功名誰か復論ぜん(3)
簗田牛太郎はせせら笑いながら又左衛門の前から去っていった。
が、しかし、二日と経たないうちにまたやって来る。
「あの、実は……」
小姓を連れておらず、たった一人である。沓掛に帰るときとは段違いに殊勝な表情で、又左衛門の顔色をうかがってくるのである。
「去年、桶狭間のいくさのあと、あっしの家臣になってくれるって言ったじゃないッスか……。あの話って、どうなりましたかね……」
丹羽五郎左に衆目の面前で叩きのめされた又左衛門だ。
屈辱も得たし、己の見境のなさに激しく後悔もした。
忌々しい過去をいまさら持ち出してきた牛太郎に無性に腹が立ってくる。
ところが、牛太郎が巨体を情けないばかりに縮こませているので、又左衛門は舌打ちだけにとどめる。
「なんだ、いまさら。テメーどうかしてんのか?」
「い、いやっ、その、あの、実は――」
忌々しい過去を持ち出してきた理由は、あまりにもくだらなかった。
森部城の川村久五郎から寝返りの言質を得たことで、上総介が近々に出陣するという。
そのさい、寝返り工作を仕掛けた牛太郎も沓掛勢を率いて出陣せよとの触れがあった。
すると、牛太郎は太田又助とどこかで出くわした。
墨俣は斉藤方本拠地の稲葉山城に近い。ざっくばらんに数えても五千から一万の兵が投入される、太田又助の口から聞いた。
沓掛勢は百人である。心配になった牛太郎は、森三左衛門の屋敷におもむく。上総介はどれくらいの規模で出陣するつもりなのか、それとなく訊ねる。
三佐衛門の答えは、おそらく二千。
つまり上総介の出陣は、森部城の川村久五郎の寝返りを確実にさせ、
森部付近の支配権を得るために行う威嚇的な出兵であり、
墨俣の出方を探るものなのだが、
「なもんで、マタザさんのお力を……」
と、要は牛太郎は、言葉にこそ出さなかったが、うっかり自分が殺されないよう又左衛門に自らを護衛させるつもりなのだ。
助力という言葉を使わず、「家臣になってくれると言ったじゃないか――」というところから、又左衛門は牛太郎がくだらない考えでいるのを感じ取る。
又左衛門が奥歯をぎりぎりと軋ませているにも関わらず、牛太郎は続ける。
「別にマタザさんが織田勢に参加していてもお咎めなしだと思うんスよ。だって、桶狭間のときも大丈夫だったじゃないッスか? 戻ってはこられなかったけどね。でも、斬り殺されたわけじゃないんですし。なもんでね、その日一日だけでも、あっしの、家臣になってくんないッスか? 俸禄はちゃんと出しますんで――」
「ナメてんのかテメーッコラ!」
牛太郎の胸ぐらを掴み上げ、巨体を浮かす。
「な、な、ナメてなんかないッスよっ! あっしは、ただマタザ殿の帰参のきっかけを――」
「テメーごときの魂胆なんか知れてんだ!」
又左衞門は牛太郎を植木に目掛けてぶん投げ捨てる。
ばさりと落ちた牛太郎は、ずぼずぼとつつじの茂みに沈んでいく。
又左衛門はさらに怒号を浴びせた。
「だいたいテメーっ、なんなんだその弛んだ体は! まったく鍛錬をしてねえだろうがっ!」
「じょ、ジョギングぐらいはしているッスよ……」
「ああっ? なんだあっ?」
植木にハマった牛太郎は両手両足を泳がせている。自力で出てこられないようなので、仕方なしに又左衛門は手を取って引っ張り上げてくる。
短小袖に付いた葉を手で払いながら、牛太郎はふてくされた顔でぼそぼそと言った。
「マタザさんだって、今年に入ってからの織田のいくさには殴りこみをかけなかったみたいじゃないッスか。桶狭間のときは鼻息荒くして乗り込んできたってのに」
そうして、牛太郎は又左衛門にちらりと目を向けてくる。
「気まずいんだったら、あっしとどうッスかね?」
「帰れ。とっとと帰れ!」
牛太郎は唇を尖らせて又左衛門を軽く睨みつけてきたあと、溜め息をつきながら裏庭から去っていった。
又左衛門は混迷している。
路頭に迷う、その言葉は今の又左衛門にふさわしいであろう。
