迎え役
春の日差しはうららに降り注ぐというのに、我が家の庭は殺風景である。クリツナ(仮)が寝そべり、あいりんとシロジロがそれぞれ洗濯桶に屈んでいるだけで、重臣連中の屋敷の庭のように蕾がほころんでいない。
それは致し方ないことだ。
この屋敷に居着いたのは去年の晩秋ごろであり、重臣連中のように奥様方がいたわけでもない。あいりんが来るまでは男三人のむさ苦しい屋敷だった。
もうすぐ奥さんが来るってのに味気ない庭だ。
とはいえ、どっかから植木を引っ張ってきても、それがおれの愛する奥さんの好きな花だとは限らねえ。
もっとも、そういうのは奥さんがやってくれるからいいだろう。
おれの奥さんね。
うん……。
おれの嫁かな。
うん。なんていい響きだろう。おれの嫁の梓。
くうっ。たまらん。
ああ、待ち遠しい。梓様。早く来ないかなおれの嫁。
あずにゃんがおれの屋敷に遊びに来てくれないかぎりは、おれは祝言まであずにゃんにお預けである。ゴンロクの屋敷に行ってしまえばゴリラがいるわけだし。
それでもこの思いは押さえられない。早く会いたいのです。伝えたいのです。おれがあなたを大好きだということを。
そして伝えてほしいのです。あなたがおれを大好きだということを。
なので、手紙に挑戦してみる。
拝啓 梓殿
あれから七日目、
ずうずうしくも筆を取らせてもらいました。
さきほど思ったのですが、我が家は男ばかりなので、
大した植木がございません。
好きなお花はなんですか。
きかせてもらえたら嬉しいです。
敬具 政綱
日が暮れるまで机の前で悩みに悩んで書き上げたおれの最高傑作は、あいりんに託した。柴田家のお貞ババアに梓殿宛てだと言って届けてくれと。
十七歳のおにゃの子のあいりんは目をきらきらとさせておれを眺めてき、おれは手を振って笑う。
「いやいや、そういうのじゃないから。勘弁してよ、あいりん」
「すぐに届けてきます」
あいりんはなんだか我がごとのように喜びながら縁側を小走りに駆けていった。
あいりんも嬉しいのか。
そうだな。男ばかりの家にようやく女の人が来るんだもんな。さしずめあずにゃんはあいりんのお姉さんっていったところかな。そういえばババアも来るんだった。あのババアにはでかいツラをさせねえようにしねえと。
それにしたって、あずにゃんは気付いてくれるかな。おれの渾身の縦読みならぬ横読みに。
気付いてくれたら、なんて返答してくれるかな。
わらわも大好き、だなんて。
「旦那様、そんなところで突っ立って何をやってんスか」
びくっとして肩を跳ね上げたら、シロジロが玄関のほうから縁側をやって来ていた。
「お客様ッス。吉田伊介と名乗る人ッス」
「ああそう。広間に通してくれ」
おれは広間に腰を下ろしたが、吉田イスケだなんて聞いたこともねえ。
どこの百姓侍だろう。
ナントカノカミとかナントカノダユウじゃない名前からしてザコっぽいが、DQNだったらまずいので、おれは床の間を背中にしているのをやめて、床の間を左手にして座り直す。
「お初にお目にかかります。吉田伊介です」
おれよりわずかに年下ぐらいのイスケとやらは小袖に袴姿のちゃんとした武将であった。一振りずつ差していた太刀と脇差しを鞘ごと抜き取る。傍らに置きながらおれの向かいにあぐらをかいて座る。
背すじをきちんと伸ばして胸を張り上げ、握りこぶしを膝の外に突き出しながら、わずかに目礼してくる。
おれもちょこっと頭を下げる。
てか、誰かに似ているような気がするんだが……。
「突如押しかけてしまい申し訳ございませぬ。拙者は梓の甥でございまして、梓の姉――、拙者が母が簗田殿に確認せよとのことで」
誰かに似ているっていうのは、目許がなんとなくあずにゃんに似ていたのである。大きくも小さくもない黒目がちの二重まぶたである。
