英雄でもないおれ
「材木は確保できたぎゃ」
と、サルは言う。
床に築城予定の砦の縄張り図を広げ、指で差しながら説明してくる。
砦の城郭は四つ手のヒトデ型をしている。
中央の曲輪に陣屋と物見櫓を置き、斉藤方の墨俣城方面に櫓を設置し、南東側に櫓門と曲輪を設ける。
「これを全部土塁と柵で囲い、さらに空堀を巡らせるだぎゃ。何よりも人手が必要なのは土塁の積み上げ、土を掘り返して空堀を巡らせ、柵の打ち込みだぎゃ。縄張りを四つ手に分けているから分担しなくちゃならにゃあ」
「どうして丸っこくしないんですか。そっちのほうが簡単じゃないッスか」
「丸っこくしたらどこからでも攻めてこられるだぎゃあろ。こういうふうにヘコんだ部分があったら、ここに殺到しなくちゃならにゃあわけだぎゃ。そこを土塁の上から柵越しに槍を突く。櫓から矢を射掛けるわけだぎゃ」
築城に取り掛かるのは日暮れと同時にらしい。
「夜になったら見えないじゃないッスか。かがり火をいっぱい焚いたら斉藤方に知られちゃうじゃないッスか」
「そりゃそうだぎゃあけども、敵方も夜は真っ暗で動けにゃあ。動くとしたらこっちが築城していると知った次の日だぎゃ。ほんでもそれは墨俣城に詰めている兵卒だけでだぎゃ。稲葉山の援軍が到着するとしたら昼過ぎだぎゃ」
「んで、人は揃っているんスか」
「それが問題だぎゃ。葉栗の百姓どもを駆り出しても千人は集まらにゃあ」
「だって、尾張中の農民をかき集めるだのなんだの言ってたじゃないッスか」
「そりゃそうだぎゃあけども、さすがに無理だぎゃ。これは敵方に知られちゃならにゃあ。ほんだから、百姓どもに伝えるんは築城の朝だぎゃ」
ということは近隣の農民しか駆り出せないということになる。
「銭貫文を払うっちゅうことで、川並衆にも手伝わせることになっただぎゃあけども、それでも足らにゃあ」
「おやかた様に兵を出してもらえないんスか」
「出してもらうだぎゃあけども、それはあくまで守兵としてだぎゃ。出来上がったあとの話だぎゃ。それにおりゃあたちだけでやらにゃあと」
なので、かき集めてくれとサルに注文された。
どうやって。
この半年間、サルは何をやっていたのか。縄張りだの材木だのよりも肝心な部分が欠けていたんじゃないのか。
ボロ家に帰ってき、太郎がいないので自分で白湯を沸かす。やけどしそうになって舌を打つ。
「どこに行ってんだ、太郎は」
と、愚痴っていたら、壺を抱えて帰ってきた。魚を釣ってきたらしい。ちょうど囲炉裏に火を入れたので焼き魚にする。
「おやかた様にお会いされたのですか」
「ああ。蟄居処分三ヶ月って言われたけど、いくさが始まるから処分は保留だってよ」
「それならば是が非でも勲功を立てなければなりませんね」
おれは溜め息をついて串刺しにした焼き魚を太郎から受け取る。
脂のしみ出た川魚に腹からがぶりと噛み付く。うむ。白身がたっぷり詰まっていてうまい。
「でもよ、墨俣築城では人が足らねえんだってよ。藤吉郎殿はかき集めてこいとか言ってんだ。まいっちまうぜ」
「沓掛の農民にお願いするしかないんじゃ」
「沓掛から墨俣まで連れていけるかよ。絶対に連れていく途中で逃げ出す奴が続出するわ」
「足軽に召し抱えればよろしいんじゃ。農家には次男坊や三男坊がいます。農家だけじゃなく町人にも」
「丹羽ゴロザ殿が許してくれるわけねえじゃねえか」
「ちゃんとした理由があれば聞いてくれるんじゃないですか」
骨まで食った魚の串を囲炉裏の中にぽいっと放り捨て、おれは寝転がる。ボロ家の梁を眺めながら思う。マリオを脅してやろうかなと。太郎は隠し子だろうって。
いいや、それはいかん。太郎がめんどくさいことに巻き込まれそうだ。
翌日、沓掛に戻る。
門番の雑兵がぎょっとして棒立ちになり、「やあ」とおれが苦笑しながら右手を掲げた途端、唇を震わせながらおれに駆け寄ってきた。
「ご、ご存命だったんですかっ!」
すると、雑兵は泣き出した。
