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ふりてんつもる(前編)  作者: ぱじゃまくんくん夫
第五章 門出
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青少年は健全であるべき

「京から? しかし、お主には三河なまりがあるようだが。生まれは三河なのか?」

 太郎が鋭く突っ込んできたので、おれとシロジロはあわてふためいた。

「は、はい、三河の生まれでして、その、あの、ひと山当てたくて」

「ま、まあさ、うちには働いている人間も少ないし、ちょうどいいと思ってさ。うん。いいだろ?」

「誰の紹介でもない見知らぬ者は雇いたくはないんですがね……。父上、本当は知った者じゃないんですか。何か隠しておりませんか?」

 さすがに七年も連れ添った太郎である。おれのことはだいたいわかるらしい。

「か、隠してなんかいねえよ。その、あの、人助けだと思えばいいだろ。だいたい、こんな間抜けヅラ、どっかの間者かんじゃのわけでもねえんだ。泥棒だってできそうもねえツラしてんじゃねえか。な?」

「まあ、働き手が少ないのは事実ですし、父上がそうおっしゃるんであれば」

 まったく。どうしておれがこんなバカのために肝を冷やさなくちゃならねえんだ。

 シロジロは徳川家康から逃げているも同然の格好になっているから。

 まあ、信長とか徳川家康にバレたところで、おれは知らなかったってことにしちまえばいいんだ。死ぬのはこのバカだけだ。

「若様はとても凛々しい御仁なんスね。ましてや馬廻衆だなんて。さすが勲功第一の旦那様ッス。でも、奥方様はお亡くなりになられたんスか?」

「お前、黙れ。あいつは養子だ。おれは未婚だ。黙れ」

「すいませんッス」

 二百貫文を騙し取られたバカのシロジロだが、家事はわりと出来た。炊事洗濯掃除に薪割り、それに商売をやろうとしていただけあって気の利くところもある。

 ただ、たまに不愉快なことも言う。

「旦那様は出仕されないんスか? 若様は毎朝出仕されているというのに」

「うるせえな。おれはお話係っていう役目があんだよ。おやかた様にいつでも呼ばれて大丈夫なように待機してんだよ」

「沓掛の帳簿も若様が見てらっしゃるッスけど、旦那様は隠居の身なんスか?」

「テメーいちいちうるせえんだ! 黙って仕事してろっ!」


 怒鳴り散らした矢先、信長の小姓と名乗るチビガキが一人でやって来た。

 信長に呼び出されるのかと思いきや、チビガキは風呂に入れさせろと言う。

 チビガキは小学生低学年ぐらいである。太郎がおれに小姓として仕えたときぐらいの年頃である。

「は? 何を言ってんだ、お前」

「おやかた様が申したのだ」

 と、チビガキは庭先から見上げてきて生意気な口調である。目つきの悪いガキだ。

「おやかた様がそんなこと言うわけねえだろうが」

「申したのだ」

 ガキのくせして傲岸不遜なツラ構えをしてやがる。ポニーテールに小袖袴という身なりはまともだが、百姓のガキだってこんな態度は取らねえもんだ。

「帰れ帰れ。許してやるのは今のうちだけだ。次、生意気な口を叩いたらゲンコツしてやるぞ」

「生意気な口を叩いているのは貴様だ」

 おれは縁側から下りると、

「貴様とか言って誰かの真似してんじゃねえ!」

 チビガキにゲンコツを落とす。

 チビガキが頭をおさえて涙目になっているので、おれはけらけらと笑ってやった。そうしたら、チビガキはおれの足に噛み付いてきた。

「痛えっ!」

 おれはチビガキの頭をゲンコツしまくるが、チビガキは噛み付いて離さない。蛇のようにして離さない。肉を食いちぎらんばかりの獰猛性である。本当に噛みちぎられそうだったので、おれは仕方なく言った。