もっとも、姿勢を正しているくせにおれを真っ直ぐに見つめてこない。視線をずっとおれの手前に伏せているあたりにどこかしら気弱さがうかがえる。
イスケは姿勢を崩さず、視線を変えず、ロボットのように喋るわけだった。
「簗田殿と柴田の家の梓の祝言について、迎え役はご用意されているのかと」
「迎え役――」
おれは腰を上げ、敷居をまたぎながら「白湯はまだか」「白湯はまだか」と怒鳴り立てながらお勝手場のほうに歩いていき、シロジロがお盆の上に運んで出てきたところをせき止めた。
小声で訊ねる。
「おい。迎え役ってなんだ」
「へ? 祝言のッスか?」
「そうだ。なんか、あいつが言っているんだが、なんなんだ」
「お嫁さんを迎えに行く人ッス」
「あ。そういうこと。おれって言えばいいんだよな?」
「いやっ、旦那様はお婿さんなんで、ここで待っているッス」
「じゃあ、太郎が行けばいいのか?」
「いや、それはまずいんじゃないんスか。若君は若君じゃないッスか。お婿さんの息子がお迎えに行くだなんておかしな話じゃないッスか」
「じゃあ、お前とか鉢巻きが行けばいいのか?」
「そういうわけにはいかないかと。あっしや栗之介殿は小者なんで」
ということは、誰もいないということになる。
……。
おれは広間に戻り、イスケの向かいに座ると、シロジロが白湯を差し出すさなかでも姿勢を崩さないで背すじを伸ばしているイスケをじろじろと眺めた。
シロジロが出ていくと、イスケは頭を下げて湯のみ茶碗を手に取る。
「迎え役が誰なのか知りたいだなんてどうしてッスかねえ」
「えっ」
と、イスケはおれを初めてチラ見した。ごまかすようにしてずずっと白湯をすする。
「迎え役が用意できなかったらどうなるかってことッスよねえ」
イスケは再度チラ見してき、
「実は――」
と、白状した。
イスケのお母さん、つまりゴンロクやあずにゃんのお姉さんは末妹のあずにゃんをようやくお嫁に出せる、よかったよかったと喜んでいるそうで、また他にも二人、お姉さんがいるらしく、姉妹揃ってよかったよかったと安堵していたのだが、
しかし、弟の権六殿は簗田殿をあまり好いておらんそうじゃ。
つい先日も権六殿は簗田殿に無体を働き梓を怒らせたみたいですわ。
あの権六殿が黙って引き下がっておられるんでしょうかね。
ということでお姉さま方々がゴンロクの身辺を探ったところ、あのバカは自分の与力に「野良牛を義弟になどせぬ」と漏らしていたらしい。
よくよく思えばあやつは小者しか配下にしておらんかった。与力もおらん。迎え役を用意できずに野良牛自身がのこのことやって来るに違いない。
ということで、迎え役うんぬんで難癖つけるつもりでいるらしく、おれを追い払い、信長にもそれが理由で嫁がせられぬと訴える計画らしい。
イスケはすっかり姿勢も柔らかくして言う。
「叔父御はなかなか考えを曲げない性格なので。拙者の母や叔母たちはせっかく梓を嫁に出せるというのに叔父御がそれではたまらんということで、簗田殿に知らせなさいと」
あの野郎……。
どこまで陰険を貫き通すつもりなんだ、クソが……。
「わざわざありがとうございます。お母上にもよろしくお伝えください。恥ずかしながら、なんとか致しますので」
「こちらこそ、よろしくお願いいたします」
イスケは丁寧に頭を下げ、広間をあとにしていった。
おれの何が気に食わねえのか知らねえが、何よりも許せねえのはゴンロクの野郎はマイリトルラバーの幸せなんかちっとも考えていねえことだ。
だったら、テメーは今まで何をしていやがったんだって話だ。
あれから八年。
あずにゃんがデザイアだから嫁入り先が見つからなかっただと?
