逆転の一縷
当然、池田の連中は籠城戦を選択した。
城下や郊外の村から百姓がかき集められる。
おれは食い扶持目当ての浪人として紛れ込み、例のごとく寸法に合う胴丸がないというので、ここでも綱鎧の辱めである。
秋雨がしとしとと降り注ぐ中、武将の指示のもと足軽雑兵が総出となって城の防御を強固とさせていく。
曲輪に柵を巡らせる。緩んでいた柵は打ち直し、縛り直す。矢盾が並び立てられていく。
尾張沓掛ふんぞり返りの城主のおれも、見知らぬ土地の連中とともに柵の材料を運ぶ。
雨もやんで日暮れになると、足軽どもと一緒に雑炊を食べる。
「お前、浪人言うておったけど、生まれはどこや」
「あっしは芸州の生まれでして。益田八兵衛っていいます」
雑兵たちと適当に話していると、雨上がりの夜空に月がかかった。
丸いお月様と燃え立つかがり火が城郭のいたるところをくまなく照らし上げる。
おれは曲輪で雑兵たちと一緒に茣蓙の上に寝転がる。
不安はある。
おれはずいぶんと大それた真似を仕出かしてしまっており、こうして敵陣に紛れ込んでしまっている以上、おれは織田の使者ではなくて、ただの潜入者だった。
素性が知れてしまえば殺される。ゼニゲバ瀬兵衛がかばうはずもない。
綱渡りのような緊張だった。
籠城する側に立つのも初めてのことなので、雑兵たちがわずかに漂わせている悲愴感に当てられてしまっているのかもしれない。
ここまでする必要があったのか自問自答もする。
しかし、踏み入ってしまったわけだ。
誰が決めたのでもない、おれがおれの勇気に従うままに綱渡りを始めてしまったのだ。
誰のためでもない、手柄が欲しいわけでもない、ゴンロクの厭味ったらしい顔が浮かぶわけでもなく、とやかくやかましいさゆりんに見せつけたいわけでもなく、家族とかそんなもんでもない。
ただ単純に、それができそうだと思ったからだ。できそうだと思ったのにそれをやらないでしまうと、あとで間違いなく納得できない。
思い返せば、桶狭間の出陣の夜、信長が言っていた。
痺れると。
おれも、今、痺れている。
おれ一人の立ち回りで一万の池田をひっくり返せるか否か。
よくよく考えてみればとんでもない大仕事だ。
興奮と緊張でおれはなかなか寝つけないでいる。
とにかく考えてしまう。さゆりんが仕入れてきた情報を元手に池田八郎三郎とはどういった人物なのか探ろうとすれば、どういうふうに交渉すればよいのか――。
池田方の動きがこうであったら、おれはこう動けばいい。
もしくはこうするべきか。
中川瀬兵衛が出方次第でこっちにも転ぶ、ならば、どうするか。
相手がこう言ってきたらこう返す、この場合はこう返す。
おれは延々と延々と想定し、まったく寝つけなかった。そんな想定をしても結局答えは一つしかないのだから、いい加減、眠りたくもなった。
しかし、おれは不安を解消したいがためにすべてを把握しようとしてしまう。おれという人間は臆病すぎるのだろうか、すべてを覗きこもうとしてしまう。すべてを想定したくなってしまう。
やがて、高揚していた。まったく眠くなく、むしろ頭の中は冴え冴えとして渡り、たった一人の決着のつかない世界で答えを求めずにはいられなかった。
だが、そこはおれごときが通用する戦いなのだろうか。
高揚と不安は螺旋階段のようにして、あるいは水と油のようにして、融け合っておれを落ち着かせてくれることはなく、狂おしいほどにおれを悩ませる。
寝たのか寝ていないのかわからないうちに夜明け前だった。
ひっそりと体を起こしたおれは、曲輪を離れ、武具庫へこそこそと向かう。
東の空に明けの明星が現れたそのときだけがゼニゲバ瀬兵衛と唯一接触できる時間だった。
闇に溶けこむようにして待っていると、甲冑姿の瀬兵衛が誰か武将を連れてやって来た。
ヘタレの弥助だった。
瀬兵衛より格上のはずなのにへこへことしておれの前に立ち止まり、ちららちらと上目にうかがってきながら言う。
「も、も、申し訳ござらんかった」
おれは睡眠不足でぼんやりとしてしまう感覚を覚ますようにして息を大きくつくと、ヘタレの肩の袖壺に手を置いて、ヘタレを友人のようにして真っ直ぐに見つめた。
「八郎三郎殿に取り次いでくれれば水に流します。あっしが投獄されたことも上総介には伝えない」
