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ふりてんつもる(前編)  作者: ぱじゃまくんくん夫
第五章 門出
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先のことなんてわかりゃしねえけど

 イエモンを殺したい。

 もちろん、殺傷沙汰を起こしてしまえば、浪人マタザのようになっちまう可能性だってある。

 けれども、信長にチクッちまえばイエモンはグッバイだ。

 我らが親分はDV野郎だが、わりと男気に厚いところもあり、子分の不義理を嫌う性格のはずである。

 七年だ。七年もあの野郎の面倒を見てきたのだ。

 イエモンクソ野郎はおれやサルといった信長直臣ではなく、直臣の家来、つまり陪臣の立場なので、切腹だの打ち首だのという判決はなさそうだが、

――牛、貴様はどうすれば気が済むんだ、あ?

――織田家中から追い出してくださいッス

――ならば、そうしてやる。ついでにサルは蟄居処分だ

 という展開になるのは間違いない。

 でも……、

 そんなことをしたってなんの意味があるんだろうか。イエモンなんていてもいなくてもどうでもいいゴミ野郎だ。おれの目の前から消え去ってくれてむしろせいせいするぐらいである。

 おれが許せないのは、チヨタンを取られちまったことである。

 それって、ただの嫉妬じゃん……。

 それに、チヨタンとイエモンがどういう経緯でそうなったのか知らないが(知りたくもないが)、あのチヨタンのことだ、無理やり引っ掴まれたわけではないだろう。

 納得してそういうことになったんだろう。

 イエモンを追放するなんてたやすいけれども、チヨタンはひもじい思いをするに違いない。イエモンを追放してチヨタンを取り戻そうとしたって、

 仮に取り戻せたとしても、それでいいのか?

 漢と書いて男と読むような人間は、ぐっとこらえて引き下がるもんなんじゃないのか?

 おれはべつに漢と呼べるような男じゃないけれども、でも、男に生まれたなら漢であるべきなんじゃないのか?

 なあ、簗田牛太郎政綱よ。そうじゃないのか?


「簗田殿、どうした。なんだかやつれていないか?」

「気のせいじゃないッスかね……。ところで……、竹中半兵衛のところに行きたいんで……、外出してもいいッスか……」

「ああ。それはおやかた様の命ゆえ構わないが、しかし、控えたほうがいいのではないか? お主、今にも倒れてしまいそうではないか」

「あざす……」

「簗田殿。例の件か?」

「例の件……?」

「太郎から聞いたぞ。山内伊右衛門が簗田殿にうかがいも立てずに藤吉郎から俸禄を頂戴することにしてしまったと」

「ああ……、はい……」

「恩知らずの者だ。不義理を立ておって。おおかた家臣をかき集めている藤吉郎がそそのかしたのであろう。簗田殿と仲が良いからってどうにかできると思っているのだ。簗田殿、おやかた様に申し立ててもいいのだぞ。むしろ、そうしろ。あやつはちとこらしめたほうがいい」

