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ふりてんつもる(前編)  作者: ぱじゃまくんくん夫
第六章 魂の夜明け
80/147

クリクロ

「みたらし団子をご存知なんスか? 京の加茂にはみたらし茶屋というものがあるッスよ」

「なに? お前、作り方知ってんのか?」

「いや。食べたことならあるッスけど、作り方はわかんないッス」

「ふーん。じゃあさ、シロジロ、お駄賃やるから修行してこいよ」

「へ?」

「京都の団子屋に働きに出て修行してこいよ。一ヶ月で帰って来いな。わかったな」

「いや、何を言ってんスか」

「ほら、出張手当。銭貫文くれてやるから、それで当分は帰ってくんな」

「え、いやッスよ。あっしは団子屋じゃ――」

「誰がお前を拾ってやったと思ってんだ。ん? それとも徳川三河殿に突き出されてえのか? ん?」



「旦那様」

「なんだい、あいりん」

「四郎次郎殿をお見かけしませんでしたか? 朝からいらっしゃらないのですが」

「あー、シロジロなら実家に用があるとか言って一ヶ月ぐらい帰ってこれないって言ってたなあ。でも、大丈夫でしょ。お貞もいるんだし。人手が足りないってことはないでしょ?」

「はあ」



「父上」

「なんだよ」

「四郎次郎が三河に里帰りしただなんて本当ですか。拙者は何も聞いていませんが」

「なんだよあいつ、太郎には言ってなかったのかよ。まったく、困った奴だな。まあ、そういうことだ。うん」

「何が理由で帰ったのですか」

「うーん。なんだか、三河のお父さんが病気で倒れちゃったとか言ってたなあ」

「四郎次郎からは両親は昔に亡くしたと聞いたことがあるんですが」

「ああ、そう。じゃあ、なんのことを言っていたんだろう、あいつ」

「父上。本当に四郎次郎は三河に帰ったのですか。何か隠しておりませんか」

「隠してなんかないよ。まあ、あいつは隠し事をしているのかもしれねえけど。あいつにだって喋りたくないことはあるんだろ。あんまり詮索してやるなよ」



「亭主殿」

「あ。あずにゃん。なんスか?」

「なに? なんじゃその呼び方は。もういっぺん申してみろ。なんじゃそれは」

「いやっ、すいませんッス。な、なんスか。どうしたんスか」

「太郎が申しておったんだが、四郎次郎はどこに行ったのじゃ。何かよからぬことに巻き込まれたんじゃないのか」

「え? いや、たぶん、そういうのには巻き込まれていないかと」

「たぶんで済む話ではない。探したほうがよかろう。亭主殿にはどこに行くと伝えたのじゃ」

「いや、その、実は、みたらし団子の調査に……」

「団子の調査? どういうことじゃ」

「いやっ、みたらし団子っていう珍しい団子が京にあるそうなんスよ。な、なんか、シロジロが言っていたんスよ。甘じょっぱいらしいんですよね。それで、その、食べたいなあっていうか、梓殿と一緒に食べたいなあって思って、それで、まあ一ヶ月ほど、調査のほうに」

「なんじゃ。そういうことか。心配するではないか。それならそうと申してくれればよかろう」

「ま、まあ。あ、あの、この話はあっしと梓殿との二人だけの秘密ってことで」

「なにゆえじゃ」

「え、いや、その」

「皆が心配しておるではないか。しかし、良かった、四郎次郎がよからぬことに巻き込まれておらなくて。団子じゃな。承知した」

「あ、いやっ、ちょ、ちょっと待ってもらえ……」



「父上っ! どういうことなのですかっ! 団子の見分とは一体なんなのですっ!」

「何を怒っておるのじゃ。珍しい団子らしいのだ。四郎次郎が作ってくれれば皆で食べられるではないか」

「母上、何をおっしゃっているのです。四郎次郎はこの家に仕えている奉公人なのですぞ。団子を作るために一ヶ月も離れるだなんて、どうかしているではありませんか。四郎次郎がいなくなって、お貞殿やあいり殿、それに栗之介の仕事が増えてしまうのですよ。団子のためにですか? それはいかがなものではありませんか」

「それもそうじゃ。それはよくない」

「でしょう? 父上はそうとわかっているから拙者などに虚言を働いたのですよ」

「そうなのか、亭主殿」

「いえ、そういうわけでは……」

「それではなにゆえ四郎次郎は三河に里帰りしたなどと申したのじゃ」

「……」

「ほら。母上。父上は黙っておられるではありませんか。ただの虚言だったのです。珍しい団子を食べたいというたったそれだけのために皆の者の仕事を増やしてしまったのです」

