梓殿、大好きです
マタザの大立ち回りを聞いたのか、それとも最初から来てくれる予定でいたのか、おれの屋敷の広間にはたくさんの人が集まっていた。入りきれなくて縁側にまで銚子を持ちだしていたぐらいだった。
マリオの顔もいつのまにやらあったし、インチキ太田も酒を飲み飲み熱心にうわさ話を収集して筆で書き留めていた。小一郎も憑き物が落ちたかのように酒をすすっており、茂助もいた、それにサルも……。
祝言というものがどういうものなのかおれは知らないが、おそらく、こういうものではないだろう。皆が顔を赤らめてどんちゃん騒ぎをしている。
仲人役と言っておきながらまったくその役目を務めていると思えない民部ジジイは寧々さんやおまつを呼び止めて酒をすすめており、朝からずっと酒を食らっているサンザは何やらマリオに説教を垂らしており、マリオはうつむきがちにはいはいとうなずいているだけ、蜂須賀と小一郎が太郎に絡んでいて、酒なんて飲み慣れていない太郎は顔を真っ赤にして頭を揺らし、逃亡していたくせに詫びの一つもないお調子者のサルは茂助に笛を吹かせて踊っている始末、ハットリ君や八っちゃんが手を叩いて囃し立てている。
もっとも、重臣与力小者の垣根を越えて酒を酌み交わす機会だなんてないのかもしれず、それだから余計に皆ははしゃいでいるのだろう。
むしろ、お堅くかしこまっているよりは、そちらのほうがいい。
それにしたって、おれは懐にしまいこんでいる朱印状になんとも言えない感情を持つのだった。
信長の野郎、もしかしたら仕込んだのかもしれない。
マタザに朱印状を渡したあと、岐阜に戻ってきた半兵衛をもう一度わざと岐阜から離したのかもしれない。
もしかたら半兵衛だって加担したかもしれない。
サルにも知らせず、こうなることをわかっていて。
そっちのほうがおもしろいから。
俺にも一枚噛ませろとでも言わんばかりに。
けらけら笑いながら。
チェッ。人の悪い親分だ。
さだめし吉乃さんも呆れているだろうに。
そういえば信長に生駒屋敷に呼び立てられたときもこんなどんちゃん騒ぎだった――。
マタザが庭に現れて、歓声が上がった。
マタザに引き連れられてきた柴田家の奉公人が庭に荷駄を下ろしていき、そうして、ねじり鉢巻きが口輪を取るクリツナ(仮)に片腰で跨ったあずにゃんが登場した。
かたむきかけた柔らかい日差しが淡い橙色になって白無垢の打ち掛けに溶け落ちている。
綿帽子を被って顔を伏せぎみにしつつ、奉公人たちに手を引き取られてクリツナ(仮)から下りてくる。
そうして民部ジジイが「やあやあ、皆の者、場を開けんか」と、バカ騒ぎしていた連中を端に寄せていき、寧々さんやあいりんが膳を整えていく。
おまつに手を取られ、ゆっくりと縁側に上がってきたあずにゃんは、打ち掛けの裾をしずしずと擦らせながら敷居の前まで来ると、その場に指をついて頭を深々と下げてきた。
「梓でございます。ふつつか者ではございますが、よろしくお願いいたします」
濡れるような声はしっとりと響いてき、誰の顔にも笑みがほころんでいる中で、おれはうなずいた。
『と、殿』
太郎がおれを呼びかけてきた。というのも、あずにゃんがそこに立ち止まり、おれを見つめてきているからだった。
おれの唇は小刻みに震えていた。唇が震えているから吐息も震えた。あずにゃんに再会できて嬉しいというよりか、おれはかなりビビった。
プロポーズすんのか、マジで……。
いや、するだろ。
おれは約束したんだ。手柄を立てたらお礼を言いに行くって。