「ま、まことでございますか」
おれはうなずく。
瀬兵衛に支払わなくちゃならなくなった二百五十貫は肩代わりしてもらうつもりである。恩を着せておかなければならない。
瀬兵衛が言った。
「城内の足軽どもには伏せられておるが、勝竜寺城は陥落し、昨日のうちに織田勢は高槻に着陣したらしい。率直に申せば、織田はこれほどまでかと度肝を抜かされておる」
瀬兵衛はゼニゲバらしからぬ生真面目な顔つきで口許を結んだ。
つまり、こいつは、織田の威容に恐れおののき、しかしながら、おれと通じ合っていたことを正解として安堵しているはずであった。
おれはヘタレをきつく睨みつける。
「そういうことッスよ、弥助殿」
ヘタレは肩をすぼめながらこくりとうなずいた。
織田勢が池田に着陣したのは翌々日だった。
さゆりんの言っていたとおり四日足らず。
大津を発って上洛してからわずか六日で信長は五万の大軍とともに摂津の端っこまで来てしまった。
池田城からその全容が見えた。
城下町の向こう、雲ひとつない晴天のもと、黒塗りの具足の群れ、旗指し物の群れが地平線をびっしりと埋めつくしており、あの桶狭間以来、織田勢がとてつもなく巨大化していたことを、おれはその外から見て始めて知った。
この軍勢である。
たった六日なのである。
初秋の穏やかな日差しは信長のために注いでいるんじゃなかろうか。
城内の足軽兵卒たちも大軍を目の当たりにしてすっかり及び腰になっている。
今のうちに逃げたほうがいいんじゃないかと呟いている百姓足軽もいれば、芥川山城の三好は戦わずして逃げ出したらしいと、重臣たちが秘匿している事実が一兵卒までに漏れ渡っていた。
予想通り、見るのと聞くのではまったく別物だった。織田の武将のおれでさえそう感じたのだ。これから織田勢と戦わなければならない者たちはよほど圧倒されていた。
池田方の武将たちは城内を駆け巡っている。三好が援軍に来るのだ、と叫び、兵卒たちの動揺を鎮めようとしている。
しかし、当の三好三人衆が逃げ出してしまっているのだから、説得力がなかった。
着陣してしばらく、織田勢は動かなかった。
その間、最後通牒の矢文が城内に放り込まれたらしい。池田方は性懲りもなく無視したそうだった。
そうしてもらわなければおれが潜入している意味がなくなるから良かったのだけれども、頼りの三好三人衆が逃げ出してしまった今、池田方はいったい、何をもってして降伏しないのか。
織田の軍門に下ってめちゃくちゃにされるぐらいなら死んでも構わないという気概なのだろうか。
武士の体面を守るためなのだろうか。
そんなものがこの戦国時代にあるんだろうか。
おれはまた悩んだ。
昼過ぎ、織田勢が動き出す。城下に放火を始めた。
澄み切って高かった空は、途端におびただしい黒煙にまがまがしくなり、覚悟はしていただろうが、足軽兵卒たちの中には燃えていく町を悲愴感いっぱいの涙目で眺めている者もいる。
そうして、打ち鳴らされる太鼓と半鐘の音が黒煙の下からこちらに近づいてきて、黒塗りの群れと黄色の旗が大手口にどっと押し寄せてきた。
城郭の中腹の曲輪にいるおれには激闘の様子がつぶさに見て取れた。
柵際の至るところ、守り手からも攻め手からも無数の矢が飛び交い、巨大な丸太で大手門の扉を打ちつける織田勢、何十人もがひとかたまりになって門扉を支えている池田勢、土塁のあちこちに梯子が掛けられていき、池田の足軽が槍で突き倒しても、弓を射掛けても、織田の兵卒は湧いて出てくるようにして城内への侵入をこころみる。
怒号と喚声が轟く中、銃声も響いていた。
「こんなのあかんわ。おいっ、逃げるでっ」
と、おれと一緒に戦況を見つめていた足軽が周りの人間の二、三人を誘ってどこかへ走っていき、
「おどれら何をやっとるんじゃあっ!」
組頭が追いかけていていく。他の組頭が逃走者を食い止める。
「逃げる言うてどこに逃げるつもりやっ! なんにもならんやろがっ!」
「あんなもん相手にわいらがどないせい言うんじゃっ!」
仲間割れをしているあいだにも織田の猛者が一人、また一人と城郭に侵入してきて暴れ回り始める。
とはいえ、池田の猛者も奮闘していた。