「わかったわかった! 風呂に入れてやるから!」

 チビガキは足から離れ、殴られた頭をさすりながら睨み上げてくる。おれは足の歯型を見つめ、さすりながら吐き捨てる。

「なんなんだ、テメーは」

「貴様は今しがた言ったぞ! 男と男の約束を破るのか!」

「わかったって」

 さきほど入ったばかりなので、お湯は張っていた。フン。こんな生意気なガキにただで入れさせてやるかってんだ。おれはある作戦を思いついているのだ。

 恥ずかしげもなく素っ裸になったチビガキは腰に手を置いて大釜の前に突っ立っていた。

「入れさせろ」

 と、言う。

 生意気なズルムケチンコを蹴飛ばしてやりたいところだったが、おれはチビガキを両脇から持ち上げて大釜の中に入れる。

「今、薪を焚いてやるから待ってろな」

 おれは火打ち石で藁に火をつけると、かまどの中に放り込んで、薪もじゃんじゃん放り込んでいく。藁をどんどんと突っ込んでいく。

「どうだ、湯加減は」

「ぬるい」

「そうかそうか」

 おれは筒で息を吹いて火を燃やしまくる。藁をどんどんと突っ込む。ごうごうと燃える。

「よし。いい加減だ」

「もうちょっと熱いほうがいいだろ。言っておくがおれは熱い風呂にしか入らねえんだからよ。子供みたいにぬるま湯で満足するような男じゃねえんだ。わかるか? ん?」

 チビガキはむっと黙りこんで、生意気に腕組みまでしている。

「てか、お前はどこのガキだ? 親父は誰なんだ」

「森三左衛門だ」

「えっ?」

 おれは腰を上げる。チビガキは腕組みをして口をむすんでいる。

「もういっぺん言ってみろ。お前の親父は誰だ」

「森三左衛門だ」

「ふーん。そうか」

 おれは腰を下ろし、筒で息を吹く。火を起こす。

 サンザの息子だと? 