「くだらん……。なんだか、裏切られた気分じゃ……」

「もはや四郎次郎が京のどこに行ったのかわかりませんので致し方ありませんが、母上、くれぐれも父上を甘やかさないでください。父上ほど甘やかしてろくな男はいないのです」

「そういう言い方ねえだろうっ! その前にまずおれはこの家のあるじだぞ! シロジロをどうしようが構わねえじゃねえかっ!」

「何を騒いでおるんじゃっ!」

「あ、はい……」

「太郎の言うことはもっともではないか! やましいことがあるから隠していたというわけではないかっ! まったく」



「そういやよ、クロを連れてくるって話、あいつが気性が荒いからって延び延びになっちまってたけど、そろそろいいんじゃねえかと思うんだよな」

「何を言ってんだテメー。駄目だ、そんなのは」

「どうしてですか、父上。べつに構わないではありませんか」

「駄目だ駄目だ駄目だ。おれはクリツナしか乗らねえんだ。そんな馬いらねえ」

「旦那の馬じゃねえよ。太郎の馬だよ」

「太郎の馬だろうがなんだろうがおれが駄目って言ったら駄目なんだ!」

「何を申しておるのじゃ。何を理由にして亭主殿は反対しておるのじゃ」

「あ、いや……」

「栗之介、手が空いたときにでも沓掛に行ってきなされ。太郎は馬廻衆ゆえ、おやかた様の手となり足とならんとな。太郎、良かったな」

「ありがとうございます、母上」

「……」



「あのう、梓殿……」

「なんじゃ」

「入ってよろしいですか……」

「好きにせい」

「し、失礼します。あの、梓殿、あのですね、団子はどうしても梓殿に食べてもらいたくて、それで、その、シロジロを調査に向かわせただけでありまして……」

「ならばなにゆえ虚言を申したのじゃ。そなたは皆の者を騙しておるではないか」

「そ、そういうつもりじゃなくて、お、驚かせたいなって思って」

「知らん」

「ご機嫌直してくださいよお」

「触るなっ! 太郎に甘やかすなと言われたばかりじゃっ! それにわらわはそのようにして女を抱いてごまかそうとする男なんぞ反吐が出るのじゃっ! わらわに猫撫で声を使うぐらいなら反省しとらんかっ!」

「は、はい……」



「ちょっとお貞」

「はい?」

「ちょっといいかな」

「はい」

「この前から梓殿のご機嫌が斜めで相手にしてくれないんだが、なんとかならないかね」

「なんとかならないかと申されましても、梓様は一度ご機嫌を損ねるとなかなか」

「じゃあ、どうすれば直るんだよ」

「お花とか、文とか差し上げれば多少はご機嫌を取り戻すかもしれませんが」

「ああ、手紙か。うん」

「それより、旦那様。梓様とはちゃんとあれですか?」

「え? あれって何?」

「その、お子のほうの」

「お、おいっ、そ、そ、そういうこと言わせんなよっ」

「梓様も二十を半ばにしておりますし、私も梓様が赤子のころから見守らせていただいているのです。梓様とお仲良くしてくださいませ」

「わかってる、わかってるから、そ、そういうことはあんまり言うな」



 拝啓 梓殿


 あっしの心はさびしいです

 ずいぶんと反省もしました

 さびしさを埋めてくれるのは

 ゆきのような肌を持つ梓殿

 るりのように輝く瞳の梓殿

 しっとりと麗しい髪の梓殿

 てきとうなことは申しておりません

 よせる思いは梓殿ひとつです


 敬具 政綱


 庭の百日紅に花が咲いた。

 真夏の盛りの日差しの中で、あずにゃんやあいりん、それにお貞は、口許をほころばせながら、この花は大きい、この花は見事に開いている、と、和やかに鑑賞しており、クリツナも茶金色のたてがみを上下に揺さぶってはしゃいでいた。

 おれは蚊帳の外。

 ねじり鉢巻きが沓掛に行ってしまったので、クリツナが馬屋に捨てていったウンコを掃除し、寝藁を交換し、肩身の狭いパパのようにして女どもの楽しげな様子を遠巻きにじっと睨んでいるしかない。