嬉しいような恥ずかしいような、それでいて、おれごときにどうして泣いているんだろうと思っていたら、城内で働いている小者の連中や明智庄の女の子たちもわいわいと集まってきては泣いて喜び、おれの手を握り、よかったよかったとたいそうなお迎えだった。
「や、や、簗田殿っ! 太郎もかっ!」
騒ぎを聞きつけてマリオも飛び出してくる。
「何をやっておったんだっ、お主たちはっ! どこに行っておったっ!」
涙目になりながら顔を真っ赤にして怒っているので、子供の太郎がいなくなっていたというのもあるのだろう、ただ、こいつが城を乗っ取るだなんて考えられなかった。
広間に上がり、かくかくしかじか菩提山に行っていたことを伝える。
「まったく。一言ぐらい言い残していったらどうなのだっ」
「すいません。ここまで長くなるとは思っていなかったんで。でも、あと一歩ッス。あと一歩で美濃取りッス」
そこでなんなんだが、と、おれは両手をついてマリオにお願いする。沓掛勢を増やしたいと。
「あっしの取り分は差っ引いても構わないッス」
マリオは渋い顔をしたが、うなずいた。
「築城の日が来たらわしのところから、児玉の足軽も連れていきなされ。家臣とともにつかわすから」
「ほ、ほんとッスかっ」
「織田の命運がかかっているのなら、当然であろう」
「あ、ありがとうございますっ。恩に着ますっ」
「皆、心配しておったのだぞ」
マリオから話を聞いて、どうして、英雄でもないおれの帰りを泣いて喜んでいたかわかった。
風呂を町の人間にまで分けてやったり、足軽雑兵の面倒を見てやったりしていたかららしい。
それしきで英雄になれるのかい……。
ところでチヨタンの姿がないので、おれはそわそわとしながら城内を巡る。どこにもいないので不安になってくる。チヨタンがどこにいるのかとも訊けないので、仕方なく居室に戻る。
しばらくすると、太郎がやって来て、シラーッとした目で突っ立っている。
「千代殿がお目通りを願っております」
おれはがばりと起き上がり、広間に飛び出ていった。
すると、チヨタンは第一陣の明智庄の女の子たちと一緒になって庭先に平伏している。
おれは少々の違和感。
どうしてそんなよそよそしい真似をしているのか。
チヨタンは顔を上げてきて、生真面目な顔で言った。
「簗田様がご無事にお帰りされたということで、明智庄の者たちを代表してご挨拶に参りました」
「う、うん――」
チヨタンはまた頭を下げて顔を伏せて、どっかの武将みたいにしてぺらぺらと言う。
「簗田様のお計らいで明智庄の女子供は、皆、無事に沓掛に越させて頂きました。ありがとうございます。我々は簗田様のご戦勝をお祈りしております」
そうして、他の女の子たちも「ありがとうございます」と口々に言い、
「それでは失礼します」
と、よそよそしいまま庭から去っていった。
大きな揚羽蝶が庭から塀の外へと飛んでいき、うららかな春の日である。
なんなんだ、あれは……。まるで赤の他人じゃないか……。
おれは思わず、隣で殿様の小姓みたいにして片膝をついている太郎に目を向けてしまう。おれの意図を察したのか、太郎は首をかしげる。
胸騒ぎを覚える。
おれはそのまま広間に居座る。
玉手箱を開けてしまった浦島太郎のようにしてぼうっとしていると、太郎が刀の手入れ道具を持ってきて、脇差しを磨いたほうがいいんじゃないかと言ってくる。
「あ、ああ」
太郎に教わりながら脇差しを手入れしていく。
ドカドカと廊下を叩いて走ってくる足音があった。
「と、殿っ!」
広間の前に飛び出してきたのは具足姿のイエモンだった。チッ。見たくもない顔だと思ったら、イエモンは肩を震わせながらおれを眺めており、やがて、がばりと頭を床につける。
「ご、ご、ご無事でなによりっ!」
どうしたことか、イエモンは嗚咽を漏らしながら右腕で瞼をぬぐっていた。さらにソフエもやって来て、イエモンに並んで両膝をつけて、同じことを言った。同じように泣き出した。