 まったく。サンザったら、教育がなっていねえようだな。おおかた親父に簗田の風呂の話を聞いて、テメエも大人の真似がしたくなったんだろう。

 親父の代わりに大人の社会の厳しさを叩き込んでやる。

「熱い。もういい」

 と、チビサンザが言い出したが、おれは火に息を吹きかける。藁を突っ込んでいく。

「もういい!」

「え? 坊っちゃん、もうよろしいんですか? 大人の男はもっと浸かりますよ?」

「もういい! 早く出せ!」

「あ。イテテ。腕が折れた。これじゃ坊っちゃんを持ちあげられないや。自分で出てくれますかね」

「嘘つくな!」

 チビサンザはお湯をぶっかけてきた。顔に浴びせられたおれは、風呂場のすみの桶に張っている冷や水をぶっかけてやった。

 ぎゃあっ、と、チビサンザはわめき上げ、おれはげらげら笑う。怒ったチビサンザはばしゃばしゃとお湯を掛けてくるが、おれは風呂場のすみに待機し、手を叩いて囃し立てる。

「鬼さんこちら手の鳴るほうへ」

「貴様、許さないぞ」

「ほほう。どう許さないと言うのかね?」

「ぶっ殺してやる!」

「あっそう。じゃあ、殺してみろよ。ほら、鬼さんこちら手の鳴るほうへ」

 大釜が熱くて触れられないチビガキは真っ赤な顔をしてお湯をばしゃばしゃと掛けてくるだけ。

 すると風呂場をシロジロが覗きこんできた。

「旦那様。何してんスか?」

「生意気なガキに教育してやっているところだ」

「お城の人が来ているッスよ」

「え?」

 おれはシロジロにチビサンザを外に出してやるよう告げて、庭先まで出ていく。

 「竹」と呼ばれている、信長の側仕えのよく見る小姓がいた。見た目、十三、四歳ぐらいの、太郎よりか少々幼い、背高の信長おホモだち美少年である。

「カツが来なかった?」

「カツ? 誰?」

「ああ、ごめん。勝三しょうぞうって言うんだ」

「しょうぞう? 森サンザ殿の子供って言っているガキか?」

「そうそう。おやかた様が簗田殿をお呼びになっているんだけどさ、カツが自分が呼んでくると言って飛び出ていったんだ。来ていないかな?」

 そう言っているそばから素っ裸のチビサンザが廊下をすっ飛んできた。おれに飛びついてくると、腕に噛み付いてきて、

「痛えっ!」

 蛇みたいにして離さず、竹があわててチビサンザを引き剥がそうとするも、なかなか剥がれず、肉が食いちぎられそうなので、

「わかったわかった! 謝る! 離せ!」

 ようやく離してチビサンザは竹に抱えられたものの、しばらくは暴れ回って手に負えなかった。



「遅えぞ! 貴様!」

 千畳敷せんじょうじきと通称されている信長の居館の庭先にやって来ると、短気な信長はおれがなかなか来なかったから怒り狂っており、一発ぶん殴られた。

 おれはカツとかいうガキが風呂に入り始めたせいだと弁明したのだけれども、

「わっぱの言うことなんぞ相手にしてんじゃねえ!」

 もう一発、ぶん殴られた。

 クッソ……。相変わらず理不尽だ……。

 ところで用件は、

「貴様、五日後に甲州に行け」

 だった。

 怒り狂っている信長は竹やクソガキカツなどを引き連れて説明もなしに館に引っ込んでしまう。

 コウシュウってなんだよ、と、思いつつも、サンザなら何か知っているはずだと思い、屋敷を訪ねる。

 ついでにクソガキのことも皮肉る。

「サンザ殿の息子さんはなかなか元気なお子さんッスねえ」

「ん? お主は博兵衛でんべえに会ったことがあったか?」

「え? いや、カツくんッスよ」

「ああ、勝三か。あやつは近頃、小姓に取り立てられたからな。まあ、聞かん坊よな」

 博兵衛っていうのはサンザの長男坊らしく、クソカツは次男坊らしい。二人目だから、あんな生意気なんだな。まったく。

「それはそうと、あっしは先ほどおやかた様に五日後にコウシュウに行けって言われたんスけど、コウシュウってなんスか?」

「甲州? 武田であろう?」

 武田信玄に会いに行けってことだそうだ。この前、信長の長男の奇妙丸と武田信玄の娘が結婚することが決まったから、おそらくその関係で。

「わしはよくわからんが、武田との交渉は織田一門の掃部かもん殿が請け負っておる。掃部かもん殿に詳しく聞け」

「でもなんであっしなんかが武田信玄に。織田一門の人がやっているんならあっしなんか出る幕ないんじゃないんスか」

「お主は西美濃三人衆の寝返りのきっかけを作ったり、竹中半兵衛を引き入れたりしたからな。おやかた様はそうしたところを期待しているんじゃないのか?」

「武田信玄といくさするんスか?」

「奇妙様の正室に迎える予定なのだからそれはないが、のちのちはあるかもしれん。そのとき、武田の将と知己を得ていたほうがお主にとってやりやすいだろうという判断じゃないのか」

 それに、と、サンザは続けて言った。

「これは内密だが、おやかた様は北伊勢に攻めるつもりでいる。斉藤刑部が伊勢の長島に逃げ込んだという噂だ。その隙に信州から武田に攻めこまれてはたまらんから、信玄入道の様子もうかがっておかないとな」

 チッ。めんどくせえ。そうとなると武田信玄と敵対したとき、おれはまた調略活動しなくちゃならねえってことじゃねえか。

 タイムスリップ男のおれは知っているが、武田信玄とはいずれ絶対に敵対するんだから。

 それに武田信玄って山梨県じゃねえか。ここは岐阜じゃねえか。そんな遠いところまでどうやって行けっつんだよ。電車があるわけでもねえのに。

 まだ、冬だし。長野県は雪が積もってんだろうが。

 最悪だ、クソ……。

 こうやって急に指令が下されるのは、おれが何もしねえで屋敷で寝そべっているせいかもしれん。美濃攻めの調略のときも、どうせ何もしてねえなら、みたいなニュアンスでやらされたもんな。

 とはいえ、甲州武田行きを命じられちまったことには今更仕方ない。サンザに教えてもらった織田掃部助おだかもんのすけの屋敷を訪ねる。

 織田一門と言うわりには大したことない屋敷である。サンザの屋敷はわりと広かったのだが、カモンの屋敷はおれの屋敷と大差ない。

 尾張那古屋の近くの日置村っていうところの所領主らしいが、領地からすれば沓掛三千貫のおれよりも格下だろう。

「これはこれは簗田殿。おやかた様より話はうかがっております」

 と、広間に登場してきたカモンは愛想笑いをふんだんに振りまきながらへこへこと頭を下げてきた。齢のほどはおれや信長よりも五、六歳上だろうか。月代を綺麗に剃り上げたオッサンである。

「信玄入道には何度か面会させてもらっているこの掃部助でありますが、簗田殿がご一緒とあれば、これはこれは心強い。いやね、奇妙様の奥方となられるご予定の松姫様なのですが、信玄入道に毎度はぐらかされてしまって、輿入れの日取りを決めてくれないのですよ」