 おれが命じて植えたってのに。

 クロとかいう太郎専用の馬のためにねじり鉢巻きが不在なのだから、ウンコ掃除もクリツナの洗車も薪割りも太郎がやるべきだっていうのに、馬廻衆は信長に引き連れられて出張中なのだった。

 信長は馬廻二百五十騎とともに東近江の佐和山城に駐在している。

 佐和山城はお市様が輿入れされた浅井方の縄張りだ。

 足利左馬頭あしかがさまのかみを岐阜城下の寺に住まわせている信長はいよいよ上洛のために動き出し、南近江の六角との交渉で岐阜を発ったのだった。

 六角という名前に敏感に反応してしまうおれだが、サンザ情報によると、六角との交渉は足利左馬頭を奉戴するさい南近江の通過の許可を得るためだそうで、いくさをするつもりは毛頭ないらしい。

 おれはそれを聞いて安堵した。

 おれはあのあばずれ女の色仕掛けによりどこまで喋ってしまったかをよく覚えていないのである。これまでのいくさの内容を喋っていたら特にまずいわけだった。

 マタザは森部のいくさまでは猛者だったけれど、稲葉山城攻めのときはザコだったとか、サルは手柄のためにはなんでもするだとか、ウザノスケは軍紀違反をしたことがあるとか、そういう詳細な情報はまずいと思う。

 でも、いくさはしないらしいのだ。

 おれは安心してウンコ掃除だ。

 あずにゃんのご機嫌がいつまでも直らないのは不安だが。

 それに近頃、あいりんが鬱陶しい。

 その日の夕飯も太郎の話をし始めた。

「若君がお帰りなられるまでは咲いていてほしいです。若君も百日紅のお花が咲くのを楽しみにしていましたから」

 どうして太郎が花が咲くのを楽しみにしていただなんて知っているのだろうか。父親のおれはそんなことは一度も聞いたためしがないわけだ。

 楽しみにしているはずだったでしょうから

 ではなくて、

 楽しみにしていましたから

 なのである。

 おれがあずにゃんのご機嫌を損ねて不遇のときを過ごしているというのに、おれの目の届かないところで太郎とあいりんは何をしているんだ?

 いいや、べつにかまわないんだ、太郎とあいりんが恋仲だって。

 けれど、時と場合をわきまえろという話なのだ。おれはあずにゃんとここ一ヶ月はご無沙汰なのだ。

「なんて顔をしてあいりを睨んでおるのじゃ」

 はっとして右隣を見やると、あずにゃんが細眉をしかめてきている。おれはそそくさとして手にしていた茶碗に箸を伸ばす。

「すいません」

 あずにゃんは嫁に来てからというものの脱デザイアしており、髪も伸ばし始めて服装も派手な色を好んではいるものの小袖姿である。

 三日に一度は袴を履き、鍛錬と称して喧嘩殺法に磨きをかけているが、おれはまだ殴られていないし、おれにも鍛錬をしろとはまず言ってこない。

 ところが太郎が余計なことを言ってくれたおかげで、ご機嫌斜めな日々が数日続いてしまっている。

 もっとも、夕飯のときのお叱り方は若干優しめだった。時間の経過とともに刺々しさは失せてきている。

 居室に戻って就寝の支度を整えつつも、今夜あたりは大丈夫だろうと思い立って、あずにゃんの部屋にお邪魔する。

「なんじゃ」

 薄桃色の長襦袢一枚のあずにゃんは、布団をかたわらにして巾着袋に何かしらを詰めている。何をやっていらっしゃるのか訊ねると、ぎろっと睨み上げてきながらも、燻製にした香料を詰めているのだと言った。