桶狭間のいくさで首級三つを獲得したにも関わらず、上総介の許しは得られなかった。
(いくら武名を轟かせたところで、おやかた様の許しを得られんのなら――)
そもそも、馬鹿馬鹿しささえ感じる。
上総介の許しを得られないにも関わらず、一生懸命に帰参の道を模索して、流浪の泥水を耐え忍んですすっている自分は馬鹿馬鹿しい。
槍の又左と謳われし前田又左衛門利家である。織田家にこだわらずとも、尾張にこだわらずとも、仕官先はいくらでも見つけられるはずだ。
(だが、そうとなれば、俺はおまつと娘を尾張に残さなければならねえ。見ず知らずの土地におまつを連れていくわけにはいかねえ。下手をすれば荒子の兄者の計らいで離縁すら)
かといって、近々起こると思われる森部付近の小競り合いに乗り込んだとしても、どうせ――。
どうすればいいのかわからない。槍をひたすら振るっても迷いは消えない。
ただただ、上総介の許しが得られるのを待つしかないのだろうか。
簗田牛太郎がふてくされた顔で帰っていった翌日、今度は木下藤吉郎がやって来た。
藤吉郎もまた、前回訪ねてきたさいはあれだけ傲岸不遜だったくせに、手揉みしながら腰も低め低め、にゃあにゃあと猫撫で声なのである。
「又左殿にお願いしたいことがあるんですぎゃあ」
(どいつもこいつも……)
牛太郎が寝返りの言質を取ったことを知ったのだろう、藤吉郎はそれに負けじと活動を活発にさせているに違いない。
又左衛門は縁側に腰かけ、体の汗を拭いながらうんともすんとも答えなかったが、
「おりゃあと一緒に蜂須賀小六殿のところに行ってくんないかえ」
と、妙なことを言うので、又左衛門は手ぬぐいの手を止め、顔を上げる。
「蜂須賀小六? なにゆえだ」
「織田方に加勢するよう頼んでおるんだぎゃあけども、一筋縄ではいかんのだぎゃ」
「お前のような口八丁が一筋縄でいかんのなら、俺などもってのほかだろうが。だいたい、俺は織田の者じゃねえ。ただの流浪人だ」
「そうだぎゃあけども、付いてくるだけでいいんだぎゃ」
「俺はお前ごときの手柄のために加担するほど腐っちゃいねえ。帰れ」
「おりゃあのためじゃにゃあ。織田のためだがや」
「だから言ってんだろうが。俺は織田のモンじゃねえんだ」
「ほうかえ。そうなんかえ」
又左衛門は無視を決め込み、再び汗を取っていく。
藤吉郎は又左衛門をじいっと見つめてくる。
すると、ふいにせせら笑った。
「可哀想なもんだぎゃあな。おまつ殿が。あんないいおなごはそうそういねえっちゅうのに、こんな唐変木に嫁いじまって」
又左衛門は槍を手に取り、がばりと腰を上げた。
「なんだぎゃ! やるんかえ! この甲斐性なしめ!」
「テメー、俺がどうして流浪の身なのかわかっていねえようだな」
と、又左衛門は瞳孔を剥いて広げて藤吉郎ににじり寄っていくが、藤吉郎はぎゃっはっはと笑い声を空に突き上げた。
「おみゃあが流浪の身に落ちているのは甲斐性なしだぎゃろうが! よおくわかっておるだぎゃ! ここでおりゃあの首を掻き取れる腕はあっても、テメエの明日は掻き取れねえ甲斐性なしだぎゃ!」
又左衛門はかっとして顔を赤く染め上げると、槍を藤吉郎の首筋に振り下ろす。
藤吉郎は黄色い歯を見せてきて、にかっと笑う。槍の刃は藤吉郎の首すじにあとわずかのところで止まっている。
「なんだぎゃ? 斬らんのかえ? そうだぎゃろうな、おみゃあは拾阿弥を斬ったときのようなうつけじゃにゃあもんな?」
又左衛門が留め置いている槍の刃は、又左衛門の怒りの震えとともに揺れ動いていたが、藤吉郎はフンと鼻で笑うと、くるりと踵を返す。
「確かにおりゃあは損得勘定で物事を計っているかもしれにゃあが、そうでもしなきゃ戦国乱世は渡っていけねえんだぎゃ」
又左衛門は槍を下ろす。余裕綽々で横目に見上げてくる藤吉郎を睨み込む。
(こいつ――)
