虎穴に入らずんば
へたれくんが作った苦い抹茶を我慢して飲む。
茶の湯賢者になって落ち着きを取り戻したへたれくんは茶碗をすすぎながら言う。
「瀬兵衛はおそらくここで家宰に食い込もうとたくらんだのか、もしくは簗田殿にはすでにお会いしているので、家宰を動かして見返りを求めようとしたのかもしれませぬ」
あのゼニゲバ、絶対におれにカネを要求するために勇み足を踏んだに違いねえ。
いや――。
あいつは確かに縁者伝えに回っていくと言っていた。
あいつの貪欲なゼニゲバっぷりを過小評価してしまって、それを止めなかったおれの責任――、さゆりんが下手を打った。
「拙者は織田殿が足利左馬頭様を担いで上洛され、なおかつ織田殿が帝の勅令を賜っている以上、三好側に付いている意義はないと思うのですが、尾張から来た織田殿の軍門に下るわけにはいかぬという意見もあれば、果たして所領が安堵されるかという憂いもございまして」
「それはわかりますけれど、八郎三郎殿か四人衆の誰かにはあっしが直接お会いできないんですか」
すると、茶碗を箱の中にしまいつつ、へたれくんは眉根をすぼめてしまう。
「申し訳ないのですが、一度決まったことを掘り返すと拙者の立場がどうにかなってしまいます」
「いやっ。いやいやっ。立場がどうにかなってしまうじゃなく、命がどうにかなってしまうじゃないッスか。こう言うのもなんスけど、あっしら織田は南近江の六角方を一日で壊滅させたんスよ」
「はい。存じております」
「だったら、もっとそこんところを訴えてくださいよ。四人衆だかなんだか知らないッスけど、その人たちに訴えてくださいよ。生きるか死ぬかなんスよ」
茶道具を一式整理したへたれくんは正座をしたまま頭を垂らし、瞼をつむってしまう。
おれはその背中を押すようにして「弥助殿」ともう一度へたれくんの名前を呼ぶ。
そうしたら、へたれくんは意を決したかのように顔を上げてきて、おれを真っ直ぐに見つめながら口を開いた。
「拙者だけでも助けてもらませぬか?」
おれは思わず固まってしまう。真面目な顔をして言ったのである。どんだけヘタレ野郎なのか。こいつは本当に池田の実力者なのだろうか。
おれは額を抱えつつも、懇願の眼差しを注いでくるヘタレ野郎にちらっと視線を上げて、訊ねる。
「じゃあ、弥助殿はどれぐらいの兵を集められるんスか」
「荒木一族の郎党合わせて二千ほどかと」
「そうですか。じゃあ、おやかた様にはあらかじめ伝えておくので、いくさのときには寝返ってくださいよ」
「いやっ、それはっ。寝返って生き延びた武者など古来より後ろ指をさされる者ばかりでございますっ」
「そんなこと言ったって、じゃあ、どうやって助けろって言うんですか」
「織田殿を説得してもらえませぬか。池田を攻めるのは中止してほしいと。その代わりっ、簗田殿にはそれ相応の見返りを」
さすがのおれもこいつのヘタレっぷりには拳で畳を叩かずにはいられなかった。
「あんた何を言ってんだっ! あっしなんかがおやかた様を止められるわけないでしょうよっ! 見返りだのなんだの、そんなもんで止められるほど穏やかな話じゃねえんだっ!」
「その暁には五百貫っ、いいえっ、一千貫文は御礼として簗田殿に差し上げますので、どうかっ」
一千貫――。
頭を必死に下げてくるヘタレを眺めながら、おれは口を閉ざす。頭の中には芋縄に括られた貫文銭がどちゃどちゃと降ってくる。
ヘタレが本当に謝礼をくれるのかどうかはさておき、二千人の足軽雑兵をかき集められるというのは本当っぽいので、その規模からしてヘタレがカネ持ちであることは間違いない。こういう茶室なんかも道楽で建設しちまうぐらいだ。
一千貫あったら当然名刀を購入できるだろうし、サウナ部屋も建築できるだろうし、断念していた檜風呂も。
いや、待て。
甘い話には乗るな。