 おれたち織田勢は武田信玄の娘を人質代わりに岐阜に寄越してもらいたいところだが、信玄はうまいこと言ってお姫様を送ってこない、つまり、いつでも織田に攻めこむ態勢を保持しようとしているわけだ。

 掃部助は信長の命令で松姫の輿入れを実現させたい。でも、強い態度で交渉に望めない。信玄をブチ切れさせたら織田はさんざんにやられちまう。

「武田の将兵と言ったら日ノ本一ですから。そこのところはうまくやれというおやかた様からのお達しなのですが、信玄入道は交渉事はかなりの手練れで。簗田殿はあの竹中半兵衛を説得したともおやかた様から聞いております。是非ともここはひとつ、鬼謀の士たる竹中半兵衛を打ち負かした剛腕のほどを」

 カモンは終始へこへことしながらおれを「剛腕」だなんて持ち上げてきたわけだが、なるほどな、信長がこのおべっか野郎を武田信玄担当の外交官にしたのがわかる。

 カモンは無理をしておべっかを使っているというより、生まれつきそういう性格なのだろう、聞いていて悪い気がしてこない。

 でも、武田信玄の娘を岐阜に連れてくるだなんて、そんなの無理だろ、というのがおれの結論だ。

「とりあえず、様子見だけでも」

 おれはカモンにそう言って、五日後の出立の段取りについて聞いたあと、カモンの屋敷をあとにする。

 道中、溜め息を何度かついた。

 武田信玄に会いに行くの、やだな……。

 武田信玄というその名前だけでおれはビビッっている。

 だって、武田信玄だぜ。おれなんか足下にも及ばない戦国大大名じゃねえか。ニートの半兵衛なんかとは訳が違うだろうよ……。

 そういうデカイ話には関わりたくなかったのに。

 うっかり手柄を立てるのも実はろくなもんじゃねえ。


 我が家の門をくぐって、玄関から入らず、いつものように庭に回っていく。

 庭にはペットが放されていて、寝そべっていた。

 おれが入ってくるとのっそりと起き上がって、のそのそと歩み寄ってきて鼻面をこすりつけてくる。

「おい、クリツナ(仮)、山梨だってよ山梨。勘弁してくれって話だよな」

 鼻面を撫でてやっていると、クリツナ(仮)は庭のすみに戻っていき、また寝そべる。どうやらさっきのはお帰りの挨拶のようである。

 どこまで芸を仕込んでいるんだと思いながら庭の裏手を覗いてみると、ねじり鉢巻きとシロジロが馬屋の掃除をしていた。おれの部屋より丹念に掃除しているんじゃねえのかと疑いつつ庭に戻り、縁側に腰かける。

 武田信玄に会いに行くんじゃ礼服を着ていかないとまずいかなと考える。「そんな格好でわしに会いに来たのか? ん?」なんて言いそうな感じだよな。武田信玄という名前からして。

「あ。お帰りなさいませ」

 ん?

 声のしたほうに振り向くと黄色い小袖姿のおにゃの子が両膝をついておれに頭を下げてきている。

「え?」

「お久しぶりでございます。あいりでございます」

 おにゃの子が頭を下げたまま顔を伏せているので、おれは思わず体を低めて覗き込む。

「え? なに? あいりん? ど、どうしたの?」

「はい。突然、申し訳ございません。木下様の奥方様のご紹介で参らせてもらったのですが、簗田様がご不在だったので、そうしたら、寧々様が勝手に上がっていなさいと言われて帰ってしまわれたので。栗之助殿や四郎次郎殿も上がって待っていなさいということで」

「あ、そう……」

 おれは状況が掴めなくて顔を戻し、腕組みをして考える。そういえばおれは寧々さんにおにゃの子を紹介してくれって頼んでいた。

「いや、あいりん、あの、明智庄には戻らなかったの? 去年の暮れまでにはほとんどの人たちは明智庄に戻ったって聞いたけど」

「それが――」

 と、あいりんは言う。あいりんは親父やおふくろと死別していて、お祖母さんと二人暮らしだった。それでいて、去年の暮れにはあいりんの帰りを迎え入れてほっとしたせいか、お祖母さんも死んでしまった。

