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ふりてんつもる(前編)  作者: ぱじゃまくんくん夫
第六章 魂の夜明け
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おれがおれを信じたときは

 あずにゃんが生地を選んでくれた素襖に着替え(橙色がいやなんだが)、池田八郎三郎から預かった書状を懐におさめ、池田城をあとにした。

 城下町を行く。

 織田勢が放った火はいまだおさまらず、黒煙が夜空を覆い隠している。

 家屋が軋みを上げて崩れていき、火の粉が大量に噴き上がってきて、おれはあわてて駆け出し、虫でものけるようにして、しかめっつらで火の粉を振り払う。

 火の手から逃げ出したあとはすぐに足を緩め、その足取りは重い。汗は止まないが、橙色の袖で拭いても拭いても、冷や汗のようにしてすいすいと垂れてくる。

 所領安堵どころか足利幕臣に引き立てるだなんて、おれじゃどうにもできねえことまで約束しちまった。

 さすがに後悔した。自己嫌悪に陥る。調子に乗りすぎた。あそこはもっと慎重に駆け引きするべきだった。一度、信長本陣に戻って折衝するべきだった。

 いいや、あそこで畳み掛けないと話は進まなかったんじゃないだろうか。

 わからん。今となってはもうわからん。

 もはや、信長に伝えるしかないだけだ。

 だけど、信長がこちらの(池田方の)要求を呑むだろうか。おれが勝手に話を進めちまったわけだ。

 じゃあ、あの信長を言いくるめるか?

 そんなの簗田牛太郎史上最大の難関じゃねえか。

 池田の連中を説得するほうがまだたやすいじゃねえか。

 おれの考えのたいがいを見透かしている信長をどうやって言いくるめる。

 そもそも、信長は攻城を始めてしまっているんだ。いまさら降伏を受け入れるのだろうか。ましてやその条件が所領安堵だなんて信長はブチ切れるんじゃねえのか?

 だいたい、信長がおれの進言に耳を貸したことなんて桶狭間以来ないのだ。

 ボコられることがしょっちゅうなのだ。

 おれは思わず頭上をあおいでしまう。煙を吸って咳き込んでしまう。

 やがては崩れ落ちる城下町を出て、黒煙の視界は晴れた。

 向こうにはかがり火がずらりと並んでいる。夜空は怒り狂ったかのように赤く染め上がっている。一歩一歩と足を踏み出しながらおれは必死で考える。

 どうやって信長に報告するればいいだろう。

 冷静になれない。

 ブチ切れたときの瞳孔開きっぱなしの信長の顔が思い浮かんでしまう。おれをタコ殴りにした挙げ句、頭を足で踏んづけながら池田八郎三郎の書状をビリビリに破り捨てる信長を想像してしまう。

 ま、おれが殺されることはねえだろうから、どうでもいっか。

 池田の申し入れも無視して信長が総攻撃を仕掛けるだけだ。池田は滅亡、ゼニゲバもヘタレもさようなら。おれは蟄居処分一ヶ月ぐらいで終わり。

 ……。

 それはいかんだろう。

 それこそおれは詐欺師になっちまうし、それこそおれは何のために命を張ってまで立ち回ったんだという話だ。

 おれの仕事は終わっちゃいねえんだ。

 おれはやることをやったんだ。

 池田のためじゃねえ、織田のためにおれはやったんだ。無駄な被害をなくすためにおれはやったんだ。

 にわか仕立ての舌先三寸が信長には通用しないことぐらいわかっている。

 おれの進言に耳を貸さないことぐらいわかっている。

 でも、おれはやったんだ。おれなりにやったんだ。痺れるぐらいの大任を果たしたんだ。

 事の顛末の洗いざらいを吐き出して、思いの丈をぶつければ、信長だってわかってくれるんじゃねえだろうか。

 駄目で元々だ。

 かがり火のもとに兵卒たちの姿形が見て取れるところまでやって来ると、おれに気付いて、兵卒たちが槍を構えて駆け寄ってきた。池田の者かと問われたので、「沓掛の簗田牛太郎だ」と答える。