テメーの器量不足なんじゃねえのか?
なんであんな奴が織田の重臣なんだろう。
もっとも、怒り狂っていたって何も始まらない。
ゴンロクがそういうせせこましい陰謀をくわだてている以上、デザイアウェポンを差し向けてもゴンロクは首を縦に振らないわけだ。
翌日、おれは困ったときの神頼みでサンザの屋敷にやって来た。
かくかくしかじか、ゴンロクのバカがくだらねえことを言い出していることを伝える。
「サンザ殿から叱ってやってくんねえッスかね」
「たわけっ! 何を申しておるんだっ!」
雷を落とされて、おれは首を垂らす。
サンザは腕を組みながら説教を始めた。
「そもそも、沓掛三千貫という所領主でありながらお主が吝嗇しているからだろうが。俸禄を支払いたくないがために家臣の一人も雇っていないのではないか」
「そ、そ、そんなことないッスよっ。だって、この前までだって雇ってましたしっ」
「藤吉郎の下に移ったという者か。それでもたった一人とはいかがなものか。せめて三人ほどは従えたらどうなのか。ゆえにいつまでも丹羽五郎左に頼りっぱなしなのではないのか。藤吉郎のやり方というのはあまり好かんが、その辺は見習ってもよいのではないか。人を動かせねば、上には行けんぞ」
ぐちぐちうるせえな。サンザが手下を一人分けてくれればいいだけじゃねえか。
「家臣を貸してくれればいいじゃないかとでも思っているのだろう」
「い、いえっ」
「そうしてやりたいのは山々だがな、そういうわけにもいかん。権六が難癖をつけてくるのは当初から目に見えていたことなのだ」
「だからってあんまりじゃないですか」
「いいか、牛殿。おやかた様はその辺を見ているのだからな。言っている意味がわかるか?」
「いえ」
「梓をお主に嫁がせようと言い出したとき、おやかた様はこれは大変なことになったと愉快に笑っていたのだがな、それはな、権六が難癖を付けるのを承知されていたからだ。牛殿がそれをどうやって克服するか楽しみにされているのだ。おやかた様は牛殿の真価を試されておるのだぞ」
「そんなこと言ったって……」
「わしが手を貸したところでお主のためにならん。一件落着しても、おやかた様の心象にはよく映らん。自分自身でなんとかせい」
おれは溜め息をついた。自分自身でなんともできなさそうだからこうしているってのに。
「それより、お主。ずいぶんと必死だが、梓でよろしいのか。そのまま迎え役を用意できなければ権六とは痛み分けだぞ」
「い、いや、そういうわけにもいかないッス。あっしは梓殿がいいんで」
「惚れているからか」
「そ、そ、そ、そんなとこッス」
「そうか。わしは別段梓でなくてもよろしいとは思うのだがな。実はおやかた様に言い出したのはわしなのだ。お主に嫁を娶らせてやってくれと」
「そ、そうなんスか」
「まさかおやかた様が梓と言うとは思わなく、拙者は心苦しかったのだが」
「じゃ、じゃあ、家臣を貸して――」
「それとこれとは違う。よいか、これはお主のために申しておるんだぞ。わしが手を貸したところで、おもしろがっているおやかた様のご機嫌に水を差すだけぞ」
「おもしろがっているって、だって、見世物じゃねえんですし」
「見世物よ。我らは命を張っておやかた様に見世物している者たちよ。織田とはそういうところなのだ」
まあ、そう言われると納得できなくもない。
「仕方ない。お主にいいものをくれてやる」
「えっ?」
サンザはそう言って広間を出ていき、何をくれるのだろう、陰険ゴンロクをぶった斬るための秘策かなと期待して待っていると、持ってきたのはクソみたいな掛け軸だった。
