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ふりてんつもる(前編)  作者: ぱじゃまくんくん夫
第四章 美濃騒動戦
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牛太郎、もがく

 菩提山に一泊し、ニート君とは仲良くなった。

 ニート君がチヨタンのストーカーでないことは判明したものの、太郎がニート君に武田がどうの上杉がどうの川中島がどうのと小難しいことを質問しているばかりで、話すことのないおれとしては間を埋めてくれて助かったのだが、結局は成果は何も上げられなかった。

 とぼとぼと尾張に戻ってくる。がっくりと清洲宅でうなだれる。

 チヨタンを奥さんにするにはタツオキを殺さなくちゃならないっていうのに、まったく進展が生まれない。

 不安になってくる。信長って本当に信長なのかって。織田家は本当に天下布武へと驀進するのかって。

 だって、桶狭間の戦いから五年だ。五年も経っているのに織田はいまだに尾張一国の戦国大名のまんまだ。

 どうしてボンクラどら息子のタツオキごとき瞬殺できないんだ。

 とはいえ、兵力は五分五分らしいからな。だからこそ、おれやサルだったり、マリオだったり、その他もろもろの連中もそうだろう、信長の指令で美濃の豪族どもを引き入れようとしているわけだ。

 でも、本当に調略が成功するのだろうか。

 不安だ。

 このままだとチヨタンを奥さんにできない。

 太郎は囲炉裏でおかゆを作っている。小僧は著名なニート君といろいろお話しができたのでご機嫌である。道中、文句の一つもつかなかった。

「どうぞ、殿」

 夕飯はおかゆ一杯と梅干し一粒。別宅のボロ家なんでメシがひもじいのは仕方ないが、それにしたって城主だというのにこの有り様。

「何か足らなくねえか。漬け物とかさ。ぬか床にそういうのなかったのかよ」

「申し訳ありません。ただ、拙者は久しぶりに来たので。明日にでも門前市にでかけて野菜を見繕ってきます」

「ああ、そうしてくれ」

 おかゆをずずっとすする。

 足りない。物足りない。

 そう。足りないような気がする。今晩の夕飯も、織田にも。

 情勢をひっくり返すような何かが足りない。

 サルは、それが墨俣の砦だって言うけれど、本当にそんなものを建造できるのか、おれは疑わしいのである。てか、いつ造るんだよ。さっさと造ればいいじゃねえか。

 それに、砦を造ったところで兵力は五分五分なんだから意味がないんじゃないのか。

 たとえば、どっかと同盟すればいいんだよ。隣の近江国の大名とかと。

 あ――。

「太郎、お前、どこに野菜を買いに行くんだ」

「え? 門前市ですけど。夏野菜が出店に並んでいると思いますが」

「門前市か」

 おれはおかゆをかきこむ箸を止める。

 市姫様。

 近江国の大名は浅井。

 歴史の習いだと、市姫様が嫁ぐのは浅井長政だ。

 けれども、今、市姫様はどこにも嫁いでいねえ。小牧山にいる。信長のお膝元のまんまだ。

 ニート君に会いに行った菩提山のある不破郡の先はすぐに近江国で、浅井家の縄張りらしい。

 浅井と同盟を結べばタツオキなんか瞬殺できるはずで、市姫様はまだ小牧山にいる。

 いや、しかし――。

 もしも、信長が浅井との婚姻同盟を言い出したとき、おれはむしろ、できるんであれば、市姫様を浅井に嫁がせるのは止めたいぐらいだ。歴史通りに事が運んでしまえば、あの麗しい市姫様は悲運の道を歩んでしまう。