「あ、そうスか。お香ッスか」

 おれはさりげなくあずにゃんの向かいに正座して、詰め物を眺めながらもちらちらとあずにゃんの様子をうかがう。

「嗅いでみるか?」

「あ、はいっ」

 巾着袋を渡され、くんくんする。ほんのりと甘い匂いがする。あずにゃんの香りである。

「どうじゃ」

「梓殿の香りがします」

 あずにゃんはにっこり笑いながら巾着袋を手に取り、部屋のすみに畳んで置かれてあった桃色の小袖の下にくぐり入れた。

「わらわは寝る。火を消しておいておくれ」

 と、あずにゃんは布団の上に横になり、小振りなお尻の膨らみをおれに見せてきつつも顔はあちらに背けてしまう。

 おれは燭台のろうそくの火を吹き消し、あずにゃんの横に寝そべる。あずにゃんの肌を襦袢越しにさわさわする。

「梓殿。ごめんなさい。あっし、もう嘘はつきません」

 あずにゃんは寝返りを打って振り向いてくると、暗がりの中でおれをじとっと見つめてきたあと、右手で鼻をぐいっとつまんできた。つまみながら押し上げてきた。

「痛いッスっ。梓殿、痛いッスっ」

「もう虚言は申さぬか」

「はい。言いません」

「まことか」

「はい。本当です」

 すると、あずにゃんはつまむのをやめて、鼻の頭にチュッてしてきた。

「そなたからの文、嬉しかった」

「横にしているのわかりました?」

「横? 何がじゃ?」

「いや、なんでもないッス」




 クリツナを散歩に出さなくちゃならないので瞼をこすりながら庭に下りたら、ビュッと木刀が風を切っていたので一気に目覚めた。

 朝っぱらから袴姿で木刀を振り回しているのはあずにゃんである。一緒に寝たはずなのにいないと思ったら、昨晩の営みなどどこ吹く風でデザイア流喧嘩殺法に磨きをかけている。

「お、おはようございます」

「うむ」

 切り結んだ目許を向けられて、おれはビビりながらそそくさと裏庭に回っていく。

 間違いなくご機嫌は直ったはずなのだが、まるで、昨日のことは昨日のことだと言われんばかりであった。

 クリツナはすでに馬屋の中に四つ脚で突っ立っていて、おれが来ると首を上下に動かした。よしよしと言って鼻面を撫で、鍵柵を外す。のっそりと出てくると、おれの頬に鼻面をこすりつけてき、ぺろぺろと舐めてくる。

 馬銜はみを噛ませ、面繋おもがいの紐を頭と首に括って口輪にセットし、手綱を通す。鞍を背中にセットし腹帯で締め上げて完了。

 クリツナはおとなしいのでおれにでも世話ができる。

「よしよし。お前はいい子だな」

 日曜大工でこしらえた箱階段を持ってきてクリツナの横に置くと、それを登ってあぶみに足をかけ、乗車完了。

 手綱を振るっていざ発進。

 木刀を振り回しているあずにゃんの横をのそのそと通り過ぎていき、門をくぐり出て朝日のまぶしい通りに出る。

 門前で水を撒いているサルの屋敷の奉公人に右手をかかげて「おはよう」。背伸びをしながら門から出てきたおまつに右手をかかげて「おはよう」。

「あら、牛殿。おはようございます。今日も暑くなりそうですね」

「まったくだ」

 のそのそと通りを行っていると、朝日の砕ける行く手から誰かがこちらに走ってくる。目を凝らしてみたら竹だった。

「あっ、簗田殿っ、ちょうど良かったっ」

 おれが手綱を引くと、ぜいぜいと肩で息を切らしながら竹はクリツナの前で膝に手をついた。

「今、皆々の屋敷を回っているところなんです」

「なんだよ、こんな朝早くに」

「夜更けに佐和山からのおやかた様から早馬が参りましたっ。巳の刻(午前十時)に登城せよとのお達しですっ」

「えっ? おやかた様が戻ってくんの?」

「いや、登城は佐久間殿からのお達しで。とにかく登城してくだされ。拙者はほうぼうを回らなくてはならないんでっ」

 竹はそう言い残して走り去っていき、

「木下殿はいらっしゃいますかっ」

 との声に振り返ってみれば、竹はサルの屋敷の門前でやはりぜえぜえと言って膝に手をついていた。

 そういえば、竹に限らず朝っぱらからうろちょろと走り回っている連中がいる。

 とりあえずおれはクリツナの手綱を手繰って小走りに駆けさせると、加納のほうまで行っただけで散歩を終わらせた。


 朝メシを食ったあと、あずにゃんが選んでくれた生地の素襖を羽織って(橙色が派手で嫌なんだが)稲葉山のふもとから大手道を登っていく。

 日陰を選んで歩いていても幸せデブのおれには手ぬぐいがかかせない暑さである。

 信長がいないんだったら山の上の城じゃなくたっていいじゃねえか、クソヒゲ佐久間め。テメーの屋敷でいいじゃねえか。信長がいないのをいいことに天下布武気分でも味わおうってのか、バカが。