イエモンなんて、おれが死亡してほくそ笑っているものだとばかり思っていたから、おれは戸惑ってしまう。
何も言葉にできないでいると、太郎がにやにやしているので、軽く肩パンした。
おれは腰を上げてイエモンの前にそびえ立つ。
「すまなかったな。この通り怪我一つない。ところでキミたちはどうしていくさ姿なんだ」
ううっと泣いて声にならないイエモンの代わりにソフエが顔を上げてくる。
「沓掛勢の鍛錬を」
「ああそう。ところで、近々いくさがあるから沓掛勢を増やしたいんだ。五十人から百人ほど。お前らもかき集めてくれるな?」
「もちろんです」
と、ソフエが言うと、イエモンがなぜか、
「かしこまりましたあっ!」
と、どっかの武将みたいに元気よく礼儀正しいので、二人が引き下がったあともおれは首をかしげっぱなしであった。
太郎に言われた通り、脇差しの刃を打ち粉で叩いていきながら、おれはつぶやく。
「おかしいな。なんなんだ、あいつは」
「殿が変わられたから伊右衛門殿も変わられたのでは」
「おれが変わった? 全然そんなつもりはねえけど」
「城内の人たちも、足軽衆も、見る目が違っているじゃありませんか」
「ち、チヨタンも、か?」
「さあ」
と、チヨタンの名前を出した途端、太郎は不愉快そうにして顔つきを変える。
「どうしてそうやって嫌うんだ。お前がそういう態度だから、チヨタンはあんなよそよそしい真似をしたんじゃないのか」
「さあ。千代殿は何を考えているのかさっぱりわかりませんから。とりあえず、殿の手には負えないおなごだと思いますが」
「手に負えない女だと? ガキが知ったような口をきいてんじゃねえ」
童貞小僧のくせに。
……。
「太郎、お前――、まさかそういう経験ってあるはずないよな? 女の子と、その、やっちゃった経験って」
「ありません。それが何か?」
「う、うん。それだったらいいんだ。うん。好きな女の子とかはいないのかな?」
「おりません。それが何か?」
「いや、うん、なんでもない」
墨俣築城の練習のため、外堀を作ると言って、堀がめぐらされているさらに外側を沓掛勢に掘らせていった。
なぜか更生しているイエモンがおれにきちんとした敬語で訊ねてくる。
「なにゆえ急に外堀なのですか。今の沓掛城は攻められる危険がないです」
気味が悪いなと思いつつも、イエモンに墨俣のことを説明した。
するとイエモンはやる気になって、鋤鍬で土を掘り返していく沓掛勢を叱咤激励し始めた。
たった半年でまったく人が変わってしまったイエモンである。
こいつ、まさか乗っ取ろうとして更生したんじゃないのかと疑いつつも、土を掘っていく沓掛勢を眺めながら、おれはこれはいかんなと思う。
だらだらとやっているのである。
そりゃそうかもしれない。こいつらは俸禄を頂戴している真正の戦闘集団であり、土方作業なんてやりたくもないのだろう。
「百姓にやらせればいいじゃねえか」とおれが聞こえていないと思って愚痴っている始末である。
叱り飛ばしたところで、こいつらは性根がならず者だから、言うことを聞かずに嫌々やるだけである。
エサをぶら下げないと駄目なのかもしれない。
沓掛勢を手伝って自分も穴掘りしている太郎を呼び上げてき、城には酒は置いていないのか訊ねた。ちょっとぐらいならあるはずだと言って、太郎に案内されて物置小屋に入った。どぶろくが貯蔵されていた。
おれは現場に戻ると、作業を一旦止めさせ、作業は十人十組の足軽組ごとに分けると伝えた。
掘る箇所も尺を測って均等に分けていき、一番組はここ、二番組はここ、と、振り分けていった。
「いちばん早く掘れた組には酒を振る舞ってやる。ただし、いんちきすんじゃねえぞ。ちゃんと深さも測るからな」
途端にならず者連中はやる気になって掘り始めた。
予想以上に鼻息を荒くし、ベテランの雑兵が若僧を叱ったり、怠けている奴が自分の組にいたら組頭が怒鳴りつけ、そんなに酒が飲みてえのかとおれは呆れたが、エサをぶら下げるとやる気はまったく変わるものだった。