侵入者は薙ぎ倒していき、門はいまだ破られず、死体の数を増やして至るところに血だまりを作りながらも、池田勢はなんとか織田勢がなだれ込んでくるのを食い止めていた。
けれども、織田勢のそれは総攻撃ではなかった。詰め寄せてきているのは馬廻衆のみだった。
大津を発ってすぐに乗り込んできた信長だ、下準備も大して整えていないはずだから様子見をしているのだろう。
総攻撃となったら池田城の城郭に連なっている尾根からでも川岸に切り立った搦手からでもサルみたいな手柄に飢えている奴がシロアリのようにしてうじゃうじゃとやって来るのだ。
夕方、退き太鼓が響いて、織田勢は黒煙の向こうへと引いていった。
負傷者が次々に運ばれ、死体が城の外れに重ねられていく中、戦っていない足軽雑兵は柵の修復や、火の手の始末に追われた。
脱走騒ぎもあちこちで起きており、馬にまたがって城郭を練り歩く武将は重ね重ね「三好の援軍がある」と士気を留めおくことに必死でいた。
それでも気が立っている連中はメシの配分ごときで喧嘩を始める有り様だった。
そんなどさくさに紛れておれは持ち場を離れ、夕日に赤々と染まる城郭の中にゼニゲバかヘタレの姿を探す。
すると、誰かがおれの手を掴んだ。はっとして振り返ると兜を被った髭ヅラの見知らぬオッサンだった。
オッサンは顔を寄せてきて、小声で囁いてくる。
「簗田殿、主郭にて殿がお待ちです。拙者がご案内いたしますゆえ」
綱を巻いているから一目でおれが目当ての人間だとわかったらしいが、おれはオッサンの言う「殿」がゼニゲバなのかヘタレなのかわからなかった。
オッサンに付いて歩いて、それぞれの虎口の門をくぐっていく。
頂上付近にやって来ると、待っていたのはヘタレだった。
ヘタレは何も言わずにおれを本丸館の裏手のほうに連れていく。
「ちょ、ちょ、ちょうど今、ぐ、軍議が終わったところです。やはり、こ、このまま、籠城を続けるとなってしまいまして」
西日を浴びたヘタレの童顔は焦りをはっきりとさせていた。さっきまでの織田勢の攻撃が一過性のものにすぎないことをわかっているようだった。
おれはヘタレの袖壺に固く手を置き、眼光を飛ばしながら顔を寄せていく。
「籠城を続けるって、誰がいったいそれを決めているんスか」
「だ、誰がというか、誰も。流れで」
「降伏しようとは誰も言い出さないんスか」
「初めに、き、決めてしまったことゆえ、い、いまさら誰も言えません。そ、そんなことを言い出した者は、責め立てられるに決まっております」
「じゃあ、最初に決めたのは誰なんです」
「だ、誰というわけでもなく、そういう流れになって、そうしようとなったのです。誰が決めたと訊かれると、誰なのかわかりませぬ」
茶の湯賢人のヘタレだったらちゃんと説明してくれるだろうが、焦りに焦ってしまっているヘタレの口にはなんら期待できそうもなかった。
ただ、なんとなく想像した。
流れで決めるというのは、つまり、責任を被られないよう誰もが決定的な発言をしないということじゃないだろうか。
後ろ向きで遠回しな発言の応酬を繰り返して、なんとなく出来上がった答えに全員がなんとなく妥協しているんじゃないだろうか。
日本人は会議が長すぎると昔に聞いたことがある。
「ずばり訊きますけど、池田八郎三郎殿はお飾りなんですか」
ヘタレは首をひねる。
「お飾りかもしれませんが、そうでもないと。ただ、おやかたに弱味があるのは事実です」
それはさゆりんから聞いた。
おそらく、お飾りというほどの愚将ではないだろう。建前としては当主だが、実質的には一族の調整役なのだろう。
責任を誰もが取りたがらないから、だらだらと、長々としてしまう会議をまとめるために存在している。
それでも、当主は当主だ。
「とりあえず、今は行けるんスか」
「は、はい。四人衆は近くにはおりません」
「じゃあ、案内してもらえますか。あっしはさっきまでの戦闘のどさくさに紛れて侵入してきたって言うんで。口裏合わせてくださいよ」
「は、はい」
おれはヘタレのあとに付いていき、本丸館の庭先へと向かった。
池田八郎三郎は、先代当主の従兄弟甥にあたる。
彼が当主となったのは、先代の遺言かららしい。先代には実子がいたにも関わらずだ。