現実的に考えて、おれが信長を止めることなんて無理だ。万が一止められたとしても、ヘタレにしてみればポケットマネーを使って池田を救ったところでなんの得もねえんだ。
ということをヘタレに問い合わせると、ヘタレは率直に言った。
「一度、止めてもらえれば、その間に拙者が切り崩しますので。それがかなったときには、織田殿の庇護を得られればと」
おれは苦笑してしまう。要は、信長の干渉で池田の家宰権を握らせてくれということだろう。
駄目だ。
そんなことになったら一千貫文を受け取ったおれは巻き込まれる。さゆりんも言ってた。のちのち面倒なことになったらあかんと。
「そんな回りくどいことはしなくたって、寝返ればいいだけの話でしょ」
「そ、そればかりは」
「じゃあ、駄目ッスね。あっしには何もできないッス。せめて、池田八郎三郎殿や四人衆の人に会わせてもらうかしてくれないとあっしにはどうにもならないッス」
「そこをなんとかお願いいたします。友のよしみで」
「じゃあ、こういうことにしましょうよ。池田城の弱点でも教えてくださいよ。織田が攻めかかったとき、そこを突くんで。それでおやかた様には荒木信濃守という人にそれを教えてもらったって口添えするんで。そうしたら、余計なことは何もなく、弥助殿だって助かるでしょう」
「拙者は池田城の弱点など存じておりませぬ」
「じゃあ、終わりです。さよなら」
「わかり申したっ! さすればもう一度登城して、おやかたに取り計らいますのでっ、今しばらくお待ちくださいっ」
おれは上げかけていた腰を下ろし、融通の利かないヘタレが目礼して去っていくと重い溜め息をついた。
ヘタレが出ていってややもするとさゆりんが来た。
池田に点在している寺社を巡ってきて、それとなく池田内部の情報を聞き出してきたそうだった。
「それはご苦労だったけどな――」
なんとも言いにくくて、おれは一度しかめっつらで瞼をこする。
「もう、降伏勧告は受け入れねえってなっちまったようだ。中川瀬兵衛がでしゃばったらしくて、織田の使者が来ているってのが広まっちまっているよ。おれは門前払いだ」
けれども、ヘタレを説得して再び城に向かわせたとも言った。
「だからもういい。下手に動き回るな」
おれはなるたけ優しく諭したつもりだったが、おれの向かいに膝を揃えて座したさゆりんは、さゆりんらしくもない弱々しい瞳の色でうつむいてしまう。
「そなんや」
ぽつりとつぶやいた。
「あかんかったかな。私」
「最初から駄目で元々だった話だ」
「なんで責めへんの」
と、顔を持ち上げてきて、おれは吐息をつく。
「何が」
「私が中川瀬兵衛を当たっていなかったらこうならなかったやん」
「責めたって何もならねえだろうが。お前が、やっぱりうちがおらへんほうがええんちゃうの、って半べそかいて言うだけじゃんか。そういうのがおれはいちばん嫌なんだ」
「どうしてそういうこと言うの」
「は?」
「昨日まで違ったやん。だらしない人やったやん。なんで今日になったら変わってるんや」
さゆりんは唇を尖らせておれを睨みつけてきている。おれは貧乏ゆすりをしながらさゆりんを睨み返す。
「お前が変なこと言うからだろ」
庭に足音がして、さゆりんがあわてて咳払いをした。正座で揃えていた足をあぐらに組み直し、庵に入ってきたヘタレに頭を下げる。
「や、や、簗田殿。登城が、かないましたので。あっ、ご家来殿は、お、お待ち願いますか」
おれは腰を上げた。さゆりんを見やり、「ちゃんと待ってろ」と、声をかけ、ヘタレに付いて庵を出た。
門前では足軽雑兵が三人待ち構えていた。そいつらに左右後ろを囲まれて、城下の通りを行く。
「弥助殿」
と、おれは前を行くヘタレに呼びかける。
「会うのは八郎三郎殿と四人衆の面々ッスか」
「さ、さ、左様でございます。と、とりあえずながら、お、お話は聞くということで」