「いや……、いいッス……。どうせ藤吉郎殿のことだから……、イエモンに押し付けて終わりッス……。それにイエモンなんて、いなくなっただけでもせいせいします……」

「そうは申してもだな――」

「いいッス……。もういいんス……」

 沓掛勢の監督には最近マリオの与力になったという大島新八郎とかいう奴にやらせておくとマリオは言っていた。

 そんなこと、どうでもいいわ。

 サウナ小屋も檜風呂も作るのをやめた。ただ、寺の鐘を拝借してしまったので、風呂釜だけは作っておかないとならない。

 オカモトのところに行って、やっぱり大きいサイズの釜にしてくれと言ったあと、居館建築予定地のオカベのところに行って、頭を下げて詫びを入れた。

「はあ。まあ、それは仕方ねえですけど、なんかあったんですか? 簗田様、ずいぶんとやつれてるじゃねえですか? どっか病んでいるんじゃねえんですか?」

「気のせいッス……。まあしいて言えば心が病んでいるかな……。ハハ……」

「気が向いたらいつでも言ってくださいよ。なんでも作りますから」

「ありがとう……」

 願福寺に戻ってくると、クリツナ(仮)に跨がり、ねじり鉢巻きに口輪を取らせ、太郎を連れてさっさと岐阜を出る。

 菩提山で引きこもる予定だ。当分、世間の風に当たりたくない。

 どんよりとした気持ちでクリツナ(仮)の背中に揺れていると、いつのまにやら菩提山に到着していた。

 山道を上がっていく。

 途中、クリツナ(仮)がピタッと止まってしまう。

 ねじり鉢巻きが口輪を引いてもクリツナ(仮)は動かない。首をすっくと伸ばし、鼻を膨らませてすんすんと何かを嗅いでいる。

 先を行っていた太郎が振り返ってくる。

「どうされましたか?」

 すると、クリツナ(仮)は茂みの中に鼻面を向け、首を振り始める。どんよりとしていたおれもクリツナ(仮)が鼻面を向けた先に視線を据える。

 どっかで見かけたことのある禿げ頭が茂みに覗ける。

 おれは溜め息をつく。

「何をやってんスか、藤吉郎殿」

 ガサガサと茂みが動いてサルが現れる。あからさまな口笛を吹きながら山道に出てき、クリツナ(仮)の鼻面を撫でてくる。

「おみゃあは賢い馬だぎゃあな。さすが牛殿は見る目があるだぎゃ」

「何してんスか、こんなところで」

「いんや、べつに」

 そう言って、サルは口笛を吹きながら山道を下りていったわけだが、サルのしようにむかつく気力さえ湧いてこない。どうせ、イエモンの件でおれに顔を合わせづらくて、とっさに隠れたのだろう。

 詐欺師が気まずい思いをするだなんて不可思議な世の中だ。

 おれはクリツナ(仮)の手綱を手繰って再び歩みを進める。

 サルは半兵衛を自分の手下にするために来たのだろう。それにしても、一千貫文の足軽大将だっていうのに、従者の一人も付けないで歩き回っているその精力には感心してしまう。

 けっ。あいつはやることなすこと楽しくってしょうがないだろうな。

 半兵衛は庵の庭で槍を振り回していた。珍しく鍛錬している。山道からおれが現れると、槍を下ろして苦笑する。

「木下藤吉郎殿の次には簗田殿ですか」

 太郎がぺこりと頭を下げて、おれは鞍を掴みながら落ちないようにゆっくりと下馬する。

「一ヶ月ほど世話になる……」

 半兵衛の脇を通りすぎていくと、井戸水をすくって喉を潤し、草鞋を脱いで庵の縁側に上がる。その場に寝転がる。

 うらうらと降り注ぐ秋の日差しを浴びながら、昼寝の態勢。

「どうしたのだ、簗田殿は」

「いろいろとありまして。一応は半兵衛様を織田に引き入れたくて参らせてもらったのですが」

「そのようなふうには見えないが」

「申し訳ございません」

 半兵衛と太郎はねじり鉢巻きを混じえ、クリツナ(仮)を囲んでいろいろと話をしている。

 おれは世間の鬱陶しさから隔離された菩提山で現実逃避の睡眠に落ちた。



「半兵衛、お前は二十三歳で引き篭もり野郎だが、とりあえず結婚している。ところが、おれは三十三歳で独身だ。しかも、ヤッたことがない」

「それがすべてではありませんよ」

 寝転がっているおれの前に半兵衛はニート白湯を差し出してくる。半兵衛はそのまま腰を下ろし、縁側から投げ出した両足をぶらぶらと振りながら、ずずっと白湯をすする。

「そうやって言えるのはだな、お前が経験者だからだ」

「だったら、その辺のおなごでも捕まえればよろしいではありませんか。沓掛にだっておなごはおりましょう」

「好き同士じゃないとやなんだ。いくさ場で女を犯しているような足軽雑兵と一緒にするな」

「高望みしすぎなのでは? 拙者とて家内には満足しておりませんよ」

「うるせえな……」

 庭では太郎を背中に乗せて、クリツナ(仮)がぐるぐると回っている。

「簗田殿の失恋などどうでもよくて、さきほど、木下藤吉郎殿は拙者に自分の配下になってくれと頭を下げられていきましたよ」

「あっそ」

 太郎が手綱を引くと、クリツナ(仮)がざざっと急停止する。ねじり鉢巻きがクリツナ(仮)の首をぽんぽんと叩き、クリツナ(仮)は首を上下に振ってはしゃいでいる。

「簗田殿は何をしに参ったのですか」

「知らね」

「簗田殿はそう申されないのですか。拙者に自分の配下になれと」

「おれにはそんな気力はない」

「おっしゃっていることがよくわかりませんね」

 太郎はクリツナ(仮)を並み足で走らせた。庭いっぱいを回っていくクリツナ(仮)は、時折、ぴょんとジャンプする。

「どちらかと言えば、おれも、半兵衛は藤吉郎殿に付いていったほうがいいと思う」

「なにゆえ?」

「なんとなく」

「簗田殿は?」

「おれにはそんな気力はない」

 クリツナ(仮)は走るのに飽きてしまったのか、足を緩めてしまい、太郎の言うことを聞かずにのそのそと庭のすみに歩いていって、草の茂みに鼻面を突っ込んで何かをあさり始める。太郎は仕方なさそうにして鞍から飛び降りた。ねじり鉢巻きと苦笑し合いながら話している。

