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ふりてんつもる(前編)  作者: ぱじゃまくんくん夫
第四章 美濃騒動戦
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天下に発つ

挿絵(By みてみん)

永禄九年冬頃の状況。黄色の囲いが織田方、青い囲いが斉藤方。


 ニート君の案内で菩提山の頂上に連れられた。門や柵に縄張りされた館があるが、ニート君の家族や手下たちは普段は菩提山のふもとの館ですごしているそうで、何かあったときにしか城館にこもらないらしい。

「ここも冬になると雪に覆われます。今年はいつごろに降りましょうか。木々もすっかり枯れてしまいましたね。もう少し早く来て頂ければ紅葉がとても美しかったのですが」

 山々が連なる一角の菩提山からは濃尾平野が眺望できる。青々としていた田園風景も、今では山吹色に枯れて風の通り道となっている。

「四季というものは不思議です。情緒をもたらします。春には花々であでやかに、夏には草木に猛々しく、秋は落葉に寂しく、冬には風と雪にせつない。なにゆえ、我々は何度も何度も繰り返し見ているこの景色にそうした情感を得るのでしょう」

 ニート君は口許を女性のように緩ませながらも、二重の細いまぶたを物憂げに細めて、枯れた景色を見つめている。

「去年も一昨年も同じ情感を得たのですから、どうやら拙者は大して進歩していないのでしょう」

 ニートすぎて世捨て人にまで昇格してしまっているようである。でも、織田を震え上がらせた竹中半兵衛とは思えないほど優しい横顔をしている。

「いくさ場に出る気はないんスか?」

 おれが訊ねると、ニート君は首をかしげながら笑う。

「どうでしょう。ないと言えば嘘にはなりますが、なんだか、奉公というのは疲れます。いくさをするのは好きです。ただ、奉公は嫌いなのです」

「なるほど。その気持ちわかります」

「実は簗田殿は、奉公したくないばかりにここに来ているのではないんですか?」

「それは、ちょっとだけあるかな」

 ニート君は声を立てて笑った。

「拙者にとってはいい迷惑です」

「半兵衛殿が織田方になればいいんです」

「だから言っているではありませんか。奉公は嫌いだと」

 ニート君は一人で庵に閉じこもっているのが寂しかったのかなんなのか、おれを追い出そうとはしなかった。いつまで居るつもりだとも訊いてこない。毎朝、一緒に棒を振り回して稽古をし、質素な朝メシを食べ、冷たい沢から水を汲んできたり、山菜や茸を採って、これは食べられない、これは食べられると教わり、ニート君が本を読んでいるときはおれは庭で筋トレ。

 ある日にはチヨタンに会いたいと思いつつスクワットをしていると、「鹿狩りでもしましょう」とニート君は言い出し、カンカンカンと鐘を鳴らして、ふもとの居館から下人を呼び出してくるという高級ニートぶり。

 ニート君は矢筒を背負う。おれと下人は二人で半鐘を鳴らして鹿を追い出してくる。ニート君が矢を放って鹿は即死。

「鍋にしましょう」

 ニート君自らが鹿肉をさばき、おれはグロくて見てられなかったが、鍋の中に入ってしまえば、グロいも何もない。肉なんて戦国時代に来て初めてじゃないだろうか。うめえうめえと食いつつ、すっかりおれもニート暮らしの居心地がよくなってしまって、当初の目的をうっかり忘れてしまいそうになる。

 庵に寝転がって本を読んでいる半兵衛におれは言う。

「なあ、半兵衛。頼むから織田に来てくれよ」

 すっかりトモダチなので、タメ語だ。

 半兵衛はあくびをかいて、ケツをボリボリとかきながら本をめくり、おれの話に耳を貸さない。

「いつまでも仙人をやっているわけにはいかないだろ」

「仙人? それもいいですね。拙者はこれから仙人にでもなりましょうか」

 クソ……。一筋縄には行かないとはわかっていたけど、ここまでとは思わなかった。

 だからといって諦めるわけには行かねえ。こいつが織田に入れば一瞬でいくさは終わるんだ。墨俣だのなんだのこめんどくせえことをやるよりも、はるかに効率がいいんだ。

 とはいえ、一ヶ月近くである。もうすぐ年が暮れる。

 おれは庵の庭に一人たたずみ、枯れ枝にひび割れた灰色の空を見上げ、チヨタンのことを思う。心配しているかな。行き先は太郎にしか伝えていないから、行方不明中だもんな。一回ぐらいは帰ろうかな。