 でも、市姫様は小牧山にいる。

 おれはチヨタンを奥さんにしたい。

 浅井と同盟を結べば斉藤方を瞬殺できるはず。

 駄目だ。そんなことしちゃならねえ。そもそも、それを信長に進言したところでおれの言うことなんて聞かないはずだ。

 ここはサルを信じるしかない。墨俣に砦を築くしかない。

 墨俣の砦をいつ築城するつもりなのか、明日、サルに訊こうと思い、おれはおかゆをかきこんでいった。



「どうぞ、牛殿」

 と、寧々さんは白湯を差し出してき、すっかりサルの女房である。チッ、クソッ。まあいい、おれにはチヨタンがいるし。

 寧々さんが居室から出ていくと、おれは単刀直入に訊ねた。墨俣の砦の建設をいつやるのかと。

「来年の田植えのあとだぎゃ」

「え?」

 おれは唖然とした。サルはなんてことないふうに耳クソをほじっているが、おれは耳を疑った。

「来年の夏って一年後じゃないッスか。どうしてそんなに悠長に構えてるんスか?」

「悠長? 何を言っているんだぎゃ、おみゃあは」

 耳からほじくりだしてきた耳クソをふうっと吹いておれに吹き飛ばしてくる。

「川並衆の言質を取れたのはつい最近だぎゃあぞ。そっからだぎゃ、話は。今、準備をしているところだぎゃ」

「準備って。何を準備するんスか。舟で木を運んで人手を動員するだけでしょ」

「おみゃあな」

 サルは語気を強めると、めんどくせえことに説明し始めた。

 つい最近になって木曽川の上流で木の伐採に取りかかったと言う。伐採した木は寝かしておかなければならないと言う。

「切ったばかりの材木ってのは水を含んでおるんだぎゃ。それが乾いてくると縮むだぎゃ。水を含んだままの材木を嵌め込んだり縛ったりしたら、縮んだときに縄は緩むし、嵌め込みはがたつくし、板だって割れちまうだぎゃあろ」

 おれはちーんとして沈黙するしかない。

「それに墨俣には一夜で仕上げるつもりだぎゃ。そうじゃにゃあと斉藤方の襲撃に合うだぎゃ。てことは、墨俣に運ぶ前に加工しとかならにゃあ。寸法を計っておかにゃならにゃあ。それでも絶対に足らねえところが出てくるだぎゃ。ほんだら、運んできた丸太をその場で切っていかなならにゃあ」

 丸太を切っていくのは普通ならくさびを打ってひっぺがしていくらしいけど、それだと手間がかかるし熟練の大工じゃないと難しいらしい。

 ところが、小牧山に城を立てた宮大工が大鋸おがを使っていた。二人で引いて木を切るそうで、のこぎりを使うのは当たり前なんじゃねえかと思うんだが、大鋸だと測った寸法どおりに誰でも切れるので、そうした刃物を調達しているさなかだとサルは言う。

「あと、あすこら辺は適当な山がないだぎゃ。ほんだら、一晩で造った平城なんか、すぐに叩きのめされちまうだぎゃ。なもんで、周りは田んぼで囲わなくちゃならにゃあ。どういうことかわかるかえ?」

「いや、わかんないッス」

「周りが田んぼに囲まれていりゃ、足軽どもは田んぼに足が浸かってなかなか進められにゃあだぎゃあろ。そこを矢を射かけていけばええだぎゃあろ?」

「はい」

「ちゅうことは、夏じゃなければ駄目なんだぎゃ。水が引いている冬じゃ駄目なんだぎゃ」

 おれはうなずくのが面倒になって、ただただ、無言で白湯をすすった。

 なんだよ、それ。一年後って先すぎるだろうよ。

「何か文句でもあるのかえ」

「いやないッス」

 駄目だこいつは。マジで当てにならねえ。一年も待てるわけがねえ。チヨタンが目と鼻の先にいるっていうのに、童貞脱出目前だっていうのに、指をくわえて待っていられるわけがねえ。

「ほんでも、今のままじゃ人手不足だぎゃ。おみゃあの沓掛勢を入れたとしても大工も人足が足らにゃあ。なもんで、明日小牧山に行っておやかた様に銭貫文を出してくれるよう嘆願するだぎゃ。ちょうどいいからおみゃあからもお願いするだぎゃ。寧々とおりゃあのことをお願いしたときみたいに」

 おれは適当にうなずいて、ふてくされながらボロ家に帰る。

 帰路を辿りながら、やっぱり、信長に進言するしかないと思う。

 浅井と同盟できれば、稲刈りが終わったあとの今年の冬には信長は動き出してくれるはずだ。

 市姫様には申し訳ないが、犠牲になってもらうしかねえ。

 いや、のちのちやばいことになったら、そのときはそのときで同盟が破棄されないようにすればいいだけだ。

 歴史なんてわかっている以上、変えようと思えば変えられるんだ。

 だから、おれは自分の人生を変えなくちゃならないんだ。

 おれは幸せになるんだ!





