梓というそれだけの希望
「おい、どうした、牛。箸が進んでねえじゃねえか」
「あ、いや、すんません」
DQNの嫁がロリっていうのもさることながら、カルチャーショックなのは出されたメシのひもじさ加減だ。
艶のないご飯が小さい茶碗にこんもり。お皿にはちっちゃい魚。あと、お吸い物と茶色い漬け物。おわり。マタザが勝ち誇った顔でまつにゃんに用意させたメシはそれだけ。おわり。
学校の給食でもこんなものは出せねえぜ。そのくせ、マタザはガツガツバクバクがっつきつつ、「遠慮なく食え」なんてご飯粒こぼしながら言ってきてさ、無知っていうのは恐ろしいもんだ。ピザとコーラなんて見せたら腰でも抜かすに違いねえ、この未開の土人が。
もっとも、恩着せがましいDQNほど厄介なものはねえ。気乗りしないが漬け物を箸で取る。口の中に放り込む。
「うえっ」
しょっぺえええええっっ! なんじゃこりゃあああっ! 味噌漬かりすぎいぃ! おえええええっっ!
「なんだテメーぇっ!」
途端に激怒のマタザ。や、ヤバ。
「あっ、ち、違うんス。ちょ、ちょっと喉に――」
言い訳むなしく、立ち上がったマタザのミドルキックが飛んできて、顔面を蹴飛ばされたおれは勢いあまって一回転、二回転、板戸を外して三回転、さらに勢いあまって庭先に転げ落ちる有り様。
んで、ずかずかと駆け寄ってきて、ひょいっと庭先に飛び降りてきたマタザは、おれのぼさぼさ頭をひっつかみ上げ、
「人のもんを馳走されて、うえっ、だと、このうつけ野郎! 何が、うえっ、だコラァっ! うめえだろっ、コラァっ! うめえかったって言えやコラァっ!」
「う、う、うめえかったッスうぅっ!」
「なら食えやあっ!」
怒り心頭のままずかずかと部屋に上がっていったマタザは、怒り心頭のままガツガツバクバクとご飯を食べ始め、おれが痛がっているのもお構いなしに「さっさと食えやっ!」と怒鳴り散らしてき、おれは部屋にあがって、まっずい漬け物、ぼそぼそしたご飯、味気のねえお吸い物を泣きながら食べていく。
やがて、まつにゃんが再びやって来、縁側に両膝をつけた。
「どうしたのですか、さきほど大きなお声を出されていたみたいですけど」
なぜか、ハッハッハ、と、マタザは笑い上げる。
「牛があんまりにもうめえうめえって言うもんだから、そこまでうまくねえだろうと言ってやってだけだ」
「まあ、旦那様ったらお人が悪い。でも、お漬物は少々辛かったかもしれませんわ。牛殿、お口に合いましたか?」
ロリ天使まつにゃんの首をかしげながらの問いに、おれは泣きながら叫んだ。
「はいっ! 全然うめえッス!」
「おいおい、泣くこたぁねえだろ、牛。まあ、よっぽど腹が減っていたんだろうな。ところで、まつ、こいつに着せる物はねえか。どうやらこいつは裸一貫らしいからな。いつまでもおやかた様の浴衣を着せているわけにはいかねえだろう」
「そうはおっしゃいましても、牛殿のお丈に合うものは」
「なんだっていいんだ。二枚か三枚ぐらい持ってこい」
「かしこまりました」
そうして、二、三枚の着物が入っているんだかどうだか、まつにゃんは竹細工の箱を持ってきて、お気に召すがどうかはわからんが見繕ってきたと、おれの前に差し出してきた。
「あ、あざッス」
「てことで、牛、帰っていいぞ」
「えっ? い、いや、マタザさんがあっしの家を教えてくれるんじゃ」
「なにい。ああ、そういえばそうだったな」
のっそりと腰を上げたマタザは、「たくっ、面倒くせえな。おい、付いてこい」などと吐き捨てて、部屋を出ていった。
チッ。結局はまつにゃんを自慢したいがために連れてきただけじゃねえか。このクソロリコン野郎が。
まあいい。この時代の連中の身勝手さには、もう、いちいち反応しておられねえ。
さて、おれの家はどこか。
再び鼻唄を歌い始めたマタザのあとをおれはいそいそと付いていく。
まあ、物は考えようだ。ラッキーっちゃラッキーかもしれねえ。戦国時代にぽいっと放り捨てられて、そりゃ、神様に約束された第二の人生だと勘違いしがちだが、よおく考えてみれば、どこの誰だかわからん行き倒れの野郎を「んじゃ、おれの会社に入れや。家も用意してやっから」なんていう奇特な人間なんて存在するはずもねえ。ましてや、こんな野蛮な戦国時代、即刻首チョンパなんておそらくは日常茶飯事なはずで、生きていられることは幸運、メシを世話になったことは幸運、家まで用意してくれるなんて幸運なはずなんだ。
そうとでも思わなくちゃやってられん。
だって、おれは今日、何回殺されかけたことか。
「おう、ここだ。牛小屋には勿体ねえがな」
は?