 いや、駄目だ。おれが意固地だというところを半兵衛にアピールしなきゃならないんだ。本気でここから離れないというところを見せなければならないんだ。

 おれは邪念を振り払うようにして棒を振り回す。

 と、そこへ、山道を上がってきた人影があって、おれは棒を下ろした。腰には大小を差している。水色の綺麗な小袖をまとっているが、箕笠を被り、背中には荷物を背負っているので、菩提山のふもとの人間ではない旅人っぽかった。

 旅人はおれに一礼してくるので、おれも頭を下げる。そうして旅人は笠を外しながら歩み寄ってくる。

「竹中半兵衛殿の今の住まいはこちらと聞いたのですが」

 おれよりちょっと年配のオッサンだった。それでも細目の目許が涼やかでいて、唇はたおやかに緩めており、年配に見えるんだけれども、若々しくも見えるという不思議な野郎だ。

「はあ。ここッスけど。どちらさんスか」

「明智十兵衛と申します」

「明智十兵衛さん。はあ。半兵衛殿なら庵の中にいるんで、どうぞこちらに」

 アケチジュウベエ……。柳生十兵衛みてえな名前だな。

 剣豪かな?

「半兵衛殿。客人ッスよ」

 縁側から呼ぶと、半兵衛は小袖を何枚も羽織ってダルマみたいになりながら、火鉢を抱えて本を読んでいた。ボリボリと頭を掻きながら、鬱陶しそうにこちらに二重まぶたを向けてきたら、途端に瞼を押し広げて腰を上げ、ドタドタと縁側に駆け寄ってくる。

「十兵衛様っ! お久しぶりですっ!」

 半兵衛は喜び勇んで縁側から草履を突っかけて下りてき、十兵衛とかいう剣豪の目の前で頭を深々と下げる。

「久方ぶりだな。達者なのか達者でないのかよくわからん有り様だが」

「お見苦しいところを。あっ、こちらは織田の沓掛城主の簗田牛太郎殿です」

「簗田殿っ?」

 と、今度は十兵衛が驚いて、丸めた目でおれの顔をまじまじと見つめたあと、あわてて頭を下げてくる。

「こ、これはっ。簗田牛太郎殿とは知らずご無礼を」

「え? 知っているんスか、あっしのこと」

「もちろんでございます。明智の女子供を居城に匿って頂いていると、石川小四郎から聞いております。まさかここで会えるとは思ってもおりませんでした」

「ああ、いえいえ。とんでもないッス」

 おれは愛想笑いを浮かべながら頭を下げ返したものの、むう、剣豪ではないようだ。

 ということは……。



 ひょんなことからおれは明智光秀と知り合いになってしまった。

「拙者は今、越前の朝倉様の客将として禄を食んでおります。幕府再興のために動き回ってはいるのですが、なかなか、難儀なもので」

 自嘲するように笑いながら、明智十兵衛は半兵衛特性のニート白湯をずずっとすする。

 越前朝倉に居候しながら幕府再興のために諸国をうろつく明智。おれの足りない頭でもその辺はなんとなく入っている。こいつは間違いなく明智光秀だ。

 明智庄にある長山城の城主だった明智兵庫頭は十兵衛の養父らしくて、マムシとその息子の争いのときに死んだらしいが、そのとき十兵衛は落ち延びて、そのまま京都に流れていったらしい。