とはいえ、土方作業は重労働である。ややもするとペースは落ちていく。酒の力で鼻息は荒いものの体が付いていかなくなってくる。
墨俣は深夜作業になる。日暮れから始まって夜明けまで十二時間だ。ぶっ通しで作業を続けられるはずがない。
効率を上昇させないと駄目だと思い、おれはあれこれ考えた。昼メシのとき、滅多やたらに鋤鍬を振るっている連中に、どうすれば効率が上げられるものかと意見を出させた。バカどもは首をかしげていたが、一人の若者が掘る人間と掘り返した土を引き上げる人間に分けたほうがいいと言った。
そんなの当たり前だろと言いたいところだったが、こいつらはバカなので、なんの取り決めもせずに、みんなで掘ってみんなで土を引き上げるということをしていたのである。
「そうしたら、掘っている奴より引き上げる奴のほうが楽しているじゃねえか」と誰かが反論し、いや、だからこれこれこうだと若者も反論する。
そのうち、バカどもはこうしたほうがいい、それは違うとなかば揉め始めたので、じゃあそれぞれの組で考えてやってみろとおれは言った。
「これは使えると思ったことをやった組には、いちばん早かった組とは別に酒を出してやる」
すると、単純作業をやっていた連中は急に話し合いながら作業に取りかかり始め、こうしたほうがいい、ああしたほうがいい、と、体だけじゃなく、頭も使いながらやり始めた。
夕暮れになって測った分はあらかた掘れていたが、サルがおれに見せてきた縄張り図を思い返してみると、なかなかうまくはいかなそうだと思い悩まされるあんばいであった。
約束どおりいちばん早かった組と、アイディア組には酒を振る舞った。脱落した足軽組がぶつくさとふてくされていたので、明日も作業をやるから何が悪かったか、酒を飲みながら組の者同士で話し合えと言って、一人一杯ぶんの量だけの酒瓶を渡していった。
だが、たとえ沓掛勢の穴掘り作業が早くなったとしても、おれは下請け土木会社の社長じゃねえ。自分のところの仕事だけをやって済む立場じゃねえ。墨俣の砦を完成させなくちゃならない立場なのだ。
沓掛勢だけをプロの土木作業員にさせたところで話にならないのである。
どんな野郎でも効率よく穴を掘り、土塁を積み上げ、柵をこしらえていくことのできる作業手順を作らないと駄目だ。
毎日毎日、沓掛勢に土方をさせながら、おれはその日の作業内容を紙に書いていき、どうすればいいものか毎晩悩みつつも、昼は沓掛勢を監督し、いつも酒にありつけなくてやる気のない組が出てくるとおれが自ら鍬を振るって鼓舞してやった。
毎日やっていると飽きてくるので、休日をはさみつつ、いくさの訓練もさせた。
土方をしていないときは清洲のサルのところに出かけ、小一郎も加えて縄張り図を囲いながら、一夜で仕上げるためにあれやこれやと論争した。
また、サルとともに木曽川上流の材木置き場に行ったり、川並衆の蜂須賀小六や坪内喜太郎のところに行って事前打ち合わせをしたり、墨俣に忍び込んで現場調査したりした。
「今、この辺りの田んぼの名主を調べさせているだぎゃ。数日前にはそやつに銭を渡して黙らせて、田んぼから水を抜くだぎゃ」
夜闇に紛れて築城現場を歩き回っていく。今は水は張っていないけれども、田植えになるとぬかるみになってしまう。
「櫓の柱を立てるのが苦労しそうだぎゃ。地盤が柔らかいだぎゃあから」
「人手はどうなんスか。あっしは一応、沓掛の人間を百五十に増やしましたよ。言っておきますけど、その分だけ俸禄を払わなくちゃいけなくなったんスからね」
「わかってるだぎゃ」
「丹羽五郎左殿が児玉の人間も連れていっていいって言ってくれましたからね。多分、五百人ぐらいは連れていけますよ。藤吉郎殿はどうなんスか」
「今、かき集めているだぎゃ。ほうぼうに頭を下げて回っているだぎゃ。んでも、ちょっと間に合わんかもしれねえだぎゃあな。おみゃあ、もうちょっと増やせないかえ」
おれは舌を打ちながらも着物を脱いでいき、ふんどし一丁になって木曽川に入っていく。