上総介におもねって成り上がった、ただの小賢しい男かと思いきや、この小さい体のサルは、やけに奥深い。手を揉みながら腰を低くして現れたというのに、この豪気であり、そして余裕ぶりである。
小柄な体からは鋭利な野心をにじませている。それでいて瞳は活発に輝いており、まるで火縄銃の弾丸のようだ。
「おみゃあもそうすりゃええ。これからおりゃあに付いてくるのが得だと思えば、おりゃあに付いてきて、損だと思えば付いてこなきゃええ。テメエの行く道の何事も決めるのはテメエ自身だぎゃ」
藤吉郎はそれだけを言い残すと、草鞋を鳴らしてすたすたと裏庭から出ていった。
「今日は何をしに参った。言っておくがな、お主がなんと言おうと織田方に付くことはない。わかったな」
「出し抜けにそう言われてしまったら、身も蓋もないですだぎゃ。まあ、今日はそういう訳でお邪魔したんじゃないんですだぎゃ。こっちに控えているこの男。ご存知だぎゃあですか?」
藤吉郎が目を配ると、蜂須賀小六は敷居をまたがずに平伏している又左衛門に眉間をしかめてくる。
「知らん。誰だ、この若僧」
藤吉郎が何をたくらんで自分を蜂須賀小六などに引きあわせているのか察せないが、又左衛門は一応のところ頭を下げて礼を取る。
「拙者、前田又左衛門と申します」
「前田又左衛門?」
と、蜂須賀の野太い声音はいささかの好奇心の音色に響いた。
「あの、上総介の衆道相手を斬ってくれたという笄斬りの者か」
又左衛門は視線を伏せたまま何も答えなかったが、藤吉郎がにゃあにゃあとうなずく。
「存じておりましたかえ?」
「そりゃ知っているわ。虎の威を借りた狐のように傲慢を振るまった下衆を叩き斬ったのだろう。女房の笄を盗んだからと。権勢に逆らってまでも己を貫くとはなかなかの武の者だ」
「にゃっはっは。そうですだぎゃそうですだぎゃ」
「だが、上総介っちゅうんは器量の狭い者だ。又左衛門、お主は桶狭間で首級を三も召し取ったそうじゃないか。それで帰参がかなわぬとは、これいかによ」
「滅相もございませぬ」
と、又左衛門はまた頭を一段低める。
「拙者、おやかた様に詫びの言葉も入れずに無断で出奔してしまったため、当然のことかと」
「若気の至りで済む話であろうが、そんなもんは」
「ほんで、蜂須賀殿、こやつをここに連れてきたんは――」
「食客としろと言うわけか?」
「にゃあ。さすがですだぎゃ」
「それはならん。こいつのためにならん。わしの膝元にいたところで上総介に帰参する手立てにはならん。又左衛門、お主は今、どうしておる」
「今は葉栗松倉の坪内殿の世話になっており」
「ならばそちらのほうがいいだろう。わしは上総介とはなんら脈なんぞないのだ」
「しかしですだぎゃ、蜂須賀殿。おりゃあも途方に暮れちまっているんですだぎゃ。又左のことはどうにかして織田に帰参させたいんですだぎゃあけども、なかなかおやかた様のお許しが得られなくって。どうすればいいんですだぎゃあろ」
「どうするもこうするもわしにはわからん。そもそも、上総介はそこまで執着するほどの男か? 又左衛門、お主のような武の者であれば、斉藤方でも近江の浅井や六角でも、それこそ武田でも仕官の道はあるんじゃないのか」
視線を伏せたまま礼を尽くしている又左衛門は、なんとなく藤吉郎の魂胆が読めた。
蜂須賀小六とは「こいつのためにならん」という言葉からするに、どうやら人情に厚い男のようである。
見た分、蜂須賀と藤吉郎は古い間柄だ。蜂須賀は藤吉郎の性格をよく知っているのかもしれず、藤吉郎もそれを悟っていて、自分の口八丁では蜂須賀を落とせないとしている。
だから、ここで又左衛門が織田上総介という男をあげつらうことで、藤吉郎は蜂須賀を説得させる手段にしようとしている――。
(フン、このサル、やはり頭が切れるのかもな。だがな、おいそれとお前の掌で転がるわけには行かねえんだ)
又左衛門は口を開く。
「上総介なんぞ大した男じゃございません」
「にゃっ!」
