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ふりてんつもる(前編)  作者: ぱじゃまくんくん夫
第六章 魂の夜明け
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さゆりさんと一緒じゃないと

 瀬田の三井寺から大津に戻ってきて、シンパチのオッサンを含めた手下どもを掘っ立て小屋の前に集める。

 沓掛勢は太郎に任せ、摂津池田には吉田早之介をともなっていくと伝えた。

 すると、ハンザが眉をしかめ、なかば怒りぎみに言う。

「拙者はどうすればよろしいのです」

「お前は太郎に随行しろよ」

「いえ。拙者も旦那様にお付きします」

「いいよ。太郎と一緒にいろよ」

「なにゆえですか」

 やたらとムキになっているので、おれは苦笑しながら言った。おいおい、ちょっと待てと。何をそんなに怒っているのだと。おれにくっついてくるのも太郎にくっついていくのも変わらないだろうと。

「おっしゃるとおりですけれども、なにゆえ、吉田殿なのですか」

 ハンザは切れ細の目で早之介をちらりと睨む。早之介ことさゆりんはハンザには見向きもせずにつまらなさそうにして口を閉ざしている。

「なにゆえって、特に意味はない」

「ならば拙者も旦那様とともに参ります」

「だから、どうしてハンザはそうやってこだわっているんだ。おれはべつに早之介をえこひいきしているわけじゃないんだ。太郎と一緒だと不服なのか」

「いえ。ただ、拙者は旦那様の家臣だという認識でおります」

「じゃあ、おれの言うことは聞けよ。お前はここに残れ。それにお前はおれの家臣じゃない。簗田家の家臣だ」

 ハンザはうんともすんとも言わず、黙ってうつむいた。太郎がハンザの肩を叩く。

 何をこじらせているのか不明なハンザは放っておいて、クリツナを太郎に一時預けることにする。軍勢を率いる武将が徒歩だと格好がつかないから。

 翌朝、入洛の支度を整える沓掛勢をよそに、おれは具足から素襖に着替え、脚絆と笠を身につけていた。

 太郎が困り顔でやって来た。

「半左衛門の姿が見当たらないので探してみたら、夜明け前に暇を頂戴すると組頭に告げていなくなってしまったようです」

「ええっ?」

「どうしましょう」

 おれは溜め息をつき、舌を打った。訳のわからない野郎だ。そんなに気に食わないことだったろうか。まったくもって不思議だ。

「放っておけ。べつにあいつは織田の秘密とか知っていたわけじゃない。それに親父が京都にいるんだろ」

「何か鬱積の溜まることを父上がされたのではありませんか。シロジロに団子の見分をさせたみたいに無茶苦茶なことを」

「そんなの見に覚えがねえよ。本当におれは何もしてないから。もっとも、早之介を連れてきてからは様子がおかしかったけれど」

「まあ、いなくなってしまったのはいたし方ありませんが、しかし、付き人を早之介にこだわる必要もなかったのかと思いますが」

「畿内のことは早之介のほうが詳しいだろう。あいつはこの辺で浪人やってたんだから」

「まあ」

 もちろん、早之介にこだわった理由などそんなものじゃない。ただ単に愛人と二人きりになりたいだけだ。

 同じような旅装束のさゆりんとともに、織田勢よりも一足先に大津を離れる。さゆりん情報によれば摂津池田までは二日かかるので、京都盆地の端っこの山崎というところで一泊するそうだった。