「聞けば、簗田殿は家臣を一人しか雇っていないそうではありませんか」

「いいや。その一人もつい最近裏切って、藤吉郎殿の家来になったよ」

「だから、家臣はいらないと?」

「どうだっていいんだよ、んなことは」

 クリツナ(仮)は何をあさっているのかと思えば、草を選定していたようだった。生えているものを引きちぎって、むしゃむしゃと口を動かしている。

 半兵衛は重々しい溜め息をついた。

「仕方のない御仁ですね。今後どうするつもりなのです」

「知らねえよ、んなこと」

「しかし、太郎はどうするのです」

「太郎?」

「もういい年頃ではないですか。いつまでも小姓にしておくわけにはいきませんでしょう。太郎はそれなりの将になれる資質がありますよ」

「そんなの丹羽ゴロザが決めることだ」

「いっそのこと簗田殿が養子に取ったらどうです」

「は?」

「どうせ、その様子では生涯妻子を持てないでしょう。だったら、太郎を嫡男に迎えればよいではありませんか。むしろ、今でも親子のようではありませんか、簗田殿と太郎は」

「バカ言ってんじゃねえよ」

 相手にしておられずおれは寝返りを打って、庭に背中を向けた。

「家臣は雇わない。妻子も持てない。でも、小姓の太郎はいつまでも連れ回している。だったら、太郎を息子にしてしまいなさい」

 おれは半兵衛があまりにもしつこいので、体を起こし、白湯をすすっている半兵衛を睨みつける。

「お前な、なんなんだよ、さっきから。だったら太郎を普通に元服させて家臣にすればいいことだろう。息子にしろだなんて、言っていることが飛躍しすぎてんじゃねえか」

「飛躍すればいいじゃないですか」

 と、半兵衛は顔をこちらに向けてきて、目許をきつく締めながら、眼光を飛ばしてくる。

 半兵衛の冷たいようで熱しているような顔つきにおれは若干腰が引けてしまう。

「親子になって、一緒に飛躍すればいいじゃないですか。拙者は簗田殿のためを思って申し上げているのです」

 半兵衛の表情が大真面目なので、おれは頭を抱えてしまう。

「お前は何を言ってんだよ、いきなり」

「前々から思っていたことです。それは簗田殿のためにも太郎のためにもなることです。簗田殿からすれば太郎を息子にすれば、太郎の力も借りて簗田という家を築き上げられることでしょう。太郎からすれば、簗田の家は簗田殿たった一人なのです。わずらわしいことが何一つない。太郎をその他大勢の陪臣などにするよりも、簗田殿の威光を借りて出世しやすくなるのです」

「そういう損得勘定じゃねえだろう? 赤の他人が父親と息子になるって、そういうのじゃねえだろう?」

「ならばどういうことです」

「だから、その――」

「すでに親子のようなものじゃないですか。太郎は簗田殿の行方を追って、危険をいとわずにここまでやって来たのですよ。簗田殿だって丹羽五郎左の隠し子だと知りながら、分け隔てなく付き合ってやっているじゃないですか」

 おれと半兵衛が深刻な顔をしているものだから、クリツナ(仮)がのそのそと違うところへ歩いていっても、太郎とねじり鉢巻きはこちらをじいっと見つめてきている。

「おれにそんな器量はない。誰かの親父になる器量なんて。ましてや、十五歳の親父に、突然」

 半兵衛は何も答えず、ゆっくりと腰を上げる。

 腕組みをして庭を見つめる。

 葉っぱが一枚、ひらひらと舞い降ってきて、クリツナ(仮)がぴたりと歩みを止める。何が気になっているのか、黒い瞳で葉っぱの行方をじっと見つめている。

 半兵衛は口を開いた。

「ならばこうしましょう。簗田殿が太郎を養子とするなら、拙者は織田の禄を食みましょう。簗田殿が太郎を迎えないというなら、拙者も菩提山を下りませぬ」

 おれは呆れて笑うしかない。

「お前さ。どうしてそんな――」

「どうしてそんなに首を突っ込むのか、と、おっしゃりたいのでしょうが、拙者は簗田殿と太郎にはそれぐらいの、言うならば天下を賑わすぐらいの資質があると思っているのです。しかし、簗田殿にも太郎にも足りないところがある。だから、親子になってほしいのです」