夜明けとともに目を覚まし、腕立て伏せ十回、腹筋十回、背筋十回、スクワット十回を三セットもこなし、また一つチヨタンの望む強い男に近づくと、迎えに来たサルとともに小牧山に向かう。

 小牧山は犬山の南に位置しており、斉藤方との戦いのために信長は清洲からここに本拠地を移した。平野の続く濃尾平野の中にぽっこりと現れている山で、ふもとには真新しい屋敷町が出来上がっている。

 ふもとの信長の居館を訪ねると、信長は鷹場で鷹狩をしているという。

「ほんだら、話しやすいだぎゃ」

 と、サルは言い、鷹場に向かう。

 鷹狩とかいってただの遊びじゃねえか。ふざけやがって。下僕どもに調略をさせておいて、テメエは遊んでやがる。

 鷹場にはクローザを始めとした信長の側仕えの連中や小姓、鷹匠や馬廻衆など、五十人ほどがたむろっていて、その中に一人だけ上半身素っ裸のバカがいる。

 バカは鞭を指揮棒代わりにして、あれやこれやと馬廻の者どもに指図をしていて、何をそんなに夢中になっているのか正体不明である。

 おれとサルがこそこそと近づいていくとクローザに気付かれて。

「二人揃って何用だ」

 と、不愉快そうに顔をしかめている。

「美濃斉藤方の調略の件で、おやかた様にお伝えしたいことがありますだぎゃ」

 クローザはうんともすんとも言わずに信長のもとへ歩んでいくと、こそこそと耳打ちをして、ようやく、遊びに夢中のバカが振り返ってくる。

 髪を後ろに荒縄で縛っているだけのバカは辺りを見回したあと、クローザに鞭を使って何やら指図をし、太刀を持たせた小姓一人だけを連れて鷹狩りの輪の中から離れていく。

 サルがこそこそと信長のあとを付いていくのでおれもこそこそとサルのあとを付いていく。

 三方を陣幕が張っている囲いの中に入っていき、信長は床几の小さい椅子に座る。腰に吊るしていたひょうたんを手にすると、栓を抜いてぐびぐびと喉を鳴らしている。おれとサルは信長の足下に両膝をついて土下座する。

「野良猿と野良牛が揃って何用だ」

 と、足軽大将のサルと沓掛城主のおれに向かって、この有り様だ。いつまで経っても親分からしちゃ、おれたちは乞食みたいなもんらしい。

「かねがねお話ししている墨俣の件なんですだぎゃあけども、銭貫文が足らんので、おやかた様のお許しをいただきたいですだぎゃ」

「いかほどだ」

「六千貫文ほど」

「ふざけんじゃねえ」

「ほんだら、三千貫文で」

「それで墨俣が出来るか」

「出来ますだぎゃ。ただ、人足は尾張中の百姓をかき集めなくちゃならにゃあですけども」

「ならばかき集めろ。銭貫文は用意しといてやる」

「ありがとうございますだぎゃっ」

 ……。

 三千貫文ってなんだよ、おい。ぽいっと出しちゃってなんだよ、おい。

 信長の野郎、そんなにカネ持っているんならおれにも寄越せってんだ!