 二人きりになれば早之介をやめてさゆりんに戻る。

「伊奈半左衛門はなけなしの家来なんやろ。探さなくてもええんか?」

「探す必要なんてねえだろ。去る者追わずだ。てか、お前がいじめたんじゃねえのか」

「ほんな訳ないやろ」

 葉の緑も色あせてきて、秋めいた日和であった。蝉の鳴き声もすっかりなくなり、山科へと続く東山の登山道は柔らかな木漏れ日に溢れている。

「おれはべつに何かしたとは思えねえんだけどなあ」

「連れてこなかったからやろ。いじけたんや」

「そのぐらいでいじけられてちゃ、やってられねえだろうが」

「あんたが私だけを連れていこうとしなければ済んだ話や」

「そういう言い方はないじゃないか。おれはさゆりんと二人きりになりたかったんだ」

 しかし、さゆりんはおれに見向きもせずにさっさと坂を登っていってしまう。

「ねえ。さゆりん。聞いてんの?」

「私、あんたのそういうところ嫌いやわ。反吐が出る」

「じゃあ、どういうところが好きなんだい?」

 さゆりんは足を止め、殺意のこもった眼差しをおれに注いできた。

「反吐が出る、言うてるやろが」

「はい……」

 さゆりんがさっさと先を行き、おれのほうこそ付き人のようにしてそそくさとあとを付いていった。


 山科に下りていき、やがては京都市中をかすめていく。

 伝聞どおり、花の都には閑古鳥が鳴いていた。むしろ、これまでに何度も戦乱の中心地となってきたので、さゆりんが言うに町人も避難は手慣れたものらしい。

 日暮れ前、山崎付近にやって来ると、さゆりんがどっかの山寺に入っていく。知り合いなのか訊ねたら知り合いじゃないと言う。

「どうするつもりなんだよ」

 さゆりんはおれを無視して山門をくぐっていく。ほうきを持って掃除をしていた坊主に声をかけた。

「芸州小早川家臣、益田八兵衛と申しますが――」

 いったいどれだけの偽名を持っているのか呆れてしまう。

 詐欺師のさゆりんが寝床はあるかどうか問いかけると、「ありますよ」と、なんてことなく坊主は答えた。

 離れ家に案内され、事務方の坊主を紹介されて、夕食朝食付きで礼銭百文だと知らされた。

 さゆりんはおれに顔を向けてき、

「牛之助、御仏様に寄与するゆえ、三百文出しなさい」

 と、おれの顔をしかめさせたが、さゆりんが睨んでくるので、仕方なく袖の下からカネを取り出し、坊主に渡した。

 坊主はほくほく顔で離れ家の奥へと案内し、本当なら他の旅人と雑魚寝だけれども、多めに頂いたのでと個室を割り振られた。

 なんだ、そういうことか。さゆりんも気が利く――、いや、おれと二人きりの夜を過ごしたいようである。

 牛之助とか言って下僕扱いされたのが腹立たしいが、まあいい。

 さきほどの事務方の坊主が膳を運んできて、酒まで持ってきた。酒は飲めないとさゆりんが断るが、酒は引っ込めても坊主は部屋から出ようとせず、そこに座ったままいろいろと訊ねてくる。

「益田殿は芸州の御仁でらっしゃるそうですが、昨今の毛利様は日の出の勢いだと耳にします――」

 あっちのほうはどうなのかという問いに、さゆりんはそれを見てきたかのようにべらべらと話した。やれ尼子とのいくさのナントカでの戦いは大変だっただの、やれ近頃は毛利のおやかた様の健康が芳しくないだのと、詐欺師もいいところだが、坊主はふむふむなるほどなどと興味津々でうなずいてしまっている。

「拙者、上京してきたのはこれで二度目でありますが、ずいぶんと市中は静かでありましたな。なんでも濃尾の織田上総介殿が大軍をともなって上洛するとかで」

 さゆりんが訊ねると、坊主はおれが知っていることをそのままべらべらと得意げに話した。

「三好の方々は抗戦の構えなのでしょうかね」

 さゆりんの問いに坊主はそうだとうなずき、また再びべらべらと喋る。

「北摂津の豪族方々も付き従うのであれば織田殿も一筋縄ではいかないでしょうね」

「いえいえ、それが」

 と、坊主は右手を顔の前で振った。

「北摂津のお殿様方々は仲がよろしくなくて。これを機に織田様に取り付く方とそうでない方に分かれましょうかな」

「ほう。仲がよろしくないとは?」

 さゆりんは巧みに誘導して北摂津の内情、摂津池田の現状を坊主から聞き出していった。坊主はどうやら話し好きのようで宿泊させる津々浦々の旅人から世間のことを聞いているようであった。