「それで、千代さんから岐阜に来たらどうかと誘われまして。寧々様から簗田様のお屋敷にご奉公できる若いおなごはいないかと千代さんにご相談されたということで」

 ……。

 なんだよ、寧々さんったらよ。なんで、チヨタンに相談してんだよ。寧々さんはサルから聞いて絶対に知っているだろ。

「突然押しかけてしまって申し訳ございませんが、簗田様がもしよろしければご奉公させていただければと」

 おれはあいりんが顔を伏せているのをいいことに、眉をしかめた。嫌だ、と、言いたいところであった。

 あいりんはチヨタンと一緒に明智庄から沓掛にやって来たときの第一陣である。ということは、チヨタンとあいりんは仲がいいはずである。チヨタンと仲のいいおにゃの子を雇うだなんて、いい気がしない。

 つい今しがたも「千代さん」って言葉を出したし。あいりんを雇ったら「千代さん」っていう忌々しい名前を今後も聞かなくちゃならないだろうし。

 だからって、奉公は駄目だ、なんて言えないもんな……。寧々さんの面目が立たないし……。

「おれはいいよ。ただ、太郎がなんて言うかだな。覚えてる? 太郎。おれの小姓だった太郎」

「はい。存じ上げさせてもらっております」

「太郎はね、実はおれの息子になったんだ」

「ええっ!」

 顔を伏せていたあいりんはようやく顔を向けてきて、瞼を大きく広げて驚いていた。

「そ、そうなんですか」

「うん。それで、その太郎がいろいろと口やかましいし、たいがいはあいつが決めているからさ。まあ、太郎に聞いてみないとわかんないな。うん。夕方になったら帰ってくるだろうから、それまではちょっとここの広間で待っていてくれないかな。うん」

 そう言っておれは腰を上げ、居室に逃げる。

 あいりんはあいりんでまあまあのおにゃの子なのだが、チヨタンの影がちらつくのでおれはあまり雇いたくない。

 そして、ケチの太郎はきっと言うに違いない。シロジロを雇ったんだからもう必要ないと。

 太郎が言うならしょうがないなとおれは引き下がる。そうすればワルモノは太郎になる。太郎ファンの寧々さんも納得するわけだ。

 あいりんには悪いが他の屋敷に行ってもらおう。


 ところが、おれの予想に反して、帰ってきた太郎は言った。

「よろしいんではありませんか」

 しかも、なぜかもじもじしているのである。広間で、シロジロやねじり鉢巻きとともにあいりんを囲みながら、おれの目を見ず、あいりんからも視線を逸らしているのだ。

 この野郎……、あいりんに恋しちゃっているのか……?。

 とにもかくにも太郎が採用と言ってしまったからにはあいりんを雇わないわけにはいかず、シロジロが作った夕飯をみんなで輪になって食べていく。

 シロジロとねじり鉢巻きがあいりんにいろいろと質問したり、屋敷のどこそこはこうなっていて、仕事はこれこれをやってくれと説明したりしていたが、太郎は意味不明なうなずきをしているだけで、黙々と食事をすすめている。

 フフン。可愛いもんだ。 

 ところがあいりんは思い出したくもないことを思い出させる。

「でも、簗田様がご無事で良かったです」

「ああ、うん。まあね」

「ご無事ってなんなんスか? 旦那様に何かあったんスか」

「旦那は美濃攻めの前、行方不明になってたんだよ」

 と、ねじり鉢巻きが余計に思い出させる。

「半年ぐらいだったろうな。沓掛の連中は全員が旦那は死んだと思ってたんだ」

「あいりちゃんは可児の人なんでしょ? どうして知っているんス?」

「私は織田様の美濃攻めまで簗田様の沓掛に避難していたんです。私だけではなく、私の村の人たちのほとんどが」

「へえ。そうなんスか。どうして、そんなことしたんスか、旦那様」

「お前、うるせえよ。黙ってろ」

「なんで怒っているんスかね?」

「四郎次郎」

 と、ウブガキ太郎がようやく口を開いてくれた。

「もういいだろう。あとで栗之助に聞きなさい」

「はい」

 そして、なぜか、シロジロは太郎の言うことには素直に従う。

 けれども、ねじり鉢巻きが思いのほか、お喋りで、

「美濃攻めの調略かなんかで旦那が明智庄から――」

 と、いちいち説明した。へえへえなるほどとシロジロがうなずき、話がまた止まらず、シロジロはあいりんにまたいちいちたずねる。

「それじゃ、旦那様が生還されたときはびっくりしたでしょ?」

「それはもう。簗田様がお帰りになられたって知ったときは涙を流す人さえいました。簗田様はお城のお風呂を皆様に分けていただいたりとしてくれたので」

「へえ。そうなんスか。旦那様がそこまでしていただなんて信じられないッスね。それよりも、あいりちゃん、旦那様は旦那様でいいんじゃないんスか。簗田様ってよそよしいッスよ。ねえ、旦那様?」