 信長だったら千畳敷で済んだんじゃねえのか。

 たまらんので袴の裾を膝まで括りあげる。

 再び歩を進め、やっぱり、クリツナに跨ってくれば良かったと後悔する。

 ねじり鉢巻きがいないと怖いのでガレージでおとなしくさせているわけだった。山道を歩かせると湯村山のように走り屋に変貌してしまいそうな恐怖がある。

 夏の日差しが照りつける頂上にようやっと到着して、本丸の大広間に通される。二十数名ほどが上座を正面にしてずらりと並んでいた。いちばん後ろのいちばんすみに腰を下ろすと、サルが隣だった。

「どうもッス」

「にゃあ」

 と、サルは愛想なく返事しただけで、どこかを睨んでいる。

 どうしたんだろうと思って視線の先を探ってみると、こちらに向かって睨みを飛ばしているゴリラがいた。ウザノスケのガン飛ばしはおれにも向けられたので、おれはそそくさと視線を下ろす。

 寧々さんの因縁をまだ引きずっているのか、それとも折り合いが相当つかねえのか、サルの隣に腰を据えたのは間違っていた。飛び火しかねん。

 長ヒゲオヤジの佐久間右衛門尉が入ってきた。信長がいつも座っている一段高い畳敷きの上座には上がらず、並んで座っているおれたちの前に立ったまま大声を張り上げた。

「左馬頭様のご指名により、おやかた様は征夷大将軍奉戴のお役目を担っておるが、上洛にさいし、六角方は左馬頭様奉戴を拒絶しおった」

 えっ?

「おやかた様は無用のいくさを避けたいとお考えであったが、幕府再興のためには是非に及ばず、六角方と事を構える次第とのおおせであり、皆々、所領から兵を集めよとのお達しだ。ゆえに七日間中には各々支度を整え、岐阜に集結せよ」

 登山をさせられたわりにそれきりあっさりと終わってしまう。

「簗田殿」

 諸将がざわついている中でマリオがおれに歩み寄ってきた。

「まだ、編成はどうなるかわからんが、沓掛勢を率いて五日後までに児玉に立ち寄りなされ。沓掛においている大島新八郎とともに。よいか」

「はい」

 サルとウザノスケの喧嘩に巻き込まれないうちにおれはそそくさと稲葉山を下りていく。

 まずい。

 結局は六角とやり合う羽目になっちまった。

 サンザ情報によればいくさはしないはずだったじゃないか。

 それに、あずにゃんのご機嫌が斜めになる前、明智十兵衛がやって来て、婚姻同盟中の浅井はもとより、六角方も左馬頭上洛には前向きな姿勢だなんて言っていたんだが。

 まさか、おれがあばずれ女に余計なことを言っていたのかな……。

 信長は六角をぶっ潰すはずだとか、信長は畿内を蹂躙するだとか。

 そういうことは言っていないと思うんだが、もしも調子こいてそんなことを言っていたら、あばずれ情報を聞いた六角はブチ切れて信長を敵対視しているのでは。

 もしくはあばずれ情報に勝利の確信を得ているのか。

 なんだか、気持ちが悪くなってきたので、居室で横になる。暑いので団扇であおぐ。やっぱり暑いのでふんどし一枚になって風呂場に行く。汗だくになりながら薪を焚く。昼メシだと言ってお貞が覗いてきたので、お湯沸かしを中断し、広間に向かう。