マタザは立ち止まって「ここだ」って指差ししたんだが、おいおい、これは人が住める代物じゃねえだろうが。なんなんだよ、このボロ。カラスが茅葺屋根の上でカアカア。てか、屋根に穴空いているし。戸は傾いちゃっているし。草ぼうぼうだし。つぎはぎだらけだし。
「あ、あの、じょ、冗談ッスよね。アハハ……」
「まあ、今日はゆっくり休め。明日の朝になったら俺がわざわざ迎えに来てやるからよ」
おい……、ちょっと待ってよ……、おれの話を聞いてくれよ、マタザさん……。
て、行っちゃった。
おれはひとりぼっち、破れ家を前に立ち尽くす。
ファック。仕方なく玄関の引き戸を開けて中に入ってみたら、すぐの板間にはうっすらと血の跡。まさか、事故物件? それに、今しがた蛇がシャーッと通っていったんだが。そこ。ほら、そこ。にょろにょろって。
ウウッ。
ねえ? 消費者センターはどこにあるの……?
ひでえ。ひどすぎる。こんな仕打ちあんまりだ。ゴンロクとかいうヒゲゴリラ野郎に刀を振り回されて、信長には川にぶん投げられて、マタザにはミドルキックを顔面にぶち込まれて、挙げ句の果てにはこんなボロ雑巾みてえな家。
こ、こんなの……、
有り得ねえだろうがあっ!
もしも戦国時代にタイムスリップしたらあっ、
武田信玄か上杉謙信かそれこそ信長みてえな一流の戦国大名にいっ、
うわー、お前すげえじゃん、って、尊敬されてえっ、
お前の未来の知恵で天下統一キボンヌってなってえっ、
おれに初恋するおにゃの子は両手で数えきれないほどにいっ、
マタザみてえなクッソみてえなDQNはおれの下僕うっ、
それがてんで正反対っ!
未来の世界よりもひどい扱い!
ぶち込まれたのは豚小屋ならぬ牛小屋!