実際、手柄を立てたのだし、あずにゃんがいなかったらおれはあそこまでやれなかった。今川治部に殺されていたかもしれないし、むしろ、その前の武将にでさえやられていたかもしれない。
おれはあずにゃんがいたからやれたんだ。
とりあえずは、まあ、おれはあずにゃんに向けてちょこっと頭を下げた。
すると、無言のままにおれを見つめてきていたあずにゃんだったが、おれが頭を下げてきたのを受けて、にっこりと笑った。
隣のお貞はおれを見やり、あずにゃんを見やり、しょうがないものだとでも言いたげに溜め息をついている。
そして、あずにゃんは吸い込まれるようにしておれに歩み寄ってくる。
『出世したようじゃな?』
『は、はいっ』
太郎がシラーッとした目でおれを見上げてくる。
その目はやめろ、と、ゲンコツを落としたかったが、おれの前で立ち止ままったあずにゃんが、微笑みのままにおれの右手を取り、二重まぶたの目許にゆるやかな潤いをたたえながらおれを見つめてきた。
『勲功第一とは』
おれはごくりと生唾を飲み込んでしまう。気が動転してしまう。あずにゃんの左手の指先からおれの指先へ、あずにゃんの優しさが染み入ってきて、おれはものすごく熱くなってしまう。
『あ、あ、はいっ。こ、これも、梓殿の、梓殿のおかげで――』
『わらわのおかげ? そんなことない。そなたの勇ましさゆえじゃないか』
あずにゃんが瞳から寄せてくる眼差しはおれの言葉を待っているかのようなときめきだった。
おれは恥ずかしくなって視線を伏せてしまう。
なんだかおかしい。おれの知っているあずにゃんでないような気がする。その声も、おじゃる言葉も、間違いなくあずにゃんなのだが、言葉の端々にはものすごい慈しみと、聞いているだけでも癒やされていくようないとしさがあった。
『わらわはそなたなんぞになんら貸しなど与えておらん』
『い、いやっ、そのっ――』
『なんじゃ?』
『いや、あの、あっしは、その桶狭間で、その』
『おやかた様に進言した。そうなんじゃろう?』
『い、いやっ、それはそうなんスけど、あの、あっしはその、今まではいくさとかしたくないなって考えだったんスけど、桶狭間では今川治部の首を取って手柄を上げたいってなって、それで、なんとか治部の前まで行って、ま、まあ、あっし自身で首を討ち取ることはできなかったんスけど、でも、その、そこまでやれたのは梓殿が、その、手柄を取ったら礼を聞いてやるって言ってくれて、その、あっしが手柄を取るのを待っているって言ってくれたんで、あっしは、その梓殿にお世話になりましたし――』
『何を言っておるんじゃ、そなたは』
『え?』
『そんなことは聞きたくない』
『え、いや――』
『わらわはそなたの本当の気持ちが知りたいのじゃ』
『えっ――』
『言ってくれんと、わらわも言わん。言っておくれ、牛殿』
あずにゃんは空いている右手を伸ばしてくると、おれの頬を優しく撫でてきた。
『好いていると言っておくれ』
ほっぺたがくすぐったくて瞼をゆっくりと開けていくと、あずにゃんがおれを膝枕していた。
おれは訳がわからなくなって体を起こす。
辺りを見回せば、燭台の火にぼんやりと明るんだおれの居室だった。
おれは目を丸めてあずにゃんを見つめる。
あずにゃんは桃色地に牡丹の花柄の打ち掛けを羽織っていた。
瞼を細めながら柔らかく口許を緩める。
「ずいぶんと飲まされてしまったな。気分は悪くないのか?」
「は、はい……」
おれが目を点にしていると、あずにゃんは目を丸めて首をかしげた。
そうして、ようやく、夢と現実とのまどろみから醒めていき、そうだ、今日は結婚式だったのだ。