 いろいろあって先代将軍の弟と知り合いになり、越前国というところの朝倉って野郎に居候している。

「道三公に従った拙者ですので、半兵衛とはいっときは敵同士の間柄だったのですが、半兵衛が隠遁したという話を聞いて、文をちょくちょくと送っていたのです」

 竹中半兵衛に明智光秀か。まったくすごいことになっちまったぜ。

 まあ、二人とも無職だがな。

「ところで、なにゆえ織田の簗田殿が菩提山に」

「こちらの御仁、帰ってくれないのです。拙者が織田の録を食むと言うまでは帰らないと。信じられません。簗田殿は三千貫の所領主なのですよ」

 明智十兵衛はおれに唖然として目を向けると、すぐに笑ってごまかした。

「左様ですか。よろしいのですか、かように城を空けてしまって」

「大丈夫ッス。代わりの者がいろいろとやっているんで」

「しかし、半兵衛、どうなのだ、このままずっと隠遁しているつもりなのか」

「わかりかねます」

 半兵衛は瞼を細めながら湯のみに唇を添える。

「天下が必要としてくれるならば山を下りるかもしれませんが、必要とされなければ生涯このままかもしれません」

「いや、必要としているでしょう、あっしが」

「織田と斉藤の争いには加わりたくありませぬ」

 おれは溜め息をつき、明智十兵衛が笑う。

「必要とされるかされないかの前に、どうせお主は下りるであろう。お主はまだまだ己を試し切れていないはずだ。違うか?」

 半兵衛は何も答えず、ただただ笑みを浮かべるだけで湯のみを床に置く。

「そういえば、簗田殿、せっかくなので」

 と、十兵衛がかたわらに置いていた太刀と脇差しのうち、脇差しを握っておれに差し出してきた。

 おれはきょとんとして脇差しと十兵衛を交互に見やる。

「貰ってくだされ。明智の者どもに世話をしていただいた礼です。これしきでは恩は返せませんでしょうが、今の拙者にはこれが精一杯。どうか、受け取ってくだされ」

「え、いや……」

 黒塗りの鞘がピカピカに磨きぬかれていて、水色の花びらの家紋みたいなものが記されている。とても高級そうなんだが、いいのかな? 貰えるものなら貰いたいけど。特に刀は持っていないから。

「い、いいんスか?」

「ええ」

「じゃ、すいませんッス。頂戴します」

 おれはニヤニヤしながら脇差しを受け取り、ちょっと嬉しくてまじまじと眺めてしまう。柄を握って鞘からちょっとだけ抜くと、銀色に光り輝く刃が。

「これも何かの縁かと。――半兵衛、拙者はこれは何かの縁だと思うがな」

 明智十兵衛はここに何をしに来たのだか、白湯を一杯飲んだだけですぐに菩提山を下りていった。

「十兵衛様こそ、くすぶっているように拙者は見えましたがね」

 見送っていた半兵衛は、十兵衛の姿が山道からなくなると、そう言って縁側に上がっていった。

 そうこうしているうちに年を越してしまった。



「皆々様、お迷いになられているようです」

 雪がちらつく、ある日、小袖の重ね着でダルマになっている半兵衛は、そう言っておれに手紙を見せてきた。

しゅうとからです」

 おれは手紙を読むふりをする。太郎からスパルタ教育を受けたおれだが、いまだにミミズ文字は読み慣れない。

「つまり、どういうことだい?」

 と、わかったようなふりをしてわかっていないふりをした。

「夏に南美濃の宇留摩うるま猿喰さるばみが織田方の手に落ちました。いよいよ上総介は木曽川を越えてきたわけでありますが、拙者の舅は進退をどうするべきか相談を持ちかけてきたのです」

 半兵衛の舅っていうのは、稲葉山城の西、菩提山の北東に位置する北方城の城主の安藤伊賀守とかいう奴である。

 前にサルに聞いたことがあるが、安藤伊賀守は稲葉山城を乗っ取った一味の一人で、城をタツオキに返したあとは、従来通り家臣に戻った。しかし、タツオキのどら息子ぶりは相変わらずなので、心服していないんじゃないかともサルは言っていた。

