけますよ。ところでお前、明智十兵衛殿から娘を貰ってほしいって話があるんだがどうするんだ」
「えっ」
「あっ。お前に言う話じゃなかったな。一応ながらおれは保留しているからな。承知することも断ることもできねえからな。お前に恋仲のおにゃの子がいるって言うんなら断るけどな。あいりんとかな。そういうことだ。じゃあな」
唖然としている太郎を尻目におれは部屋を出る。ぴしゃりと戸を閉める。
胸を撫で下ろす。
うまくいった。すべて丸め込めた。
太郎の心中は今めちゃくちゃになっているはずだ。おれがひた隠しにしたい桐の箱の件はすっかり小さな出来事になっているはずだ。冷静な思考もできないはずだ。
とはいえ。
五十貫文のお小遣いがなくなったのは痛すぎる。
「銭こ、稼がねえと」
ぽつりとつぶやいたおれは、自室の戸を引いた。