「牛は何用だ」

「あっ。こやつは付いてきただけですだぎゃ」

「いやっ、あっしも恐れながらお耳にしてもらいたいことがありまして」

 サルが眉間に皺を寄せておれを睨みつけてくるが、「なんだ」と信長が見下ろしてくるので、おれは頭をこすりつけながら言った。

「墨俣のほうも大事かと思いますが、斉藤方を滅ぼすにはやはり隣国の大きなところと同盟が必要かと思うんス」

「んなこと、貴様に言われなくてもわかっているわ。おおかた武田か浅井と結べとほざくのであろう」

「そ、そうッス。浅井と」

「くだらねえ。さすがは野良牛の頭の中よ」

 信長が床几からがばりと腰を上げてしまう。

「お、おやかた様っ、ど、同盟を結ぶんスかっ? 市姫様を嫁がせるつもりなんスかっ?」

「あ?」

 と、信長は陣中から出かかっていたところ、足をぴたりと止めて、おれに振り返ってきた。

「貴様、何をほざいてやがる。おい。もういっぺん言ってみろ」

「いや、だから、市姫様を嫁がせて浅井と婚姻同盟を――」

 すると、信長は急に鬼の形相に変貌し、おれにひょうたんを投げつけてくると、草鞋の足で顔面を踏み蹴飛ばしてきて、そこからは久しぶりのボコリ。

 な、なんで。

「テメーごときが何をほざいてやがるっ! 市を浅井に嫁がせろだとっ! なんなんだ貴様ァっ!」

 顔面を蹴飛ばされるどころか、鞭でビシビシと頭からケツまで引っぱたかれて、おれは亀みたいに丸くなって、すいません、すいません、と詫びを入れるしかない。

 そうして、最後に腹に蹴りをぶっこまれ、信長は不機嫌極まりない足の運びで鷹狩りの輪の中へ去っていてしまう。

 ううっ。体中のあちこちが痛い。しかも鞭で引っぱたくだなんて、牛とは言え、本物の牛じゃあるまいし。

「おみゃあ、何を言っているんだぎゃ。たわけがあ」

 サルに引き起こされて、

「とばっちりが来ないうちに早くしろだぎゃ」

 鷹場を退場していく。

「おみゃあって本当にとんでもねえ、たわけ野郎だぎゃあな。市姫様の嫁ぎ先をあれこれ言うだなんて怖い物知らずにもほどがあるだぎゃ」

 反論する気力もないおれは、ちぎれそうな体を引きずるようにして清洲に帰ってき、ボロ家でぶっ倒れた。太郎があわてて飛び込んでき、誰にやられたのだと騒ぎ立てる。

「信長にやられた」

「おやかた様ですか?」

 おれはこくりとうなずき、太郎は溜め息をつく。寝床に仰向けに寝転がり、蹴飛ばされたところを冷やしてもらう。

 くそう……。

 おれは何も悪いことを言っていないはずなのに。



 しかし、インチキ芸能記者の太田に話を聞いてみて、迂闊な発言だったかもしれないと反省した。

「聞くところによればですなー、犬山殿の件があって、おやかた様は金輪際、近しい身内を他所に輿入れさせたくないと、生駒の吉乃様にぼやいていたそうなんですわー。妹君様方々はよっぽど信頼できる家臣にしか嫁がせず、姫様方をそういう外交政策の手駒にはしないでしょうなー」

 犬山殿ってのは、信長を裏切った犬山城の織田十郎左衛門に嫁いだ信長のお姉さんである。

「おやかた様は女にはお優しいですからなー。我々には厳しいですがー」

 信長に進言する前に芸能記者から情報収集しておけばよかった。

 じゃあ、市姫様は浅井に嫁ぐことにはならないってことか?