「だからって、お前には関係ない」

「関係なくありません。拙者はこんなつまらぬ人生を何が好きでやっているのか、この世の中には拙者のつまらぬ心を躍らせてくれるものがあると信じているからです。簗田殿と太郎はいずれ拙者の心を躍らせてくれる、そんな予感があるのです」

「買い被りすぎだ」

「じゃあ、拙者は菩提山を下りません」

「そういう問題じゃねえだろう! 太郎の意見もあるだろうが!」

 と、おれが騒いだので、太郎が首を伸ばしてこちらをうかがってきた。

「ならば、太郎がよしと言えばそうしますか」

「お前がどうしてムキになっているんだか知らねえが、太郎がそれだったら構わねえよ? 

どうせ太郎はおれの息子になんかなりたくねえだろうからな」

「太郎!」

 半兵衛は太郎を手招く。なぜかクリツナ(仮)ものそのそと歩み寄ってくる。

「お前はいいんだよ」

 と、言っても、クリツナ(仮)はおれに鼻面をぐりぐりとほっぺたに押し付けてきてじゃれついてくる。

 おれがクリツナ(仮)に悪戦苦闘しているのをよそに半兵衛は太郎に訊ねた。

「お主、簗田殿の息子にならんか」

「はいっ?」

 当然、太郎は驚愕し、棒立ちする。

「みなしごのお主だ、悪い話ではないだろう?」

「し、しかし、殿は――」

「是非ともそうしたいということだ」

「いや、おれは」と、言おうとするとクリツナ(仮)がおれの顔面をぺろぺろと舐めてくる。

「ちょっと、やめろって」

「拙者も簗田殿には太郎のような者が付いていたほうがいいと思うがな。ただの家臣ではなく、生涯の家臣としてだ。どうせ、簗田殿は妻も娶ることもできないのだろう。だったら、お主が息子になってしまえ」

「しかし……」

「不服か?」

「いえ、不服なんてとんでもありません」

「さきほど簗田殿の家臣になりたいと私が申したら、この御仁は太郎がいるから竹中半兵衛などはいらないと申された。残念だ」

「えっ、まさかっ」

「おいっ。半兵衛っ」

「太郎、元服しなさい。簗田殿の息子になるというのであれば拙者が烏帽子親になってやる」

「しかし、殿」

 太郎はなんとも言えない表情でおれを見つめてくる。クリツナ(仮)に遊ばれているおれはねじり鉢巻きを呼びつけ、クリツナ(仮)をどうにかするよう伝える。

 ねじり鉢巻きの手でクリツナ(仮)が連行されていくと、おれは溜め息を深々とついて、太郎をちらりと見やり、半兵衛をちらりと見やり、胸のうちに葛藤を渦巻かせながら空を泳ぐいわし雲を見上げる。

 どうして半兵衛が急にこんなことを言い出したのかわからない。無論、半兵衛のことだから本当に思って言ってくれているのだろうが。

 だからって、いきなり十五歳の子供の父親になるだなんて。

 太郎だったら構わないという気持ちもある。生意気な奴だけど、その分だけ可愛げもある。しっかり者だし、強いし、賢いし。

 でもなあ……。

 十五歳の子供の父親なんかになったら、もうおれは一生結婚なんてできないんじゃないのか。一生童貞のままなんじゃないのか。誰が、十五歳の子供を持つ童貞男と結婚してくれるんだ。