「ああ」

 おれもそう思っていたのでうなずいたが、シロジロの野郎、調子こいてちゃっかりおれの悪口を混ぜていやがる。

 このバカ、テメエがどうしてここのメシを食えているのか、もうすっかり忘れているらしい。さすが鼻クソを掴まれたアホだ。あとでボコってやる。

「そんなことよりよ、太郎。今日おやかた様から五日後に武田信玄に会いに行けって言われたから、ねじり鉢巻きとシロジロを連れていくからな」

「えっ? 武田ですかっ? ち、父上がですかっ?」

「ほんとッスかっ。旦那様っ」

「た、武田? 武田騎馬隊か?」

「お前ら、いちいちうるせえんだよ。太郎、そういうことで――」

 と、そこまで言ったとき、おれは視界にあいりんが入ってきて、気づいた。

 おれがシロジロやねじり鉢巻きを連れていってしまうと十日以上のあいだ、太郎とあいりんが一つ屋根の下で二人きり……。

「あっ、やっぱシロジロはいいや。お前は残ってろ」

「えっ。行くッスよっ。あっしも行くッスよっ」

「な、なにゆえ父上が武田に?」

「いや、よくわからねえけど、織田カモンさんと一緒に行くことになったんだ。そういうことで、おい、シロジロ、お前は残れ」

「いや、連れてってくださいッスよっ」

「拙者も四郎次郎を連れていったほうがよろしいかと」

「なに?」

 太郎は真顔でいるので、純粋なのか鈍感なのか、おれが考えている一つ屋根の下には気づいていないようである。

 ここで話していても平行線を辿りそうなのでやめにした。ウブガキ太郎の尊厳を守るためにそれまでにした。

 ただ、夕飯を終えると、太郎の居室を訪ね、シロジロは連れて行かないと伝える。

「お前があいりんと二人きりになっちまうからな」

 途端に太郎は顔を真っ赤にさせて、逆ギレした。

「なっ、何をおっしゃっているのですか!」

「まあ、とりあえず、おれも太郎のお父さんだ。息子の恋にはとやかく口出ししない。ただな、お父さんとして、青少年ってのは健全であるべきだと思うんだ。若いお前らを二人きりにさせるわけには行かないわけだ」

「ふっ、二人きりなったとて父上じゃないのですっ! そんな真似はいたしませんっ!」

「おれはてっきり反対されると思ったんだけどなあ。あいりんだけは特別なのかな? ん? どうなんだい、太郎くん?」

「そ、そ、そういうわけではありませんっ! 寧々さんに義理が立たないということですっ!」

「ま、おれの目の黒いうちは変な真似はさせないぞ。わかったかね?」

「何をおっしゃっているのです」

 おれは太郎の部屋の戸をにやにやと閉めていき、自室に戻った。

 あの様子だとあいりんとは大した仲でもなさそうだ。子供の恋愛程度だな。クスクス。

 だからって、思春期のガキをほうっておくと発情期の猫みたいになっちまう。

 おれより先に脱童貞させてはならない。親父よりも先に息子が童貞喪失しただなんて前代未聞だ。



 五日後、礼服をおさめた籠をクリツナ(仮)の腰にぶら下げ、どうせ道中は寒いので、クリツナ(仮)に跨ったおれは余計に着込んでいた。

「どうぞお気をつけて」

 留守を授かった連中は門前まで見送りに出てきていた。

「留守中、くれぐれも大人の真似事はしないように」

 シロジロとあいりんはぽかんとし、太郎だけは眉をしかめて睨んでくる。

 元服したからって、おれより先に大人にさせないぞ。

 そうだ、帰ってきたら女中をもう一人雇おう。今度は若くなくていい。ババアのほうがいい。太郎とあいりんが変な真似をしないよう監視するためのババアだ。

 とはいえ、甲府だなんて面倒くせえ。こうも寒いんじゃ、山の中は吹雪いてんじゃねえのか?

 無事に帰ってこられるのかよ。


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