マタザやサンザにしこたま酒を飲まされて、サルやインチキ太田が勝手に風呂を沸かし始め、おれは新郎だってのにふんどし一丁のバカどもに風呂釜に頭を突っ込まされたり、冷や水をぶっ掛けられたりされた。
たまらず居室に逃げこんできたのだった。
「み、みなさんは」
「帰ったぞ。しかし、広間は散らかし放題じゃ。明日は皆で掃除をせんと」
「そ、そうスか。すいません。なんかバカどもが騒いでいて」
「ほんとじゃ。わらわの嫁入りがこんな騒ぎだとは信じられん」
あずにゃんは唇を尖らせて、おれを睨んでくる。
でも、すぐに笑った。
「嘘じゃ。楽しかった。わらわはつくづく思った。そなたの嫁になれて良かったと。又左や藤吉郎だけではなく、森殿や丹羽殿まで。そなたが皆に慕われていて、わらわは誇らしい」
打ち掛けに施されている牡丹の花のようにしてあずにゃんは笑っていたのだけれど、おれには後ろめたさもあったのだった。
あずにゃんと向い合って正座をしているおれは、ちんまりとうつむく。
「すいません。梓殿。あっし、実は――」
「迎え役を用意できなかったのであろう?」
「は、はい」
「でも、よいではないか。又左とおやかた様が取り計らってくれたではないか」
「いや、でも、あっしは言われたんス。ゴンロク殿に。梓殿は大事に育ててきた娘だって。お前はそれを迎え入れられるだけの男かって。それを言われたら、あっしはなんとも言い返せなくて。申し訳ないッス。でも、あっし、これからはそう言われないようにするんで」
「亭主殿」
おれが顔を上げると、あずにゃんは澄み渡った顔でおれを望んできていた。
「ぎゅってしておくれ」
「え、いや、でも」
「しておくれ」
おれはぎこちなくうなずくと、そろそろと両手を伸ばしていって、あずにゃんの華奢であでやかな肩に腕を回すと、寄り添うようにして胸を寄せ、小さな体をぎゅっと抱きしめた。
あずにゃんは甘えるようにしておれの胸を頬で撫でてくる。
「今日な、栗綱に跨ったぞ。おとなしくて賢い馬じゃった」
「あ、ありがとうございます」
あずにゃんは、ふふ、と、笑った。
「綱鎧の簗田の栗毛馬で栗綱だと鉢巻き殿が申しておった。良い名じゃ」
「ほ、ほんとッスか? 栗綱っていい名前ッスか?」
「うん」
「でも、綱鎧だなんて」
するとあずにゃんはもぞもぞと腕の中から頭を出してきて、おれの唇に唇をほんのわずかの間だけ重ねてきた。
ぼうっとしているおれに赤らめた顔を見せてきたあずにゃんは、照れ隠しのようにしておれの首に腕を回してきて、顔を肩に埋めてしまう。
「そなたは自分が思っているほど滑稽な男ではないぞ。たとえ滑稽だったとしても、わらわはそんなそなたが愛おしい」
ああ――。
夢じゃない。
あずにゃんの思いがあずにゃんの体温とともに流れてくる。
何も約束なんてされていなかった。この可愛い人を奥さんにすることなんてまったくたやすくなかった。
何がどうなってこうなったんだが、よくわからん。
でも、もしも最初からこうなっていたら、おれはここまでこの人を好きじゃなかったかもしれない。
梓殿、ありがとう。
梓殿、大好きです。
おれはあずにゃんの肩をそっと離していき、おれだけを見つめてくるあずにゃんの瞳を胸いっぱいの思いを注ぎ込むようにして見つめた。
「梓殿、好きです。愛してます。ずっと好きです」
あずにゃんの瞳がおれの瞳に飲み込まれていく。
おれの瞳もあずにゃんの瞳に飲み込まれていく。
あずにゃんの唇がそっとわずかに開いて、おれはゆっくりと唇を寄せていった。
あとは、瞼を閉じて、ただただ力強く抱き寄せ合いながら、同じ思いの中に浸っていった。