 松明の火でおれの顔を照らし上げながら、兵卒たちは顔色を変えた。

 槍は下ろさず、「誰か殿にお知らせしろ」と兵卒の一人が言って、しばらくすると、四、五人の手下を引き連れて、甲冑姿のサンザがやって来た。

 どうやら、遭遇したのはサンザの可児勢だった。

「お主いっ!」

 サンザが馬から飛び降りてきた瞬間、兵卒たちは槍の構えを解く。

 おれは怒涛の勢いでがちゃがちゃと駆け寄ってきたサンザに胸ぐらを掴み上げられた。

「何をやっておったかっ! 今までどこにおったのだっ!」

 おれの首を襟で絞め上げながらサンザは顔を紅潮させており、さゆりんは馬鹿正直におれの言葉を伝えたようである。

「い、いやっ、違うんスっ。こ、こ、降伏をっ。池田は降伏勧告を呑んだんスっ」

「なにいっ!」

「に、逃げたっつうのは、あっしが嘘をつけって家臣に言ったんスっ。ほんとは、池田城に潜伏してたんスっ」

 おれは掴み上げられながらも懐から書状を取り出し、ゴリラに、もとい、サンザに見せた。

「すいませんッス。なかなか聞き分けのない奴らで。それで」

 サンザは大きく溜め息をついた。

「うつけがっ」

 頭にゲンコツを落とされて、おれは悶えた。

「危ない橋を渡りおって」

「だって、大任だとかってあっしに圧力をかけてきたじゃないッスか」

 唇を尖らせていると、もう一発、ゲンコツを食らった。

「とにかくおやかた様のもとに行くぞ」

 おれは頭をおさえながらサンザのあとを付いていく。

 サルやマタザ、もしくはウザノスケあたりが茶化しにやって来るかと思ったが、人間が多すぎるので騒ぎはそうそう伝わらないようだった。

 兵卒たちは思い思いに休息を取っており、いくさの最中のわりには静かだった。燃え立つ城下町をよそに、鈴虫の奏で合いが秋の夜風に乗っている。

 頭が欠けたお月様が浮かんでいる。

 薄い雲に隠れ隠れも、その光は雲を透かして夜空を染めていた。

 織田の家紋入りの陣幕が張り巡らされた本陣にやって来た。

 サンザが信長に目通り願いたい旨を警護の馬廻に伝えると、馬廻は陣幕をめくって中へと入っていき、おれはいよいよ震えてきた。

 信長に会うってだけでこれほど息の詰まる思いをした試しはない。親分信長じゃない大人物の織田信長をこれまで意識したこともない。

 おれは針のむしろを目の前にしているような思いだった。

 馬廻が戻ってくる。陣幕をめくり上げたままサンザとおれとを中に促す。

 おれは深呼吸してから、サンザのあとに続いて踏み入った。

 議場で信長はすでに床几に座っていた。小袖の上に籠手袖だけを身につけている。

 おれの姿を確かめた途端にやはりブチ切れた。

「この野良牛がっ!」

 と、床几を蹴散らしながら腰を上げてきた。おれはすかさずヘッドスライディングするみたいに土下座して、サンザが信長をなだめた。サンザが事情を説明した。

「なにい」

 サンザが池田八郎三郎の書状を信長に渡す。信長は神経質そうな皺を眉間に寄せたまま視線の先を文面にすべらせていく。

 おれは肩を震わせながら信長の顔色をうかがっていた。

 読み終えた信長は背後に顔を向けて、小姓の竹に書状を突き出した。竹にそのまま手渡した。

 竹がセットし直していた床几に腰を下ろし、信長は鼻先を突き上げながらおれを睥睨した。

 地べたに手をつくおれは吐息を震わせ、信長が言う。

「よくやったじゃねえか」

「いやっ、実はっ――」

 おれは地べたに額をこすりつけた。声は思わず上ずってしまっていた。

「い、い、池田八郎三郎は開城条件に、所領安堵と、あと、足利幕臣を希望しておりましてっ。そ、そ、それであっしは約束しちまいましてっ。おやかた様っ、どうかっ、これをどうにかしてもらえないでしょうかっ」

