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ふりてんつもる(前編)  作者: ぱじゃまくんくん夫
第六章 魂の夜明け
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栄誉は誰のために

 箕作山は昼過ぎに攻城を始めた。

 北東から主郭に登っていく道があり、マリオの児玉勢がどっと押し寄せていった。大手道には六角方の守兵が待ち構えており、矢が雨あられのように飛んでくる。

 おれとシンパチのおっさん、沓掛勢もマリオに続いて登っていったが、クリツナから下りると大手道をそれて山の中に入っていった。

 鬱蒼と茂った木々をかきわけていってわずかに開けたところに出てくる。

 ここにも矢が飛んでくる。

 おれはあわてて引き返し、槍を振り回して沓掛勢を駆り立てる。上の斜面から転げ落ちるようにして六角雑兵が槍を構えて突っ込んでき、沓掛勢も矢を飛ばす。槍と槍で競り合う。

 おれを小馬鹿にしている沓掛勢だが、毎日訓練しているだけであってなかなか強い。斜面を下って突っ込んでくる六角方をあしらうようにして槍で受け払うと、態勢を崩して転げた敵方を五六人ほどでよっていたかってボコボコにしてしまう。

 六角方の雑兵は斜面を駆け下りてくるが、散発的だった。降ってくる矢も大手道ほどではない。

 シンパチのおっさんが大きな声で指示を飛ばしながら斜面を上がっていく。おれはクリツナの口輪を引く雑兵とともに、いちばんうしろのほうを付いて歩いていく。クリツナは眠たげな顔つきのわりにひょいひょいと上がってくる。

 五人ぐらいがひとかたまりになって埋伏していた六角方をあしらいつつ、ちょろちょろと降ってくる矢をかわしながら梢のあいだを登っていくと、急に木々が開け、斜面が切り立つようになった。

 さらにその上には土塁が巡っていた。青い空を突くようにして櫓がそびえ立っており、ふとした瞬間、一斉に矢がびゅんびゅんと振ってきた。数人が矢の餌食になった。

「殿っ!」

 と、組頭が振り返ってくる。顔中を脂ぎらせながら切り迫った表情でどうするのかと叫んでくる。斜面を登って土塁に梯子をかけるのかどうか。

 おれはどうしたものかわからず、シンパチのオッサンに視線を向けると、

「夜襲なのでしょう? ここは引き下がったほうがよろしいのではありませんか。無理をしてよじ登っていっても負傷者を余計に出すばかりです」

 ということで、いったん、弓兵の目の届かないところまで引き下がった。

 山中の至るところからは太鼓の音が轟いており、どうしたものか、とりあえず手薄なところを探そうと考え、斜面を巡っているうち、少数の埋伏兵が飛び出してくる。百人で叩き潰す。

「それにしたって潜んでいる足軽は少ないですな」

 シンパチのおっさんが言う。

 つまり、ほとんどの守備兵は大手道か主郭に籠もっているようであった。和田山城ばかりに足軽兵を回したせいで、箕作城は一応は手薄なようであった。

 沓掛勢が作った松明は昨日のうちに小一郎が持っていったので、もしかしたら、サル勢が松明を仕掛けていってるのかもしれない。

 とはいえ、攻めないわけにもいかないので斜面を登っていき、主郭の膝下まで出てくる。大手道から遠のいたせいか、降ってくる矢の数もそれほどなので、主郭の中へ矢を射掛ける。

 ところが櫓に登っている奴に発見されてしまい、弓兵が増えた。土塁の上に並んで弓をびゅんびゅんと射掛けてくる。

 沓掛勢は矢盾を並べ、弓矢の撃ち合いを繰り広げる。おれは弓矢の届かない木陰に隠れながら戦況を見つめる。矢がもったいないので止めさせる。

 とりあえずは睨み合いを続けた。干し柿を頬張りつつ、土塁を眺める。

 矢をかいくぐって上がっていったところで槍を持った連中が上には待ち構えているのだろう。

 暗くなれば相手方からは梯子をかけて登ってくるのがあまり見えなくなるわけで、松明をかざして覗きこまれたとしても、何もよじ登ってくるのは沓掛勢だけではないはずだ。ありとあらゆるところからよじ登ってくるわけだ。