 お貞が眉をしかめて振り返ってくる。

「旦那様。梓様に叱られますよ」

 あわてて居室に戻り、短パン形状の大口袴を履いて、小素襖を羽織る。

 女どもが待っている広間に入り、上座に腰を下ろして手を合わせて「いただきます」。あずにゃんあいりんお貞も揃って「いただきます」。

「ところでなにゆえの登城だったのじゃ」

「あっ。いくさが始まるようで」

「いくさ。まことか」

 あずにゃんは箸を止めて不安げに眉をすぼめておれを眺めてくる。

「なので、沓掛に行ってきますんで」

「左様か……」

 あずにゃんは視線を落としてしまう。しんみりとしたまま、ちょっとだけつまんだ御飯を小さい唇に運んでいく。

 さすがのデザイア流創始者もいくさと聞くとおれの身を案ずるか。ああ、結婚してよかった。心配してくれる人もいれば生きがいも湧いてくるもんである。

「大丈夫ッス。あっしは一度も怪我をしたことがないんで」

「うん……」

「若君もですか?」

 あいりんの表情がおれの奥さんよりも不安げなので、おれはむっとする。

「そりゃそうだろ。なんだよ、あいりんは。太郎が好きなのか。ん?」

「そ、そ、そんな。恐れ多いことは」

 顔を真っ赤にして否定しているが、おれは太郎の受け売りのシラーッとした目を注ぐ。

 しかし、あずにゃんが血相を変えてしまう。

「なんて目をしておるんじゃ!」

「す、すいません」

「年頃のあいりに向かってなんてことを申しておるのじゃ。まったく。あいり、気にするでないぞ」

「申し訳ありません」

 あずにゃんに睨まれておれは背中を丸くする。昨日はあんなにチュッチュしたっていうのに。

 それよか、沓掛に戻るって言ったって、ねじり鉢巻きがいないと面倒だ。長い道のりでクリツナを一人で操縦したくないし、徒歩で行っても構わないけれど、おれが出かけてしまうとウンコ掃除要員がいなくなってしまう。

 シロジロを出張させたのは間違いだったかな。

 そう思った矢先、ねじり鉢巻きが帰ってきた。

 百日紅の木陰に寝転がっていたクリツナもすっくと立ち上がった。

 カラスのように真っ黒い馬が庭に現れたのである。

「こらっ! クロっ!」

 真っ黒馬が暴れているので、食事中のおれはあわてて腰を上げ、縁側に出た。

 ブルルブルルと鼻を鳴らしながらよだれをまき散らし、血走った白目をひん剥きながら首を左右上下にぶんぶんと振り回し、口輪を取る鉢巻きの制止の声も聞かずに前脚を上げたり後ろ脚を上げたりと、とんでもねえじゃじゃ馬だった。

「おいっ! 鉢巻きっ! なんなんだこの駄馬っ! クリツナがいじめられんじゃねえのかっ! どうにかしろっ!」

「やめろっ! クロっ!」

 白い汗を腹から垂らしながら真っ黒馬は暴れどおしであり、あずにゃんが縁側まで出てきてしまう。

「危ないッスよ、梓殿っ」

「めっ! そなた、やめっ!」

 さすがのデザイア流創始者も声を裏返らせながら及び腰であり、しまいには真っ黒猛獣はねじり鉢巻きの手を振りほどいてしまう。

 それでもって猛獣はたてがみを逆立たせながら二本脚で大きく立ち、クリツナの前で前脚を掻き上げた。

 クリツナはくりくりの目で猛獣の暴れようをじろーっと見ている。

 猛獣は血走った目でクリツナを睨み下ろし、ブオオブオオと吠えている。

 あずにゃんが震えながらおれの腕にしがみついてき、クリツナはじろーっと猛獣を眺めている。

 すると、猛獣はすとんと四つ脚になり、急に首を垂らしておとなしくなり、庭のすみにトボトボと歩いていって、板塀と向かい合ったまま銅像のように止まってしまった。

「馬鹿だな。クリに喧嘩なんか売って。いじめられたの忘れていたのか」

 ねじり鉢巻きがクロスケの口輪を取り、いやいやして動かないクロスケをなんとか馬屋まで引っ張っていく。クリツナは目の前をしょんぼりと通りすぎていくクロスケをじろーっと見つめていたが、クロスケが馬屋に引っ込むと、百日紅の木陰に戻ってまた寝転がった。

「な、なんだったのじゃ」

「クリツナのほうが強いってことなんスかね……」

 睨みだけで凶暴馬の弟をおとなしくさせてしまったクリツナは、くわあっとあくびをかくと、首をだらんと地面につけて寝そべった。




 馬屋で板一枚を隔ているだけで仲良く寝ていられたのか心配だが、長ヒゲ佐久間から触れが出た翌日、クリツナに一人で跨がり沓掛に向かう。

 ねじり鉢巻きを残していないとクロスケの世話ができないので。

 もっとも、鉢巻きの話だとクリツナの腹を蹴らないかぎり暴走はしないようで、だったら一人で乗れる。

 それにしても、道中、胸に引っかかったままである。

 おれはあばずれに余計なことを喋っていないだろうか。

 機密情報を漏らしていないのだろうか。

 織田の機密情報なんて持っていないのだが。

 日暮れに沓掛にやって来て、汗だくなのでとりあえず風呂に入る。一度羽織った素襖なんて汗臭くて着たくなかったが仕方ない。

 沓掛をマリオから押し付けられている大島新八郎のオッサンは二度会ったことがある。元は斉藤方の将だったが、マリオに引き抜かれた。

「お一人で戻られるとはいかがされましたか」

 シンパチはオッサンというよりも、実年齢が六十前のようであり、村井民部などと比較すればまったくもってジイさんのはずだが、見てくれはジイさんというふうでもない。小柄な体は筋骨隆々でがっちりしており、浅黒い日焼け顔から飛ばす眼光はなかなかの鋭さがある。