実子は暗愚であり、八郎三郎は武勇に秀でていたためというのがまことしやかに噂されているらしいが、なぜ、先代当主が近くも遠くもない血縁者を後継にしたのか、死人に口なし、もはやわからない。
正統な嫡子でないというのが八郎三郎の弱味だった。
八郎三郎は当主となったさい、家老職のようなものである池田四人衆のうちの二人を粛清し、自分に近しい者を四人衆の一角に引き立てた。
それでも先代当主の嫡男が武将として存在している。八郎三郎が当主になったことをおもしろく思わない人物も当然いる。その派閥が形成されている以上、八郎三郎は強権を振るう親分にはなれないのである。
信長独裁主義の織田家では考えられないことだ。
けれども、信長とて織田家を継いだころは内憂外患問わずに一族闘争に明け暮れていたそうなのだ。
尾張の田舎ならいざ知らず、ここは京都の中央政権に近い摂津である。三好だなんだと外部の影響も受けやすい。得も知れぬしがらみがあるのだろう。
陣幕が張られた館の広間、敷居の前で、おれはヘタレ弥助とともに平伏した。
「恐れながら、織田上総介が直臣、簗田牛太郎と申します」
「なにいっ!」
甲冑姿で床几に腰掛けていた池田八郎三郎は、血相を変えて立ち上がった。
「なにゆえ織田の将がいるかっ!」
二十代なかばほどの若者だった。
武勇に秀でていたから後継者に指名されたというのは本当かもしれず、なかなかの巨漢である池田八郎三郎の面構えは、それ相応だった。太い眉毛が吊り上がり、切れ細の眼光鋭く、骨太に頬張った輪郭からは打っても倒れなさそうな芯の太さを感じさせる。
「や、や、簗田殿は――」
隣のヘタレが上がってしまっているので、おれはヘタレの言葉を遮った。
「荒木殿のお手を借りつつ、先程の戦闘のどさくさに紛れて忍び込まさせていただきました。どうしても、池田八郎三郎殿にお会いしたく」
「信州っ! 敵将を引き入れるとはどういうことだっ!」
八郎三郎は顔を真っ赤にして吠え立てている。おれは前のめりになって顔を突き出し、視線の先を押し寄せる。
「恐れながらっ! 荒木殿は池田のためを考えて行ったまでですっ。ここで織田と争って何になりましょうかっ。勝竜寺、芥川山と三好勢は陥落し、摂津所々の方々もいちようにして織田の軍門に下っておりますっ。ここでいくさを続けても一縷の望みもありますでしょうか」
八郎三郎はしばらくのあいだおれを眺めていたが、気を取り直したようにして床几に腰を下ろす。
「かなわぬ相手だからと言って、おいそれと軍門に下るは池田郎党の恥よ」
「承知しております」
「ゆえに降伏はせん。命を張ってここまで来たところ面目ないが、お引き取り願いたい」
激昂したけれども、すぐに冷静にもなれる。敵将だからと言って叩き斬ることもせずに丁重に接してくる。
想像どおり、話の通じる相手だと思った。
「そうはおっしゃいましても、拙者には帰れない事情がございます。なぜなら次代の将軍左馬頭様が池田郎党のお力を必要としておりますゆえ。郎党の恥、最後まで戦うというなれば、あっぱれ武門のほまれとなりましょう。しかし、このような勇猛な郎党をなぜに引き入れられないのだと、左馬頭様に責められてしまいます」
「だが、いくさは始まっておる」
「終わらせるのは誰かということでございます」
おれは八郎三郎が何を言おうとも殺されるまで食い下がるつもりだった。
それでいて、冷静に努めようとした。
半兵衛が菩提山で言っていた。
そもそも簗田殿は拙者に対してもそうですが、織田方に付け付けと言うばかりで、なにゆえ付かなければならないのか、その理由を明確にしておりませぬ。それは確かに上総介や簗田殿の利益にはなりましょう。しかし、拙者どもには貴公たちの利益など関係ありませぬ。なぜ、織田方に付かなければならないのか、納得できるような言葉がなければ寝返りなどもっての他です。
「拙者が親しくしている者に、竹中半兵衛という者がおります。この者は、元は拙者ども織田方と敵対していた斉藤方の智将にて、わずか十数名の手勢で――」
「聞いたことはある。乗っ取って、主人に城を返してしまったという者であろう」
「はい。その半兵衛が、ある日、拙者に申しておりました。人には二種類ある。自分から踏み出す者と、誰かが踏み出したあとに続く者と。誰かが踏み出さなければ誰も続かず、誰もが踏み出さなければ何も始まらない」