川の水が冷たい。
でも、やらなきゃならん。渡らなきゃならん。
沓掛に戻ってくると作業手順書を作成しつつも、沓掛の村を回っていって、沓掛城の足軽になってくれるような若い人間はいないかと名主に相談する。
月に二度のお風呂デーには、城内に行列を作る中に屈強な男がいたら、声をかけてみる。
毎日毎日、考えて動き回り、鍬を振るっては筆を取り、不安にもなってくる。
造れるのかって。
チヨタンともめっきり顔を合わせていない。どうして城に来てくれないんだろうともやもやしながらも、こちらから会いに行っちゃならないと気を引き締める。
だって、おれは吉乃さんに約束したんだ。でれでれしている場合じゃねえんだ。
明智庄のことだってそうだ。美濃を攻め取らなければならない理由があるんだ。浮かれるのはそれからだ。
まだ、おれたちは細い流れでしかない。細い流れはうっかり土砂でも崩れちまったら堰き止められちまう。堰き止めるわけにはいかないんだ。大きな河になるまでは。
しかし、人手不足は解消しなかった。むしろ、打ち合わせをするたびに「ここにはこれだけに人足が必要だったぎゃ」と、人の増員を求めてくるのである。
おれはさすがにカチンと来た。
「言っていることがむちゃくちゃじゃねえかっ! かき集めろかき集めろってどれだけかき集めればいいんスかっ! もういい加減にしてくださいよっ!」
「いい加減にしろも何も足らにゃあんだから仕方ねえだぎゃあろっ!」
「この縄張り図を変更してくださいよっ! 設計が悪いんだ! 設計が!」
「どこをどうやって変えろって言うんだぎゃっ! 削りに削ってこれだぎゃあぞっ!」
「ここのヒトデの足っ! これいらないでしょっ!」
「いるだぎゃっ!」
「いらねえっ! こんな変てこな形にしてるから何人集めても足らねえんだっ!」
「おみゃあ、何もわからにゃあくせに四の五の口を出してくんじゃにゃあっ!」
「なんだとお。こっちは一生懸命になって尾張中を駆け回っているってのに」
「何が一所懸命だがや。笑わせんじゃにゃあだぎゃ」
「なんだとこの詐欺師っ!」
「なんだぎゃやるんかえっ!」
おれとサルが取っ組み合うと、小一郎が力ずくで割って入ってきて引き剥がされる。
「お互いに冷静になってくだされっ。兄さんもっ、簗田殿もっ」
「こやつが生意気な口を叩くんだぎゃろうがっ!」
「めちゃくちゃなことを言ってんのはあんただろうがっ!」
「姉さん! 姉さん!」
と、小一郎が叫び出したので、おれとサルは口をつぐんで腰を下ろす。
「どうしたのです、小一さん。そんな大きな声を出して」
「兄さんと簗田殿がまた喧嘩を始めてしまって」
無言で縄張り図を眺めるおれとサルの間に寧々さんは回りこんできて、眉をしかめながらおれたちを交互に見回す。
「お前様たち、喧嘩するんだったらやめてしまったらどうなんです」
「やめられるわけがにゃあだぎゃろうが」
「それならお静かにどうぞ」
寧々さんはぴしゃりと戸を閉めていき、おれとサルは小一郎を睨みつける。
「姉さんも墨俣に連れていったほうがいいのでは?」
バカ野郎と二人で小一郎を叱り飛ばす。
沓掛でも田植えは始まってしまっている。決行の日は近くなってしまっている。材木はあらかた切り揃え終わっており、川並衆も筏を用意している。作業手順書も仕上がった。それで行くとサルのお墨付きも得た。
けれど、人が足らん。欲しい人数から一割ばかし足らん。
「マタザ殿からもお願いします。荒子のお兄さんから人を分けて出してくれるようお願いしてくださいッス」
うーん、と、クソマタザは腕を組んで渋る。頭を下げているおれの背中にマタザの子供の女の子が乗っかってきて牛扱いしてくるというのに、それを注意しないバカ親のマタザはうーんと唸る。
「もーもーっ! 牛さんもーもーっ!」
マタザの娘がべちべちと髷を叩いてくるので、おれは仕方なくもーもーと言いながら部屋の中を四つん這いで歩きまわる。
「お願いしますよ、マタザさん。何がそんなにためらわせているんスか」