ヘタレの声がいっそう上ずっているので、緊張しきりなのかと思ったら、ヘタレは池田城の大手門前を折れてしまい、違う方向に歩いていく。
「あの、どこに行くんスか」
「あっ、いやっ、ほ、ほ、他の諸将に見られてしまうのはとおっしゃっておりまして、密談したいとのことで」
怪しさを覚えたおれは左右の雑兵の顔を見やる。雑兵は雑兵らしからぬ目付きでおれを睨み返してくる。
おれは立ち止まった。
「弥助殿。何をたくらんでいるんスか」
「た、たくらんでなどはっ。た、ただっ、簗田殿にはおとなしくしてもらわなければ、ここで不埒者が騒いでいるとして成敗しなければなりませぬ」
「おい!」
途端に雑兵がおれの首すじに槍を突きつけてきた。
ヘタレは真っ青な顔をして言う。
「い、命までは取るつもりはないのでっ。ただ、ここは穏便に」
嵌められた感をものすごく覚えたが、暴れても八つ裂きに合いそうなので、言われた通りにヘタレの後ろを付いていくと、池田城の北方をかたどる尾根に入っていき、鬱蒼と茂る木々の道を登っていくと、自然のものか人工のものなのか、山の斜面の洞窟がそこにはあった。
「こ、この中でしばしお待ちいただけますか」
「いや、なんスか、これ。どういうことッスか」
すると、雑兵たちに両脇を固められ、おれはそのまま洞窟の中に引きずられていく。
「おいっ! どういうことだっ!」
おれの声が響く先には小さな燭台の火と格子枠が待っていた。手の空いていた雑兵が扉を開く。おれはその中に叩きこまれる。閂が嵌めこまれる。
牢屋だった。
おれは格子枠を掴んで叫ぶ。
「何の真似だっ! おいっ!」
終始無言の雑兵は具足をかちゃかちゃと鳴らして洞窟から出ていってしまう。
「おいっ!」
雑兵と入れ替わるようにしてヘタレがおどおどとやって来た。
「どういうことだっ! おれはただ単に降伏を申し入れにきただけだぞっ! ただの使者だぞっ! ただの使者を牢屋にぶち込んで、これからお前らは他所の連中と交渉できると思ってんのかっ!」
「い、いや、簗田殿、これは拙者の独断でして」
ヘタレが足下に視線の先をきょろきょろとさせるまま言う。
「ご、ご家来殿も、い、今頃、せ、拙者の配下の者たちが捕縛しております」
「はあっ? なんであんたが独断でこんなことするんだっ!」
すると、ヘタレはちらりとおれに視線を持ち上げてきて、弱々しい童顔の瞳でおれの顔色をうかがってくる。
「や、簗田殿が、拙者の言う通り、織田殿を説得するとしてくれれば、ここから解放します」
「わかった。じゃあ、そうする。ここから解放してくれ」
「し、しかし、ご家来殿は人質にします」
「ふざけんなっ!」
「織田殿が池田に攻めてきたら、ご家来殿の首を――」
「テッメー、この野郎」
「せ、拙者も、こんな真似はしたくないのです。し、しかし、こうするしかなかったのです。や、簗田殿が、織田殿を止めてくれれば済むのです」
「そんなこと無理だって言ってんだろうがっ! おれにはなんの発言権もねえんだっ!」
「ひ、一晩、考えてくだされ」
そう言ってトンデモヘタレ野郎はおれに背中を向け、ちらちらとこちらを振り返りつつも、洞窟から出ていってしまった。
またもや騙された。
しかし、おれはあぐらを組みながら膝に頬杖をつき、格子枠の向こうを見つめる。
よくよく思えば騙されたというのでもない。
騙されたというレベルじゃない。
引っかかった、が、この状況にはもっとも焦点のあう言葉かもしれん。
引っかかった上に、型に嵌めこまれたのだ。
ヘタレの置かれている状況からして、おれをここに閉じ込めるのは得策ではないはずだ。あいつは織田に寝返ればいいだけなのだ。
ところがあのバカは体面を気にして寝返りたくない。それなのに、自分の体面を守るためにはこういう真似をする。
それは悪党の思考だ。
おれにはわかる。あの野郎のやり口はおれとなんとなく似ている。