「進退を決めるのは尚早すぎると答えておきましょう」

 と、半兵衛が筆を取ったので、おれはその手を止めた。

「いや、ちょっと待ってくれよ。意地悪するなよ。織田に付いたほうがいいって答えてくれよ」

「それはなりません。織田方との内通が知られてしまったら、舅は孤立してしまいます」

 意地悪ではなく、位置的に駄目だと言う。半兵衛はささっと地図を書いた。

 地図を指し示しながら、北方城は西美濃に位置し、もしものときに織田の援軍が来られるような場所ではないので、愚考すぎると。

「ただ、大垣の氏家殿、曽根の稲葉殿もろとも内通したとあれば、話は違いますがね」

 人さし指で西美濃周辺をトントンと叩いた半兵衛は、おれに視線を持ち上げてきてにニヤッと笑う。

 おれは半兵衛のその笑みで察した。こいつ、ようやく半分ぐらい折れてくれた。自分は織田方には入らない。けれども調略は手伝ってやってもいいということだ。

 おれはサルとの調略で、氏家や稲葉といった連中に直接会ったことはないけれども、その周りの手下たちに接触したことはある。そのときはまったく相手にされなかった。

「じゃあ、半兵衛。お前から文を出してくれよ。この二人に」

 そう、半兵衛の手紙なら読むはずだ。考えを巡らせるはずだ。

「別に構いませんが、なんと書くのです」

「織田方に付けって」

「なにゆえ?」

「そ、そっちのほうが得だからだ」

「かような文など出せるわけありませぬ。子供じゃないのですから。そもそも簗田殿は拙者に対してもそうですが、織田方に付け付けと言うばかりで、なにゆえ付かなければならないのか、その理由を明確にしておりませぬ。それは確かに上総介や簗田殿の利益にはなりましょう。しかし、拙者どもには貴公たちの利益など関係ありませぬ。なぜ、織田方に付かなければならないのか、納得できるような言葉がなければ寝返りなどもっての他です」

 うるっせえ……。ほとんど説教じゃねえか。

「上総介に従えば、どんな利益が与えられるのか、それを明確に示さなければ内通などしません。俸禄や所領もそうですが、魅力を感じさせる将来、展望、それを考えてくだされ。拙者は簗田殿がこれこれこう申していると文にしたためますゆえ」

「わ、わかった。考える」

 おれは半兵衛先生と一緒の空間にいるのがむかついてきたので、庭に出た。雲が崩れたかのようにして大量の雪が降っている。木の枝も庭もすっかり白くなってしまっている。おれはアケチソードをびゅんびゅん振るってむかつきを晴らしていく。

 半兵衛が作ってくれりゃ済む話なのに。

 でも、あのクソニートは偏屈だから、最低限の手助けしかしてくれねえ。

 おれは降る雪を斬っていくようにしてアケチソードを振っていくが、雪はふわふわと逃げていく。

 吐く息はやたらに白い。草履の足は雪に埋まって冷たい。それらに気づいておれはやみくもな刀を止める。

 肩で息をつきながら、しんしんと真っ白な世界で考える。

 納得できるような言葉――。

 魅力的な将来――。

 それは天下布武だ。信長といえば、岐阜に始まる天下布武だ。

 だけど、天下布武なんて言葉は存在していない。信長はまだ岐阜を打ち立てていないのだから。

 どうすればそれを説明できるか、どうすればそれを法螺吹きだと笑われないで済む納得できるような言葉に変えられるか。

 おれは寒くなって庵に戻ってもひたすら考えた。半兵衛は寝転がって本を読んでいたが、おれは修行僧のようにしてひたすら考えた。夜、寝るときも、朝に目が覚めても、チヨタンに会うため、沓掛に戻るために考えた。

 半兵衛があくびをかいて邪魔をするので、おれは外に出る。

 一面、真っ白な世界だったが、雪は止んでおり、空は鏡のように青い。おれはアケチソードを振る。冷たく透き通った静けさの中に振り下ろす。

 どうして、おれは信長の家臣なのか。つまり、そういうことなんだろう。

 玉野川に乞食同然にぶん投げられても、ボコボコにされても、おれは信長に従っている。

 信長が勝ち馬になるとわかっているから。

 でも、果たしてそれだけなんだろうか。

 おれは信長が大嫌いだが、それでもあの野郎を憎み切れない部分がある。それはやっぱり、おれを桶狭間の勲功第一にしてくれたからというのもあるし、それに寧々さんの鬼母に説教をかましたときも、おれは信長の子分で良かったとちょっとだけ思った。