 まあ、ボコボコにされた今となってはどうでもいいけど。

 それに信長の口ぶりだと、浅井だの武田だのと自分から言って、水面下で動いているようなふしがあったし。

 同盟さえすればいいんだ。武田でも浅井でも、同盟すりゃタツオキを瞬殺できるんだから。

 太郎とともに沓掛に戻ってくると、チヨタン他、明智庄のおにゃの子たちが館の雑巾がけをしていて、チヨタンはおれを見かけるなり声を上げて驚いた。

「どうしたの! そのお顔!」

「い、いや、ちょっとね……」

 すると、チヨタンはつぶらな瞳をうるうるとさせてくるのである。

「大丈夫なの? あまり危ない真似はしないで」

「大丈夫。うん。おれはチヨタンを一人ぼっちにはしないよ」

「ほんと? くれぐれも気を付けて」

 チヨタンがおれの手をぎゅうっと握ってきて、太郎がシラーッとしているが、おれはチヨタンに笑顔でうなずくと、居室に戻って幸せの溜め息をつく。

 帰ってくるところに愛しい人がいるということは素晴らしいことだ。信長にボコられたことなんてどうでもよくなってしまっている。

 ああ、早く奥さんにしたい。チヨタンとおれは好き同士なんだ。こういう曖昧な関係を早く終わらせてしまいたい。



 稲刈りの季節になって、年貢の取り立てにと沓掛城内もあわただしくなってきたころ、城下に長屋が完成してしまった。

 明智庄からの避難民も第二陣、第三陣と、イエモンやソフエ、サイゾーの警護によってやって来るようになり、マリオの号令によってチヨタンたちも城から追い出された。

 とはいえ、彼女たち避難民は食い扶持がないので、マリオはしぶしぶ城内で働かせたり、草鞋や箕笠の内職をさせたりして、食うに困らない程度の文銭を配布した。

 なので、チヨタンは毎朝、本丸にやって来る。おれを恋人のようにして起こしにやって来る。木刀を渡してくる。稽古をさせられる。しかしおれは一生懸命になって汗をかく。なぜなら朝メシのときにご褒美の「はい。あーん」をしてくれるからだ。

「簗田さん、もっともっとお強くなれるわ。だってこんなに大きいんだもん」

 おれは筋トレを欠かさない。三セットだったのを五セットに増やし、やがては十セットに増やす。

「私ねー、この仔、きっと逞しいお馬さんになると思うんだあ」

 と、チヨタンが馬屋の仔馬の鼻面を撫でるので、「女は馬屋に来るんじゃねえ」と生意気な口を叩いてチヨタンを追い払う馬丁たちに、この栗毛の仔馬をおれでも跨がれる馬に育てるよう命じる。

「だって、旦那、こいつのおふくろに跨がれなかったじゃねえか」

 馬丁たちの頭目のねじり鉢巻き野郎がぐだぐだとうるさいのでおれは怒鳴りつける。

「駄馬に育てるか名馬に育てるかはテメーら次第だろうが! だいたいおふくろは捨て馬だろうが! 一から育てろ! お前らは馬の糞の世話をするだけなのか! ああっ?」

「なんだと! じゃあやってやろうじゃねえか! その代わり吠えヅラかくなよ!」

 たくっ。下賎な奴だけあって生意気な野郎だ。あの仔馬が大きくなったときに、もしもおれが振り落とされたらクビにしてやる。

「簗田さん。足軽組衆の人がお茶屋の娘さんとお付き合いしているんですって。でも、お茶屋さんのご主人に反対されているみたい。簗田さんが説得してあげれば? そうしたらきっと足軽組衆の人は喜ぶと思うなあ」

 ということで、おれは街道沿いの掛茶屋に出向き、奉公娘を結婚させてやれと店のジジイを説得する。

 銭貫文を払って買ってきた娘だから、おいそれと渡すわけにはいかないと人権無視のトンデモ発言をしているので、仕方なく、おれはポケットマネーからカネを支払い、娘を自由にさせる。

 足軽雑兵の若者と掛茶屋の娘は二人揃っておれに土下座をしてき、泣いて喜んだ。

「殿。この御恩は生涯忘れません」

 ふむ。まるで信長になった気分である。人の色恋を成就させるだなんて虫が好かなかったが、悪くないもんである。

「私ね、お城にはせっかくお風呂があるんだから、月に二度ぐらいは足軽衆の人たちや家族の人たちにお湯を分けてあげたほうがいいと思うんだあ」

 むっ。愛しのチヨタンのお願いごととはいえ、それはいくらなんでも駄目だ。風呂は城主の特権だ。

「私、そういう心の広い城主様だったらいいな」

 ということで、沓掛近衛軍団を率いて領内の雑木林に出向き、斧で木を斬り倒し、薪にしていった。マリオがぐうの音も出ないほどの薪を確保して、風呂を沸かし、本丸の庭には目ざわりな行列ができた。雑兵の家族だけじゃなく、城下の町人も混ざっているような気がしたら、掛茶屋の人権無視のジジイがいたので追い出そうとしたけれど、

「さすがご城主様です。わしらなんかにお湯を分けていただけるだなんて夢のようですわ」

 と、おれを崇敬の眼差しで見上げてくるので、仕方なく見逃してやった。

 マリオがブラシ髭の下の口を緩めながら言う。

「近頃、沓掛勢の顔つきが変わったじゃないか。簗田殿がしっかりやれば下々の者もやる気になるのだぞ」

 口うるさいマリオに褒められて悪い気はしなかったが、しかし、もうすっかり年も暮れてきている。

 信長の野郎、何をやっていやがんだ。

「浅井か武田との同盟?」

 おれが訊ねると、マリオは眉をしかめた。

「それは確かにおやかた様は考えているかもしれんが、そう簡単に行くはずがないだろう。そもそも、お主はそういう広いことを考えずともよい。目の前にあることをきっちりとやっていきなされ」