漢字が並んでいるだけの箸にも棒にもかからない掛け軸。
「陽気の発するところ金石もよく透す。精神一到何事か成らざらん。わかったな、牛殿」
「はい……」
何を言っているんだか意味不明である。
おれはゴミ同然の掛け軸を片手に我が家に帰る。
ふと思いついて踵を返した。
マリオの屋敷に押しかけると、マリオはいた。
「深刻な顔をしてどうされた」
「実は――」
かくかくしかじかゴンロクに邪魔されていることを話した。
沓掛城に自分の手下を派遣しているマリオだ。マリオが手下を貸してくれないはずがない。どうしてサンザのところに行ってしまったんだろう。最初からマリオのところに来れば良かったのだ。
しかし、おれが話しているうちにマリオは腕組みをしてうつむいていき、話を終えてもブラシ髭の下の唇をしばらくむっと閉ざしていた。
そうして、つぶやいた。
「それは難しい話だな……」
「えっ? い、いやっ、ど、どうしてッスかっ」
「うーん」
マリオは話から逃れるようにして白湯をずずっとすする。おれは前のめりになってマリオの顔を覗き込む。マリオは目を泳がせながら視線を逸らしてしまう。
「いやっ、だって、ゴロザ殿は沓掛に種橋さんとか与力の人とか置いてくれているじゃないッスか。そんなの一日だけッスよ。いいじゃないッスか」
「思うのだが、それでよろしいのではないか?」
「えっ?」
「大きな声では言えんがな、まあ、おやかた様の下知とはいえ、行き遅れの娘、ましてやじゃじゃ馬で知れた者などを嫁に娶るのであれば、むしろ、柴田殿の策に乗ってしまえばいいのではないのか。なんなら、拙者が良縁を探してもよいのだぞ?」
「そ、そんな、今までそんなことしてくんなかったのに、な、なんなんスか」
「すまん。拙者もいろいろと忙しくてそこまで気づかなんだ。どうであろう、拙者に仕えている者の娘に気立ての良さそうなおなごが一人おるのだが。まあ、未亡人なのだがな……。気立てはよいのだぞ。うむ。あのおなごは簗田殿のためになる」
まさか、この野郎……。
「いえ、大丈夫です。すいませんでした」
マリオの屋敷をあとにし、おれは怒りを噛み殺しながら家路を辿る。
どうしてマリオが非協力的なのか。
それは太郎が簗田家の後継者でなくなってしまうのを案じたからだ。
なおかつ、マリオが紹介してくれる女ってのは未亡人だと言っていた。さだめし子供の出来なかった女に違いねえ。
子供ができようとできまいとどうでもいいし、例えあずにゃんとの間に子供が出来ても太郎はれっきとした簗田家の嫡男だ。
おれはそんなせせこましいオヤジじゃねえ。
ふざけやがって。
実はゴロザってゴンロクよりもタチが悪いんじゃねえのか。
そうだな、ゴとロが付く人間は信用しちゃならねえ。ゴロが良くても小悪党しかいねえ。
我が家に帰ってきて、おれは広間に突っ伏してしまう。
こうなったらマタザかサルに頼むしかない。
あの二人にはあまり頼みたくない――、特にサルには借りを作りたくないが、背に腹は代えられない。
こうなったら苦渋の決断であの裏切り者を。
いや、駄目だ。それじゃおれはなんだかイエモンに負けた気がする。あいつの力なんか絶対に借りたくねえ。
「父上。そこで何をされているんですか」
「ああ、ちょっと疲れちゃってな」
おれは体を起こし、サンザから押し付けられた掛け軸を太郎に渡す。そこの床の間にでも飾っといてくれと。
迎え役で揉め事が起きているのは太郎には伝えないでいる。
テメエの結婚で息子に相談するバカにはなりたくねえから。
「どうされたのですか、これは」
「森サンザ殿から貰ってきた。なんだか知らねえけどくれたんだ」