 野良牛だの呉牛だのと後ろ指を差されていたおれを沓掛三千貫の城主にしてくれ、サルだの下人だのと嘲られているサルの結婚にまでしゃしゃり出てくる。

 だから、信長に付き従えば、どんな奴でも陽の目を見られるチャンスはあるってことなんだ。古くからの家臣じゃなくても、他所者でも。

 じゃあ、そんな信長がどうして天下を取れる。尾張一国の親分にしかすぎないあの野郎がどうすれば天下を取れる。

 どうやってそれを説明すればいいんだ。

 自分の頭の足りなさに腹立たしくって、おれは刀を振り下ろす。

「殿っ!」

 幻覚かなと思ったけれども、おれはアケチソードを下ろし、声がした山道のほうに目を向けた。

 あれ? 本当に太郎がいる。てか、血だらけなんだが――。

 おれはアケチソードを雪の上に放り捨て、あわてて駆け寄っていった。

「おいっ! どうしたんだよっ!」

 突っ立っている太郎は涙をぼろぼろとこぼしながらわめいた。

「どうしたもこうしたもありますかっ! 拙者は殿が死んだかと思ってしまいましたよっ!」

 太郎はその場に膝から崩れてしまい、おれは脇を抱き起こし、血だらけになっている太郎の顔を覗き込む。

「おい、なんだそれっ。お前、誰にやられたんだっ。大丈夫なのかっ」

 しかし太郎は何も答えずおれに抱きついてき、おいおいと泣きじゃくるばかりだった。



 太郎が血だらけなのは、太郎から出血したものではなく、返り血ということだった。

「これはずいぶんと斬ったな。何人斬ったのだ」

 と、半兵衛が太郎の顔をお湯手ぬぐいで拭いていってやりながら訊ねると、太郎はぼそぼそと四人と答えた。

 四人って――。

 菩提山に来る途中、東海道をはずれてきたので野盗に遭遇したらしく、全員を斬り捨ててきてしまったらしい。

 おれは言葉がない。マタザ師匠並みに強い太郎だが、それでも十四歳の小僧だぜ。おれを見つけた途端、おいおいと泣き出しちゃったんだぜ。そんな太郎がゴロツキとは言え四人も。

 しかし、よっぽど焦っていたのか、笠箕は捨て置いてきてしまったそうだ。

 あらかたの血を拭き取ってもらったあと、太郎は半兵衛に姿勢を正し、頭を下げる。

「申し訳ございません、半兵衛様」

「無謀だなあ。なにゆえお主はたった一人でここまで来ようとしてしまったのです」

「それは――、殿がいつまでもお帰りにならず、調略の成り行きで殺されてしまったのだと沓掛の皆さんはおっしゃるのです。でも、拙者しか知らないのです、殿が菩提山に出かけたのは。でも、もしかしたら途中で――」

 太郎はまたぐすぐすと泣き始め、さすがのおれも胸が痛い。

 半兵衛が呆れ顔を向けてくる。

「簗田殿。貴公は死んでしまっているようですよ。よろしいのですか、いつまでもここにいて」

 おれはうつむいて唇を噛み締める。

 太郎は夜通し菩提山に向かってきたそうで、泣き止むとそのまま寝てしまった。半兵衛が夜着をかけてやり、微笑を浮かべながら溜め息をつく。

 鉄瓶の中から蒸気が吹き出していて、庵の中はわりかし暖かい。

「健気なわっぱですね。どうするのです。帰らなければ簗田殿の立場としてもまずいのではありませんか」

 おれは迷いに迷うが、しかし、半兵衛が織田方に来てくれないとしても、氏家常陸介、稲葉彦四郎、安藤伊賀守の俗に言う西美濃三人衆が寝返ってくれれば、一気にひっくり返る。けれどもここで菩提山を下りてしまうと半兵衛のツテが使えなくなってしまう。

 おれは声を絞り出すようにして言った。

「立場なんてどうだっていい。太郎だってこうやって無事だったんだし。沓掛のことなんて些細なことだ。丹羽五郎左っていう奴が勝手にやるからいいんだ」

「へえ」

 と、半兵衛は口許を歪めながら太郎の寝顔を見やる。

「簗田殿にはご子息はおりませんな」

「なんだよ、急に」

「いや。ただ、丹羽五郎左衛門とやらに沓掛のあれこれをすべて丸投げしてしまって大丈夫なのかということです」

「は?」

「乗っ取られるんじゃありませんか?」

 おれは眉をしかめた。半兵衛は不敵に笑っている。いつもはそんな顔つきをしないというのに、これぞ軍師竹中半兵衛の表情と言わんばかりの危なさを漂わせているので、おれはとても怖くなってくる。