 いかんせん、山崎という地は京都盆地と摂津国の境目の交通の要衝のため、さまざまな人間が集まりやすいのだろう。

 なるほど、詐欺師のさゆりんはおれみたいな人間をだまくらかす他にもこうして情報収集していたそうである。

 三百文は高すぎだけどな……。

 夕食を平らげ、坊主が去っていくとようやく二人きりになった。使いの坊主が布団を敷いて、頭を下げて去っていく。

 さゆりんは素襖を脱いで白い小袖一枚になった。おれはまだ素襖のままだというのに燭台の火を吹き消してしまう。

 暗がりに鈴虫の軽やかな鳴き声が届いてきて、おれはにやにやが止まらない。

 とりあえず素襖を脱いで小袖一枚になる。寝転がっているさゆりんをちらちらと見やりながら、暗がりの中で綺麗に折りたたみ、布団の上に正座し、首を伸ばしてさゆりんを覗き込む。

「なんや」

「いいや」

 さゆりんは寝返りを打っておれに背中を向ける。おれは横になる。さゆりんに背中を向ける。

「あのさあ、さゆりん」

 呼びかけても返事がないので、おれは寝返りを打ってさゆりんの背中を見つめる。

「ねえ」

 じいっとして無視しているので、おれはさゆりんの布団に芋虫みたいにしてもぞもぞと移動していく。

「ねえねえさゆりん」

 さゆりんは一向に反応しないので、後ろからしがみつく。うなじに口づけする。

「やめて」

「いいじゃん」

「やめてや」

「いいじゃんか、なあ」

「いやや。あんたには奥方がおるやん」

 まったく。素直じゃない女だ。おれは起き上がってさゆりんをまたぐと、さゆりんを仰向けにさせて、肩にしがみついて首すじに口づけしていった。

「やめてや」

 いやよいやよも好きのうちだ。おれは無視してチュッチュしていく。

「ほんまにやめやっ!」

 急に怒鳴り散らしてきたかと思えば、おれはあれよあれよと言う間に仰向けにされてしまい、さゆりんに背後からスリーパーホールドを食らわされていた。さゆりんの腕を引き離そうとするけど、細いくせに物凄い力だった。

 さゆりんは獣のような吐息を吐き出してくる。

「やめろ言うとるのがわからんのか」

「いいじゃんか……、好き同士だろ……」

「誰があんたと好き同士やって?」

 さゆりんが喉をぐいっと絞め上げてき、おれはよだれを垂れ流して失神寸前。

「もう悪させんか? ん? せんのなら離してやるわ」

「や゛、や゛り゛ま゛て゛ん゛……」

「次やったらほんまにオトすで」

「は゛い゛……」

 さゆりんは腕をほどくと、おれの背中を蹴飛ばした。おれはごろごろと転がって自分の布団に到達し、ゲホゲホと咳き込む。

「あんた、きしょいんや」

 さゆりんはくるりと背中を向けてしまい、おれは喉をおさえながら睨みつけるしかなかった。




 翌朝、朝食を食べたあとに寺を出立し、山崎をあとにして摂津国に入った。

「根回しをしといたほうがええ」

「ああそう」

 さゆりんが何もかもを決めている感じがして、おれはおもしろくない。愛人だというのにヤラせてくれなかったし。それどころか気持ち悪いとまで罵ってきたし。

 確かにおれにはあずにゃんという最愛の奥さんがいる。

 しかし、それとこれとは別だ。

 人を好きになることにルールはないのだ。たった一人だけを好きでいなくちゃならないというルールはないのだ。

 おれはあずにゃんと同じぐらいさゆりんを愛している。ところが空気の読めない愛人は言うのである。奥方がおるやん、って。

「何をぶつぶつ抜かしとるんや」

 愛人のくせしてしかめっつらでおれを睨んでくる。

「あんた、中川瀬兵衛のところに行ったらどないするつもりかわかっておるんか」

「何がだよ」

「何がだよじゃあらへん。どないするつもりや」

「どないするつもりって、テメエの主人に降伏してくれるよう頼んでくれって言うだけだろうが」

「阿呆か」

「何が阿呆だこの野郎。それ以外に何があるって言うんだ、コラ」

「あんた、聞いておったん? 昨日の坊さんの話を」

「聞いてたよ」

「ほなら、言うてみい。中川瀬兵衛は何者なんや」

「池田に仕える豪族だろ」

「ほんで、あとはなんや」

「えーと……」

「聞いておらんやろが」

「はい……」

「どないしてあんたみたいな阿呆を上総介は使わしたんやろな。また武田のときみたいに追い掛け回されるのがオチやで。それとも、あれなんか? 私がおるからって何もせんといてもええやろって思ってるんか」