「もーもーっ!」
ぐぬぬ。
わがまま娘を乗せて、おれはもーもーと言いながら部屋の中を這いまわる。
「正直、荒子の兄者には頼みづらいからな……。出奔した件があるし……。一応、長八には伝えておくが」
「お願いします。本当にこれで勝敗が決まるんスから」
「もーもーっ!」
ぐぬぬ。
悔い改めたマタザは、桶狭間や森部での男気も失せてしまっており、すっかりただの頼りがいのないパパになってしまっていた。
マタザの娘におもちゃにされただけのおれは小牧山のマタザの屋敷をあとにすると、他に頼める知り合いは誰かなと思う。
ハットリ君――、いや、ただの馬廻衆だから派遣できるような人数の家来を雇っていない。
森サンザ――、駄目だ、重臣すぎるし、お願いしてばっかりだから。
インチキ芸能記者――、あいつはすぐに見返りのネタを要求してくるからな。絶対におれが行方不明になっていたことを訊いてくる。あいつはお喋りだから今はネタとして提供できない。
あとは、佐々くら――、論外。頼む前に殺される。
マリオに人をもっと寄越せって迫るしかねえ。
マリオは今、小牧山に来ている。ちょうどいいと思って、マリオの屋敷に押しかける。
「そう焦るでない」
と、マリオは両袖の下に両手を入れてむっつりと座る。おれと同じぐらいの年齢だっていうのにブラシ髭から威厳を漂わせて。
ヤリチンのくせして。
「ここだけの話だが、おやかた様は墨俣築城のため、手を尽くしている。斉藤方の目を別の方向にすれば、稲葉山の本隊が墨俣にただちに駆けつけることもできなくなる。そのためにあらゆる手段を取っている」
「具体的に言うとなんスか」
「それは教えられん。敵をだますには味方もあざむかなければならん。お主も人手欲しさにあまり吹いて回るんじゃない。どこから漏れるかわからんのだぞ」
マリオに説教されると、ヤリチン野郎のひとでなしという言葉が喉から出かかりそうになるが、そこはこらえ、おれは清洲のボロ家に退散した。
墨俣築城のため、信長が何かを仕込んでいる……。
本当かよ。
本当におれとかサルのために、あの親分が仕込んでくれているのかよ。
いや、あのとき信長は言った。
――貴様らは俺の下で働く者だ。誰であれ存じていて当然だ。
仕込んでいる。信長はわかっている。なんでもわかっているんだ。
信じるしかねえ。
そして、田んぼに植えられていく緑の苗を薫風がなびかせ始めたある日、サルが沓掛城に飛んできた。
誰にも言わずに勝手に上がってきて、牛殿はどこだぎゃ、なんていう大声が響いているので、何か嫌な予感がして居室から出ていく。
すると、廊下でおれを見かけるなり、夢中で駆け寄ってきたサルは目玉を剥き出しにしておれを見上げてくる。
「ど、どうしたんスか。なんか問題でもあったんスか」
「いんや、吉報だぎゃ。おやかた様が五千の兵を率いて小牧山を出陣、犬山に着陣するそうだぎゃ。んでもそれは偽装だぎゃ」
「え?」
「蜂須賀の小六に聞いたんだけども、織田勢が一万の兵で木曽川を越えてきて東美濃に攻めかかるっちゅう風聞が斉藤方に流れているそうだぎゃ。桶狭間のとき、今川が尾張に攻めてくるってなったようになっているだぎゃ」
「え、え? そ、そうなったらどうなんスか」
「ほんだら、墨俣のことが知れても稲葉山の刑部は迂闊に手出しできねえだぎゃ。当然、いくさに構えるだぎゃろうが」
言われてみれば、それもそうなのかなとおれは思った。
「前倒しだぎゃ。三日後には墨俣だぎゃ。おみゃあ急いで支度をするんだぎゃ。おりゃあは段取りしなくちゃなんねえ。おみゃあもしっかりとかき集めるんだぎゃあぞ。うかうかしてられにゃあぞ。明後日だぎゃあぞ。明後日の昼までには坪内喜太郎んところの、葉栗の松倉に来るんだぎゃあぞ」
「は、はい」
サルはバチンッとおれの腕を叩いたあと、さっさと走って去っていった。
明後日――。
おれはあわてて館を飛び出して、イエモンやソフエを捕まえに行った。