「構わん」

「えっ?」

 おれはぽかんとして顔を上げた。

 信長はなんてことのない表情だった。切れ長の瞼の中に黒々とした瞳を丸々とさせていて、無表情には違いなかったが、おれの知っている信長からすれば、穏やかなものにさえ見えた。

「三左、池田の城に矢文を放て。所領安堵を約束し、左馬頭に取り計らうと」

「承知いたしました」

「竹、九郎左に伝えろ。池田は降伏した。入城の手配を取れと」

「かしこまりました」

 サンザと竹が駆け出ていき、おれは取り残される。

 信長は上機嫌なのか不機嫌なのかどちらともつかないのっぺりとした顔つきでいて、黙りこくっておれを眺めてきている。

 おれの目は泳いだ。

「い、いいんスか。しょ、所領安堵どころか、足利幕臣だなんて、そんな条件でいいんスか」

「だったらもう一度池田の城に行って取り下げてこい」

「あ、い、いや、や、約束しちゃったんで」

「フン」

 鼻を鳴らした信長は風のような笑みを浮かべながら腰を上げる。

「これでよい」

 信長は陣幕をめくって奥へと引っ込んでいった。

 おれはしばしのあいだ、呆然として土下座していた。火を焚いた薪がぱちぱちと割れているのを聞いていた。

 流れる雲が引き潮のように流れていき、月の形がくまなく見て取れる。

 頭の欠けたお月様が染め上げるのは、海のような夜空だった。

 安堵の息を吐いていくとともにこわばっていたものが体中から抜けていく。

 助かった――。いや、成し遂げた。

 急に小便がしたくなった。おれはあわてて陣の外へと駆け出ていった。




 亭主殿


 虫の声に秋も近づいたと感じる岐阜の夜です。

 あなた様がご無事かどうか心配でなりませんでしたが、こうして文を頂戴できて梓は胸を撫で下ろしています。

 いくさ勤めご苦労様でございます。

 戦功をお立てになられたと聞き、梓も我がごとのように喜んでおります。

 でも、決してご無理はしてくださらないで。

 恩も礼も何も、梓はあなた様がご無事でいてくれればそれだけで構いません。

 この文を受け取るときあなた様はどこにおられるのでしょう。

 岐阜にお戻りになられるのはいつごろになりますか。

 梓は今夜もあなた様のご無事を祈りながら眠りにつきます。


 梓


 追伸

 やなだのやなは簗か梁ゆえ。

 自分の名ぐらい書けるようにしておきなされ。




 マイリトルラバーは相変わらず横読みには気付いてくれないようである。むしろ、おれが学のない奴みたいになっている。

 それにしたって、南近江の和田山で書いた手紙の返事を摂津の池田で受け取るとは、ずいぶんとタイムラグが激しい。

 もしも、この手紙を摂津池田に入る前に受け取っていたら、おれはどうしていたかわからない。

 おれの無事だけを願っている健気なあずにゃんの思いに応え、おれは違う行動を取っていたかもしれない。

 いいや、どうだろう。今となっては自分にどのような選択肢があったのか、もしくは生じたのだろうか、終わってしまえば何もわからない。

 自分ですら、どうしてあの行動を取ったかわからない。

 ヘタレ弥助に牢屋にぶち込まれたとき、さゆりんとともにどうして逃げなかったのか。どうしてわずかな可能性に賭けたのか。

 さゆりんが意味不明に泣き出したからだろうか、さゆりんが下手を打ったから挽回するためだろうか、それとも大津を発ってからここに来るまでの道中、調子に乗ってなんら省みない行動を取っていた自分に対する反省からだろうか。