その規模は違えど、マタザやウザノスケの危険から逃れるために陰でこそこそとたくらみを実行したことのあるおれと、こざかしさが根本的に一緒だ。
あいつはたぶん二回目に登城すると言って出ていったとき、嫌々ながらも最初は池田八郎三郎のところへ行こうとしたのだろう。
ところが、やっぱり無理だなと思ったわけだ。
他に何か方法がないか思案したわけだ。
そうして思いついた。牢屋にぶち込んでしまえばいいと。
そういう悪さが閃いたときってのは、不思議なほどなめらかにして、悪さへの段取りが次から次に立ってくる。誰かが教えてくれるみたいにして、こうしてこうしてこうすれば、自分の思い通りになるはずだと道すじが立つ。
あいつがおれと似ているというところは、悪事が閃いたら急激に方向転換してしまうところだ。なんのためらいもない。正しいか正しくないか、人としてどうなのか、そんなものはちっとも考えない。
それでいて、ヘタレの手口はこれだけでは済まないだろう。
あいつだって簗田牛太郎ごときでは織田五万の軍勢が止まらないことぐらいわかっているはずだ。
あいつはたぶん次の手を考えているだろう。
例えば、織田勢が攻めかかってきて池田城が陥落してしまうそのときまでどうにかして逃げ回り、陥落したらおれを牢屋から連れ出し、おれにカネを渡して口止めさせて、池田八郎三郎の手で殺されそうだったので簗田牛太郎を牢屋に入れて避難させていた。だから、助けてくれって。
もしくは、おれを織田勢に戻しても、さゆりんだけは人質に取っているから、おれが信長の引き止めに失敗しても、いくさに負けたあとに自分のことを保護してもらわなければさゆりんは殺すと脅す。
一晩考えるってのはおれじゃない。あいつが一晩考えたいだけだ。
自分の打つ手と状況を照らし合わせ、どの手が最善なのか選択するために。
ただし、ヘタレの誤算はおれの家臣がさゆりんだったということだ。
ろうそくの火もなくなってしまった洞窟に草鞋を踏みしめる音が響き渡り、うたた寝していたおれが目覚めて顔を上げてみると、こもれてくる月明かりを背負っての具足姿は、やはりさゆりんだった。
「ほんま、あんたってこんな目に合ってばかりなんやな」
「お前がおれに言えたことか」
さゆりんは閂を外し、扉を開ける。
だが、おれは動かないでいた。
「何をやっとるんや。逃げなあかんやろ」
「逃げる必要なんてねえ」
さゆりんはじっとしておれを見つめてくる。
「なんでや」
「弥助のクソ野郎はおれを殺すことなんてできやしねえ」
「ほんなこと言ったって、ここにいる意味もないやろ」
「いいや」
おれはさゆりんから視線を外し、うっすらと明るんでいる洞窟の入り口のほうを見やった。
「誰もいないのか」
「おらん。せやけど、ここに来るまでに何人かを殺してきた。私が逃げたから信濃守の手下が血眼になって探しとる」
「お前の予測だと織田の軍勢がここに来るまでにあと何日だ」
「勝竜寺城は今日にでも落城しておるかもしれん。ほんなら七日か八日や。ほんでも、高槻の芥川山城の三好日向守が遁走したら、四日や」
四日ならばなんとかなる。
おれはさゆりんが池田城下の寺の坊主に教えてもらったという池田一族の内情を聞いた。
「じゃあ、お前、高槻の芥川山城ってところが織田のものになったら沓掛勢と合流しろ。それで、太郎か丹羽五郎左に伝えろ。おれがぎりぎりまで降伏を促していたけれども失敗した。おれは信長に怒られるのを恐れて行方不明になったって」
「なんでや」
「おれがいつまでも戻らなかったら信長はまだ交渉途中だと思っちまうじゃねえか。そうしたら攻めてこねえじゃんか」
「だから、なんでや」
遠くのほうからりんりんと虫の声が聞こえてくる。
「あんた何を考えてるん。無茶する気なんやないの」
「変な真似も何もしねえ。ここで信長のところに帰ったって何もならねえからだ」