と、藤吉郎は振り返ってきたが、蜂須賀は愉快そうに笑う。
「なら、なにゆえ、お主は織田に帰参したがるのだ」
「それは女房や幼い娘を尾張に残しておるからです。ただそれだけです」
「ふむ。そうか」
蜂須賀は腕を組んで「そうか、そうか」とうなずいた。
「確かに蜂須賀殿のように拙者を褒め称えてくれる御仁は大勢おります。しかし、拙者は愚かな真似を犯してしまいました。いっときの感情をおさえられず、女房と娘につらい思いをさせてしまっています。拙者は蜂須賀殿がおっしゃられるほどの武の者なんぞではございませぬ」
「まあ、うむ――。男の道とはいつでも険しいもんだ。己の道に正しいと思えど、世の道には正しくないときもある。世の道に正しいと思えど己の道に正しくないときもある。難しいものよ」
それはまったくもって又左衛門の悩みの渦だった。
又左衛門から見て、蜂須賀は十歳は年長である。川並衆を率いている一人の男として忸怩たるものは幾度となくあったのだろう。
そんな蜂須賀の発言は又左衛門の身に染みる。
「お主のような若僧は嫌いじゃない。どうにかしてやりたいところだが――」
と、蜂須賀は白湯の碗に手を伸ばす。髭の雄々しい唇に運んでいきながら軽い溜め息をつく。
「わしなんぞには、なんら手助けはできん」
ずずっと白湯をすすった。
「恐れながら――」
藤吉郎がうかがうようにして身を乗り出していた。
「前田又左衛門のために言質をくれにゃあですかえ。織田方に付くと」
「なに?」
と、蜂須賀は白湯を下ろしていく手を止めて眉をしかめ、又左衛門は藤吉郎の無節操ぶりにむしろ感心してしまう。
「蜂須賀殿を織田方にしてきたとなりゃ、又左は必ずおやかた様にお許しいただけますだぎゃ。又左のためにも、ここは一肌脱いでくれにゃあですかえ」
ピシャッ、と、蜂須賀は手にしていた白湯の中身を藤吉郎の顔面にぶっかける。
「たわけが。わしはお主のそういうところが好かんわ。そもそも、こういった又左衛門のような男をいつまでも許さないっていうところが、上総介の好かんところだ。それでいてわしに織田の家臣になれと? 言語道断よ、このサルめ」
「にゃあ……」
と、藤吉郎は袖で顔を拭いていくも、また身を乗り出す。
「ほんだら、又左が帰参したってことなら、おやかた様をお認めくださりますかえ?」
「認めるか認めないかで言えば、認めるかもしれんが、それとこれとは別だ。もう帰れ。くだらぬ話は時間の無駄だ。帰れ」
すごすごと屋敷をあとにする藤吉郎に又左衛門も付いていく。
「残念だったな」
と、口端を歪めながら声をかける。
藤吉郎は振り返って睨み上げてくる。
「おみゃあ、今度の牛殿が仕掛けたいくさ、おみゃあも殴りこみをかけんかえ」
「なにい?」
「今、言っただぎゃろうが。小六殿はおみゃあの帰参がかなえばおやかた様を認めるって言うただぎゃろうが」
「それとこれとは話は別だと申していただろうが」
「別だったとしても、そのときになってみなくちゃわからんだぎゃろうが。できねえできねえと最初から諦めていちゃ何もできんだぎゃろうが。可能性が万が一にもあるんなら、当然それをやるに決まっているだぎゃろうが」
無論、藤吉郎は皮肉じゃないだろう。そういうつもりはないだろう。白湯をぶっかけられて少々頭に来ているのだろう。しかし、又左衛門には藤吉郎の言葉がやけに心に刺さる。
「今度のいくさ、首級を取るんだぎゃ。おみゃあなら出来るだぎゃあろ」
「取ったところでおやかた様のお許しを得られるはずがねえ」
「やってみなきゃわからんだぎゃろうが!」
「黙れ。お前は言っただろうが。テメエの行く道の何事も決めるのはテメエ自身だと。俺の道は俺で決める。それで文句はあるのか」
「情けねえ男だぎゃ」
又左衛門は藤吉郎を捨て置き、葉栗郡への道を行く。
「情けねえ男だぎゃ!」
遠くのほうでの騒ぎ声に舌打つも、又左衛門は溜め息をつきながら春霞の空をあおいだ。