 うまく行くのかどうかはやってみないとわからんが、半兵衛が言うならば間違いないはずだ。

 日暮れ、山のふもとから法螺貝が鳴った。シンパチのオッサンによれば引き上げの鳴り方だった。クリツナにまたがると沓掛勢とともに山を下りていく。

 本陣は箕作山手前に移されていたが、信長からの伝令は明朝まで待機。

「さすがに一日では無理だ」

 と、種橋藤十郎のオッサンが愚痴っていた。

 児玉勢は大手道を突っ切って二の曲輪まで突入したそうだが、敵方はそこに多数の兵を集めていて、まったく破れなかったらしい。死傷者もなかなか出したそうだった。

 マリオが言う。

「簗田殿、明日もまた攻めかかるかわからんが、いつなんどきでも動けるようにしておきなされ」

 何も知らないマリオにうなずき、クリツナに跨って自陣に戻る。掘っ建て小屋は建てず、夜空の下に茣蓙を敷いて寝転がる。

 組頭たちがやって来て、負傷者の数を知らせてくる。矢が刺さった奴は何人かいるそうだが、どれも致命傷ではないということだった。

「夜中だぞ」

 おれが言うと、組頭たちは揃ってうなずき、持ち場に去っていく。

「いくさというのはやはりうまくいかないものなのですね」

 ハンザがそう言って、おれは笑った。

「うまくいくかいかないかは、明日の朝になってみればわかるだろ」

 メシを食い、ひとまずは眠りについた。

 夜襲前、おれは目が覚めた。

 体育座りのまま膝を抱えて眠っているハンザを揺すって起こして腰を上げる。立ったままで寝ているクリツナの首すじを撫でると、クリツナはしょぼしょぼと瞼を開けて、またすぐに瞼を閉じる。