「そんなら何をする気なんや」
「わかんねえよ。どう転ぶかわからねえだろ。転び方次第だ。ただ、お前がただの武将じゃなかったぶんだけ、逃げ出せたぶんだけ、おれに有利に働いている。それは間違いない」
さゆりんは拳を握りしめながら無言でおれを眺めてきている。言うことを聞かないでいると殴りかかってきそうだった。
でも、おれは言う。
「さゆりん。降伏しろって敵に伝えるぐらいなら誰にでもできる。だけど、誰にでもできるからって信長はおれにその仕事を任せてきたわけじゃねえ。おれだからその仕事を任せてきたんだ。だったら、可能性がちょっとでもある限り、その仕事を果たそうとしなくちゃならねえんだ。忍びだってそれは変わらねえだろう」
「なんやそれ」
さゆりんは溜め息をつきながら、腰に差していた物を引っこ抜いてくる。
「そんなら、なんで最初からそういう気構えでいなかったの」
短刀をおれの前にぐいっと突き出してきた。
「念の為に懐に忍ばせておき。あんたの脇差しはこのとおり私が腰に差しておるから」
「いらねえ。おれはお前じゃねえんだ。どうせそんなものを持っていたって逃げられっこねえんだ」
「阿呆ちゃう。ほんまに」
「とにかくここから早く離れろ。手下が探し回っているんだろう」
さゆりんは一度おれを睨み込んだあと、袖の下から取り出してきた干し柿をおれの前に放り投げてきて、牢屋の扉を閉めた。
閂を嵌めこむ。
「死なんといてよ、ほんまに」
「ここで死ぬぐらいならおれはとっくにお前に殺されているわ」
「阿呆」
さゆりんが小声で吐き捨ててかちゃかちゃと洞窟から出ていき、おれは干し柿をかじった。
五万の大軍であれば織田は池田を叩き潰せる。
しかし、織田はそれなりの被害をこうむり、攻略にも時間がかかるだろう。
上洛して間髪入れずに摂津平定に乗り出してきた信長は、三好三人衆を畿内から追い出すのもさることながら、政権の基盤構築にもいち早く取り掛かりたいはずだ。
それを踏まえれば、駄目でした、だなんてあっさり戻るわけにもいかない。ゴンロクに厭味ったらしいことを言われるに決まっている。
雀のさえずりが聞こえてきて、洞窟の中には朝の光がうっすらと入り込んできた。
雑兵が二人、かちゃかちゃとやって来て、洞窟内をくまなく見回したあと、格子枠の向こうに搗栗を置き、去っていく。
その日、夕暮れにも雑兵がメシを持ってきたが、ヘタレ野郎は姿を見せなかった。
さゆりんの捕縛に失敗したので焦っている。
さだめし、おれとの駆け引きで手駒としていた一つを失ってしまい、どのようにして次の手を打てばいいか悩みこんでいる。
さゆりんはここに来る間に何人か殺したと言っていたから、その死体を確認して、おれとさゆりんが接触したこともわかっているだろう。
ヘタレが次にどんな手段で出てくるか。
それでおれの出方が決まる。
織田の使者であるおれを投獄していることをネタにして脅迫するか、それとも何らかの条件をぶら下げて取引するか。
いずれにせよ、おれの目的はヘタレをどうにかして動かして、あいつの仲介のもと池田八郎三郎と直に面談することだった。
そのときは織田勢が攻城を始めた頃合いがいい。
さゆりんの話を聞いたところ、おそらく、池田の連中は、自分たちの安全が確保されれば、庇護者は織田でも三好でもなんでもよさそうなのである。
ただ、連中が恐れているのは、今の体制が崩れてしまうことのようであった。
それは今、三好側として出来上がっている体制なので、実力者の中には三好三人衆と関係性の深い者がいるのだろう。むしろ、そういった人間のほうが大多数だろう。
おれが思うに、体制に守られた保守的な人間というのは、目の前の現実を冷静に捉えて次の決断を下すよりも、自分自身の希望的観測を大事にしてしまう。
変革という現実を受け入れるのを拒む。