「乗っ取られるだなんて、丹羽ゴロザには自分の所領があるんだぞ。お前がどこまで知っているんだかわからねえけど、ただの目付けだぞ」

「このわっぱが丹羽五郎左衛門の隠し子だとしてもそう思われますか?」

「えっ?」

「このわっぱは丹羽五郎左の隠し子なんですぞ」

 おれは笑った。頭を掻きながら笑うしかなかった。

「お前、冗談もほどほどにしろよ。てか、おれを騙してどうするつもりだ? そんなことをして何になるんだ? え?」

「何にもなりませんよ。ゆえに、騙してなんかいません。わっぱは丹羽五郎左衛門と春日井児玉の町娘の間に出来た子なのです」

「お前、頭がどうかしてんじゃねえのか? おい半兵衛。どうかしてんだろ? なあ? なんでそんなことをお前が知っているんだよ。おかしいだろ。織田の人間でもないお前が知っているだなんて」

「拙者は元は斉藤刑部に仕えていた将だったのです。織田は敵方だったのです。織田の将のあらゆることを調べ上げています。寝返り工作のため、あるいはいくさ場で混乱させるため、もしくはゆするため」

 おれは笑って頭を抱えるしかない。

「嘘だろ」

「虚言ではありません。丹羽五郎左に訊いてみたらどうです」

 おれはさすがにもう笑えない。

 よくよく考えてみれば、半兵衛の言うことには辻褄が合う。目付役となったマリオが突然太郎を連れてきたこと。そもそも太郎はそれ以前からマリオに学問だったり武芸だったりを教わっていたらしいこと。それに物心ついたころには父親はいなかったこと。

 でも、だからって、本当にマリオは乗っ取ろうとしているのか? 

「じゃあよ、丹羽ゴロザはどうやって沓掛を乗っ取ろうとしているんだよ」

「いえ。そんな気はないかもしれません」

「なんなんだよ、お前」

「しかし、たとえ丹羽五郎左衛門にその気がなくとも、城主が長期に渡って城を空けているというのはよろしくないかと。丹羽五郎左じゃなくても、乗っ取ろうとたくらむ者はいるかもしれません。これは簗田殿のためを思って言っているのです。家臣、兵卒、その他もろもろの人間たちは、今、簗田殿が死んでしまったと思っているのです。すると、死んだ人間など役に立ちませんから、次のことを考えるでしょう。沓掛だけの話ではございません。上総介とて、簗田殿が死んだと確信してしまったら、もはや簗田殿には戻る場所はございません」

 ぴしゃりと言われて、おれはぐうの音も出なかった。

 半兵衛の言う通りだろう。おれは浅はかだった。太郎は安心しきってすやすやと寝ているが、マリオがどうの、太郎の父親がどうのと言う前に、おれはまずいことになってしまっている。

「まさか簗田殿が小姓一人だけにしか行き先を告げていないとは思ってもいませんでしたから」

 チヨタンもやはりおれが死んでいると思っているんだろう。間違いなく。

「どうするのです」

 誰かが乗っ取るだなんておれは思えねえ。でも、おれが死んだとなったら信長がどう処理するかがわからねえ。それこそマリオに譲っちまうかもしれねえし、そうじゃなくても、誰か違う家臣に沓掛を分け与えちゃうかもしれねえ。

 だけど、だからって、今、沓掛に帰ったところで何になる。

 無駄骨じゃねえか。おれも、太郎も。

 おれは顔を上げた。

「だからなんだ。沓掛三千貫なんて些細なことだ。信長が美濃を取れば、天下に繋がるんだ。そのとき、必ず信長はおれを評価するはずなんだ。城が誰かに乗っ取られるだの、おれが死んだだの、そんなくだらねえことはどうだっていい。おれはやる。太郎はおれを追っかけてきた。それだけの話だ。太郎がゴロザの子供だのなんだのは、これからやることにはなんの関係もねえ」

 半兵衛は太ももに肘を乗せ、そこで頬杖をついて溜め息をついた。

「これからやることは今までとは違うんだ」

「それが上総介の天下に繋がると?」

「そうだ。それに、ここで引いたら意味がねえ。太郎にだって申し訳が立たねえ」

「わかりました」

 半兵衛は大きくうなずくと腰を上げ、部屋のすみの机の前に座ると山積みになっている書物を右手を払ってどかどかと崩していき、そこに紙を広げて硯に墨を打ち始めた。

「氏家殿と稲葉殿宛てに書いて差し上げましょう。織田の美濃取りは天下に通ずる道、その道を開いた者はどんな者でも上総介に感じ入られると」


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