 風がわりと吹いていた。かがり火の炎も大きくあおられている。細かな火の粉が振り飛んで、夜闇の中へと消えていく。

 薪の弾ける音とともに、稲穂のさざめきが聞こえてくる。

 箕作山頂上の主郭付近は明るんでいるが、裾野は眠ったように黒く沈んでいた。

 月はない。

 おれは足軽組頭たちを呼び起こしていき、沓掛勢に支度を整えさせた。

「まことなのですか」

 と、シンパチのオッサンが歩み寄ってくる。

 疑うのも無理はない。なにせ、静かすぎる。

「まあ、待ってください」

 風を浴びながら、しばらくたたずんでいた。

 ふいに主郭のすぐ下で火が灯った。「あっ」とハンザが声を上げて指差した。

 そのうちぽつらぽつらと灯火が山の斜面に連なっていき、そうして、闇を切り裂くようにして法螺貝が鳴った。

 おれは雑兵の手を借りてクリツナにまたがる。雑兵から槍を受け取る。

「夜襲だっ! 行くぞっ! 乗り遅れんなっ!」

 うおっと声を立ち上げた沓掛勢、箕作山の大手口目掛けてがちゃがちゃと駆け出していく。

 寝ぼけまなこのクリツナが小走りに走っているさなかでも箕作山の灯火はどんどんと増えていき、道すじを示すようにして火は至るところで連なっていった。

 準備周到でいた沓掛勢はマリオの児玉勢を出し抜いてふもとまで来た。

 が、すでに大手口からどっと登っていく連中があった。サルの部隊だった。

 あの野郎。

 おれに点火のときでも教えてくれたってよかったじゃねえか。どうせ、手柄を独り占めにしようとふもとでスタンバイしていたに違いねえ。

 それでもってサル勢はすっかり大手道を登り切っていってしまう。沓掛勢はサル勢の後ろを付いていく羽目になっちまう。

 クソが。このままじゃサルに手柄の全部を奪い取られちまう。

 サルの部隊には半兵衛が指揮している菩提山の兵隊や、蜂須賀クマ六を始めとした川並衆のゴロツキがいるから、野郎どもだけでも本丸に到達されちまう。

 それに箕作山の守兵も泡を食って準備に追われているはずだ。混乱しているはずだ。

「土塁を駆け登るぞっ!」

 おれは激を飛ばしつつつクリツナから下りた。

 昼間に通った山中の道を進んでいった。松明が木の幹に縛り付けられており炎がこうこうとして山肌を照らし上げている。

 降り注ぐ火の粉を振り払いながら進んでいくと、切り立った斜面の前に出た。

「登れっ!」

 おれは槍を振って沓掛勢に斜面を登らせていく。

 矢がちょろちょろと降ってくるが、昼間の戦闘の比じゃない。さらにサル勢が二の曲輪に突入したのだろう、土塁の向こうから喚声が落ちてくる。

 斜面を登り切った沓掛勢が土塁に梯子をかけていく。弓兵は土塁の向こう側へ次々に矢を射掛ける。おれも四つ足で踏ん張りながら斜面を登っていく。

 梯子で土塁のてっぺんまで登っていった沓掛勢の足軽が槍を突き立てられて落ちてきた。

「怯むなあっ!」

 シンパチのおっさんが土塁の下から吠え立てる。

「戦功をたてまつる好機ぞっ!」

「おいっ! 俺らが先だっ!」

「うるせえ、早いもん勝ちだっ!」

 梯子をどっちが登るかで足軽組同士が揉め事を起こしていたが、中にはそのままロッククライミングで上がっていく者もいて、二人、三人、と、土塁に立つようになっていき、土塁の下へ槍を振り抜いていった。

 おれがようやく斜面を登り切れば、すでに三十人以上が土塁を越えていた。

 おれも梯子に足を乗せる。

「おい、殿っ。殿は危ねえって!」

「殿っ! 控えてくださいよっ!」

 足軽どもがおれの袴を引っ張って上げさせまいとする。

「バカ野郎! いくさが怖くて大将が務まるか!」

 おれは足軽どもを振り切って梯子を登っていく。土塁の上に立つ。槍を両手で握り締める。

 おれが登っちまったものだから、足軽どもは蟻のようにして一斉に土塁を這って登ってくる。

 曲輪は織田勢と六角勢でごった返していた。

 かがり火と松明で赤々と浮かび上がるなか、矢が引切りなしに飛び交い、怒号と怒号がぶつかり合い、槍で突き倒されていく者、短刀で首を掻き切っている者。

 半鐘と太鼓が鳴り響く中、

 ビュッ、

 と、櫓の上から矢が飛んできて、おれの肩パットの壺袖にブスリと突き刺さった。

「簗田殿っ!」

 土塁に上がってきたシンパチのオッサンが叫んできたが、おれは矢を引き抜き、曲輪に殴り捨てる。吠え立てた。

「我こそは尾張沓掛簗田武蔵介えっ! 六角の者どもかかってこいやあっ!」

 土塁から飛び降りると、槍を振り抜く――つもりが、着地したときに鎧の重さで転げてしまい、ましてや偉そうに名乗りを上げたものだから、六角のバカ雑兵が「お命頂戴っ!」と槍を突き立てて駆け込んでくる。