「えっ、森様からっ」
太郎は掛け軸を広げた。
「それって、難しくよくわからねえんだけど、どういう意味なの?」
「太陽の光が金や石を貫くように、精神を一つにすれば何事も成し遂げられる、という意です」
「ああ、そう」
くだらねえ。
「旦那様」
あいりんがにこにこと笑いながら敷居の向こうから呼んでくる。まさかと思って駆け寄ると、そのまさかだった。
「梓様からです」
しいっ、と、人差し指を立てながら広間に振り向くと、太郎は掛け軸を床の間に掲げながらもシラーッとした目を向けてくる。
「なんだよ。べつにいいだろ。奥さんなんだから」
「何がですか。拙者は何も申しておりませんが」
クソガキは放っておいておれは手紙を抱き寄せながら居室に閉じこもる。はやる気持ちをおさえて机の前に正座し、あずにゃん直筆のふわふわとした紙を机の上に広げる。
なんだか小難しいことが書いてあったが、太郎のスパルタ教育を受けてトンデモ時代の読み書きもできているおれからすると要はこうだった。
牛様
お手紙ありがとう。
あなた様から頂戴して私は大変に驚いております。
しかし、とても嬉しいですのよ。
あなた様は女のような筆使いなのですね。まことにあなた様が書かれたのですか。
くれぐれも家の皆様には見せないでくださいね。
私の好きな花は百日紅です。
植木にしていただけたなら、日がな一日、あなた様と共に眺めていたいです。
あなた様はどの花がお好きですか。
梓
どうやらマイリトルラバーは横読みに気づいていないようだが、それでもいい。
梓って、なんて素敵な女性なんだろう……。
おれは幸せだ……。
……。
これは是が非でも結婚しなくちゃならねえ。
小悪党どもの勝手な都合で、おれのあずにゃんを悲しませるわけにはいかねえんだ。
マタザの屋敷はすぐ近くである。マタザが出仕する前の早朝を狙ってやって来る。
が、門前に立ったところ、屋敷の中からガキが喚き散らす声が聞こえてきたので踵を返し我が家に戻った。
悪ガキどもに牛乗りされるのは御免だ。
サルに頼めばいいだけの話だ。
あいつのことだから朝っぱらからでもいない可能性が高い。サルの屋敷も目と鼻の先なので夕飯ついでに押しかけてやるとして、あずにゃんの好きな花を植樹しなくてはならない。
庭先でシロジロと一緒になって洗濯しているあいりんに訊ねる。
「あいりん。ひゃくにちこうってお花は知っているかい?」
「百日紅のことですか?」
「ハハ。そうそうそれそれ。今のは冗談で言ったんだからね」
夏になって色濃い桃色の花をたくさん咲かせるそうだった。
そんな派手な花が好きだなんてマイリトルラバーらしいな。
でも、それなりに背高の木だと教えられる。
「どのぐらいで成長するの」
「うーん。どうでしょう」
「それなりに時間はかかるッスよ。植えるんスか?」
シロジロには誰も話を訊いちゃいないのでおれは無視する。
そもそも、この夏までに植木しておかないと意味がない。奥さんに百日紅の庭をプレゼントするのである。
ふいと馬屋のある裏庭からねじり鉢巻きが顔を覗かせてきた。
「百日紅なら沓掛城にあるぞ」
「なんだ。そうか。じゃあ、沓掛勢に引っこ抜かせてここまで持ってこさせよう。おい、鉢巻き。クリツナ(仮)に乗って沓掛に行ってこい」
「は? なんだよ急に」
「いいから行け。帰ってくるときは沓掛の連中と一緒に来いよな。百日紅の木と一緒にな。祝言の日までには必ずだぞ! そうだ。ついでにクリツナ(仮)の弟も連れてくればいいじゃねえか」
おれは庭先から縁側に上がり、掛け軸のかかった床の間を眺める。
――陽気発所金石亦透 精神一到何事不成