「お前よっ、がちゃがちゃがちゃがちゃうるせえんだよっ! おれにはおれのやり方ってもんがあんだ! だいたいテメーはおれの家来だろうがっ! 言うこと聞かねえなら追放すんぞっ!」

「ああそう。ほんなら、ここでお別れやわ」

 そう言ってさゆりんはくるりと踵を返し、来た道をすたすたと戻っていってしまう。

 フン、小娘が。せいせいするわ。

 生意気に。

 おれは中川瀬兵衛とやらが根城にしている福井村に向かう――。

 振り返るとさゆりんの後ろ姿が稲穂がさざめく田んぼの中に小さくなってしまっている。

 おれはあわててダッシュで追いかける。お澄まし顔ですたすたと歩いているさゆりんに追い付くと、その行く手に回りこみ、両手を両膝で支えながらぜえぜえと息を整える。

「なんや。追放するんやろ」

「いやいや――。さゆりさん、冗談に決まっているじゃありませんか」

「どいて。邪魔や」

「ちょっと待ってくださいよお! さゆりさんと一緒じゃないといやなんですよお!」

「ほんならちゃんと真剣にやって」

「はい」

「私はあんたのためにやっているんよ。私、ほんまはこんなことせえへんのやから」

「はい」

 さゆりんが歩む先の方向を戻したので、おれはへこへこと後ろに付いていく。

「伊那谷は男前やったのに」

「えっ?」

「なんでもあらへんわ」

 昼前には福井村に到着した。

 近くの京都に織田勢の大軍がやって来るというのを知らないのかどうなのか、福井村に来るまでは百姓があぜ道を行き交うほのぼのとした光景だった。

 ところが、福井村の集落は要塞化していた。集落を囲うように堀と板塀が張り巡らされ、櫓が立っている。遠目に見ても雑兵が何人かうろちょろしている。

 さすがに織田勢の大軍に備えているのだろうか。

「何をぼさっとしておるんや」

 と、さゆりんが振り返ってくる。

「まさか、あんた、怖じ気づいたんか」

「お、怖じ気づくもんか。こっちは何も喧嘩を吹っ掛けにきたわけじゃねえ」

 そう言いつつ怖じ気づいている。美濃攻めなどでは敵将に何度も合ってきたけれど、こんな物々しい気配のところに単身乗り込んできたことはないのだった。

 集落に近づいていくと、おれとさゆりんの姿に気付いた雑兵たちがすぐさま駆け寄って来て、おれはビビった。

「なんだ、お前らっ」

 すっかり取り囲まれてしまい、雑兵たちは揃いも揃って槍先を突きつけてくる。

「い、いやっ、拙者は織田上総介が家臣、簗田牛太郎ッス」

「なにい。織田だと」

「えーと、そのお、中川瀬兵衛殿とお話がしたくて――」

 雑兵たちはなんとも言えない戸惑いの表情を見せてくる。

「とにかく、誰か殿にお知らせしてこい」

 ということで、一人が集落の中に駆けこんでいく。その間も雑兵たちは槍を下ろさないでいて、おれはさゆりんをちらっと見やる。本当に大丈夫なのかと訊きたい。織田と言った途端、雑兵たちの殺気がみなぎったのである。