 いや、そもそも結婚なんて、カノジョなんて、作れそうもないんだけれど。

 何も息子にする必要なんてない。太郎を家臣にすればいいだけ。とはいえ、それもなんだかもったいないような気もしてくる。

「整理がつかねえ」

 おれは腰を上げると、庭先に下りて、半兵衛と太郎から逃げた。散歩をしてくると言い残し、山道をくだっていった。



 おれはただ単に世間の鬱陶しさから逃れるために菩提山に来ただけだ。

 なのに、半兵衛が妙なことを言い出したせいで、訳がわからなくなってしまった。

 どうあがいても考えに決着がつかない。何が最善なのか見通しが立たない。

 太郎を息子にしたいという気持ちはある。今の今まで思いもしなかったことだけれど、半兵衛に切り出されてしまって、急に芽生えた。

 ただ、父親になってしまっていいのかという抵抗もある。

 半兵衛が織田に入るだなんていうことはどうでもいい。

 おれの人生の問題だ。

 二つの分かれ道。

 こっちの道はどんな道なのか、そっちの道はどんな道なのか、皆目検討つかないわけである。

 道は――。

 考えてもみれば、もしもおれが行方不明にならずに沓掛に居残っていたとしたら、チヨタンは確保できたかもしれない。

 すると、仮に、万が一、チヨタンをお嫁さんにできていたとしたら、おれが太郎を養子にするだなんて話は出なかっただろう。

 もしかしたら、それが運命というものなのだろうか。

 神様仏様だなんて信じてもいねえけど、太郎を選べってことなんだろうか。

 わからん。

 理屈でどうこうしようとしても何がなんだかわからん。

 おれは人生経験が乏しすぎる。

 日が暮れてしまい、菩提山のふもとをうろうろしていたおれは、庵に戻った。

 縁側に上がると、半兵衛の姿がない。太郎が本を読んでいるだけである。

「半兵衛はどこに行ったんだ」

「栗綱に跨って、栗之介ともども野駆けに出かけてしまいました」

「なんだよ。おれの馬だぞ。勝手に乗り回しやがって」

 おれは溜め息をつきながら汚い部屋に転がっている鉄瓶を拾い、庭に下りて中身を捨てると、井戸からすくって水を交換した。

 庵に戻ると太郎がすでに囲炉裏に火を点けており、鉄瓶を沸かす。

 そのまま鉄瓶をじっと眺める。太郎は本を読んでいる。

 さっきの話のせいで気まずい。

 とはいえ、意識していると太郎に思われたくない。

「ところで、太郎」

「はい」

「あの、えーと」

 こういうときに限って気の利いた話が思いつかない。頭をぽりぽりと掻きながら、えーと、えーと、と、間を繋ぐたび、どんどんと気まずくなっていく。

 好きな人いないのか。いや、唐突にそういう話はおかしい。

 イエモンの野郎をぶっ殺すにはどうすればいいだろうか。いや、イエモンという名前すら言葉にしたくない。

 クリツナ(仮)は何歳なのかな? いや、おれはそれを知っている。去年の春に産まれたのだ。

「殿。あまりお気になさらないでください」

 と、太郎が言うので、おれは頭を掻く手を止める。

 真面目な顔をしている太郎に目を向ける。

「何がだよ」

「半兵衛様のおっしゃられたことを。拙者を養子にするだなんて」

「なんだよ。嫌なのかよ」

「そういうわけではありません。万が一、拙者を養子にしてしまったら、殿はおなごをもらえなくなってしまうかもしれません。そうしたら、殿の血を繋ぐお子も。拙者のせいでそうなってほしくありません」

「お前、バカにしてんのか」

「はい?」

「お前はおれがおにゃの子と仲良くしていると、いっつもシラーッてするじゃねえか。どうせ、フラれるんだからやめとけみたいな感じで。そのくせ、お前はおなごをもらえなくなってしまうかもだなんて言うのか? え?」

「そんな。拙者はそんなふうには思ってません」

「じゃあなんでシラーッてするんだ」

「それは、殿は見る目がないなと」

「バカにしてんじゃねえかっ! てか、それ絶対嘘だろ。お前、おれが寧々さんに鼻の下伸ばしているときもシラーッてしてたじゃねえか。なのに、お前は寧々さんみたいな女はいいって言うじゃねえか」

「してませんよ!」

「してた! お前はまだ小さかったから覚えてねえかもしれねえけど、絶対にしてた。お前はおれがおにゃの子と仲良くするたびにシラーッてする。どうせフラれるんだからやめろ的な目でな」

「だって、寧々殿は木下殿の奥方じゃありませんか」

「あんときはまだ結婚してなかったから! 何をお前カッコつけてんだよ。拙者のせいでそうなってほしくありませんだなんて、よくも言えたもんだ。おれがこれから先、結婚できるだなんてこれっぽちも思ってないだろうが」