 やべ……。お尻と地面がぺったんこになって動けん……。

 あずにゃんの潤んだ目が頭によぎる。

 死ぬわけにはいかん。

 おれは瞳孔を広げ、顔面に突き抜かれてきた槍を見つめつつ、咄嗟に体をかたむけて、かわした。

 槍の刃先の風切る音に、ぞっ、と、背すじに寒いものを走らせたが、体が勝手に動いた。

 綱に差し込んでいるアケチソードの糸巻きのつかを革手袋の右手に握り取る。突っ込んできていた六角バカ雑兵の足下から刃を引き抜きざまに振り上げる。

 アケチソードの刃が雑兵の膝頭を切り込んでおり、雑兵は喚きを上げながら転げた。

 そこへ土塁からひらりと飛んできた者の姿があって、サイゾーだった。

 槍の柄の部分をすっ転げた奴の顔面に叩き込むと、さらに槍を持ち構えて、おれに襲いかかってくる新たな雑兵目掛けて槍を一閃、胴から上を払い飛ばしてしまった。

 今の槍のさばきようったら、目に見えなかった。

 サイゾー、強い……。

「お守りいたすっ!」

 とはいえ、おれに襲いかかってきたのはそいつらだけだった。

 敵方は曲輪口から次々と突入してくるサルの兵隊と、四方からよじ登ってくる織田勢の面々で劣勢に立っていた。

 ハンザが汗みずくになりながら駆け寄ってき、おれは引き起こしてもらう。

「サイゾー、おれに構うな。お前の好きなように暴れろ。勝ちいくさだ。首級をさんざん取ってこい」

 サイゾーは槍を握って戦況を見つめていたが、

「行けっ!」

 と、背中を押してやると、「かしこまった!」と声を放ち、劣勢の敵方へと駆け込んでいく。

 沓掛勢はぞくぞくと曲輪内に侵入していき、おれはアケチソードを振り上げる。

「テメーらあっ! 続けえっ! 手柄を立てろおっ!」

 歯を剥き立てながらおうっと吼えた連中は、槍を突き立てて六角雑兵をぶっ刺し、振り回して頭を吹っ飛ばし、弓をしならせて矢を次々に射掛け、櫓にぞろぞろとよじ登っていき、楼上から弓兵を叩き落として占拠する。

 サル勢が曲輪を突破しており、次から次へ回廊へと駆け込んでいた。

「沓掛勢! 遅れを取るなあっ!」

 火の粉が振りかかる中でおれが叫んだそのとき、曲輪を突っ切っていく激流の中で忌々しいクソ野郎がおれの目の前を通り過ぎて行った。

「功名!功名!功名!」

 おれはカチンと来た。

 イエモンだった。

 よくもまあおれの前を功名だとほざきながら通りすぎてくれたもんだ。

 功名上げる前にやることがあんだろうが!

 一挙に沸点が限界を越えたおれは、イエモンを追いかけた。

 脱走してから一年目、ここで会ったが百年目、後ろから突き刺してやる。

 アケチソードを握りしめ、織田勢諸兵が入り乱れて回廊をがちゃがちゃと進んでいく中に混じって、おれは沓掛勢のことなんか忘れて歯ぎしりしながら追いかける。

 しかし、おれは足がもつれて転げてしまった。

「旦那様っ」

 と、ハンザに引き起こされるも、イエモンのカスの後ろ姿があっちのほうになってしまっている。

「クソがっ!」

 おれは追いかける。

 この機会を逃してたまるか! いくさのどさくさに紛れてぶっ殺してやる!