 それらは全部当てはまっているかもしれないが、おれがそんな殊勝な人間だとも思えない。

 どうしてかはわからない。わからないが、あのときの決断がなければ何もかもが違う結果になっただろう。

 おれは動かされるようにして動いたのだった。自然にそうしたのだった。

 牢屋に入っていたときがいちばん冷静でなかったかもしれない。けれど、道すじは見えていた。やれる自信はあった。

 道すじが見えていて、自信があるのなら、やはり、踏み込まなくちゃならなかった。

 そう思えば、おれはあずにゃんからの手紙を事前に読んでいたとしても、同じ選択、同じようにして危ない真似を取っただろう。

 おれがおれを信じたときは、絶対に踏み込まなくちゃならねえ。

 あずにゃんには申し訳ないが、切った張ったの戦国武将だなんて、気狂いぐらいでなくちゃやってられんのだ。

「父上。よろしいですか」

 太郎の声が外から聞こえてきて、桶側胴以外の具足に着替えているおれはすだれをめくって掘っ建て小屋の外に出た。

 かがり火に照らし出されて、太郎の脇には見覚えのある若僧がいる。

「父上。半左衛門はあの次の日にすぐに戻って参りまして、この通り反省もしております。ご容赦頂けませんか」

 うつむいていたハンザはそそくさと地べたに膝をつき、力いっぱいに頭を下げてくる。

「申し訳ございませんっ! やはりっ、拙者は旦那様のお膝元に仕えたいと考えた次第でございましてっ! どうか、また再び旦那様に仕えさせてくださいっ!」

 おれはむっとしてハンザの頭を見下ろし、太郎に目を向ける。

 おれが戻ってきたとき、最初、おれが逃げ出したと信じ込んでいた生意気太郎は説教をかましてきたくせ、事情を知るやいなや、このようにしてすっかりおれの顔色をうかがう始末である。

「ハンザ。お前、親父さんに戻れって言われたんだろう」

「はい。しかし、拙者自身もどうしていいものかわからず――」

「お前はバカみたいだから勘弁してやるが、次やったら許さねえからな。あと、おれを旦那様って呼ぶのはやめろ。殿って呼べ。わかったか」

「か、かしこまりましたっ」

 おれはハンザの頭にゲンコツを落とし、頭をおさえて悶えているハンザをよそに掘っ建て小屋の中に戻った。寝転がった。

 よかったな。はい。という会話が外から聞こえてくる。

 まったく。

 それよか、クローザを始めとした信長側近どもが池田の連中と開城の段取りを整えているようだが、明日になったらおれも城に行かなくちゃならん。ヘタレ弥助に恩を着せて二百五十貫文を用意させなければ。

 チッ。結局、得したのはゼニゲバ瀬兵衛だけだ。

 いや、おれにだって分け前を回してもらわなくちゃ困る。

 そうだ、瀬兵衛と約束したのは三百貫文とヘタレに言おう。五十貫文はおれを牢屋にぶち込んだ詫び料みたいなもんだ。当然だ。

 当然だ――。

 細い息が口をつく。相変わらず興奮は冷めない。すっかりくたびれているというのに、今日も寝つけない。

 些細なことでもあれこれと思案するのが癖になってしまったようでもある。

 一息つきたい。早く岐阜に帰って風呂に入りたい。

 と、すだれがめくれた。

 寝転がったまま睨みつけると、声もかけずに覗きこんできた無礼者はやはりさゆりんだった。

「なんだ」

「殿の脇差しです」

 アケチソードを差し出してくる。おれは体を起こすと手を伸ばして受け取る。桶側胴の脇に置き、また寝そべる。

「なんだよ」

 さゆりんはすだれをめくったまま、おれを見つめてくるのだった。

「他にまだ何かあんのか」

「拙者がいてもいなくても、殿は殿ですかね」

「バカが」

 おれは具足をがちゃりと鳴らしながら横に寝返りを打ってさゆりんから顔を背けた。

「そういうことは二度と言うんじゃねえ。おれはお前と一緒じゃなくちゃいやなんだ。わかったか。もう二度と言わせんな」

「勝手な人や」

「どっちがだバカ野郎」

 おれが吐き捨てたら、さゆりんはふふと笑った。

「おつかれさん。男前やったよ」

 すだれを下ろし、かちゃかちゃと去っていく。

 まったく。

 誰かがいるかもしれねえんだからちゃんと吉田早之介をやれってんだ。

 おかげでよく眠れそうだけれども。


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