 さゆりんは涼しい顔つきで団子鼻を突き上げているが、そりゃそうだ、さゆりんは忍びだから何かあればすぐさま逃げられるだろう。けれどおれは牛だ。

 やがて、さきほどの雑兵が駆け戻ってきて言った。

「とりあえず顔を見せろとのことだ。付いて参れ」

 おれは胸を撫で下ろす。第一の関門を突破し、雑兵たちに周りをぞろぞろと囲まれながら、まるで容疑者みたいな扱いで集落の中を連れていかれる。

 集落の中央に、塀に囲まれた大きな屋敷があった。中川瀬兵衛の館のようである。豪族というわりにおれの沓掛城よりもしょぼい。

 どうしてこんな奴のところに来なくちゃならんのか疑問になってくる。

 門前には素襖をまとった中年がいた。そいつが中川瀬兵衛かと思ったら、ただの家来のようだった。

 中年はわりと低姿勢に言う。

「遠路はるばる御苦労でござった。とりあえずは腰の物を預からせていただくとしよう」

 おれはアケチソードを外し、さゆりんは太刀と脇差しをそれぞれ中年に渡す。

 すると、中年はさゆりんに対して「どうぞ」と言って中に案内したのだった。中年は、さゆりんが主人でおれが下僕だと勘違いしたようだった。

 おれの脇差しは由緒正しきアケチソード、さゆりんの物は盗品のなまくら刀だというのに。

 さすがはこんなちっぽけな村の豪族だ。品定めもできないようだ。

 もっとも、やはり太刀ぐらいは装備しておかないとならないな。使わないにしても、こういうときのために。

「それでは中へ。お前たちは下がってよろしい」

 と、雑兵たちを追っ払った中年のあとを付いていく。

 庭先で平伏させられるのかと思いきや、屋敷の中に上げてくれるようだった。

 屋敷の奥に案内されると、部屋にはすでに筋骨隆々のゴリラが床の間を背にして座っていた。

 敷居の前にさゆりんは腰を下ろし、おれも揃って平伏する。

 そうして、さゆりんが言った。

「織田上総介が直臣、簗田牛太郎でございます。このたびはお目通りをお許しくださって、有難き所存でございます」

 おれはちらっと睨んだ。この詐欺師はとうとうおれに成りすましやがった。ちゃんとやれって言ったから、ちゃんとやるつもりでいたのに、おれを見限ったようにしてお喋りを始めるのだ。

「池田八郎三郎様にお会いしたく参上しましたが、その前に是非とも中川殿の知己を得たく参った次第でございます」

「池田のおやかたの前にこのわしに? 見当違いじゃないのか」

 と、中川瀬兵衛らしき男は野太い声を響かせる。

 この三十歳手前らしき日焼けゴリラが言うのはもっともだとおれは思った。こんな村しか所領にしていないこんな奴、村中の人間をかき集めて兵隊にしたところでせいぜい五百人ばかしだろう。

 一万をかき集める中の五百人じゃ権力者でもねえ。どうしてこんな奴のところにおしかけたのか不明である。

「一筋縄では我らの気持ちを池田様にはお伝えできないかと思い、織田に協力して頂けそうな方を探しているさなかでございます」

 さゆりんがそう言うと、

「うーん」

 と、瀬兵衛は唸った。首を左右にかたむけて、ぽきぽきと関節を鳴らした。

 とりあえずは広間に上がるよう告げてきて、おれとさゆりんは瀬兵衛の前に腰掛け直す。すると、瀬兵衛は家臣に席を外すよう告げる。

「簗田牛太郎殿と申したかな」

「はい」

 と、さゆりんが顔を上げ、おれはさゆりんを睨む。

「確かに織田殿が左馬頭様を奉戴して上洛するという話は池田にも伝わってきており、もっとも、三好殿が抗戦する構えゆえ、我らもそれに従う方向だが」

「一両日中には五万の大軍で勝竜寺城に攻めかかる予定です。大軍の前にまたたく間もなく陥落するでしょう。それだけではございません。上総介は三好方の息のかかった勢力を軒並み駆逐していく考えであります」

「それはわかっておる」

 瀬兵衛は腕を組む。うーん、と、唸る。

「とはいえ、おやかたは頑固者ゆえ。わしも織田殿の日の出の勢いをわかっておるのだが。それにわしごときがおやかたの考えを覆すほどでは」

「ご協力の暁にはそれ相応のことを」

 おれは再度さゆりんを睨みつける。何を勝手なことを言っているのだろうか。そりゃさゆりんは言うだけは簡単だが、それを信長に取り計らわなくちゃいけねえのはおれじゃねえか。

