功名誰か復論ぜん(4)
夜半、又左衛門は燭台の明かりを頼りに脇差しの刃を使って彫刻していた。
無心になれると思って観自在菩薩を彫っている。
だが、参考にする絵も像もないためか、自分の腕が下手なためか、それとも、その心がさ迷うばかりのせいなのか。
木彫りの彫刻は、観音像どころか、さしずめ百鬼夜行の妖怪女のような、だらしない異形である。
溜め息をついた又左衛門は彫刻を放り投げる。物憂げな眼差しで脇差しの刃を見つめ、鞘におさめる。
(サルなんぞに罵られる俺というのは――)
がっくりと肩を落とす。
燭台の蝋がじりっと溶けおちる。
(牛なんぞに侮られている俺というのは――)
たとえ、拾阿弥を始末した行為を評価されようと、現実は現実である。
笄斬りの功名があったとしても、それは今の又左衛門には腹の足しにもならない。
藤吉郎や牛太郎のほうがまったく賢い。彼らは人にサルだの牛だのと後ろ指を差されて嘲られていても、それに耐えて、功を成したのだ。
藤吉郎なんかはあの寧々という女と契りを結んだなどと言っていたし。
それを牛太郎が手助けしたとかなんとやら。
そういえば、柴田権六の妹がどうのこうのと言っていた。
あのとき、女房のまつと出くわしてしまったあの日。
戦国で生きるいうことはね、お前の家族も失うっちゅう覚悟を持たないかんのがや! お前一人が生きて、お前一人が死ぬわけじゃないんがや! このたわけがっ!
又左衛門の胸には、いつも、あの老女の怒号が突き刺さっている。
彼女は孫の服部小平太に向けて叱ったにすぎない。だが、まるで自分のことのようだった。
(俺が一人で生きて、俺一人が死ぬわけじゃない。まさにその通りだ)
酔い潰されて軟禁されてしまったが、まつは又左衛門をなんら責めなかった。赤母衣を背負って家を出るさいにも、まつはただただうなずいた。「お気をつけて。ご武勇を」と、微笑むだけであった。
又左衛門は掌で瞼をこする。
(覚悟を決めていなかったのは、この俺だ)
「又左殿」
と、板戸の向こうから坪内喜太郎の声があって、又左衛門はあわてて袖で瞼を拭いた。
「沓掛城の簗田牛太郎殿が参られておる。お通ししてもよろしいか」
(またか、あの男。こんな夜にまで)
「ご面倒おかけします。通してくださいますか」
板戸の向こうから喜太郎の気配が消えていき、又左衛門は吐息をついて牛太郎を待つ。
いくさが近いのだろう。
あわただしくなるのもわかるが、よくもまあ、尾張の端から行ったり来たり、そんな暇があるものだ。
と、感心していると、足音が続いてきて、又左衛門は眉根をしかめる。牛太郎一人ではない。
(小姓か?)
違う。足音が子供のそれではない。
又左衛門は舌を打つ。
(サルだな。利害一致したから、二人で俺をけしかけに来たのだろう)
室内に声をかけることもなく不躾に戸がすうっと開き、その隙間から牛太郎が目を覗かせてくる。
「いいッスかね?」
又左衛門は長々と吐息をつく。
「勝手にしろ」
牛太郎が戸を全開にすると、案の定、その後ろには藤吉郎の姿があったのだが――。
又左衛門は呆れるだけだった表情をはっとしてこわばらせる。
「長八――」
巨体と小柄の男たちのあとに続いて、狭い室内に入ってくるのは、結った髷が若々しく黒光りする村井長八郎である。
牛太郎と藤吉郎は勝手に又左衛門の向かいに座り、長八郎だけは頭をわずかに下げたあと、
「お久しぶりです」
と、言ってから、腰を下ろした。
又左衛門は、何食わぬ顔つきの牛太郎と藤吉郎を交互に睨む。
「テメーら、長八まで連れてきて何をたくらんでやがる」
「たくらみも何も」
と、長八郎が涼やかな目許をきつく細め、又左衛門をじっと見据えてきた。
「牛殿と木下殿からお聞きしました。又左衛門様が覇気も失せてしまって、まるで腐った柿のようになっていると」