八郎三郎は思うところあったのか口許を結びながら眉間に皺を寄せる。鼻先を上げ、腕を組みつつ、おれを見据える。
「そのとき、拙者は西美濃三人衆という斉藤方の者たちを調略していたのですが、彼らは暗愚な斉藤方当主の日頃の行いに嫌気がさしつつも、織田にはなかなか踏み出してくれなかった者でした。なぜかと言えば、彼ら三人衆は他の誰かが動けばそれに続く、他の誰かが動けばそれに続くと堂々巡りだったのです。しかし、いよいよ形成が織田に傾いたのが明らかとなると、三人揃って急に織田方に寝返ってきました。三人衆にとって幸運だったのは竹中半兵衛が仲介に入っていたことです。竹中半兵衛が背中を押さなければ彼らは踏み出すことがなかったかもしれません。三人のうちの一人が最初に言い出してしまうと、あとの二人は最初の一人に責任を負わせますから」
「つまりお主は池田がそれと同じだと言いたいのだな」
「同じかどうかはわかりません。西美濃三人衆が上総介の軍門に下ったとき、すでに上総介は斉藤方の拠点の稲葉山城を攻めておりました。遅刻でした。けれども、西美濃三人衆は先の南近江のいくさでは先鋒のほまれを与えられました。ただ、今もなお三人衆のうちの三人ともが同じ序列に並んでいるのです。それを踏まえれば、八郎三郎殿は三人ではなくお一人なので、彼ら西美濃三人衆とは同じではないと拙者は考えます」
「言いたいことはわかる。しかし、おめおめと下るわけにはいかぬ。何が許さぬか。わしが許さないのではない。摂津池田郎党を武門の家として築き上げてきた先人たちに許されないのだ」
おれも八郎三郎の言いたいことがわかる。先人たちに許されないのではない。今現在の池田郎党に許されないということだ。
だが、暗に含めてきたということは、おれになんらかの解答を求めてきていることでもあった。
八郎三郎は板挟みに合っているのだ。しかし、強固な力でもって挟まれているはずじゃない。
ヘタレは流れでこうなってしまっていると言っていたわけで、おそらく、池田の大半の将には厭戦気分がくすぶっている。
そうじゃなければ、おれは池田八郎三郎に叩き出される。強固な力が働いていたら八郎三郎もそれに従う。
調整役のこいつがおれを叩き出さないすなわち、池田郎党の総意に近いものでもある。
だが、責任は誰も取りたくない。踏み出せない。織田の軍門に下ったことが不利益となってしまったとき、言い出しっぺは吊るし上げられるからだ。
おれは言った。
「三好勢とともに沈むのが武門のほまれか、足利将軍家の要望に応えるのが武門のほまれか。足利将軍家の軍門に下ることは恥でもなんでもないのでは。むしろ弓引くことこそ許されぬ事態かもしれません」
八郎三郎は眉間を皺で固めたままながら、おれからは視線を外し、おれの手元一点を見つめる。
「池田の皆々方々は誤解されているようですが、織田上総介は次代の将軍足利左馬頭様の家臣の一人にすぎません。もう一度、言います。左馬頭様は八郎三郎殿をお必要とされているのです」
八郎三郎は視線を伏せ、じっとして無言でいた。
おれはさりげなくちらりと隣を見やる。ヘタレ弥助に眼光を飛ばす。
ヘタレだけれども決してバカではないヘタレ弥助は察したようで、前のめりになってぐいっと顔を突き出しながら叫んだ。
「お、お、おやかた様っ! ご、ご英断をっ! せ、摂津池田一万を救えるのは、お、おやかた様だけでございますっ」
ヘタレの後押しが届いたか、八郎三郎は難しげな吐息をつきながら視線をおれに持ち上げた。
「条件だ。それなりの条件がなければ下々までを納得させることはできぬ」
「所領安堵とともに足利幕臣の位置をお約束します」
おれの口からでまかせを聞いて、八郎三郎はしばし黙って瞼を閉じていたが、意を決したかのように瞳を向けてき、こくりとうなずいた。
おれは肩の荷が下りたように体が軽くなっていく。
だが、畳み掛けたいばかりの勢いが余ってうっかり言ってしまった。
所領安堵と足利幕臣。
信長になんて説明すればいいのか。
八郎三郎どころか、信長にまで立ち向かわなければならなくなったとすぐに気付き、おれは八郎三郎に深々と頭を伏せながらも、暗澹たる思いすぎて吐き気さえしてきた。