「まあ、わしの縁者伝えに回っていっても構わんが、しかし、うーん」

 うーん、うーん、と、言って、ゴリラのくせに煮え切らない野郎であった。そりゃそうだ。こんな奴に何ができる。

「先立つ物でしょうか」

「先立つ物――。そう言われればそうかもしれぬ。者どもを懐柔していくには銭がいちばん早いかもしれぬ。うむ。しかし、見ての通りの小身ゆえ、先立つ物がない」

「ならば、早之介」

 さゆりんはおれに顔を向けてきた。

「え?」

「中川瀬兵衛殿に金判を差し出しなされ」

「ええっ?」

 おれを見つめてくるさゆりんの目が殺気に光り、三白眼をぎらりと広げてくる。

 ぐう……、なぜ、さゆりんはおれが袖の下に金判を隠し持っているのを知っているのか。松永弾正からぶん取った箱の中のうちの何枚かを念のために持ち歩いているのをなぜ知っているのか。

「いやいや、簗田殿。それではわしが要求しているようではないか」

 とか言いつつ、瀬兵衛はにやけているのである。

 そして、さゆりんは本気の殺気をおれに注いでくるのである。

 どうして、こんな奴のためにおれのポケットマネーを使わなくちゃならんのか。

 おれは泣く泣く袖の下から金判を取り出してき、涙目になりながら瀬兵衛の前に置いた。

「お近づきのしるしに」

「いやあ、参ったなあ」

 とか言いつつ、瀬兵衛は分厚い手で金判を手に取っていく。たった一枚でほくほく顔のゼニゲバ野郎である。

 とはいえ、おれのカネが、こんなクソザコの手に渡っていくのをおれは心に涙の雨を降らせて眺めるしかない。

「ご親戚の荒木信濃守殿をご紹介いただけないでしょうか」

「ほう。さすがは簗田殿。よく存じておる。少々待っていなされ。今、紹介状を書いてしんぜよう」

 そう言って中川瀬兵衛は一度広間をあとにしていった。

 おれはさゆりんの胸ぐらでも掴みあげたい思いで鼻先を寄せ付け、目玉をひん剥きながら小声で唸り散らした。

「どういうことだ、おい」

「だから、あんた聞いてなかったんか、坊さんの話を。ん? 中川瀬兵衛は銭に汚いって言うてたやんか。あんなのはした金やん」

「銭に汚いからって、こういうことする必要があったのか。おい。こんな小者に無駄ガネを使わせやがって。挙げ句の果てにはこれ以上のものだとかと約束しちまって」

「ほんなの知らん顔しとけばええやん。しょせんは小者なんやから」

「おれはお前みてえな詐欺師じゃねえ――」

 瀬兵衛が戻ってきたので、おれは元の位置にひれ伏す。

「根回しならわしもしとくゆえ、ほれ。これで信濃守のところにでも行ってきなされ」

 さゆりんがうやうやしく紹介状を受け取って、福井村をあとにした。

 集落が見えなくなると、おれはブチ切れてさゆりんに問い詰める。こんなことをして何になるんだと。あんなゼニゲバ野郎に渡りを付ける必要があったのかと。おれのカネを返せと。

「何があんたのカネや。あんたが持っていた金判、松永弾正からもろたもんやろが」

「い、いや……」

「私の目は節穴やないで。あんたが大事そうに抱えていた箱の中身が金銀ぐらい音ですぐわかるわ。あんた、弾正となんの取引をしたんや」

「いやっ、取引だなんて、そんな悪事は」

「じゃあ、なんや」

「えーと、その……」

「言えんのならとやかく物申すなや。あんたみたいな武士が銭を貯め込んでどうするんや。使わなあかんやろが。それにあんたがヘッピリ腰になっておるから代わりにやってやったんや。礼の一つぐらいくれんと割に合わんで」

 稲穂をさざめかせる秋風の中、さゆりんはすたすたと先を行く。

「たった一枚ごときで釣られる中川瀬兵衛もやけど、たった一枚で怒り狂っているあんたもあんたやな」

 さゆりんの侮蔑にみちみちた言葉が風に乗ってきて、おれは涙目になって地団駄を踏んだ。


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