 回廊はすでに織田勢ばかりで、本丸曲輪の虎口ではすでに戦闘が激しかった。本丸曲輪にも四方からよじ登ってきていたらしく、喚声があらゆるところで入り乱れている。

 イエモンの野郎は門をくぐって向こうに入っていってしまう。おれは見失ってしまう。

「クソッ!」

 おれは地団駄を踏んだ。

「おっ。簗田殿。乗り遅れましたか?」

 その声に横へと顔を向ければ、脱糞友達の三河守が突っ立っていた。

 こいつはどこから上がってきたのか、すでに自分の軍勢を本丸曲輪に突入させているのだろう、十数人の手下どもに囲まれつつ、戦況を見守っている。

 右手を掲げながら、下膨れのほっぺたをにこにこと緩ませて、おれに歩み寄ってくる。

「勝ちいくさですなあ。いやはや、参りました。急に法螺貝が鳴るものですから。――先日の佐和山の水にも参りましたが」

 小声でひそやかに脱糞の辱めを共有してきたデブ三河だが、右手に軍配を握り、左手で鉄砲を担いでいる。

 おれは篭手袖で汗を拭い取りながらも、脱糞のことよりも、不思議になって訊ねる。

「なんスか、これ。どうして三河殿ご自身が持っているんですか」

「いやいや、たまには撃ってみようかと思っておったんですが、家臣に止められるわ、それがしの出番などまったくわで」

 ほほう……。

 おれは邪悪な笑みを浮かべた。

「じゃあ、あっしが代わりにぶっ放してやりますよ」

 デブ三河の左手から鉄砲を奪い取る。

「や、簗田殿っ?」

 呆気に取られているデブを尻目におれは虎口へと駆け込んでいく。

 ちょうど石垣に梯子が掛かっていたのだった。

 ずしりと重い鉄砲を肩に担いで梯子を登っていけば、おれの背丈ぐらいの石垣の上に立つ。虎口を覗きこめば織田勢と六角勢が格闘している。

 明々と火に浮かび上がる中を、瞳孔を広げてイエモンの姿を探す。

 バカヅラがあった。大勢が入り乱れているものだから、取り立てて格闘もできずに、後ろのほうで右往左往しているだけだ。

 ククッ。

 刀や槍を振るうのは戦国時代に来てからのことだが、中学のときに同級生のカラシニコフを(エアガンだけど)空き缶相手にぶっ放した経験がある。

 おれは銃身を左手で持ち上げ、銃口をイエモンに合わせる。照門を覗きこんで凹凸をイエモンのバカヅラに合わせていく――。

 積年の恨みぶっ放してやる。

「死ねえっ!」

 引き金を人差し指で引いた。

 あれっ。

 カチカチと鳴っているだけで三河ライフルは火を噴かない。

「簗田殿お」

 デブ三河が手下に囲まれながらおれを見上げてきている。

「火縄を通さんと」

 言っていることがよくわからない。訳がわからず鉄砲を眺め見る。そのうち織田勢は虎口を突破していき、イエモンの姿もなくなってしまう。

 おれは石垣を下りていき、手下どもに白い目で見つめられる中、「ありがとうございます」と、デブ三河に鉄砲を返す。

「火縄銃を持つのは初めてなんスよお。アハハ。どんなもんか試しに構えてみたかったんですよお」

「そのわりには構えがさまになっておりましたな」

 デブ三河がおどけてスチャッと構えて見せて、おれは愛想笑い。デブ三河もほっぺたを揺らして笑い上げる。

 三河守の前だからか、ハンザはどこかに隠れている。

 おれも穴があったら入りたいものだった。




 夜明け前に箕作城の本丸を占領した。

 明け方には和田山城の守将が逃亡し、兵の大半も脱走、投降したとの知らせが入ってくる。

 さらに昼前には観音寺城の六角承禎も息子とともに逃亡した。

 観音寺城は開城され、織田勢は浅井新九郎や徳川三河守ともどもやすやすと繖山(きぬがさを登っていった。

 繖山の頂上、観音寺城の主郭からは、京から近い海ということで、近江おうみと呼んでいる琵琶湖が見晴らせた。

 日差しの中に霞む先まで水面が広々と渡っており、そのさまは、尾張の片田舎からいよいよやって来たという感慨を覚えさせる。

 それにしたって、こうも呆気無いものだったのかとなかば不可思議にもなってくる。

 六角勢は二百年以上も昔から続いている武家の名門らしく、数々の激動のときを越えて生き残ってき、京の目と鼻の先だけあって南近江に君臨する勢力でもあったらしい。

 それをたった一日で。

 去年まで、長期に渡って美濃攻めに苦闘してきたというのに、たった一日で敵の本城を落としてしまうだなんて、一体、何が起こったのだろうか。

 兵数が倍増しているのもあるだろう、浅井と徳川を従えて、六角と比較すれば数倍の大軍だったというのもあるだろう。