お堅いんだよ……。
こんなのじゃなくて、奥さんが来るんだから花でも活けてくれねえかな。
あいりんに頼もうと思って振り返ったら、三人は何やら顔を寄せてひそひそと囁いていた。
どうしたんスかね急に。植木なんか今まで一言もなかったのに。
きっと梓様に百日紅の花が好きだと聞いたんですよ。祝言の日までにだなんておっしゃってましたから。
これだから旦那は。気まぐれっていうかよ。振り回されるこっちの身も考えろって話だ。
「おいっ! 何をひそひそ話してんだっ!」
ささっと逃げ出していき、おれは舌打ちついて居室に戻ると、あずにゃんに送る手紙の内容を考えた。
日暮れになり、今晩はおれの分のメシは用意しなくてもいいとあいりんに伝え、サルの屋敷を訪ねる。
女中が出てきたので寧々さんを呼んできてもらい、
「どうされたのですか」
「夕飯を食べさせてもらってもいいッスかね」
「構いませんけど、太郎さんと喧嘩されたの?」
「いや、そういうのじゃないんスけどね」
客間に通された。
寝っ転がっていると戸がわずかに開き、隙間からサルが覗いてくるので右手をかかげた。
「あ、どうもッス。藤吉郎殿、一緒にメシでもどうッスか」
サルは戸を開け、しかめっ面で客間に入ってき、腰を下ろす。
「なんだぎゃ、ここはおみゃあの家じゃにゃあだぎゃ。図々しい。どうせ、おみゃあのことだからメシが目的じゃにゃあだろ」
「たまにはいいじゃないッスか。藤吉郎殿だって図々しくあっしんところのメシを食いに来てんだから」
寧々さんと女中が膳を運んでき、おれとサルの前にそれぞれ置いていったのだが、サルが寧々さんを呼び止める。
「おみゃあ、ちょっと付き合えだぎゃ。牛殿が妙なことを言うつもりだから、おりゃあがやり込められんようにここにいろだぎゃ」
「べつにお前様じゃないんですし。牛殿は無理難題は持ちかけてこないでしょう」
「いんや、そういう顔をしているだぎゃ」
「牛殿、何かありますの?」
「まあ、実は――」
おれはかくかくしかじか、木下家のメシを箸でつまみつつ、ゴンロクの野郎が騒いでいるからサルが迎え役をやってくれと頼んだ。
「そんなのできんだぎゃ」
「なんでッスか」
「そうですよ。梓様をお迎えに上がるぐらいのことではありませんか」
大根とごぼうの煮物を汁まですすったサルは、あからさまにぺちゃぺちゃと舌を鳴らしながら、しかめっ面のくっだらない顔つきでいた。
「おみゃあとおりゃあは特に柴田様に嫌われているだぎゃ。おりゃあなんかが行ってみろ。こんなサルに迎え役が務まるか、なんて騒ぎ立てるに決まっているだぎゃ」
「そんなの。だって、藤吉郎殿は足軽大将なんだから、おやかた様が黙っちゃいないッスよ」
「いんや。おりゃあはなんかしら難癖つけると思うんだぎゃあけどな。おりゃあは直臣だからと言って。どうしておやかた様の直臣が牛の家臣なのだって言いそうじゃにゃあかえ」
「うーん。確かに言いそう」
「ほんだから、おりゃあは無理だぎゃ」
「じゃあ、誰か手下を貸してくださいよ」
「伊右衛門かえ?」
「バカにしてんスか。そんなのこっちから願い下げッスよ。小一郎とか、茂助とか、いっぱいいるじゃないッスか」
サルは、ハア、と、大きな溜め息をついた。
「なんスか、それ。ちょっと考えてくださいよ。あっしは藤吉郎殿にだいぶ貸しを作ってますよ」
「口を開けば貸しだ借りだとおみゃあはすぐにそれだぎゃあな」
サルは歯櫛でしーしーと歯を削り始め、おれをおちょくっているとしか思えん。
「お前様、何をそんなに出し惜しみしているのです。牛殿のおっしゃるとおりではありませんか」