こうなってほしい、ああなってほしい、だからその通りに進むのが人の常だ。
大軍であろうと長期にこらえていれば、いずれは四国を本拠地としている三好三人衆が再度畿内にやって来ると希望しているはずだ。
もちろん、池田の連中がこらえきればそうなるかもしれない。
だが、五万の大軍というのは、聞くのと見るのとでは実感が違う。池田の連中は大軍を目の前にして初めて現実を叩きつけられるだろうし、意気込んでいた気持ちも冷や汗とともに萎えてしまうだろう。
命あっての物種だと気付いてくれるはずだ。
そのとき、おれがやかましい取り巻き連中を通り越して、直接、池田八郎三郎に交渉できればひっくり返せるかもしれない。
池田四人衆のような一族郎党が致し方ないと思える状況になって初めて池田八郎三郎を納得させ、惣領が責任を取るという格好に持っていければどうにかなる。
そのためには、まずはヘタレを巻き込まなければならないのだが――。
夜、洞窟の牢屋に珍客がやって来たのであった。
たいまつの火で洞窟をこうこうと染め上げ、甲冑に身を固めるのは中川瀬兵衛だった。
おれはほくそ笑んだ。
格子枠の向こうに立ち止まった瀬兵衛は牢屋の中のおれをじっとして見つめてくる。
「弥助殿の配下にちらと聞いて参ったが、お主は簗田牛太郎ではなく、その家臣ではなかったか」
「あんたが勝手に勘違いしただけだ。むしろ、どっちだって構わねえだろうが。何をしに来た」
「フン」
と、笑いながら、瀬兵衛は脂ぎった日焼け顔をそそり立たせた。
「織田の使者を投獄してしまうなど無体なことよ。ゆえに拙者が解放してやろうと思ってのことだ。ただ――」
「先立つ物だろう?」
「おいおい。それでは拙者がまるで物乞いのようではないか」
瀬兵衛はたいまつの火を受けて、表情の陰影をはっきりとさせている。
愉快そうでいた。
おれはこいつがもしかしたら来るんじゃないかと思っていたのだった。そうともなればヘタレなんかより話は早いのだった。
おれは格子枠に顔を寄せ、瀬兵衛の眼球を覗きながら口を開く。
「先立つ物も結構だけどな、ここから解放されたおれが、中川瀬兵衛に助けられた、中川瀬兵衛の所領だけは安堵してやってくれと上総介に懇願するのは簡単だ。それに上総介はそういう男気を好む人間だ。だけどな、お前はそれをしたところで福井村の土豪のまま、誰か織田重臣の与力にさせられて終わりだ」
「何が言いたい」
「おれを池田八郎三郎殿に引き合わせろ。降伏勧告を直接申し渡す。池田八郎三郎に決断させる。そうすればお前も池田に権限を持てるようになるだろうし、上総介の覚えも良くなるはずだ。そっちのほうが得策じゃねえか。いくさの最中のどさくさで構わない。いくさが始まる前におれを城内に潜入させろ」
瀬兵衛は唇を結んで黙りこみ、眉間をしかめながらおれを見つめ返してくる。
「今のお前だけじゃそこまで無理だと言うんなら、おれをかくまいつつ、信濃守を揺すって脅せ。信濃守ならそれぐらいできるだろう」
「三百貫だ」
と、瀬兵衛は鼻先を突き上げて言った。
「それをやったところで拙者の地位がどうなるかの保証などない。ゆえにいくさののちに三百貫を渡すと言うのであれば承知しよう」
なかなか現実的で鋭い金額を提示してきたあたり、こいつは本気でゼニゲバのようであり、話が早いのはありがたいが、ゼニゲバぶりには辟易としてしまうのだった。
「駄目だ二百貫にしろ」
「いや、三百だ」
「駄目だ二百だ」
「いや、三百だ」
おれは舌打ちした。
「わかった、二百五十までなら出してやる」
瀬兵衛は成約の笑みを浮かべたあとに扉の閂を外した。
にたにたと笑いつつ、おれの肩に腕を回してきてぽんぽんと叩いてくる。
「どうなるかわからんが、とりあえずは証文を書いてもらわんとな」
そのカネはヘタレ弥助に払わせようと思いながら、おれはゼニゲバ瀬兵衛とともに洞窟牢屋をあとにした。