 けれども、その倍増ぶりはとんでもない速度なのである。

 おれは思わず笑ってしまう。おれがさゆりんに仕掛けた小賢しい計略だなんて、実は必要なかったんじゃないのか。

 ハンザが駆け寄ってきて、手入れを済ませたと言って脇差しを差し出してくる。

「そうでもないかな」

「はい?」

 おれは目を丸めているハンザから脇差しを受け取り、綱の間に差し込んだ。

 当主が逃げ出したくらいだからさゆりんだって逃げられただろう。織田勢のこのしようを目の当たりにして、自分自身のちっぽけさを思い知らされているだろう。

 何をしようと、何をたくらもうと、おれたちにはかなわねえんだ。

「ハンザ。お前の初陣は天下布武の始まりだな」

 おれが微笑みかけるとハンザはこくっとうなずいた。

 繖山から放たれるようにして鳥が羽ばたいていく。甲高い鳴き声を響かせながら青くかすむまでの琵琶湖へと飛んでいく。

 沓掛勢の中から首級を上げた奴を引き連れて、論功行賞の場に立った。

 白木の板の上に生首を並べていき、

「この通りです」

 と、信長の膝下にシンパチのオッサンとともに片膝をつくおれはほぼ得意顔だった。

 なにせ、箕作山攻めで本丸曲輪まで突入していた沓掛勢は合わせて四十余を討ち取っており、首級は九つ、中でもサイゾーが無敵の強さを誇っており三つも取っていた。

 あのマタザだって森部のいくさで三つだったのだ。

 イケメン新九郎やデブ三河、重臣連中を周囲に居並べつつ、床几に腰掛けて扇子をぱちつかせている信長は、フン、と、鼻で笑いつつ、上機嫌に口許を緩める。

「貴様にしてはまあまあだな」

「ありがたき幸せ」

 おれはクールな装いで頭を下げる。

 勝った。信長を上機嫌にさせ、ゴンロクはしかめっ面、すなわちおれの勝ちだった。

 何が野良牛だこの野郎。二度とそんな口は叩けねえだろう。

 おれだってな、やるときはやるんだ、バカ野郎。

 まあ、おれ個人としては脇差しで敵の膝を切っただけだけど。

「才蔵。その武勇あっぱれである。二百貫の褒美を取らせよう」

 おおっ、と、声が沸き立ち、サイゾーは「ありがたき幸せっ!」と額を地面にこすりつけた。

 信長はおれに視線を向けてき、

「貴様、きゃつを組頭に取り立てろ」

「いや、あの、それなんスが……」

「あ?」

「実はこの才蔵、生まれが可児でして、このいくさを最後に可児に戻ることになっていたんス。母親が病床に伏しているということで。なので、森サンザ殿のご家来衆の末席にでも加えてやってもらえないでしょうか」

「と、殿っ」

 と、サイゾーが声を上げていたが、おれが信長を上目に覗き見ると、信長はフンと笑いながら背後のサンザに振り返った。

「どうなんだ、三左」

「もちろんのことです。むしろ、これだけのつわものを譲っていただけるとは、牛殿には感謝の次第でございます」

「ということだ。才蔵、あとは勝手にしろ」

「あ、あっ、ありがたき幸せにてっ」

 サイゾーは信長とサンザに向かって頭を地面にこすりつけると、おれにも向き直って頭を下げてきた。

「これもひとえに殿のおかげでございますっ! 生涯をかけてこの御恩は忘れませんっ!」

「この牛めが!」

 と、信長は歯を剥いて笑いながら扇子でおれの頬をバチンと引っぱたいてくる。

 冗談のつもりなのかもしれねえけど、痛いんだが。信長の持っている扇子、すごく固かったんだが。

「貴様、こうなると踏んでいやがっただろう。生意気にかぶきやがって」

「い、いえっ。滅相もない。才蔵がこんなに強いとは知らなかったんで」

「ならばあれか? 鬼の梓に尻でも引っぱたかれているのか? あ?」

 重臣連中からクスクスと笑い声が漏れてきて、信長はえらくご機嫌に瞼を大きくし、その瞳をきらめかせている。

 イタズラをするときの。

 おれは思わずうつむいてしまう。クソが……。織田の人間だけじゃなく、浅井新九郎やデブ三河、それらの家臣だっているっていうのにくだらねえ話を持ち出してきやがって。

「まあいい。貴様は美濃攻めでも功を立てたゆえ、新たに尾張九之坪をくれてやる。沓掛と九之坪だ」

「えっ!」

 おれは腰を浮かせて飛び跳ね、さっきの「クソが……」は帳消しにし、すかさずひれ伏した。

「ありがとうございますっ! 今後とも精進して参りますっ!」

 久々に来た。桶狭間以来のご褒美が来た。

 これはあずにゃんにさっそく手紙を書かなくちゃならん。


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