「おみゃあは黙っとりゃれえ!」
「お前様がここにいろって申したんでしょうにっ! なんなのですかっ! それならわたくしから小一郎さんにお願い申しあげますよっ」
「小一郎なんか駄目だぎゃ。おりゃあの弟なんだから。小者小者って言われるのが落ちだぎゃあろ」
「そんなことを言ったら牛殿はお迎えできませんじゃありませんか。お前様が伊右衛門殿を引き抜いてしまったからこうなっているんではありませんか」
「伊右衛門の野郎が勝手におりゃあのところに来ただけだぎゃ」
「何をおっしゃっておるのですかっ! 勝手に来たからと言って何もかも伊右衛門殿のせいにするんですかっ! 牛殿には迷惑ばっかりお掛けしてっ! そんなことをしていたらお前様には誰も付いてこなくなりますよっ!」
「キイキイうるっさあにゃあ。おみゃあはおりゃあの母上かえ」
「牛殿。こんな人は放っておいて、わたくしの妹の婿殿でよろしいでしょう。ね? この人の家来ですから。わたくしから申しておきますから」
「だから言っとるだぎゃろうが。小者だって言われておしまいだぎゃ。ましてや弥兵衛みたいな若僧。おみゃあはちょっと黙っとりゃれえ、おりゃあは考えておるんだぎゃあから」
寧々さんは口をつぐんでサルを睨みつける。
サルは歯櫛でしーしーと歯を削っているばかりで、どう見ても考えているようには見えない。
おれは舌打ちした。
残っていた大根の煮付けを口に運び、あからさまにくちゃくちゃと音を鳴らすと、溜め息をつきながら箸を置いた。
「もういいッスよ。藤吉郎殿なんか当てにしたあっしが間違ってましたよ。もういいッス。他を当たりますよ」
「半兵衛はどうかえ」
と、サルは言った。歯櫛を膳の上にぽいっと放る。
「半兵衛だったら文句は言われにゃあだろ。立場としたらおりゃあの与力だぎゃあけども、天下の竹中半兵衛を追い返したなんてなったら柴田様は岐阜の笑いものだぎゃ。あの御仁だってそう頭は悪くにゃあ」
ほほう。さすがサル。近頃半兵衛とは顔を合わせていなかったから、おれもうっかり重要人物を忘れてしまっていた。
でも、
「言われないッスかね。牛の家臣じゃねえだろうとか、竹中半兵衛は与力だろうとか」
「おみゃあの友人だぎゃあろ」
「ま、まあ」
「それに半兵衛だったら何か言われたとしてもうまく丸め込むだぎゃ。小難しい故事やことわざなんかを吠え立ててな。切れ者の半兵衛にまくしたてられてみろ。あの権六は泡を食うだぎゃあぞ」
サルが目を輝かせながら不敵に笑うので、おれもにやにやと笑う。
「泡食うどころかこんな顔をして真っ赤にして茹で上がっちゃったりして。おのれえ、なんて言ってね」
「おみゃあっ。今のものまねうめえだぎゃあな! 似てるだぎゃっ!」
「付け髭でもこしらえますか」
にゃっはっは、あっはっは、と笑っているのをよそに寧々さんは溜め息をつきながら膳の上を片付けていく。
「お前様たち。本当に大丈夫なのですか」
「半兵衛を迎えに行かせるだけだぎゃあろ。半兵衛にはおりゃあから言っておくだぎゃ。きゃつは今、南近江の探索に行っていて留守にしているんだぎあゃけど、そろそろ帰ってくる手筈だぎゃ」
「じゃ、そちらの方向でよろしくッス」
「ほんだら、寧々、おりゃあは行ってくるだぎゃ」
「こんな夜分にどちらに行かれるのです」
「牛殿んところの風呂に入りに行くだぎゃ。な、牛殿」
「しょうがないッスねえ」
おれとサルは二人で腰を上げ、ゴンロクの泡を食った顔はさしずめ蛇に睨まれたモグラに違いねえ、だったらそのときは覗き見に行こうか、などと、けらけら笑い合いながら草履を履いておれの屋敷に向かった。