ウウッ……。
おれは、どうしたらいいんだろうか。
おれは、一人でコンビニエンスに買い物に出かけたことならあるが、一人で生きてきたことなんてない。親のスネかじり虫だったおれが、戦国時代にたった一人。かじるスネのあてもなく、手元にあるのはたった三枚ぽっちの小判。しかも、これをどうやって使えばいいのかわからんし。
死のう。
首吊って死のう。
竹細工の箱の中にはちょうど首吊りに適した帯がある。
死のう。
やってけねえ、こんな時代では。やってけねえ、こんな恥ばかりでは。
帯を首に巻きつけたおれ、そのままぎゅうっと引っ張る。
ぐうう。もっと力を入れりゃ死ねるかもしんねえのに、体はバカ正直だ、これ以上テメエの首を締め上げられねえ。
自殺をあきらめたおれは、がっくりとうなだれた。
死ぬこともできない、生きることもできない、じゃあ、どうすればいい。
おれは突っ伏して泣いた。
そのまま疲れて眠った。
「これ。これ。そなた。起きぬか。死んでおるのか」
と、聞き覚えのあるツンデレ気配のおにゃの子の声に、おれはうっすらと瞼を開けていった。
すると、床は土で固めただけの玄関に、野っ原で会ったあずにゃんとババアがいたので、おれはびっくりして跳ね起き、額を板床にこすりつけて即座に土下座。
「すすすすいませんっ! あっし、別に逃げたわけじゃないんスうっ。だからもう連れていかないでくだせえっ!」
ノーモアゴンロク。次は絶対に斬り殺される。あずにゃんとババアは兄貴のヒゲゴリラの命令でおれを連れ戻しに来たに違いない。おれが土下座をしても無理に連れて行こうとするものなら、信長の城に逃げ込むしかねえ。それともマタザに泣きつくしか。
「何を言っておる。わらわは詫びを申しに参ったのじゃ」
と、あずにゃんは着物の裾をたくしあげつつ、その場に両膝をついて頭を下げてきた。
「兄上の非礼、許しておくれ」
んで、ババアも一緒になって土下座してきたのだが、
「ああっ、いやいやっ、そんなっ、悪いのはあのヒゲゴリラで、あなたは決して、そのっ」
「兄上はわらわがしっかりとこらしめておいた。この通り」
おれはダッシュであずにゃんとババアの前に駆け寄ると、おれもあずにゃんに向かって土下座。
「いやっ、いいんですっ。あっしがあんまりにも変態だったもんだから、きっと。て、てか、どうしてここが」
すると、あずにゃんは顔を上げてくると、にっこりと笑った。
ああ……。
黒目勝ちの大きくも小さくもない二重の瞼の目尻をふんわりと押し伸ばし、つぼみのような赤い唇をほのかに結んだそのほほ笑みは、小さな花々を揺らす明るいそよ風のようで、おれは思わず涙ぐんだ。おれは彼女に吹かれている。彼女という風に吹かれている。包まれている。抱かれている。
「道行く人にたずね回ってみたら、かように大きい人なら又左衛門に引き連れられていたと知ったもんで、又左衛門のところのおまつに聞いたのじゃ」
「ああ……、そうなんスか。それでわざわざ」
「良かった」
そう言ったあと、うん、と、あずにゃんはうなずいた。
う、う、
うわあああああん!
神様、仏様、あずにゃん様あっ!
たったそれだけの、慈しみのこもった「良かった」という言葉が、今のおれには最大の救い。良かったのはおれが信長に拾われ、マタザに世話されたことなんかじゃねえ。この世にあずにゃん様という素晴らしきおにゃの子が存在していたということだ!
「しかし――」
と、言いながらあずにゃん様は腰を上げ、ボロ家を見回した。
「さすが何もない家じゃ。これではその日暮らしもままならんではないか。のう、お貞」
「は、はあ」
「夜着と食器と油ぐらいは用意せんと。お貞、あとで持って来て使わし」
「しかし、梓様」
「それでは、またな。牛殿」
あずにゃんはまた再びおれにそよ風のほほ笑みを与え残してき、玄関から外に出ていった。
牛殿――。
あずにゃんの口からウシドノ。
なんて、なんて心地よい響き。
「梓様は困ったお人は放っておけぬお方。だからと言って決してあなた様から近づいてはなりませんからね。もしも、かようなことがこの貞の目に触れれば、次こそは兄上様に斬り捨てられましょう」
お貞は捨てぜりふを吐いてあずにゃんのあとを付いていったが、うるせえ、このクソババア。こちとらほんわり夢見気分ってところに水を差しやがって。そのしわがれた細い首根っこもぎ取ってやんぞ、コラ。
とはいえ、あずにゃんが去っていったあとの、かすかに残った彼女の香りを鼻孔に感じながら、おれは放心した。
女の子に優しくされたことなんて生まれてこの方一度もない。
たとえ、あずにゃんが、おれだけじゃなく皆に優しい人であっても、おれは幸福を感じずにはいられない。
あずにゃんがいる。たったそれだけでも、おれは戦国時代で頑張っていけるかもしれない。