 何を呑気に構えていやがんだ。ここ三ヶ月はチヨタンを目の前にしてきたんだぞ。目の前にあるチヨタンにおれはきっちりとできていねえ。なぜならさっさと美濃攻めを始めないからだ。

 クソが。マジで当てにならねえ。

 そんなある日、おれは冬の予兆の寒さに震えつつ、薪を取りに行こうと思って半纏の襟をかきこみながら広間の前を通りかかったのだけれど、掃除をしているチヨタンたちの雑談が聞こえてきたので、足を止めた。

「千代さん、私たちはいつ明智に帰れるんでしょう。父上が心配です」

 胸にぐさりと突き刺さって、おれはうつむいてしまう。

「大丈夫だってば。何かあったら明智から新たに来る人たちが伝えてくるはずよ。何もないっていうことは、無事だっていうことなのよ」

 それに、と、チヨタンは言葉を繋げる。

「織田様だったらきっと安心して暮らせる世を作ってくださるわ。私はなんとなくそう思う」

 おれは拳を握りしめ、そろりそろりと居室に戻る。板間に腰を下ろすと、火を入れていない火鉢の中を火箸でざくざくと刺し込んでいく。

 おれは間違ったことをしているんだろうか。

 確かにチヨタン欲しさのために明智庄の女子供たちを受け入れている。女子供を保護するためという大義名分だってある。

 でも、チヨタンのように外に出たがる女の子がいる反面、外に出たくない子だっていたはずだ。

 自分の身が安心だという理由だけで満足できるだろうか。家族が恋しいだろうし、中には病弱の身内を置いてきた者だっているかもしれない。

 間違ったことはしているつもりはないが、正しいことだと言い切れないような気もしてくる。

 だけど、受け入れている以上、今後の道すじを立てなくちゃならないのが、おれの務めだ。悶々としている資格などない。

 いつまでも筋トレだけに励んでいるわけにはいかない。信長やサルがいつまでもうだうだとしているのなら、おれがやるしかない。

 おれは半纏を脱いで小袖を二枚重ねにすると、烏帽子を被って、離宮八幡宮の朱印状を懐におさめた。



 枯れた田んぼに寒風吹きすさむ中、おれは東海道を延々と上っていき、菩提山にやって来た。

 一人だ。竹中半兵衛を説得できるまでは帰らないつもりである。なので、太郎は連れてこなかった。行き先は太郎にしか伝えていない。

 もしもニート君が意固地になって首を縦に振ってくれなかった場合、長居することになる。すると、おれの不在が沓掛だけならず小牧山でも話題になってしまう。

 そのとき、どこに行ったのかという話に当然なるわけで、沓掛の下々の連中にまで行き先が菩提山だと知られてしまっていると、斉藤方のスパイが織田家中に紛れている可能性はなくもない、斉藤方に横槍を入れられてしまう。

 だから、太郎には誰にも言うなと念を押しておいた。太郎が自分も行くと言って聞かなかったので、夜、こっそり抜け出してきた。

 太郎も置き去りにしているほうが、行方不明に信憑性が増す。太郎と一緒にいなくなっていると調略活動しているのがバレバレである。

 まあ、おそらくそうなるだろう。ニート君は偏屈野郎だ。おれにはわかるが、ちょっとやそっとでは動かない。

 それでも年末までにはなんとかしたいが。

 ニート君は木々に囲まれた庵の庭で太刀を振り回しており、山道を上がってきたのがおれだと気づくと、目を丸めつつも微笑した。

「これは誰かと思えば。お久しぶりです。今日はどうされました?」

「どうされたも何も、半兵衛殿はあっしが来た理由なんてわかっているでしょう」

「ええ。その気はありません」

「だったら、その気になるまで居候させてもらうんで」

 ニート君は思わずといった調子で笑った。

「これは大変なことになった。我慢比べですか」


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