「なんだと……」
又左衛門は再び猿牛に眼光を飛ばす。猿牛は何食わぬ顔つきのまま揃って視線を逸らす。
「なんでも、こたびのいくさには参陣されないそうで」
「だから、なんだ。テメーに関係あるか、長八。テメーは荒子の兄者に黙って仕えていればいいだろうが」
「それはそれ、これはこれとして、なにゆえ又左衛門様はいくさに参陣されないのです」
又左衛門は口をつぐむ。長八郎は真っ直ぐな眼差しで又左衛門を見据えてくる。
(長八の奴、見ない間にすっかり武士らしくなりやがって)
又左衛門は仕方なしに鼻で笑い。笑いながら腕を組む。
「笑わせるな。俺は織田の人間じゃねえ。織田のいくさに参加する義理なんざどこにもねえんだ」
「それではさっさとどこか違う家に仕えればよろしいじゃありませんか」
「生意気な口叩いてんじゃねえっ!」
と、我慢の限界の又左衛門はおもむろに腰を上げる。涼しい顔で座っている長八郎を、目を血走らせながら睨み下ろす。
「テメー誰に口をきいてんだコラァッ!」
すると、長八郎は腰を据えたまま又左衛門を睨み上げてき、喝と瞳孔を広げて吼えた。
「人生意気に感ず! 功名誰かまた論ぜん! 人生とは心意気を感じて動くものであり、功名のことなど誰が問題にしましょうか! 帰参がかなわぬとあれば、参陣しないあなた様にはまったく心意気が感じられぬ! それで織田への帰参がかなうと思ってか!」
又左衛門が何も反論できず、わなわなと震えていると、村井長八郎が腰を上げてき、又左衛門に詰め寄ってくる。
「首級の数でおやかた様のお心を動かそうと思うのが筋違いなのではありませんか! 拙者は聞きました! 木下殿と寧々殿の契りの話を! 木下殿はおろか、牛殿さえも必死になっておやかた様に嘆願し、すると、おやかた様は自ら腰を上げて寧々殿のお母上を説得しに参られたのですぞ!」
又左衛門がちらりと目をやると、藤吉郎と牛太郎は揃ってこくりとうなずいてくる。
「おやかた様はそうした心意気に動かされたんですぞ! それなのに又左衛門様は帰参がかなわぬからと何もしない! たとえかなわなくても、義理だの恩だのをおやかた様に感じておられるのなら、いずれのいくさも又左衛門様らしく殴りこみに出かけるのが筋ではないのですか!」
若い長八郎は興奮のためか、その瞼にうっすらと涙を滲ませている。
又左衛門はしかめた顔を背ける。
「だからなんだ。俺の道は俺で決めるだけだ」
「決めた道がこの有り様ではありませんか! 格好がつきましょうか! それが槍の又左の成れの果てですか!」
「黙れコラァッ!」
説教を浴びせ続けられて、又左衛門はたまらず右拳を振り抜いた。長八郎が吹っ飛び、牛太郎と藤吉郎はあわてて腰を浮かす。藤吉郎が長八郎を介抱し、牛太郎が震える両手を掲げて割って入ろうとしてくる。
ところが、ゆっくりと起き上がってきた長八郎は、突然、又左衛門の腰に飛びかかってき、そのまま腰を掴んで押し込んでくる。又左衛門は押し込まれるまま板戸を破り、長八郎ともども裏庭へ転げ倒れる。
「何やってんだあっテメーッ!」
又左衛門は長八郎を殴りつける。しかし今度は吹っ飛ばず、長八郎はぬうっと起き上がってきて、
「腑抜けの拳などちっともきかんわっ!」
と、又左衛門を殴りつけてくる。又左衛門は吹っ飛ぶ。長八郎は飛びかかってくる。又左衛門は長八郎を蹴飛ばす。
怒号と罵声を混じえながら又左衛門は長八郎と格闘した。
「わからずやには乱闘させときゃいいんだぎゃ」
「そうッスね。まあ、八っちゃんがこんなに強かったのは意外ッスけど」
喧嘩乱闘のすえ、燭台の火がわずかに染める夜闇の裏庭に立っていたのは、長八郎であった。
又左衛門は膝をついていられるのがやっとである。肩で息をせき切りながら、長八郎を見上げ、ぼそぼそと呟くようにして吐き捨てるのがやっとである。