「思ってなくないですよ」

「癪だ。お前、おれの息子になれ」

「えっ?」

「お前なんか息子にしたって、おれは結婚できるんだ。テメーみてえなコブが付いちゃっても絶対に結婚してやる」

「ならば、殿が男子を授かったらどうするつもりなんですか。家督を継がせるとき拙者は邪魔になりますよ」

「んなの知るか。家督だなんていう大それたもんがあるかって話だ。何が家督だ。家来もいねえってのに」

「これから先、増やせばいいではありませんか」

「先のことなんか誰にもわかりゃしねえんだよ! わかっていたらおれはとっくに嫁さん貰っているはずなんだっ!」

「何をおっしゃっているのかよくわかりません」

「ああそう。じゃあ、なりたくないって言うんだな?」

「そうは言ってないじゃないですか!」

「じゃあ、なれよ」

「そんな簡単なことなのですか?」

「簡単なことじゃねえけど、簡単に考えれば、なんでもかんでも簡単になるだろうが」

「そういうのは愚かな考えだと思います」

「お前はうだうだうだうだうるせえ野郎だな! いいか、一つだけ言ってやる。お前みたいな生意気な奴は家臣になんか絶対にしねえからな!」

「家臣にはしないけれども養子とするんですか」

「そうだ」

「訳がわかりません」

「そういうもんだ。おれは、お前が、ただの小姓だったらとっくにクビだ。でも、お前だからクビにせずにしてやっているんだ。言っている意味、わかるか?」

「わかりません。どうしてです」

「それは、まあ、うん……。その、あの……」

「どうしてですか」

「えーと、その、ま、まあ、ずっと一緒にいるから? うん。そんな感じ?」

「ただの小姓でもずっと一緒にいればただの小姓じゃなくなるというわけですか?」

「だから、その――、なんでそうやって意地悪するんだ! わかってんだろ!」

「わかりません」

 きっぱりと言った太郎のお澄まし顔に、おれは拳を握ってわなわなと震える。

 さっきから鉄瓶がピーッと吹いているので、太郎が手ぬぐいを使って鉄瓶の取っ手を持ち上げる。汚い部屋にぶん投げ捨てられている湯のみ茶碗を拾ってき、おれの前に置いて白湯を注いでいく。

 注いでいきながら太郎は言う。

「殿の言っていることはわかりませんが、拙者は殿じゃなければ付いてこなかったと思います、小姓という縛りがなかったとしても」

 湯のみ茶碗に注ぎ終えると、太郎は本を手にしてぷいと背中を向けてしまう。

「拙者には父親も母親もいなく、殿だけでしたから」

 おれは唇をむすびながら太郎の背中を見つめる。

 湯のみ茶碗に手を伸ばす。しかし、思わず「熱っ」と言ってしまい、手を引っ込めてしまう。

 耳たぶをつまみながら太郎を睨む。

「おい、嫌がらせか」

「そんなのわかっているじゃありませんか」

「チッ、たくっ。お前、本当に生意気だな」

「殿じゃなかったら生意気じゃありません」

 太郎は顔を戻し、本をぺらっとめくる。

 おれはふうふうと息を吹いて、茶碗のお湯を冷ます。

 なかなか冷めそうにもないので、やめた。

 溜め息をつく。

「まあ、太郎のそういう生意気なところもおれは嫌いじゃない」

 手持ち無沙汰に膝を人さし指でトントン叩きながら、汚いニート部屋を眺め回していく。

「墨俣のときは頑張っていたし、この前の忌々しいときも慰めてくれたし」

 おれはどうにも恥ずかしくて、うつむきながらおでこを撫でる。

「この前の雪の日も追っかけてきてくれたしな」

 太郎はぴくりとも動かずに固まって、おれの話を聞いている。

「それによ、おれはな、インチキ太田に聞いて知っているんだ。昔、お前が柴田ゴンロクの屋敷に殴りこみに行ったのも。ゴンロクとか、あのクソ女相手に啖呵切ったってのを。どうせお前は知らないと思っていただろう」

「はい」

「それに、太郎を、お母さんの死に目に合わせられなかったことをおれは後悔している」

「いえ。それは母がもう帰ってくるなと――」

「強情張るなよ」

 太郎の強情な背中は小刻みに揺れている。小袖の右腕で顔を拭いている。

「ありがとうございます」

「まあ、そういうことだ」

「はい――」

 太郎が泣いているせいでおれも泣きそうなので、腰を上げる。井戸で顔を洗おうと縁側に出る。

 そうしたら、夜闇の暗がりの中に半兵衛とねじり鉢巻きが突っ立っていた。

「ならば、拙者は上総介のもとに行く、ということでよろしいのですか?」

「お前よ、まさか、最初から織田に仕えるつもりだったんじゃねえのか」

「邪推はどうぞご自由に」

 ふふんと笑った半兵衛に肩パンし、おれはそそくさと井戸へ歩いていった。


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