「左馬頭様の上洛で、南近江六角が織田に反抗の構えのようで」

 おれはかくかくしかじか状況を教えると、シンパチオッサンはかしこまったと頭を下げてき、沓掛勢の足軽ものどもに伝える、出立は明後日の明朝と勝手に決めてくれ、広間から下がっていった。

 伝えるだけ伝えると、あとは何もやることはない。

 稲葉山攻め以来の出陣だが、すっかりマリオシステムが構築されている。おそらく政務のほうもマリオがシステム化しているのだろう。おれはほぼお飾り同然となってしまっている。

 沓掛のあれこれを差配するのは面倒だし、おこづかいも毎年百貫文と、去年から太郎には内緒で金銀五十貫文分付け足してもらったので文句は特にないが、やはりこういう武将をしているときにお飾り同然を感じてしまうと、なんだか癪だ。

 サンザに怒られたしな。家臣を雇えって。

 沓掛勢の足軽から誰か取り立ててやるかと思いながら寝床につき、翌日、いくさ支度のために城内で兵糧の配給をしている沓掛勢の連中に挨拶がてら、誰か取り立てられるような奴はいないかと顔を見ていった。

 足軽どもに冗談を飛ばされたり冗談を飛ばしながら面々に声をかけていっていると、おれと目が合って、無言で目礼してきた若者の姿があった。明智庄の女子供を避難させたときにどっかのクソバカ野郎と一緒に護衛組をやらせたサイゾーだった。

 無口で愛想のない男だが、とやかくやかましい太郎にうんざりしているおれは、サイゾがいいと思って、一度、本丸館に引っ込んだ。

 昼メシを食ったあと、足軽スラム街のサイゾーの長屋を訪ね、おれが現れると草鞋の手入れをしていたサイゾーは即座に平伏してきた。

 うむ。感心できる若者である。

「サイゾー、実は話があるんだが」

「はい」

 おれはまるで清洲時代のボロ家のような狭苦しくて汚い居土間の上がりかまちに腰を掛け、手ぬぐいで額の汗を吹きながら話した。

「実はサイゾーをおれの家臣にしたいと思ってさ。今でも俸禄はおれからだから家臣には代わりないだろうけど、沓掛から離れてさ、おれと一緒に行動してほしいんだ」

「ま、まことでございますか」

 サイゾーの驚いた顔は初めてだったので、おれもちょっと驚いた。素顔は、若者というよりも、まだ幼さの残る少年だった。

 しかし、驚いたあと、サイゾーはすぐに眉をすぼめ、視線を落としてしまう。

「どうした。嫌なの?」

「いえ。とんでもございません。ありがたく存じあげてますが、ただ――」

「ただ?」

「まだ、組頭にも誰にも話してはいないんですが、近々、お暇を頂戴しようかと考えておりまして」

「えっ、なんで」

「実は、可児の母親が病に伏せておりまして、看病している者はおるのですが」

「そうか。それなら仕方ないな。お母さんじゃな」

「せっかくのお言葉を頂戴いたしましたのにまことに申し訳ございませぬ」

 サイゾーは両手をついて深々と頭を下げてくる。

「次のいくさでは殿からの御恩をお返しするものとして、必ずや首級を取ってまいります」

「いや、そんな、いいんだよ。鼻息荒くして死んだら元も子もないじゃねえか。むしろ、もう可児に戻ったっていいんだぞ。お母さんが心配なんだろ」

「いえっ。このいくさだけは必ずやっ」

「そうか。まあ、お前がそう言うんなら。でも、お母さんが元気になったらいつでも沓掛に来ていいんだからな」

「ありがたき幸せっ」

 長屋をあとにしたおれはそのまま沓掛城下をぶらぶらと歩きながらも溜め息をつく。

 サルが半兵衛が欲しいって言って泣きついてきた気持ちがわからないでもない。優秀なやつほどそれなりの事情があって、なかなか難しいもんだ。


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