「長八……、テメー……、強えじゃねえか……」
「負けられないからです」
長八郎はぼろぼろに擦り切れてしまった袖で唇の血を拭う。
「又左衛門様の帰参がかなうまでは、拙者は誰にも負けられないのです」
又左衛門は口端を緩めると、力が抜けてしまって、仰向けに倒れた。
長八郎がゆっくりと腰を下ろしてき、片膝立ちになる。又左衛門に瞼を細めてくる。
「拙者は沓掛勢にいっときだけ加勢します。又左衛門様も参陣されますね」
又左衛門は鼻で笑った。
「好きにしろ」
向かい合う夜空には星が散りばめられている。
馬もなく、赤母衣もなく、陣笠を被って篠篭手二枚胴の足軽雑兵と同じ出で立ちで又左衛門は沓掛勢に紛れ込んでいた。
隣には同じ姿の村井長八郎、お互いに顔の腫れはまだ引いていない。
前方には牛太郎が綱巻き姿でおり、綱鎧の噂は本当だったのかと又左衛門はなかなか衝撃を受けた。馬から振り落とされたのは目にしていたので存じているが、三千貫の城主がこれである。
(俺を盾にして命を守る前に、こいつは鎧兜を揃えるべきだろうが)
しかし、牛太郎は又左衛門の侮蔑の視線も気にせずに意気揚々と歩いている。去年に召し抱えたという山内伊右衛門とやらに、
「お前、わかってんよな? ちゃんと手柄上げろよ、コラ」
と、誰の真似をしているのか、威張り散らしている。
とにもかくにも、織田勢二千は小舟をつらねた渡し橋で木曽川を越え、上総介は渡った先の勝村という地に陣を置いた。勝村は森部城のさらに南に位置している。
なぜ、森部城付近に進軍しないのか。
上総介は森部城寝返りの真偽を確認しているのか。
それとも他に何か違う手を――。
折しも、雨滴が陣笠を叩いた。夜明け前から分厚い雲が頭上を覆っていたし、昨晩の月には暈がかかっていた。雨は予見できたことである。
ただ、時間とともに雨足は強まっていく。陣笠から雨玉は絶え間なく滴り落ちていき、又左衛門も箕を被って雨濡れを防ぐ。
野営用の簡素な陣城を築いていた沓掛勢は、あわてて藁やススキなどを陣城に付け足していく。
「テメーも怠けてねえで作れや! おれがびちゃびちゃじゃねえか! 見ろよこれ! びちゃびちゃだろうが!」
牛太郎が山内伊右衛門を怒鳴りつけており、又左衛門も長八郎とともに自分たちが雨風しのげる程度の掘っ建て小屋を作っていく。
「今日はこのまま動きませんでしょうかね」
長八郎が呟いたので、又左衛門は首を振る。
「いや。敵方次第だろうが、おやかた様は動くだろう」
すると、又左衛門の言葉通り、打ち付ける雨霞の中を馬蹄で泥水を跳ね飛ばしながら赤母衣の者が騒ぎ立てながら駆け抜けていく。
「出陣っ! ただちに出陣っ! 向かうは森部えっ!」
太鼓の音も聞こえてき、一挙にあわただしくなる。
足軽たちは干し柿や味噌玉をあわててかじって頬張り、せっかく作った陣城も捨て置く。雨が景色を濁らせる向こうに織田永楽銭の黄旗が次々と立つ。
何がなんだかわかっていないで、周囲をきょろきょろとあわてふためいて見回している牛太郎のもとに又左衛門は駆け寄ってやり、声を張り飛ばした。
「永楽銭黄旗は馬廻衆だ! あれに付いていけばおやかた様の後だ!」
「わ、わかってるッスよ! ――い、行くぞお前ら! 出陣だぞ!」
打ち付ける雨音の中に甲冑の擦れる音、泥水を踏みしめていく足音が入り混じり、陣笠が並んだ黒いかたまりは、鼓動を同じくして進んでいく。
又左衛門もまた同じく、降りしきる雨を裂いていく。
(斉藤方が墨俣から出てきたに違いねえ。おやかた様はそこを突いて出たわけだ)
又左衛門は槍を握りしめる。
(俺はやれるだけのことをやるだけだ。それが俺の道だ)
「長八、暴れんぞ」
長八郎が笑ってうなずき返してき、又左衛門は瞳の色を躍らせた。




